第 17回鹿鳴館時代の名残――陸奥宗光の別邸 今年はメキシコと通商条約に調印して 100年。日本の明治政府が最初に対等条約をワシントンで結ぶために日本代表として陸奥宗光が参加した。その陸奥宗光の別宅であったと言われる根岸へ足を運んだ。 陸奥宗光。この名前をご存知の方も大勢いるかと思うが、第二次伊藤内閣のときに外務大臣をされ、外交官、政治家として手腕を振るった。 根岸にある別宅は、明治 35年頃に建てられたのではないかとの事。当時としては根岸の里に西洋館に近いものができたので、周りの人々は驚かれた様子。それにもまして、よくパーティーが開かれ、着飾ったご婦人達の出入りが多いので、周囲の人たちは目を丸くしたとか。当時は鹿鳴館時代の名残があり、外交官で外国の要人との接待などでこの別宅をよく利用したのではないだろうか。 今では見るのも忍びがたい姿になっており、持ち主も修理したくても費用その他の面でだいぶ苦慮しておられ、建物を解体する考えは持っていないという事でした。 ( 1997年)
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