2004.6.22更新)

ちゅんさんの役に立たない音楽講座

 1  2  34 5  6 78 9番外10 11  完結

 

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(1):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「本気で弾くんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。

1.アウトサウンド

「よく「アウトする」って聞くんですけど、「アウトする」ってどのような事を言うんですか、とっても気になります。」ってどこかのBBSでだいぶと前に書き込みがあった。その時、誰だか忘れてしまったんだけど(すいません)レスしてて。
「ダイアトニックから外れた所からアプローチする。」みたいなことを、具体的例を挙げてすごくわかりやすく説明してた。
とても良い説明だと思った。でも、ちょっと気になってて、この手の話ってマジに説明しようとすると抽象的で、結局何も説明してないことになってしまうような所がある。本当に難しい。
ズバリ「アウトする」ってのは、「予想外のサウンド展開をする」ってことに尽きるわけだよね。ほらね、わかり難くなっちゃった。
じゃ「予想外」ってんなんだ?って全然説明にならない。一般論、模範的アウトみたいな例はあるとしても、人によって、状況によって違うんだろうね。しかしそんな中で名人は「んーまさにアウト!」というようなアウトを聴かせてくれるんだろうね。たまには、なるほどそれもアウトとか、カオルこんなアウトはじめて〜、そこまでやるか〜、みたいなのもあるんだろうね。
むかし、あるサックスプレーヤと「アウトフレーズって練習して出来るようになった時点で自分にとってアウトじゃなくなっちゃうんだよね。」って話したことあって、もうパラドキシカル。んーやっぱどこまで行っても抽象的だ。全然説明にならないね。やめた。

2.シンコペーション

似たような質問で昔「ジャズの特徴はシンコペーションだって聞いたんですけど、シンコペーションって何?」ってのがあって、「後側にアクセントずらすのはアンティシペンションなんじゃないですか?」みたいなこと、ごちゃごちゃ言う人がいたりして……
ズバリ「シンコペーションってのは「思いがけない場所に付けられたアクセント」って意味なの。アクセントずらす具体的位置のことじゃないの。」んー、まさにこれが正解。すっきりするなー。とってもいい表現。ウイントンマルサリスもそう言ってました。
だけど思いがけない場所って何処?って全然説明にならない。まあ、一般論、模範的な場所はあったとしても、人によって、状況によって違うんだろうね。やっぱ、名人は、んーまさにシンコペーションの神髄って所にアクセント付けちゃうんだろうなー。たまには、なるほどそれもシンコペーション、やだ〜そんな所に、みたいなのもあるんだろうね。どこまでも抽象的。
もういいや。やめた。おそまつでした。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(2):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「真剣に弾くんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。
 

1.簡単、当たり前、を大切に演奏するということ。

余裕の休日。今日は暇だ。はて、なにをしようかと考える。そうだ、究極においしい鯵の塩焼きを食べよう。と言うことで、鯵の塩焼きに人生をかける。たかが鯵の塩焼きでも、心構え、思い入れ、作り方でその内容には雲泥の差ができるのだ。
イメトレ:どうすれば、おいしい鯵の塩焼きになるかを嬉々として考える。
      素材、塩加減、焼き加減、器等自分の勝手な想像でよい。
調理:鯵を買ってくる。適量の塩を振る。ちょうど良い加減に焼く。器に盛る。
試食:ゆっくり味わって食べる。ひたすら食べる。すみの肉まで奇麗に食べる。
考察:なぜ、おいしかったかを考える。
    塩加減、焼き加減等どうすれば、もっとおいしくなるかを考える。
(ふりだしにもどる)
レッスンのポイント:全て自分勝手な思い込みでよい。
★ 究極においしい鯵の塩焼きの明解なイメージ。
適量の塩味が隅々までしみわたり、身はパサパサでも生でもなくジューシー、
海の香りを漂わせた、微風がここちよい、初夏の夕暮れのような、なつかしい味。
みたいな。
★ 雰囲気作り、
俺みたいなショーモナイバカヤローでも心を込めて作れば、おいしい鯵の塩焼きが食べられる。すごい幸せだ。本当に生きて
て良かった。僕は鯵の塩焼きが大好きだ。ざまーみろ。みたいな。
★ 理論付け、
あの方法のおかげておいしくなったのだ。これは僕だけのひ・み・つ。みたいな。

金そんなにかからないし、腹も膨れて一石二鳥。休みの日の暇つぶしに最適。しかし鯵の塩焼きが嫌いな人にとっては意味がない。
あほや、完全にアホや。軽く聞き流してやってください。もうやめた。2回目にしてこの講座もすでに終わったな。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(3):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「心を込めて弾くんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。
 

1.言葉で説明できないイメージ

ってのがけっこう重要なの。こんなゲームを一つ。「(たちつてと)は何色でしょう?」なんじゃこりゃ。僕の答えは「茶色」なんだけどなんでだかよくわからない。なんとなく。あなたの答えは何色ですか?僕の中では、あ行は赤、か行は黒、さ行は緑、な行は紫、は行はベージュなの。理屈をあまり深く考えずに漂っているイメージをはっきり見ること、見えた事に確信をもつこと、それをためらいなく答えることが大切。
「何色」って質問もいいけど「男か女か?」ってのも好き。「…は男か女か?」「ちゅんさんは男か女か?」ってのはだめ「男に決まってんだろ」たぶん。
僕の場合「数字の1,5,8、9は男、7はおもいっきり女」心理学関係の人、ここらへんアンケートかなんかで研究してみたら?思いがけない人間の集合無意識が意識されるかも。くだらなすぎるか。とにかく大抵の大切なイメージは言葉に表現されていない。
 

2.音もだち

突然なんだけど、たとえばCって時に、トップノートA弾くと6th、D弾けば9th。そんなふうにして12のトップノートがあるわけ。そしてそれぞれのサウンドに味わいがあるわけ。それらに、どんな雰囲気感じるかは人それぞれだろうし僕の文才じゃ細かく説明できないんだけど、自分なりにそのサウンドの雰囲気というものを知り、すべてすごく好きになっておく(できれば中間のヴォイシングも含めて)。紳士な奴、過激な奴、なんの変哲もない奴、怪しいオカルトな奴や、悪い女な奴、超ブルージーな奴。そうとう癖のある奴もいるが、それぞれ付き合い方ってもんがある。そいつらの雰囲気をよく知った上で、いいところを見つけて皆とおともだちになっておく。そうすれば、誰が来ても感動、味わい深い人生になる。わーお、君かあいかわらず寂しそうだけど、元気?
フロントにバック付ける時でも、あのエグい奴はF#(#11th)だな、って感じで即座にトップF#のDのアッパーストラクチャトライアド付けたりしてお迎えする。
 

3.エンディング法(1)

