第4回 便利な社会になると バリアフリーが叫ばれて何年になろうか。身体障害者や高齢者での車椅子で生活をされている人たちの普段の生活が、楽に、人手を借りなくても生活をできるようにするのが、バリアフリーであるが、いつも私はここで考えさせられることがある。 たしかに人は年々老いていくのであり、今の車社会においていつ自分が障害者になるかわからない現代。住宅にしろ、公共施設・道路に段差をなくして住み良い社会を作っていくのが理想かもしれない。 しかし、あまり便利な社会になると、人は努力をしなくなるのではないか。普段から人は努力に努力を重ねて、はじめて目的を乗り越えられるのではないだろうか。 先進国のアメリカから来た障害者が、日本の障害者が気の毒だと言ったことを耳にしたことがある。しかし住宅の中を段差をなくした住居を考えるときに、なんとなく無気力な住宅になるのではないかと思うし、世の中どこへ行っても段差のないところはない。また段差があって初めて魅力があるのではないだろうか。 人は自然に老いていく。しかしその老いに負けないように、日々これ努力しかないのではないだろうか。年をとって、初めてそのことが分かるのである。努力を惜しみなく、いくつになってもバリアフリーでなくても生活ができるようにしたいものである。 ( 2001年)
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