尺八の音色

915日号)

コンピューターが発する正確なリズムに合わせて楽器が演奏され、それに乗っかってどこかで聞いたようなメロディー・歌詞が歌われる。ふだん耳にする音楽は、そんな「パック詰め」商品が大半だ。それはそれで楽しんだりもするのだが、先日、まったく異なった音楽体験をした。

十数人が奏でる尺八の音に、みんな耳を傾けている。月居辰雄さん(馬込支部)の葬儀が終わり、棺に納められた故人と最後のお別れをした後。出棺を前に尺八の連管(斉奏)で民謡「追分」が静かに始まった。実は、尺八の演奏をまともに聞くのはこれが始めてだ。

哀愁などという月並みなことばでは言い表すことができない「追分」の曲調。尺八の音は、笛の音色というよりも、「木々の間を通り過ぎる風の音」や「川のせせらぎ」「寄せては返す波の音」といった自然界に存在する「何かの音」のようだ。それらが、十数人の奏者によって、微妙にずれたり重なったりしながら、一つの旋律を繰り返していく。

時間にして、5分ほどのことだっただろうか。参列者の中には、尺八の音色と共に、「故人の在りし日」を頭に描いていた人も多かったに違いない。

この楽器には、音楽を超えたプラスアルファを伝える「何か」があるのかもしれない。改めて合掌。

 

 

死刑制度

95日号)

大阪教育大付属池田小学校での児童殺害事件で、被告に対し死刑という判決が下された。おこなったことのあまりの残虐さや身勝手さ、その後もすべてを「他人のせい」にする言動など、「被告には極刑を科すべきだ」という意見はその通りだと思う。それでもやっぱり疑問は残るのだ。「殺人を国家に委託する制度はあっていいのか」と。

被害児童の父親は手記でこう述べている。「死刑廃止論を唱えている人に伺いたいことがあります。自分の子どもが殺されても本当に廃止論を唱えることができるのでしょうか? それができなければ唱える資格などあるはずもありません。他人事だから言えるのだとあえて申し上げたい」

家族を殺された方たちの心の痛み、「加害者だけがのうのうと生きている」ことへの理不尽な思いは、私たちの想像を超える。でも、第三者までが理屈より感情を優先させちゃあマズイでしょう。さきほどの父親の手記にある「死刑廃止論」の部分に「戦争反対」とか「報復攻撃反対」の言葉を代入してみていただきたい。どうしてもこの論理には賛成することができない。

死刑制度には反対・賛成それぞれ言い分があるだろう。でも「犯人に死の報いを」の考え方だけは否定したうえで、論議してほしいな。

 

 

猛暑

825日号)

「夏をあきらめて」という言葉がぴったりの今年の夏。海の家は赤字間違いなしだそうだし、客足の伸びないビアガーデンでは生ビールより熱燗が出ているとの話も聞く。が、ヨーロッパでは猛暑で深刻な状態らしい。

連日40度の高温が続くフランスでは、猛暑が原因で亡くなった人が3000人に達するという報道が出た後、「いや1万人にはなりそうだ」と訂正の情報を流している。どちらにしろ、ものすごい人数だ。冷房設備が少ないって理由だけでそんなに人が死ぬものなの?

この暑さに同国では、バス運転手が「車に冷房設備をつけろ」「半ズボンの着用を認めろ」とストを起こしたとか。

さらに上を行くのが、スウェーデンの運転手たちである。短パンでの乗務を禁止する会社への対抗措置として彼らがしたこと。スカートをはいて仕事をはじめたのだ。

かたや夏だというのに上下のスーツ姿に身を固めたビジネスマンが街中を行く日本。さすが「熱闘甲子園」の国ですなあ。でもあまり我慢しないようにね。

 

 

首相あいさつ

815日号)

86日に広島の、9日には長崎の、平和記念(祈念)式典で小泉首相はあいさつをおこなった。地名を差し替えた以外、文言は両日ともほぼ同じで、こんな内容だ。

「人類史上唯一の被爆国である我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意のもと、平和憲法を順守し、非核3原則を堅持してきた。今後とも、この立場を変えることなく(中略)核兵器の廃絶に全力で取り組んでいく(後略)」

きっと、昨年も一昨年もだいたい似たような内容だったのだろうな。にしても、米国がおこなったイラク侵略へ「積極的な支持」を表明し、「有事法制・イラク特措法の強引な成立」をなしとげて「自衛隊派兵」が現実化した今年は、一段とその「シラジラしさ」にも際立つものがある。

首相の発言をもうひとつ。秋葉・広島市長が平和宣言の中でイラク戦争に触れ、「『戦争が平和だ』との(米国の)主張があたかも真理であるかのように喧伝されている」と批判した同じ日に同じ広島市内で、小泉首相は「米国に協力することが日本の平和を確保することにおいて極めて大事」と語った。

市長や式典参加者を挑発しているとしか思えない発言だが、ひょっとして、この人は平和宣言など聞いていなかったのかしら? 

 

 

少子化社会対策基本法

725日号)

今度、「少子化社会対策基本法」って法律ができたでしょ。「次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てることができる環境を整備する」という基本理念が述べられているけど、あれは「次代の社会を担う」という部分がポイントなんだな。つまりはこういうこと。

「子ども」ってのはね、大人になったら不平不満も言わずに働いて、税金を納めてくれる限りにおいて、国家にとって有用な人材となりうるの。過酷な残業もバリバリこなしてね。それ以外の子どもはぜんぜん必要ない。逆に、いてくれちゃあ迷惑なんだよ。

それと女性はね、「子どもを産む」ことにのみ存在価値があるの。ま、学校を出て少し働くぐらいはいいよ。でも適齢期になったら、さっさと結婚して子どもをたくさん産むことだ。次世代の「有用な人材」を生産するんだよ。このサイクルがうまくいってるのが、「良い国家」だ。

今の日本を見てみなさい。子どもを一人もつくらないで自由を謳歌して。そんな女性がどんどん増えてるじゃないか。なーにが「労働条件の改善」か! なーにが「男女共同参画社会」だ! そんな人たちが年をとったからといって”税金で面倒みる”なんて、冗談じゃないよ。

森喜朗様、こんな補足説明でいかがでしょうか?

 

 

 

わら草履

715日号)

建物の中に入ると、黙々とわら草履を編んでいる老人がいた。朝8時から夕方5時まで、ここでわら草履づくりの実演・販売をするのが彼の仕事だ。ここは岐阜県・下呂温泉にある観光施設「合掌村」。

つくっているわら草履は4種類ある。長さ20センチ弱の大人用。それより一回り小さい子供用。交通安全のお札がついた6センチほどのもの。そしてもう一つが、先っぽに2センチぐらいのミニチュアわら草履がついた携帯電話用のストラップだ。

「3年ぐらい前かなあ。上のほうの人が、これからはコレだということで、つくり始めたんだよ」。読みは当たった。「携帯電話のヤツが、一番よく売れる。休みの日だと100個は出るね」

むかし、家族全員のわら草履を編むのはお年寄りの仕事で、わら草履は一番身近な履き物、実用品だった。しかし今では、わら草履をはいている人を見ることはない。伝統の技術も、売れ筋のアクセサリーづくりにシフトしつつあるのが現実だ。

実演・販売を担当するのは3人。一日ずつ担当し、翌日の人は、前の日に売れた商品をつくって補充するという。ストラップが100個も売れた翌日は、ミニチュアづくりに追われるに違いない。「技術の伝承」のひとつの形ではあるんだろうが。

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