上と関連してエンディングの考え方を一つ。
エンディングカデンツァの導入は「最後に出た音を、どんなふうなサウンドで聞かせたいか?」ということに対して答えを出す、と考える。簡単のためにCで考える。多分Cだったら、大抵最後に伸ばした音はCだ。Cが聞こえてきた時、このCをMAJ7thのサウンドに聞かせたければ、押えるコードはDb。6thのサウンドにしたければEb。#9thのサウンドにしたければA7を弾くわけだね。ちょうど、上記2.と逆になるのかな、トップノートから好きなおともだちを呼び出すのね。皆好きな奴で付き合方知ってれば、12のコードなに弾いても良いってことですごいバリエーション。まあ、無理に付き合い方の難しい奴を最初に呼ばなくてもお気に入りのおともだちを呼べばよい。将来的には皆好きになれるといいけどね。その後の処理は4度進行でも半音下降でもすきなだけすきな所まで行っちゃう。もともとどれでもそれなりにサウンドするから大ジョブ。
イントロは曲の頭へと解決しなくてはいけないけど、その点エンディングは終わればいいってんで自由度は高いよね。最後の最後はベースはだいたいルート弾いてくるから、それとサウンドするコードがいいかもね。戻る直前のコードなんか、どこから戻ってもけっこうオーケーだよ。でもわざわざルートに、戻る必要もないかも。終わった感じであればいいよ。終わった感じじゃないのも良いかも。あんまり、ごちゃごちゃ言うのやめよう。
悪いベーシスト:ピアニストのエンディングに関係なく、自分のシークエンスやっちゃう。
その時はしゃーないからイコジにならず合わせてあげてもいいよ。
普通のベーシスト:なにが始まったかわかるまで音を出さない。
良いベーシスト:あらかじめ決めてあったみたいに付けてくる。
驚異的ベーシスト:こちらの予想以上のサウンドにその場を変えてしまう。
GmのエンディングでベースC弾いてCsus4みたいにするの最近流行なの?

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(4):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「神に祈るんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。
 

1. おヘソの美学

なんかクラッシクの研究している本で読んだ記憶があるんだけど、バッハにしてもベートーベンにしても曲の中で一番美しいポイント「へそ」では、サウンド的に矛盾を含んでいることが多い*1んだそうだ。これってスゲー言えてるよね。
でも、矛盾すれば良いという単純なものではなくて、和声の必然とメロディーの必然がぶつかり合って矛盾を生じざるをえない状況みたいな。お互い興奮してるからどっちも譲れなくって「えーい、ままよ、やっちまえ」みたいな瞬間。クー、これがいいんだ。
JAZZでも同じだよね。これって、こないだの「アウトサウンド」に関連するのかなあ。そうだとすれば、演奏始めたらコードがこうだからとか、スケールがこうだからとかいう浮世の概念には縛られない方がいいね。
理論を覚えるのもとても大切な事けど、あまりそれに囚われすぎちゃうと駄目。それを脱ぎ捨てる事の方が大事で、これに皆苦労するんだね。理論って音楽やる時にとりあえず整理するために作られたもので単なる道具。絶対的なことは1つもないんだ。
コードにしたってよくよく考えてみるとなにが示されているのかよくわからないよね。Cって書いてあってドミソ弾くやつは少ないだろうし。Dm7−5て書いてある所Fm6でもいいじゃないの。もっと言えばD7でもいいじゃないの。裏コードもあるし。そう考えると、結局どの音選んで積み上げるかというプリミティブな状況に戻っちゃったりして。聞こえてくる、意志をもった音楽の流れに理論がブレーキをかけるようなことは絶対にあってはならない。これがすごく難しいんだ。今はけっこう使えるいろんな、理論書がでてるみたいだけど、そんなもんの中に答えはないし、そんなもんに頼ってどうにかなると思ってる内はスイングできねーってことか。
また、むつかしいのは「へそ」を意図的に作り出してはいけないってこと。あくまで、その時の演奏の流れの中での「やっちまえ」でないとね。作為が見えるとシラけるんだ。「だれかがやってて、すごいなと思った「へそ」をとりあえずここに付けてみました。」みたいなのでは同じエネルギーは出せない。勢いのついた演奏の中で、聞こえる音楽に任せて、なにも考えずに突っ走って行けた瞬間って、本当に気持ち良いよね。
パーカーとかパウエルとかいまだに聴いててすごいなと思うのは、やっぱそんな部分でだよね。なんで、こんなこと弾くのみたいな。いまだに、よくわからないけどかっこいいみたいな。「こんなことやっちゃった」と思ってパウエル聴くともうそんなこととっくにやってたりする。「これだろ?」みたいな。じゃあ、どうすりゃいいのよ。って、それはやっぱり「神に祈るんだよ。」ってまた怒られちゃう。やめよう。
*1;例えば「音楽の不思議」別宮貞雄著;音楽之友社p406;「一見ささいな異常だが、それが例外として無視できない意味を持っているのである。これほど明白な形にはとり出せなくても、和声の上から、旋律の上から、楽節構造の上からみて、音楽全体にある法が認められながら、しかもなおその法から外れている部分に、核心があることが大変多いというよりか、私はその方が普通であるようにさえ思うのだ。」

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(5):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「一所懸命弾くんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。

1.コピー

 こないだ代ナルで宮前(p)さんと話ししてたら、「TempusFugIt」という曲で、アドリブに入る直前のブレイク4小節、バッドパウエルがなにを弾いているのか、いまだにわからないということを思い出した。「おっとっとのjazzお悩み相談」にでも出そうかなと思った。「あのブレイクでパウエルは何を弾いているのでしょうか、どなたか教えてくださいよろしくお願いします。」レスで「答え;ピアノです」とか来たら笑えるなとも思ったけど、人に聞くくらいなら自分でちゃんと調べろってことで、コピーに再挑戦。サンプリングしてこの4小節を飽きるほど聞いた。
1拍ずつドラッグして嫌になるほど聞いた。ほとんど「ザッ」としか聞こえない。録音悪いし、否俺は耳が悪いし、不器用なので大変。ある程度はイマジネーションによらなければならない。そのおかげでパウエル先生がなに考えてこのようなことを弾いたのかなど想像する。ああでもないこうでもないとやったおかげで、いろいろな別のアイデアを思い付いた。
やっぱパウエル先生のお導きは偉大です。これが正解かなと思われる内容をなんとかゲットしましたが多分弾けません(爆)。ゆっくり練習しよっと。先生は本当にムチャしてます。すごいです。このようなムチャについてカッコイイけどなにやってるんだろうなって、調べて理屈つけてったのがその後のビバップピアニストなんだろうな。彼等の演奏は、筋が通っているというか、見通しが立つというかわかりやすい。でも元祖のパウエルは分かりにくい。何考えてこれ弾いてたんだろうか。神様の発想の究極はわからない。
チックコリアバージョンはパウエルのそれとは明らかに違います。この2者を整理して分析したらまたまたなにかすごいことに気が付くのでしょうか?こーゆーのって、僕にとっては宝だけど、ただ教えてもらった人にとっては「ふーんなるほどねそーなんだ」って程度のことなんだろうな。紙切れ一枚で、見た後ごみ箱に捨てることだってできるわけだよね。まあ、そーゆーのは身につかんです。やっぱ、不器用なりに必死にあーでもないこーでもないとやる過程が大事なの。こーゆーことスラスラできちゃって、スラスラ弾けちゃう不幸な人もいるんだろうな。きっと、そーゆー奴の演奏って伝わらないです。不器用でよかった。負け惜しみじゃん。これって、講座っちゅーより、日記じゃん。やめよう。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(6):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「恋をするんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。

