後継者問題 ( 12月25日号)どうやら後継者問題は建設業に限らないようだ。 皇太子夫妻に女の赤ちゃんが生まれた。そこで「ご懐妊」発表時に続いて再び浮上したのが、「皇室典範を改正して、女性天皇を認めるかどうか」の論議である。「女帝容認論」の根拠としては、「現代は、男女平等・男女同権の社会なのだから」という説をよく目にする。 が、本当の理由はただ一つ。後継者不足が深刻になってしまい、「男だけに限る」などと悠長なことを言ってられなくなったのだ。何しろ血統を重んじて、「養子は認めない」旨の決まりを持つ一族のこと。後継の男性がいなくなれば、天皇制自体が自然消滅してしまうのだから。 また「男女同権」説は、重要なことが抜け落ちている。「象徴」というこの家業(のようなもの)は後継ぎを拒否する自由がない。本人に選択の自由もないのに、「男女平等に後を継ぐ権利を認める」と言われてもねえ。「即位拒否の自由」こそ、先に論議すべき課題ではないかな。 ところで肝心の建設業は、後継者不足にどう対処したらいいのか。かの一家と違い、不況対策や仕事確保という大きな難問が待ち受けている。でも、建設業こそ、もっと「男にも女にも」開かれた業種への道をさぐる必要があるのではないだろうか。
野球本来の魅力 ( 12月5日号)「日本のプロ野球に最初に”送りバント”を大々的に導入したチームは、川上監督率いるジャイアンツだった」という話を読んだことがある。もともと送りバントは、@打者にそれほど長打を期待できない、Aトーナメントで、1回でも負けてしまえばそれまで、などという理由から、着実に得点圏にランナーを進めるために、甲子園大会などの高校野球でよく用いられていた作戦だ。しかし、プロ野球という「素晴らしいプレーを見て楽しむ」スポーツに、「送りバント」なんて、必要あるのかしら? 勝てばいいというものでもなかろうに。 今や、「送りバント」は、どのプロ野球チームでも当たり前のように使われている。その先駆者が、あらゆる手を使ってひたすら優勝を狙うしか能がない「巨人軍」だというのはやっぱり象徴的といえるだろう。さらに情けないのは、日本のプロ野球愛好者の多くが、その巨人ファンだということだ。 イチローが米国アメリカン・リーグのMVPに輝き、「攻・走・守と三拍子そろったプレーが認められた、野球というスポーツが本来もっている魅力を再認識させた意義は大きい」といった評価をよく目にする。 巨人ファンの皆さん。これをいい機会に、どうか「野球本来の魅力」も少しは楽しんでくださいね。
青年部の活性化にこだわって ( 11月15日号)戸越支部の深沢博さんが、 11月8日に亡くなられた。今年の春から病気のため入院・闘病中だったのだが、残念ながら病には勝てなかった。まだ61歳の働き盛り。早すぎる死である。「自分自身、青年部活動を通じて本当にいろいろなことを学んできた」と話していた青年部OBの深沢さん。だからだろうか。深沢さんほど組合青年部の活性化にこだわり続けていた人は、他にあまり思い当たらない。支部の総会では、毎年のように戸越支部青年部の結成を訴えていたし、組合の定期大会では、代議員として出席すると必ず「各支部で青年部が結成できるように、もっと幹事が本気にならなきゃダメなんだよ」と、執行部に檄をとばしていた。 そんな深沢さんの執念が実ってか、戸越支部では数年前にNET(ニュー・エナジー・オブ戸越)という名前で、待望の支部青年部を結成。深沢さんの長男・浩光さん、次男・信司さんも創立メンバーの一員であり、浩光さんは現在、本部青年部の副部長として青年部を支える存在だ。 2年前に開かれた青年部OBとの座談会で、深沢さんはこう語っている。「いじめることではなく、育てることを考えてほしい。間違ったことを言うかもしれないけど、それも一つの意見じゃないですか」。
キーワード ( 11月5日号)10 月29日、国会でテロ対策特別措置法が成立した。事実上、「米軍を支援するためなら世界中のどこへでも自衛隊を派遣できる」という内容のこの法律。もともとテロ行為への対策を真剣に考えてというより、小泉首相が「米国のご機嫌をとる」という動機から作られたものだ。3 日後の11月1日。靖国神社に合祀されている朝鮮半島出身者の遺族らが、小泉首相の靖国神社参拝を違憲だとして提訴した。これに対して首相は「話にならんね。世の中おかしい人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」とコメントしている。米国に対しては「何故そこまで卑屈になるの?」という態度をとる一方で、アジアの人たちにはゴーマンをかましまくる。さすがは「分かりやすい」発言と行動で定評のある小泉首相である。「考えていること」もたいへん分かりやすい。 首相になって半年。小泉首相を理解するキーワードが見えてきた。「軽薄」である。やたらに威勢が良い答弁。グッズ販売に写真集発売に靖国参拝。憲法解釈には「常識で判断する」。物事には必ずその背景となる事実があるのだが、「軽薄さ」は、そこの部分を見事にすっ飛ばしていく。 そういえば、「正義」や「自由」を軽々しく口にするブッシュ大統領にも同じ臭いが感じられませんか。
「仕事が人をつくる」から ( 10月25日号)小関智弘氏は、大田区内の町工場で 50年以上も働いてきた旋盤工だ。仕事を続けながら、町工場のことや大田区界隈のことを、働くものの視座で本に書いてきた。そんな小関氏の最新刊が「仕事が人をつくる」。機械工・瓦職人・歯科技工士・染色工などいろいろな分野の職人さんの半生を記した聞き書き集である。この中に、大田区で工務店を開業している大工さん、佐藤操さんが登場する。昭和 7年生まれの佐藤さんは、故郷で、村の大工に弟子入りし修業。その後、上京して町場の大工職人となり、独立して現在に至っている。弟子入り時代の楽しみは、休みの日に、もらった小遣い銭で大工道具を買いに行くこと。いい道具が少しずつ増えていくのがうれしかったと述べている。組合員の中にも、同じような経歴を持ち、同じように「道具をそろえることが何よりの楽しみだった」という方が、きっと大勢いるだろう。 そして、現在。外材が氾濫している日本の住宅建設産業を憂い、これからの建築のありかたを考える佐藤さんは、こう語る。「安けりゃいい、だけで続くわけがないでしょう。世界の環境を日本が破壊して。そんなのいつまでも続けられるわけがない。日本の山を育てることを、真剣に考えるときが来ました」。
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