たそがれ清兵衛

1225日号)

映画「たそがれ清兵衛」の「たそがれ」とは、同僚が清兵衛につけたアダ名だ。仕事の終わる「たそがれどき」になると、仲間たちからの酒や遊びの誘いも断ってさっさと家路を急ぐことから「仲間同士の遊びに付き合えないなんて、なんというつまらない奴だ」との意味合いで揶揄的につけられたものである。

清兵衛は、病で妻と死別したばかり。家には10歳と5歳の子供、ボケの始まりつつある老いた母親がいる。さらには妻の治療のために作った借金を返済するために内職の仕事も。仕事を終えたら急いで帰らなければならないに決まっているよねえ。

そして現代。ひとり親家庭(映画では父子家庭だが、いまの日本では母子家庭のほうが圧倒的に多いだろう)。年老いた親の扶養。なんら特別なことではなく、日本でもどんどん増えつつある家庭形態である。現在は江戸時代と違って福祉施設などはあるにせよ、同じ立場であれば家に急がねばならないのは同様だ。そしてそのことに無理解な人たちも、やっぱり同じように存在するのだろう。

いや、現代では、「たそがれ」に帰るのは問題外で、深夜まで「サービス残業」という名の「タダ働き」を強要する、企業というもっと非情で無理解な存在もあるのだけれど。

 

 

ナショナリズム

125日号)

在日2世の東京大学教授・姜尚中氏は、1122日付けの朝日新聞で、拉致事件に関連してこう語っている。「北であれ南であれ、かつての日本であれ、汚れのない国家はない。いつでも被害者から加害者に反転しうる。国家や民族は自己同一化する対象ではない。むしろ今、個人としてどう国家と向き合うかが問われている」

拉致被害者たちの日本での行動は、逐一マスコミで過剰ともいえるほど報道され、さらにそれとセットで、「北朝鮮とはどれほどいびつで危険な国家なのか」という報道も、ものすごい量だ(北朝鮮誕生の経緯や日本との関係など、歴史的言及はほとんどない)。その結果、日本・日本民族VS北朝鮮・朝鮮民族という図式で、個人が「国家や民族」に「自己同一化」してしまうというナショナリズムがじょじょに幅を利かせそうで「やな感じ」だ。ひょっとして、誰かそれを狙っているのかな?

今年も中国残留日本人孤児5人が肉親捜しで来日している。が、日本での関心はかなり低く、厚生労働省によると「孤児問題は風化しつつある」という。

日本という国家の加害の結果うまれた中国残留孤児。今や日本という国家の被害のシンボルとなっている拉致被害者たち。なんなのだろう、この扱いのあまりの違いは。

 

 

卑劣な犯罪

1015日号)

いま日本国内で「同時多発」的に、似たような犯罪行為が相次いでいるのをご存じだろうか。女子学生の制服を刃物で切る・暴力をふるう。手紙や電子メールで脅迫文を送りつける。ほかにもいろいろな手口があるようだ。

今回の拉致事件に便乗して(としかいいようがない)、日本人の一部の人たちが、在日朝鮮人社会に向けておこなっているものだ。

肉体的にも精神的にも相手を恐怖に陥れるこれらの行為は、「テロ」としか言いようがないだろう。といってもある種のテロリズムにある「やむにやまれぬ」といった切実感もなく、単なる「無知」と「甘ったれ根性」による暴力的行為なのだが。こんな犯罪行為を、「嫌がらせ」などと言い換えるから、奴らもつけあがるのではないのか。はっきりと、「弱いものイジメしかできない卑怯者がやっている卑劣きわまる犯罪」だと言わなくちゃ。

今回の「日朝会談」と「拉致事実」により、日本政府と朝鮮政府の関係がこの後どのように進むのか、どう進むべきなのか。日本人も在日コリアンもみんなで一緒になってじっくり考えなくてはならない問題だ。しかし、「こんな卑劣な犯罪を許すな」という世論を盛り上げる取り組みは、じっくり考えなくてもすぐに可能ではないだろうか。

  

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