1. 心の壁

聴衆の心の壁は、高くて厚い。自分の思い通り出力されないというテクニック側の問題もあるし、相手側の問題もあるし、突破するのは容易じゃないね。どんなに、真剣に演奏しても、どれくらい届いてるのか気になる所だね。僕が感じている半分くらいかなあ。その人の心に入り込むことはできないんで、最終的には謎なんだけど、つーか気にしてもしょうがないんだけど。人それぞれだし。じゃ言うなよ。高くて厚いかどうかもわからないじゃん。でも多分俺が感じているほどはスゴク感じてないような気がして寂しくなるんだよ。いいじゃん、別にあんたが感じてんなら、わかんない人の頭の中のこと悩んでもしょうがないじゃん。なんか良くわかんないまま踊り狂っているようで孤独なことがあるよ。「およびでない?およびでない、こりゃまた失礼いたしあした。バン!ハラホロヒレハレ」って感じ。今回は冒頭からわかんなくなってきた。なに話そうと思ったんだっけ?あ、そうだ。
どうしたら伝わるのかについて、僕なりにいろいろ悩んだ時期もありました……………。今でもだけど。つーか気にしてもしょうがないんだけど。ハラホロヒレハレ。

1)音量

とにかく大きな音で弾くと良いと考えた時期があって、大音量でハッキリ大声で超メリハリで演奏できるように練習して、そのころは全編ガンガン弾いていた。人より大きな音ってのはとりあえず目立つ。粒がそろった大きな音での速いパッセージはとりあえずそれだけでインパクトある。手が貧弱なんで、自分の手の質量による限界を感じた。拳骨で弾いたりして。演奏後鍵盤に血が!なんてこともあった。ハラホロヒレハレ、馬鹿?今は強く弾けば壁が崩れるもんでもないなとも思ってます。あの時期のおかげで音が多少クリアーになったような気がします。気がするだけですけど。

2)レンジ

ピアノの端から端まで使うようにしようとか、意識して考えたこともあったな。
 誰の演奏だったかな、アドリブ盛り上がった時に、見事に頂点でピアノの最高音叩いて降りて来たの見た時は、なるほどねと思った。なんでキーAなのかなあって思ってたら、エンディングの最後でピアノの最低音のAを鳴らされた時には納得したな。けっこう、ピアノの極高音、極低音の領域って使わないよね。極高低音領域の活用方でも考えてみたら?

3)抑揚

聞こえてこない演奏の大半はリズムの問題であることが多いんだけど、リズムもそこそこ問題がない、ピアノ上手し、フレーズも素敵だし、はっとするアウトもあるけど、なーんかいまいち壁を越えて聞こえてこないって演奏の大体の原因は、抑揚がないって点であることが多い。これは案外見落とされてる気がする。シーッて所はより小さく、うりゃ!って所は驚くほど大きく。クレッシェンドは予想された到達点の倍くらいまで行ってやるつもりで。良いピアノ(楽器)ってすごくダイナミックレンジが広くて気持ちを込めて演奏すると、ゾッとするくらい正直に、それに答えてくれるよね。
聞いてて、すごく感動した思い出ふりかえってみると、小さい所は全員米粒より小さくて、大きくなって来たらゾウより大きくなって、そのド迫力に圧倒されたもんだ。あとびしっとくる所は半端じゃなくビシっ!と決まり過ぎて、お客は全員椅子ごと後ろへひっくり返ったね。その後「おーー」て低くざわめいたりなんかして。演奏している方は「あれ、皆どうかしたの?」って涼しい顔なんかしちゃって。ん、もー、カックイイーあれでなきゃ。

以上、心の壁を越えて伝えるためには何十倍も心を込めて弾かないとだめ。何十倍も心のヴォリュームを上げてもそれが歪まずにクリアーに出力されなきゃだめ。だから、自分の気持ちを表現するダイナミックレンジを充分に広げた上で、余裕をもって演奏するってことが大切というお話でした。
どれくらい大きな音が出せるか、どれくらい小さな音が出せるか、どれくらい速く弾けるか、どれくらい遅く弾けるか、どれくらい透明に弾けるか、どれくらい濁って弾けるか、どれくらい広い範囲を使って歌えるか、ピアノという楽器が持つ性能を使いきっているか、リハの時なんかに意識して演奏してみるのもいいカモ。その時の演奏そのものは意味のないものになっちゃうかもしれないけど……。ハラホロヒレハレ。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(7):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「頭カラにして弾くんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。

1.海苔

 リズムは永遠の課題で、ちょっと前の演奏を聞くと、大抵リズムが最悪と感じてしまうから、今もそうなんだろうな。リズムは心に入り込む基本波みたいなものだから、これをしっかり共有できないと通信そのものが、成り立たなくなる。聴く側は基本波の調整にエネルギ使っちゃうからね。出てくる音はずれててもいいんだけど、感じているビートの芯がはっきり見えないリズムって感度の悪いラジオ聴いてるようなもんだーね。チューナ回して、ベストポイントは右か左か?

1)テンポ

テンポって単なる物理的速さと考えがちだけど、それぞれの速さにはそれぞれのノリというか雰囲気があるんだ。むしろ、そっちの方が大事。昔、なんでアンダンテとかブレストとかテンポに名前がついてるのか不思議だった。それは、速さ毎に独特の雰囲気があるってことなんだね。中学くらいの音楽でも習ってはいたんだろうけど、その時はそんなに重要なこととは思わなかった。それまでは自分の中では、マジ遅い、バラッド、ミディアム、速い、ゲロ速いくらいだった。今は名前はついてないけど、あ、あれあれって感じで、もうちょっと多い。
よく、別のテンポで出ても、自分の好みのテンポにだんだん早くなったり、遅くなったりしちゃう人がいる。きっと、彼は、雰囲気を味わえるテンポの数が少ない、言い換えればテンポが作り出すノリを沢山知らない、ということなのだと思う。つまり、雰囲気がわからないテンポは居心地が悪いし楽しめない。自分の感情が入りやすい、好みのテンポにしようとしてしまうんだね。どんな、テンポが出てきても、「それそれ、それですよ。クククククッ。この感じ(ノリ)大好き。」ってなれるようにしたいもんだ。
テンポ出された時は、その背後にある気持ちを捕まえる。テンポ出す時は、まずシッカリそのテンポの気持ちなる。カウント出すのはその後。

2)走るな!

