月面の写真

(925日号)

少しずつ夜が長くなるにつれ、見上げる月もその目にする機会が多くなってきています。じっと目をこらして見てみると、日本でおなじみの「餅をつくうさぎ」が見えてきたり、国によってはライオン・カニ・ロバ・女性の横顔など、様々な生き物が月にはいるようです。人の力を超えた「科学の目」をこらしてみたところ、今月6日に見えたものは『人の足あと』でした。

月探査機が撮影した月面の写真には、アメリカのアポロ17号が1970年代初めに、月探査をおこなった時の月面探査車のタイヤのわだちや、宇宙飛行士が月面を歩いた足あとが映し出されていました。

今まで、一部の人は「アメリカは月に行っていない。月面で撮られたという映像は地球のスタジオで撮られたものだ」と言っていました。この人たちにとって今回の映像は「見えすぎちゃって困る」ものかもしれません。

もしかして、この人たちはこう反論するかもしれません。「今回の映像も作り物に違いない。だってすぐ近くに、うさぎの足あとがあるじゃないか」って…。

 

 

泉南アスベスト高裁判決

(915日号)

8月に泉南アスベスト国賠訴訟の2審判決があり、大阪高裁は「国の対策に違法性はない」として原告逆転敗訴を言い渡した。

 

「日本では、産業社会の発展が、労働者の生命や安全よりも優先する」――ひと言でいえば、これが裁判所の主張だ。日本国憲法の3原則のひとつ「基本的人権の尊重」は、どこへ行ってしまったのやら。

 

この裁判では国の責任について、国側が「1次的責任は企業であり、国は2次的責任しかない」と主張したのに対し、1審は「国に1次的責任がある」と原告の主張を認めたのだった。ところが、今回出た高裁判決は「国の賠償責任はない」というもの。国側自身が「少しは責任ある」と言っているのに、これってどういうこと?

 

震災による原発事故で、国や東京電力が将来、損害賠償で訴えられる可能性はかなり高いはずだ。その際「この判決が前例となり、“国の対応に責任はなかった”として裁判所が原告の訴えを退けるおそれがある」との意見もある。この判決、ひょっとして真の狙いはソコ?

 

 

3月11日以後

(95日号)

311日に起こった東日本大震災から、もう少しで半年が経過しようとしています。ちょうど半年後の911日は、10年前にアメリカで同時多発テロが起こった日です。

ニューヨークのワールドトレードセンタービルにハイジャックされた旅客機が激突した映像は、今でもはっきりと思い出すことができます。同じように、311日に見た津波の映像は何年たっても忘れることはないでしょう。人生の中で転機というものがあるとすれば、この2つはまさに「変わり目」と言うにふさわしいものだと思います。

911日後」から世の中は、テロリズムとそれを抑え込もうとする力同士の戦いに巻き込まれ、「異なったイデオロギー同士の対立」という構造に変わった、と言えるのではないでしょうか。

それでは「311日後」からは世の中の流れの何が変わったのでしょうか。一つはっきりと言えるのは、911日後の「対立」ではなくて「調和」でしょう。潮目は「助け合い」に変わりつつあるのではないでしょうか。

 

 

車内がさらに

(85日号)

「電車でメーク」はもう日常茶飯事だが、車内はさらにエスカレートしているようだ。新聞の投書欄に掲載されたものを2つ紹介しよう。

 

1つめは「ほぼ満員の車内に乗り込んできた学校帰りらしい2人の女子高生が、空いていた席にカバンを置くなり、その場で服を着替え始めたのです」。そして彼女たちは制服上下を私服上下に素早く着替え、「終わると、2人ともおしゃべりしながら化粧を始めました」。

 

2つ目は「女子高生2人が乗り込み(中略)座るとすぐにかばんからカミソリを取り出し(中略)すね毛をそり始めました」。さらに太もも・両腕・顔の毛を剃っていく。「その間約15分。私は女子高生の鮮やかな手さばきに圧倒されて、一瞬も目が離せませんでした」。

 

メーク・着替え・ムダ毛剃りの3つに共通するのは、身づくろいに関する行動ということ。そして投稿者の感想で共通しているのが、彼女たちの手ぎわの良さだ。

 

いったい次は何を、その鮮やかな手さばきでやらかしてくれるのか、注目して待つとしよう。

 

 

七夕の願い事

(715日号)

一年に一度、77日の七夕の日に、笹の葉に願い事を書いた短冊を結んで、ぶらさげたこと、皆さん子どもの頃にやった記憶があることでしょう。

子どもらしい可愛い願い事がある一方「外でいっぱい遊べますように」今年の七夕で、福島市の保育所内にかざられた短冊にはこう書かれていました。こんな短冊がぶらさげられていた笹の葉も、今年はポリエチレンでできた、代用の笹の葉でした。

これは言わずもがな、福島第一原発での事故による放射線の影響が原因です。窓を閉めきった建物の中で一日を過ごすしかなく、事故の前では当たり前のように外で元気よく遊んでいた子どもたちも、今では送り迎えの際に、少しだけブランコで遊ぶことができる程度だということです。

七夕は過ぎ、関東でも梅雨が明けて夏がやってきました。クーラーなどの消費電力を節電するために、私たち大人がある程度の我慢をするのは構いません。しかし、子どもたちにこのような思いをさせるのは、やるせない気持ちでいっぱいになります。

 

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