単純なシステム

(121525日号)

年末年始のこの時期になってくると、新しい手帳の最初のページに新年を迎えるにあたっての目標を書き入れる人も多いと思います。

毎年末に古い手帳を見返すと、とうとう達成できなかった目標を見つけて気恥ずかしい気持ちになるものです。そんなあなたに参考になる話を一つ。

無造作に置かれた自転車で、せっかくの駐輪場がごった返していたのが悩みの種だったある駅。注意書きを書いた看板は、まったく役に立たず。臨時に管理員を雇った一時期は整理整頓できましたが、管理員がいなくなったらすぐに以前のように。試行錯誤の末、ある事をしたらほとんどコストをかけず見違えるようにきれいになりました。その方法とは?

答えは自転車を並べる基準となる線を一本書いただけ。人の気分や考え方ほどゆらゆら動いて頼りない物はなく、気分を一新させるためにはそうせざるを得ない単純なシステム(一本の線)が必要なのです。立派そうに見える目標を立てるより、まず簡単な行動から変えてみるのも一つの案かも。

 

 

墨子

(1125日号)

紀元前4、5世紀の中国は儒教の祖である孔子や、道教の祖・老子などさまざまな思想家が生まれました。孔子よりやや遅れて出てきた「墨子」は才能あふれた時代の中でも、とりわけ変わった一派でした。

墨子の主張は「無差別愛・博愛主義・非攻論者」でした。こうみると単なる理想主義者かと思う方もいると思います。しかし墨子は空虚な平和主義を唱えただけの集団ではなく、ある国が別の国を攻めると聞けば、攻められる方の国に出かけて防戦の指揮を取り、手助けする「防戦のプロ集団」だったのです。

墨子の「墨」とは一説によると、人の名前ではなく墨子一派の特徴をあらわすものが由来とされています。図面を引く「墨」をいつも携帯していた技術者集団、つまり建設に関連した集団だったのではないかと言われているのです。

大工、左官、石工などの技術を駆使し、共同して城壁を補修したり矢倉を組んだり…私たちの大先輩は組織の力で的に立ち向かう、なんともかっこいい集団だったのかもしれませんね。

 

 

(1115日号)

あなたは得体の知れないものが奥にいそうな、恐れを抱くような森を見たことがありますか。

まだ人間が二足歩行をしていない時代、私たちの祖先は森の木の上でコソコソと逃げ隠れするような生き方をしていました。「食べられる側の恐怖の記憶」が遺伝子に残っているのでしょう、「森の記憶」は本能的に私たちに恐れを抱かせるようです。

グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」の、悪い魔女が子供を誘い込むお菓子の家や「注文の多い料理店」の、山奥にある人食い山猫が待ち構える料理店などは森の中です。

恐れはやがて信仰につながり、特に日本では木などを「ご神木」としてあがめるようになりました。熊野地方など、原始の森の雰囲気を残し、おごそかな気持ちを抱かせる森や、人の手が入った里山などは、より身近に感じることのできる鎮守の森として信仰の対象となっています。

ふだんの生活の中で、得体のしれない不安を感じた時「木を見て森を見ない」ようなモノの見方もたまには有効かもしれませんね。

 

 

大事なたまご

(115日号)

たまごが先か? ニワトリが先か? あなたはどっちが先だと思いますか?

お互いに関係が深い事がらで、実際に結論を出すのは難しくてあまり意味がないことを表現したこの例え話ですが、この度ついに決着がついたようです。

イギリスの研究チームによると、たまごの殻を作るたんぱく質はニワトリの卵巣の中にあり、これがないとたまごが作れない…つまりニワトリが先にいないとたまごができない、という結論に達したようです。

前置きが少し長くなってしまいましたが今回の本題はこんなことではなくて、3年後をめどにスタートさせると国が打ち出した「幼保一元化問題」。

保育園などに入れない「待機児童」をなくすために幼稚園と保育園を一体化させた「こども園」という仕組みを作る、と言っていますが財源はどこから? 無理な仕組みで子供にしわよせがいかないか? など、早くも異論続出な様子です。

子どもは私たちの未来を託す「大事なたまご」です。乱暴に扱ってこわしてしまわないように大切に扱ってほしいものです。

 

 

古希

(105日号)

毎年、東京建設新聞の915日号は「敬老のお祝い」特集号だ。70歳・75歳・80歳を迎えた組合員さんの氏名が全員掲載され、古希を迎えた組合員さんのインタビュー記事が載る。元気に仕事を続けている様子が紹介された記事を読み、「よし、オレももうひと頑張りしなくっちゃ」と思われた方も少なくないのではないか。

ちょうど30年前、凶弾に倒れたジョン・レノンも、生きていれば今年で70歳だった。そう、古希の皆さん、実はビートルズ世代なんですね。ちなみにブルース・リーも「生きていれば今年で70歳」組だ。

杜甫の詩『曲江』の「人生七十古来稀」(人生で70年生きる人は古くから稀である)が「古希」の由来というのは有名な話。戦前は、平均寿命が女性49歳・男性47歳というから、確かに「古希」は実感があったのかもしれない。しかし現在は、70歳は当たり前の時代だ。

「古希」っていうと、昔なら「お年寄り」のイメージだけど、そろそろ認識を新たにして、もっと若さや現役感のある「呼び名」が必要だね。

 

 

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