バラードで倍テンになった時とか、盛り上がって音量が上がって来た時とか、走る傾向がある。あれはなんか軽薄だよね。落ち着いて走らずに盛り上げられると、「な、なんだ、な、な、なにする気だ!」って感じですげー興奮も倍増するんだよ。走るのってさー。つまんないよ。瞬間瞬間をじっくり味わってから先に進みたいのにさー、早く早くって手ひっぱられてー。ちょっと待ってよー、よく見りゃ、いま通り過ぎちゃった1拍の中にだって、もっと沢山の幸せがかくれてたのにもー、どんどん先行っちゃうんだから。もっとあせらずに落ち着いてじっくりこの場を楽しもうよ。先のことばかり気にしちゃって、今この瞬間をちゃんと生きてるのかな?
もー、知らない!僕も走っちゃう。まてーーーーー。アタマキタから追い越してやる。速く付いてきやがれ!っと、こんなことばっか気にしていては、良い音楽にはなりません。もっと落ち着いて周りの景色を楽しみましょう。

3) モタるな!

あと、バイテンから戻った時とかに必要以上に遅くなっちゃったりするのもねー。そうでなくても、全体的になんか遅いって感じ、失速して墜落しそうな恐怖。モタるのってさー。つまんないよ。すごい失速感で、俺が引っ張らないと、曲が止まっちゃう感じ。ハイキングの時自分が疲れたからって人のリュックに掴まるやつ。重いんだよ!!俺に頼らずに、自分で歩けよ!おれが止まったらあんたも止まっちゃうつもりかい!引っ張ろうとしても、鉛の下駄はかされたみたいに、重たくて引っ張りきれない。なろー!もう僕もモタってやるー!アタマキタから止まってやるー!一人でスイングしてみやがれ!っと、こんなことばっか気にしていては、良い音楽にはなりません。
勿論、メトロノームのように正確なテンポが良いってことじゃないんで、速くなったり遅くなったりしてもいいと思うんだけど。基本的には、気持ちが1つになっていることなのかなぁ。Dr&Bの間でぎくしゃくしてるのは言語道断だね。少なくともDr&Bだけでギンギングルーブしていてほしい。スゲースイングしていると思ってたドラマーが別の現場ではモタッて聞こえちゃってたり、原因はこっちにあるのかもしれないけど、とにかくリズムは難しい。今夜は楽しくノれるのかな?

4)練習

練習にはメトロノーム肯定派と否定派があるようだけど、僕はわりと肯定派です。あんまりやらないけど(爆)。無機的に正確なテンポでゆっくりはっきり繰り返し演奏する練習の積み重ねが、実践でビートの芯を速やかに捉える能力を培っている気がします。どんな流れの中でもその流れを壊さず、なおかつ自分のノリで、やりたことをきっちり演奏できる能力っつーのかな。メトロノームがサウナで、メトロノームの中で我慢してじっくり演奏して、楽になって出て来ると、外に出たとき開放的で、なにが来てもスラスラ対応できるって感じでしょうか。1人で練習する時のメカニックでストイックな感覚と実際に演奏する時の、表現にだけ集中できる開放的感覚の落差が好きです。
苦手なテンポがあったら、練習の時その速さでずっと演奏してみましょう。ある時そのテンポが持つ雰囲気に気が付いて、楽しくスイングして来たりします。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(8):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「好きで好きでたまらないんです。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。

 

1.感じるポイント(プロローグ)

変化しないと思ったら変化した時「あへっ」って感じちゃう。でも、当然変化すると思ってたのに変化しなかった時も「はふっ」って感じる。それに、変化すると思ったらやっぱり変化した、変化しないと思ったらやっぱり変化しなかった、という時も「うぅーん」それなりに感じちゃうんだね。
じゃ、なにやっても感じちゃうんじゃないか。
そうだよ。
それじゃ、話にならないよ。
そうなんだけど、大切なのは自分の意志でそうしてるのかどうかってことなんだ。変化しなかった時「変化させられなかった」のと「変化させなかった」のではえらい違いなんだよん、待てよ、でも「変化させられなかった」時も案外感じちゃったりして。(ビシ!ビシ!)
なんとなく解かったけど、つまんない。もっと具体的なネタがいい。
こーゆー話って具体的になればなるほど一面的っつーか消化不良でつまらなくなっちゃうんだけどね。
 んじゃ、手っ取り早いのは変化させて感じるポイントになるのかなぁ。あくまで一例ってことで。
これ、やってみて感じない人もいるかもしれないけど、その時はやり方が悪いのか、趣味が違うのか、もうすでにやり過ぎているのか、縁がなかったってことで、自分なりに別の感じるポイント色々考えてみて。

2.感じるポイント(7thコード1)

いきなり曲の冒頭とかのMAJ7の所に7th使うと、感じるよね。あんまし、譜面に書いてあるコードとか、気にしない方がいいよ。書いてあるコード無視してかたっぱしから7t hコード弾いてみ?雰囲気変って、なんか自由な感じになる。
7thコードには、なんかやっぱジャジー&ブルージーな香りがあって、テンションなんでも使える雰囲気になるからかな。
MAJ7もm7もm7b5も皆とりあえず7thってことにして、そのテンションの中でMAJ7thもm7もm7b5考えりゃいいじゃん。・・・・・・無理か。

1)のーぐれーたーらぶの冒頭:
Bb・Eb・Dm7b5・G7→Bb7・Eb7・D7・G7とかBb7・A7・Ab7・G7にすると、とっても可能性が広がるよね。これ常識?

2)ボサノバのよくあるそうだな、黒いオルフェなんかで5〜8小節目:
Gm・Cm7F7・Bb・EbのBb・EbをBb7・Eb7してみ?
これ、オリジナルではそうやってると思うんだけど、けっこう皆やらない。微妙にサウンドのニュアンスが違うよね。けだるさが強調される感じで好き。

3.感じるポイント(7thコード2)

メジャーマイナーを司る3度の音が振れる瞬間ってすごく感じるよね。ブルースフィーリングの基本だからかなー。興奮してくるとmaj3rdをmin3rdにするブルージーは皆よくやってるけどその逆(min3rdをmaj3rdにする)も有りなんだよ。

1)曲の冒頭部分なんかで:
マイナーコードが続く時、(例えば、アロントゥギャザーとかソフトリーとか)maj3rdの音ヒッカケつつメロディ作ってみ?んー禁断の音に触る快感。オカルトチック。リッチーバイラーク様の「びゅーてぃふるらぶ」はEm7−5・A7・Dm・DmのDmの所がおもいっきりDMAJ(F#)だ。ありゃ触り過ぎか?

