水掛け論

(65日号)

水の掛け合いのように勝敗が決まらない言い合いを表した「水掛け論」という言葉。互いの田んぼに水を引こうとして言い争う一幕を描いた「水掛聟」という狂言が由来だという一説も。

「水掛聟」は、互いの立場を守ろうとして醜い言い争いをする様子が面白おかしくて狂言になっているのですが、笑うに笑えない水掛け論がこんな話。

東日本大震災の翌日、312日に福島の原発事故に際し、斑目(まだらめ)原子力委員会委員長が再臨界(核燃料が制御不能の状態になって核分裂を起こした後に爆発を起こすこと)が起こる可能性について「言った言わない」の水掛け論がありました。

斑目氏が言った可能性があるのは「再臨界の危険性がある」「再臨界の可能性はゼロではない」このいずれか。いずれかの話(?)を聞いた政府首脳が、事故原発への海水の注入中止を命じて…しかし現場責任者はその命令に従わず注水を続け…。

何が何だか分らないこの顛末。とにかく「水を掛け続けて良かった」というオチがついた「水掛け論」。

 

 

絶対安全

(55日号)

太陽は東から昇り西に沈む。すべての生き物はいずれ死ぬ。こういうことぐらいしか世の中に「絶対」と言いきれることは数少ない。「絶対」という言葉を気安く使っていたために私たちは今、高い代償を支払わなければいけなくなっているのかもしれません。

今まで電力会社と国は「絶対安全だ」と原子力発電を推進してきました。「絶対安全」だから防波堤も低かった。「絶対安全」だから緊急時の電源確保もおざなりだった。「絶対安全」だから…

自分の身をかえりみず、今も作業をする原発の作業員の皆さんに定められている「被ばく線量」の上限規定値が、今回の事故を受けて大幅(25倍)に上げられました。

この改定を働きかけたのが福島の電力労組だというのですから何とも「都合のいい」話です。これも「絶対安全」だから緊急時に働ける人材の確保をしてこなかったツケということ?

最悪の事態を考えることを許さなかった「絶対安全」というこの言葉が実は「危険思想」だったんかもしれません。

 

 

自分たちにできることを

(45日号)

311日以降、私たちの生活から明かりが少し消えています。コンビニ、駅構内などあらゆる施設の照明の数が少なくなっています。組合事務所内でも一部の照明を消して節電に努めています。

 

今、世界中の目が日本を見ています。ひび割れた高速道路を、わずかな期間で復旧させた日本の土木技術を世界は驚きの目で見ました。

 

その一方、総理大臣や原発問題の責任者である東京電力の社長は311日以降、数えるほどしか私たちの前に姿を現していません。世界はまた、こんな姿を「日本は、トップは弱いが現場は強い」と報道しました。

 

今日を無事に生きている私たちにとって今、何ができるでしょうか。トップがダメなら現場の底力をもっと世界中に見せてやりましょう。冷静に、自分たちにできることをやりましょう。そして、一日も早く日常を取り戻し「現場の力」で日本を元通りに、いや今まで以上に元気にしましょう。

 

少し消えた明かりを目にするたび、この決意を思えば、私たちは奇跡を世界に見せることができます。

 

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