ひとくぎり?

325日号)

労災保険での補償が受けられないアスベスト健康被害者を救うためにできた「アスベスト新法」。その申請受け付けが320日からスタートした。昨年6月のクボタ報道から始まったアスベスト騒動も、新法が成立したことにより、社会一般的にはひとつの区切りとなるのだろう。

今から約20年まえの1987年、ある学校の校舎の吹き付けアスベストがボロボロはがれ落ちていることが判明し、全国の学校関係者を震撼させた。いわゆる「学校パニック」だ。このときも、アスベスト問題は大きな騒ぎとなった。しかし、いいかげんな調査しかおこなわれず、さらに翌年、報道が沈静化するのに従い、対策もとられなくなってしまった。

そして昨年のアスベスト騒動。今回はまがりなりにも「アスベスト新法」をつくるところまでいった。でも、そこで、「一区切りだ」として、取り組みが尻すぼみになっていっては20年前と同じこと。それじゃマズイっしょ。

組合でおこなっている「石綿特別教育講習」は、3月末までの受講者が約250人。まだ組合員数の1割に達していない。しかも残念ながら、回を追うごとに受講者数は減りつつあるのが現状だ。このまま「尻すぼみ」になっていっては、やっぱり「マズイ」ですよね。

 

 

君が代、今年は?

315日号)

卒業式や入学式のおこなわれるこの季節は、「君が代」のときに「歌った・歌わなかった」「立った・立たなかった」で、モメる季節でもある。でもここ最近、マスコミでの「君が代問題」の扱いがだんだん小さくなっているような気も。そんな感じしません?

で、実態はどうなのかというと。たとえば東京都教育委員会の場合、マスコミでの扱いとは反比例して、「起立させ、歌わせる」ためのあの手この手が、年を追うごとにエスカレートしている。

都教育委は今年も新たな手として、都立高校の校長らに対し、「生徒への指導を教職員に徹底する」ことを命じる通達を出した。これ実は、311日にあった都立定時制高校の卒業式で、卒業生の大半が君が代のときに立たなかったために急きょ出した通達らしいのだが。

この通達の言わんとするところは要するに「君が代のときに生徒が立たなかったら、それは先生の指導不足だからね。責任をとってもらい、処分もあるよ」ってこと。生徒たちからすれば、「先生の処遇は、生徒であるきみたちの態度しだいだよ」と、人質をとられているようなものだ。

それにしても、こんな陰湿な手口を考えつき、しかも実行できるとは。「教育委員会」ってものすごいところだね、ホント。

 

 

格差社会

25日号)

「格差社会」「二極化」、そしてここ最近よく見かける「勝ち組・負け組」なるフレーズ。どれも「国民の間で経済格差が広がっている(らしい)」ということを、いろいろな言葉で言っているわけだけど。

とくに、「下品で嫌い」とか「こんな分け方を安易に使うマスコミも問題だ」と言われつつ、いちばん使われているのが「勝ち組・負け組」だ。

「格差社会」については、「競争こそが社会を活性化させる」というマッチョな考え方も少なくない。ただその場合も、次の2点はぜひ考慮に入れてください。

1つめ。仕事には、「勝ち組になれる仕事・負け組になってしまう仕事」という区分けをできるものも確かにあるだろう。が、そんな価値観がすべてではない。「衣食住に必要」とか「社会をささえる」とか、同じ仕事でも視点を変えればいろいろな価値がみえてくるはずだ。そんな仕事観もお忘れなく。

2つめは、「最低限の健康で文化的な生活は保障する」というセーフティーネットが、政府の責任できちんと存在すること。これなしに格差が広がると、冗談でなく人々の命にかかわる。現状は、いいかげんな年金制度・自己負担が増えるばかりの医療保険や介護保険はじめ、「政府の無責任度」は高まる一方なのだが。

 

 

お正月企画

125日号)

夕方6時過ぎのテレビは、どのチャンネルもニュースの時間である。これらニュース番組で毎年1月なかば過ぎに放送される定番の季節もの企画といえば、そう、「大人になったことを謳歌する、成人の日の新成人たち」とか「初日の出にあやかって集団でツーリングする若者たち」といったヤンチャな若者を扱った青春ものだ。

が、毎年似たようなものを見せられているとさすがに飽きてくる。たとえば成人の日に酒を飲んでハメをはずす彼ら。その行動内容がここ数年、いまいちバラエティに乏しいのだ。つい「もっと違うアイデアや行動で世間からヒンシュクを買うように、少しは工夫しようよ」と茶々を入れたくもなる。

などと思っていたら、今年は、どの民放でもやたら目につく新たなお正月企画が登場した。題して「福袋に群がる女性たち」。ひょっとしたら、昨年もやっていたのだろうか。内容はというと、「福袋セールに殺到する女性たちの生態をリポートする」ふりをしながら、実は各デパートやショップとタイアップしているかのように、「福袋」という商品を宣伝するのが狙いだ。

番組を見た人のなかには「よし、来年はぜったい福袋を買いに行くぞ」と決意した人もいたりして。簡単にのせられたらあきまへんで。

 

 

ベタ

15日号)

ブームのせいか、お笑いの業界用語が一般会話の中でも当たり前のようにとびかっている。たとえば「ベタ」(関西ではベタベタ)。

マンガの「ベタ塗り」(黒く塗りつぶす作業)が語源ともいう、この言葉。「ありきたり」とか「工夫がない」という意味で使われる。以前は否定的なニュアンスで使われていたが、最近では「ベタさ」を楽しむといった、取り扱われ方もあるらしい。そこで今回は、新聞1面の下段コラムが新年号で取り上げがちな「ベタな題材」トップ3を紹介しよう。

第1位は、その年の干支にちなんだ話題。「年男・年女にはこんな人がいますよ」とか、干支の動物での有名なキャラクターを紹介したり、ウンチクを語ったり。

第2位は、「今年は、△△が始まって○周年にあたる年です」といった「アニバーサリー」紹介という手。実は昨年は東京建設が結成されて50周年だったので、この手を使ったのだが、51周年では中途半端で使えないのである。

3位は、なんでもいいから「明るい話題」をどこかから持ってきて紹介し、強引にこじつけて「希望に満ちた一年になることに期待したい」と結論づける力業だ。

そもそも「いかにも新年らしい題材でコラムを書く」という発想自体がベタなのかもね。

 

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