2)枯葉の冒頭部分:
アドリブ煮詰まったらCm7・F7・Bb・Eb→C7・F7・Bb7・Eb7にしてみ?ツイデに次のAm7b5もA7でいいや。A7がEb7と同じ感じでヤだったら早めにD7にしちゃって適当に動かすとか。マイナがメジャーへと交錯する瞬間。人生寂しすぎて、ヤケクソで明るいみたいな感じだゼ。

3)2536や3625:
あとFの曲でGm7C7Am7D7のAm7の時テンションにBの音入れるってのは、Gmの3rd動かしてるってことなの。ノーテンキにアホっぽくて好き。D7使うこと自体、ダイアトニックなDm7の3度をメジャーにしてるってことだよね。
 そうかぁ、だからコンディミって感じるのかな。1つのスケールの中にC7とCm7とその裏のF#7とF#m7とEb7とEbm7、A7とAm7が入ってる。maj3rdの音とmin3rdの音が集合したようなスケールだぜ。コンディミが2つのディミニッシュコードの組み合わせとしか見えてないあなたは、まだまだ甘いな。通常スケールの中には、選び取る音列により、いろいろな可能性がジグソパズルのように内包されているもんなんだ。よい演奏家はあらゆる可能性を、思わぬ雰囲気を、フレーズによってリスナーに気付かせるものなの。コンディミの中にはブルーヂーな音列が沢山詰まってるんだ。ブルーノートスケールかと思ったら、コンディミに変化しちゃったりして。なに話してるんだかよくわかんなくなっちゃった。

そうそう、最後に、あんまり感じるポイントばっかり節操なく責めてると、ちょっと下品だし、うんざりして感じなくなっちゃうから、ほどほどにしといてね。なんか今回H。やめよう。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(9):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「教えられない。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。

 

1.私の行く所どこですか(入口)

「ジャズピアノ弾けるようになりたいんですけど、どうしたいいかわからないんです。」ってーのよくあるよね。「何が弾きたいの、誰が好きなの」って聞いても「特にない」って人。困ります。本当に何も無いのか、もう一度、考えてみて。
これ、交番で「私の行く所どこですか?」って聞いてるようなもんだーね。
「じゃなんで弾きたいの」って聞くと「ジャズピアノ弾けるおじさんってなんかカッコヨサゲだから。銀座のクラブでモテソウダカラ」とか。こまった人達です。でも大丈夫、適当な音楽教室に入って、ピアノのお姉さんに教えてもらってください。きっと適当に見繕って基礎から親切に教えてくれるはずです。僕の好みで適当なこと教えても良いんだけど、それがあなたの演奏すべきことなのかは解かりません。うのみにして先に進むと、創造行為が本格化した時、そのことが邪魔になる可能性がある。だから、僕には教えられません。
まずなにかCD聞いて好きになりましょう。…が弾いてみたい、…みたいに弾いてみたいが出発点。

 2.私の行く所どこですか(前進)

演奏を始める人はだいたい、人の演奏を聞いて心動かされた体験を持っています。あなたが最初に感動したCDはなんですか。僕はもう何度も書いてるけど最初はBudPowellのBudInParisのHowHighTheMoon、DearOldStockholmかな。そしてその感動を人にも伝えたいと思います。言葉で伝えきれないから、演奏でそれを知ってもらいたいと考えるようになります。つまり、演奏するというのは、自分がどんな音楽が好きかを告白する行為ってことですよね。この曲のこのメロディーが心底好きなんだ。これの、ここの、この感じがたまらなく来るんだぜ、とか。ここの、これを、ななんと、こんなことしちゃうのが凄いんだぜ。みたいな。
そのためには、自分が何がすきかを解かっている必要が有ります。いままで感じなかったものがある日好きになることも有りますから、僕は何々はやらない、みたいに自分にを足かせをするのはよくありません。自分に素直に正直になりましょう。その上で自分の好き嫌いをハッキリさせます。その好きだという感性は人と違っていたとしても、自信を持って間違いありません。それが、あなたの演奏すべきことなのですから。
そして、それを演奏します。しつこいようですが、演奏するというのは、自分がどれくらい好きかを告白する行為です。へらへらしている場合ではありません。本当にすきなのかどうかが試されるのです。いかげんな演奏をすれば聴衆はこう思います。「なんだ、たいしてすきじゃないんだ。いいかげんなもんだ。」もしあなたが本当にすきなんだったら、そう思われるのは相当悔しくないですか?下手でもいいから、心を込めて好きだということは精一杯
示すことです。なんでもいい、お気に入りの曲の最初の2小節のメロディーを思い浮かべてください。そのメロディーを思っただけで「あぁ」って慈しんでため息が出て、気絶してしまうくらい好きでしょ?いい演奏をしている人を思い浮かべてください。「あぁ、この人本当にこれが好きなんだ。」って思いますよね。そんな時心が動きます。
でも、技術が伴わない。こんなんじゃないんだよ僕の感じたのは。ちょっとちがうんだよ。
そこで練習するんですね。練習は自分が思った好きなことをより理想的に演奏できるようになるための行為ですから、簡単なフレーズやテクニックから、精神論まで課題は人それぞれ違います。自分の頭の中をじっくり眺めて考えましょう。練習で表現レベルが上がるにつれて聴衆とのコミュニケーションも深いものになります。聴衆もあなたの好きな音楽を好きになります。練習課題はあなたの頭の中にあるので、僕には教えられません。

 3.私の行く所どこですか(迷宮)

(前進)の行為というのは、ある程度普遍的に繰り返されるのだと思いますが。それを繰り返すうちに迷宮に入ります。演奏する機会もそれなりにあって、そこそこ弾けてるんだけど、これで良いのだろうか、みたいな。いわゆる煮詰まるって言うの?しょせんバップフレーズ吹いたって、どうひっくりかえってもパーカーにゃなれないしな〜〜。バップフレーズ真似ても、ちょっと自分じゃない感じがするし。ロックもポップスも聴いちゃったし、その影響で純粋なバッパーにはなり得ないしな〜。もう何年も、また「枯れ葉」かよ。進歩がねーな。盛り上げるフレーズもいつものここで、またこれかよ。熱くなり方も、またこのやり方かい。しょせんは2―5かい。そのフレーズ新らしっぽいけどよく考えりゃ60年代にショーターがやってんじゃん。ジャズコンボはとどのつまりマイルスで終わりだろ。どこまで行っても猿まねかい。やっぱ4ビートはあいかわらず「チンチキチンチキ」かい。
けっこうライブは盛り上がったりしてるんだけど、毎晩、ライブで大騒ぎするのがなんか空しいような。盛り上がれば盛り上がるほど寂しくなるような。寂しさ忘れたくて盛り上がるみたいな。これが、本当にやりたい事なのかね。本当は何を演奏するべきなのかね。しまいにゃ、やっぱ俺って下手だし。才能ないし。
これは、難しいね。きっとなにかあるんだろうけど、もやもやしててはっきり見えないの。
しっかり内面を見つめるしかないの。んーーー。そんな時、僕はねー、んーー。
とりあえず、愛聴盤をもう一度ゆっくり聞いてみるかな。あとはねー、無心に練習するとか、コピーするとか、簡単なクラシックとか昔コピーしたの丁寧に弾くとか、新曲探すとか、リハーモ考えるとか、作曲するとか、ピアノ蹴っ飛ばして足に怪我するとか、CD屋に行くとか、ライブ見に行くとか、セッションに行くとか、新しい人や出来る人達と演奏させていただくとか、旅に出るとか、散歩するとか、好きな人とお食事に行くとか、呑みに行くとか、テレビ見るとか、料理するとか、鯵の塩焼きとか、ひたすらお皿洗うとか、とりあえずバカになるとか、神様に任せるとか、降りて来るの待つとか、しばらく演奏しないとか。
片思いでも、やっぱ好きだからしょうがないやって気持ちが戻ってくればいいのかな。下手でもいいじゃん。出来ることしか出来ないんだし。つべこべ屁理屈考えずに、とりあえず今夜もピアノの蓋を開けよう、マウスピースをくわえよう、スティックをにぎろう、アンプのスイッチを入れよう。今夜はきっとなにかある!
俺って後ろ向きかなぁ。創造の壁に全然立ち向かってないね。だめ、全然だめ、ちゅんさん
限界、教えられないからやめよう。
ところで、私の行く所どこですか?ワタシハダレデスカ?

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(番外編):

「どうすれば、感動的で美しい歌が歌えるんですか。」って質問されたことは、勿論ないわけなんだけど。あたりめーだ!もともと「役に立たない音楽講座」だからまあいいや。僭越ではありますが初心者が歌ってみて感じたことってことで、まななましい実感になっていればということで。
賢明な読者諸氏はこんな駄文からでもなにかを悟ってしまうのかしら。

1.はじめに

ちゅんさん、最近歌を歌うようになって。歌の練習に夢中。(こまったもんだ)
歌い始めたころは、毎日1時間程度大声を出す生活をしていた。
今日は、気付いたこと書いてみよう。

2.練習

楽器が声になっただけで、基本的に音楽の練習方法って変らない。ゆっくり大声ではっきり正確に歌う。大袈裟な発音で歌う。リズムが狂わないように、メトロノームと一緒に歌う。普通にリラックスして自由に歌ってみる。等を繰り返す。最近は発声あんまりやらなくなった。代わりといってはなんですが、歌う時音程のおぼつかない個所や高い処、低い処等をすごくゆっくり発声する。「あー」でそのメロディーをゆっくり発声したり等する。最初と最後の音程はけっこう気にするんだけど、普通に歌った時の経過音が不正確になる個所等気になる部分について、問題個所を矯正する。方法はやっぱりゆっくりしっかり正確に何度もそのフレーズを歌うこと。1つ1つの音符を味わうこと。音符1つ1つの音程と言葉によってそれぞれ、音を出すための体の使い方が違うことを意識すると、うまく歌えるような気がする。ゆっくり歌うと、どんな音の出し方がベストかを見つけられる気がする。歌も楽器と同じで、表現のために必要なコントロールをエレガントに出来るように訓練するってことが練習の目的だ。しかし、内心こんなことやっててうまくなるのかどうか解からない。まあ、だめな時きゃだめなんだろう。

3.楽器

楽器と決定的に違うのは、声とか音域は人それぞれで、いかんともしがたいという点だ。声以外の楽器はここらへんの条件に個人差はない。皆同じピアノを弾くわけで、練習をすればよい音になるが声は根本的には変らない。声(体)は楽器屋で買えないわけで、諦めるしかない。楽器だと、明解な目標となるアイドルがいれば、その人の演奏を追っかけてCDと一緒に演奏したりとか出来る。まあこれは、キッカケで、最終
的にはある所から自分の音を見つけて行くわけだけど。歌だと、最初からキーがちがったり、声が違ったりするからちょっと同じ感覚でのアプローチはできない。ということで、そんなアプローチは早目に諦める。最初から自分の貧相な個性から出発しなきゃならないの。考え方によっては素質の絶望的な壁って方向に考えが行くけど、まあどうにもならない事をうだうだシリアスに考えるのはやめよう。自分の声のよいところを客観的に知って、それが生かされる方面に積極的な音作りをするしかないってことなのかな。
でも、発声を続ける内にそれなりのよい声に成熟させることができるのかなとも思うようになった。最初は全然使用していなかったリードがほこりだらけのような感じで、ロングトーンやるとリードの汚れによってノイズが入る感じがしたが、毎日震わせているせいか、最近徐々にリードが磨かれて奇麗になって、以前よりは均一な音が出るようになった感じがする。口の形でも、声ってすごく変る。チューニングしてるみたい。なんか、声出すのってすごく面白いし気持ちが良い。

4.曲目

現在のレパートリー「On A Slow Boat To China (F)」「Day By Day (Eb)」「FlyMe To The Moon (Ab)」「But Not For Me (Bb)」「When I Fall In Love (C)」「IFall In Love Too Easily (C)」「Look For The Silver Lining (Bb)」「AllOf Me (G)」「For Sentimental Reasons (C)」「You Are My Sun Shin (C)」
おー10曲だあ。先生に付いてないと上がるの早い(爆)。どれも中途半端なんだけど。譜面はちゅんさんがタダで作ってくれる。コードチェンジもちゅんさんに頼んで一番のお気に入りにリハーモしてもらった(爆)。ちゅんさんがいつでも練習に付合ってくれる。とりあえずピアノとか弾けるのは強みだね。

5.気持ち

歌うのが恥ずかしいのって、人前に素の自分をさらしてしまう感じからなんだけど、これはピアノ弾く時の感覚とは明らかに違う。恥ずかしいと感じない奴は一番迷惑で、恥ずかしいと思うデリカシーも大切なんだけど、それを乗り越えるパワーがもっと大切というか。ピアノは演奏し始めた瞬間あきらかに日常の素な俺ではないわけで(もっと深い本質的な俺なわけで)、だからいちいち恥ずかしがってる場合じゃないって感じだな。もっともっと本質をさらけ出すことで、歌でもそんな感覚になれる時がくるのかなって想像する。歌い出した瞬間にこれは普段の俺じゃないなって思えたら、その時がそうなんだろうな。その時は、楽器の音出す感覚で自分の声を出してるのかなあ。ただ、自分の体から出る声を使っているっていうことで、素な自分との決別がむつかしいような感じもするが。どうなんだろう。歌によって真摯に伝えたい何かがあるかどうかも、問題なんじゃないの?ちゅんさん。気持ちがいいかげんなら、出てくる物もいつまでたっても、いいかげんなんだよ。中途半端だから恥ずかしいんだよ。今の所恥ずかしい領域なんで、一生このままだったりして。やーん、恥ずかしい。(やめなヨ)

5. 間奏

自分で歌った後の間奏ってなんか、すごく歌えるし、今までと違ったこと弾いてる感じで楽しい。単純なドレミの中に新鮮なメロディーラインをいろいろ発見した。例えばフレーズの終わりに今まで使っていなかった終止音を自然に使っている自分に感動した。しょうもない歌からやっとピアノ弾ける開放感。何弾いても崩壊しない歌手との完璧な信頼感によるリラックスが原因かな。歌やるとちょっと変ったモードのピアノの練習にもなる。

6.おしまいに

こないだ、朝起き抜けにベットで寝ながら発声練習した。起きてリビング行ったら。「アンタ、ホントニ、ダイジョブ?」と言われた。最初なんのことか気が付かなかったが、起きるなり奇声を発していたと言われ、ああそうかと思った。ダイジョブじゃないカモ。バカ?んーやっぱ、この世界バカが一番強い。一人で手探り状態のこんな私ですが、歌手の方等でお気づきの点ありましたら、「いいかげんにしろ」等ご意見アドバイスお導きがあればうれしいです。
「ちゅんさ〜ん、…………やめな〜」

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(10):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「これが最後と思って弾くんだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。
 

1.お付き合いの掟:

*先約は優先する。後から条件の良い話が来たりすると掟破りたくなるね。
*予定がなく時間が空いていれば、なるべく引き受ける。
*初めての人、初めての店は条件が合わなくても、とりあえずやってみる。
*なんの繋がりもない、得体の知れない誘いは断る。
*いくら前向きに考えても広い意味で得るものもが「なにも」ないと判断される時はやらない。
*ハウスバンドでない遊びのセッション等は誘われたとしても、行っても行かなくてもよい。
*誰でも誘う権利がある。誰でも断る自由がある。

2.お悩み相談室(誘う編)

相談1:あの人さあ、誘ってみようと思うんだけど、私なんか相手にしてくれない気がしてさ。
回答1:なに言ってんの、誘うのは勝手でしょ。いやなら断って来るわよ。勇気を出して誘ってみなさいよ。素敵な人と付合っているうちに、あなたも素敵な人になれるんだから。

相談2:あいつのことこないだ思い切って誘ってみたんだ。そしたら、都合が悪いって断られちゃった。あたしのこと嫌いなのかなぁ。
回答2:どうなのかね。いやだって言われたわけじゃないんでしょ?別のお約束があったとか条件が合わないとか理由があるんでしょ。どうしても付合ってみたい人なんだったら、気長に気楽に構えてまた誘ってみればいいじゃない。考えても解からないこと、勝手にあれこれ想像して悩むことないよ。

相談3:あの人、前はいつも誘ってくれてたのに、最近全然誘ってくれなくなっちゃった。こないだ、別の人と会ってたの知ってんだ。「なんで誘ってくんないの?」って文句言ってやろうかな。
回答3:まあ、やめといたほうがいいと思うよ。向こうには向こうの都合っつーか流れとかあるからね。あんたに魅力が無いってわけじゃないよ。皆、いろんな人と付合ってみたいんだよ。いちいち気にしてたら、やってらんないよ。それより、こっちから誘ってあげればいいじゃない。

 3.お悩み相談室(誘われる編)

相談1:あいつさあ、最近話しててもつまんないし、別れようと思うんだけど、喧嘩したくないのよね。これからも顔あわせるし。うまい別れ方ないかしら。
回答1:そんなん簡単、誘わなきゃいいの。誘われるたびに、その日は都合が悪いって言えばいいじゃん。

相談2:こないださ、あいつにさそわれちゃった。スッゴイうれしかったんだけど、先約があってさ、断っちゃった。もう誘ってもらえないかなぁ。
回答2:先約は優先だからしょうがないね。断る時は、ちゃんと理由言って「すっごく残念だけど。」とか「お願い、また誘って」とか言ったほうがいいよ。断られるのって事情が理解できてもがっくり来るもんね、特にせっぱつまってる時とかさ。シャイな彼だと本人はすっごくカッコイイくせに「やっぱ、僕なんか眼中にないんだ。」って誤解されちゃうし。偉そうな彼だと「俺の誘い断るとは、いい度胸だぜ」とか思われちゃうし。あとチャンスがあったら別な日にこっちからも誘ってあげればいいじゃん。お互い引き合う物があるんだったら、いつかきっと会えるよ。

相談3:あいつさあ、話つまんないんだけど、金もってんのよね。
回答3:なにごとも勉強なんだから、いろんな人と付合いなさいよ。付合う理由は一つじゃないの。なにか得られる事があるんだったら、付合う価値があるってことじゃないの?話だって、聞きようによっちゃ案外面白いかもしれないよ。それに、その人のお友達に素敵な人がいるかもしれないじゃない。

相談4:あの人に誘われちゃった。でも、遊びだと思うの。
回答4:遊びでもいいじゃない。素敵な人なんでしょ。あなたの魅力で遊びじゃすまされない状況にしてやりなさいよ。きっかけが大事なんだから。

相談5:あいつさあ、話面白いし誘ってくれるのも嬉しいんだけど、金ないんだよね。
回答5:いいじゃん付合えば、家でうだうだしてるよりよっぽどましだよ。話面白いんでしょ。充分付合う理由があるよ、今夜も楽しい話で大笑いできるよ。

相談6:あいつさあ、話も大して面白くないし、しかも金ないんだよね。
回答6:いいじゃん付合えば(爆)、なにナマイキ言ってんの、あんたなんか誘ってもらえるだけましなんだよ。家でうだうだしてるよりよっぽどいいでしょ。将来、お話上手の金持ちになるかもしれないじゃん。そうなったら捨てられちゃったりして(爆)。せいぜい縁のある間仲良くしてあげなよ。

相談7:だれも誘ってくれないし、誘う場所もないの。
回答7:いいのいいの、それが普通なの。ジャムセッション行って皆と楽しくお話して、お友達見つけましょう。場所見つけて誘ってあげましょう。あと、暇なうちに、お話上手になるようにお家で一人でお勉強すれば?

これって音楽講座じゃないか。やめた。
尚、回答についての一切の責任は負いません。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(11):

「どうすれば、感動的で美しい演奏ができるんですか。」って質問されて「ヘタクソって言われたことがあるからだよ。」と答えて、アキレられてしまった俺の言うことは、聞いてもあんまり役に立たない。


1.続ける理由
皆1度は考える「演奏し続ける理由」これは、真剣に考える必要がある。ん、別に必要ないかな。でも考えちゃったことある?
明日、俺が演奏しなくなっても、だれもなにも困らない。やめるのは実に簡単だ。
俺がどっかでライブやることなんて、だれもなんとも思ってやしないってことくらいはよーくわかってる。仮に、音楽がいくらすばらしかったとしたって、そんなことは、たかが知れてる。コンビニに食い物買いに行くほどの必然性もない。(俺のピアノを聞かないと腹が減るっつーんだったらスゴイよなー、これは(爆)。)そんなことが理解できないほど馬鹿じゃないし、己惚れてないつもりだ。だからこそ、来てくれる人が有りがたいってことも言えるのかも。
俺の近しい人間は、音楽好きばかりではないから、理解できない人は、こんなばかばかしいこといいかげんに辞めてほしいと思っているのかもしれない。実は寂しい思いをしている。「じゃ、なんでやってんの?」
1)「ピアノ弾くのが好きだから」(そのまんまや、じゃ家で弾いてりゃいいじゃん)
2)「楽しいから。」「自分のため。」「バカだから。」(月並だね)
3)「んー、たのまれちゃうし。」(たのまれなくても、やるクセに。)
4)「んー、ホメてもらいたいから。」(これ、意外と好きなんだよね俺。単純で。)
5)「んー、お友達に会うため。」
(これも、わりと好きなんだよね。特に良い共演者に巡り合った時はやっててよかった
って思うよ。)
6)「演奏日記書くため。」(ってーのはどう?本末転倒か?)
7)「お金に弱いの」(ちょっと、お下品?)
8)「音楽的探求心を満足させるため」(崇高な理由ですな。本当かよ?)
9)「もっとスイングしたいから」(無理、才能ないもん、速い所あきらめい!)
10)「まだ、よく解からないことがあるから」(勉強しろよ)
11)「もっとうまくなれるような気がするから」(うまくなってどうすんの?)
12)「思い通り弾けてないから」(あきらめたら?)
13)「生活のため」(もっと割りの良い仕事があるんじゃないの?)
14)「朝起きられないから」(って人がいたなぁ昔、これスゴいかも)
15) 「愛する君のため」(アタイお金の方がいい。)
16) 「現場が楽しい」
(だいたい音楽でも聴こうなんていう場所は、
楽しい席であることが多いよね。パーティとかね。喜ばれるし。)
んー、まあ、「最高の演奏は次のライブでできるのかもしれない。」そんな、気持ちになれる内は続けてるんだろうな。頼まれなくなったらやらないのかなア?セッションに入り浸っちゃうのかなア。
JAZZとの付き合いって、なんか悪い女に騙され続けてるのと同じなような気がすることあるよ。わかってんだけど、つらいこともあるんだけど、好きだからしょうがないみたいな。別れる勇気がないからまた会っちゃったみたいな。だって、こいつが居ない人生なんて考えられないもーん。ちゅんさん本当にJAZZ好きなの?わからないけど、出来れば死ぬ前に「好きだった」って言いたい。
信じる事がはっきりしている奴は幸せだ。それが正しかったかどうかを決めるのが、そいつの一生だ。あんまし音楽講座じゃないな。

おまけ:
しかし、ライブって毎回毎回なにかしら新鮮な盛り上がりを見せる。何でできるんだろうって考えると不思議だよね。スゲーバカなのかなぁ。年に1回のお祭りならいざしらず、ほとんど毎日のように、何年も何年も盛り上がり続けるのって、病気?。だれかに「それってスッゴイエネルギー」って言われた。冷静に考えるとそうなのかな。あまり、冷静には考えたくないね。実は中身がカラッポでありながら新鮮味を演出できるテクニックを持った演奏家ってのはいるんだろうけど、僕は不器用だから、本気でないと駄目。必ずサムシングがあってほしいタイプ。それがないと音楽っていくら見た目完璧でも死んでるよね。そーゆーのって敏感に出るんだよね。枯れ切った自分っての考えるとゾットする。まったくなにも起らないまま終了してしまうライブとか想像すると、恐いね。ある日を境に毎回毎回まったくなにも起らなくなってしまう。んー、恐ろしい話しだ。次もサムシングがあるんだろうかって、確かめたいために演奏してるのかも。

ちゅんさんの役に立たない音楽講座(完結編か?):

ある深夜・・・AngelStudioにて・・・・
天使の置物達に囲まれて黒皮のソファーでボーっと物思いにふけっていたら、
一瞬、全てのことが理解出来た気がした。
つまり地球上の人間は、ある事に気が付いてしまった人間と、幸いにも気が付かないで生活している人間に大別できる。
ある事と言ったのは、その事を言葉で説明しづらいからだ。
ある事に気が付いてしまった人間とは、メッセージを受け取ってしまった人間と言っても良い。
全て、芸術活動をしている人間達とは、この言葉で説明できないメッセージを受け取ってしまった人達のことだ。
話を簡単にするため仮にこのメッセージのことを、アートビーム(芸術光線)と呼ぼう。
ある人はオーラって言ったりするのかな。
俺は高校生の時、今は無いが、新宿紀伊国屋書店裏の「ダグ」というジャズ喫茶で、レコードを通して、バッドパウエルからこのアートビームの照射を受けた。彼はこの光線で僕の脳に大量のメッセージを流し込んだ。地下の暗いその店から地上に出ると、天気がすごく良くて陽射がまぶしい、普段と変らない日常だ。町行く人はアートビームの存在にまったく気が付いていない様子。その時、俺はえらい物を背負い込んだと思った。
夢日記によると、俺はある時こんな夢を見ている。(1998年10月16日(金))
「湖でボートに乗って遊んでいると、湖底から巨大宇宙戦艦ヤマトのようなUFOのようなものが僕のボートのすぐわきからゴーっと空に向かって飛び立って行ったんだ。すごくショッキングな体験だった。僕はそれまで、UFOなんてものは信じちゃいなかったし、ばかばかしいとおもっていたからだ。(注:現実の俺はいまだUFOは見たことはありません)。その後、湖畔の町は、このUFOを見た人と見ない人が対立する。僕は不幸にも目撃してしまったので、たしかにあれが存在することを、どうしたら皆にわかってもらえるのかすごく悩むのだ。こんなことならば、見ない方がよかったとまで思う。そして、湖畔の木陰で独り悩んでいると、賢人長老のお爺さんが僕のそばにやってきてやさしく僕を慰め、勇気付けてくれるんだ。おまえは悩んでいるようだが、幸せ者なんだよ。人の人生は驚くほど短い。あれに出会うチャンスも少ないんだ。あれを、見ることなく死んで行く人をおまえは幸せだと思うかい?見ていない人間はこれから見るかもしれないから不確定的だ。その点見た人間は安定しているんだよ。なんせ、もう見ちゃったんだからね。心に確信を持って生活できるだろ?」
アートビームの照射を受けた人間はその後、アートビーム発信者を求めて動き回ったり、自らそのメッセージを他に伝えるために活動を開始したりするんだ。それで、その活動を通して、それに関連したいろいろな仲間に出会うことになる。アートビームの照射を受けた者同士だと、お互いに話さなくても、仲間として気持ちが通じるものだ。ジャズ等の音楽なら演奏を通じたりして同士だとわかる。優れたメッセンジャーの演奏に対しては「ありゃ、すごいね。」「うん、すごい。」って全然言葉的には内容のない会話であっても、アートビームの照射を受けた者同士として会話が成立するんだ。
俺達はこのメッセージを伝承しようとする活動のおかげで、人生の他のなにかを犠牲にしているのかもしれない。しかし、アートビームの照射をうけてしまった以上それも仕方が無い事なのだ。
また人間には実際、地上では経済活動や日常生活が不可欠なので、このようなことに関連した余計な枝葉が芸術活動にも付きまとうわけだが、根っこのところは、そんな枝葉とは無縁の物だ。ただ単にアートビームを照射された人間が他人にそのメッセージを伝えようとしているだけのことなのだ。
何故、人はこのようにややこしい芸術活動を展開するのか、なんの意味があるのか、という問いに対し、クールに答えるとすれば、人間はそのような性質を持った生物だから、という事だろう。
でも、でもね、何故そのような性質をそなえなければならなかったのか、誰がそのような性質を持たせたのかって考えると。意識は星空の高い高い限りなく高い、深遠なところまでのぼってしまって、地上に落ちて来た時の記憶がよみがえり、背筋がゾッとするような感覚に襲われた。深い深い静寂の中に、かすかな祈りの声が聞こえる。あぁ、遠い遠い昔にした約束、それがどうしても思い出せない。それさえ思い出せれば・・・・・・。黒革のソファーも天使の置物達も、なにも答えてはくれなかった。

===========================