WELLCOME!
中島 薫 夢日記(2000/1/7ー2020/11/29)
あれ、やっぱり見に来ちゃったの。
僕が見た夢の記録です。
言うまでもありませんが、ここに書かれている内容は事実ではありません。
中には刺激的な内容のものもありますので、不快な人は読まないでください。
内容に関連する方の削除希望等のご指摘に対して対応いたします。連絡ください。
**夢日記の複写転載はご容赦ください。**
2000年
2000年1月
2000年1月7日(金)
大きなホールでファシストの演説を聞いている。回りは皆敵だ。
僕の近くにはアラブ人の大物将校風の人が立っている。
僕が敵だとバレたら確実に殺されるだろう。
もうそれに気付いた追手がこの会場の入り口まで来ている。
僕はヒヤヒヤしながらそしらぬ顔で、演説を聞いている。
この群衆にまぎれて隠れているのだ。
突然、この会場への連合軍の攻撃が始まった。
会場後ろ側に並んだ窓ガラスが一斉に爆風で吹っ飛び割れた。
ミサイルは間をおいて3、4発打ち込まれ、天井も粉々に吹っ飛び人は一人もいなくなった。
僕はその場にうずくまっていた。
しずかになって体を起こすと輸送飛行機の中だった。
ダダッ広い機内の端にうずくまっていた。機内にはだれもいない。
ここは敵か味方かわからない。人が来る気配がしたので身を潜めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
突然ハワイに行くことになった。そう言われてもなー。
僕達は航空チケットもないまま空港へ急ぐ。
到着し他の2人はさっさと中へ入って行った。
僕は売店での買い物にてこずりはぐれてしまう。
店員がドンくさく、釣銭をなかなか出してこないからだ。イライラした。
この買い物を済ませ空港内へ。パスポート!は持っているな。
電車じゃあるまいし、チケットって空港で買えるんだっけ?
普通に買うとえらい高いんじゃなかったっけ?僕はチケットのないまま出発ゲートをくぐる。
ガードマンがいたので、チケットがないのに通してくれるかなと心配だったが、
「ハワイ便に乗るので。」と急いでいる風で通ったら、どうぞと言うジェスチャーで通してくれた。
空港内はとてもわかり辛い。人に聞きながら乗り場をさがしまわる。
乗り場ゲートの前にたぶんチケット売り場があるだろう。いや、そんなん無いよなー。
ゲートは見つからない。
回りの客は白人金髪女性が多く、のんびり日光浴なんかしている。
ぼくは空港内をウロウロしている。
2000年1月19日(水)
家の寝室に骨董品が所せましと並んでいる。
古代エジプトの品が多い。床に新聞紙が敷いてある。
僕の腰くらいまである大きな壷等がある。皆表面に泥が固まって付着している。
濡らすのはよくないと聞いたが、水をかけて拭いた。
泥が落ちると中からきれいなブルーのヒスイのような表面や、金の表面が出てきて、
これはすごいと思った。
その中の大きな壷の蓋の所を拭いていたら、はずみで蓋がとれてしまった。
そのとき壷の中に閉じ込められていた古代エジプトの空気がシュっと噴き出した。
僕はすごく神秘的なものを感じた。
その空気に乗って精霊が部屋を飛び回るのが感じられた。
彼等は僕の味方だと直感した。
親戚が大勢家にあつまった。
家の部屋には2段ベットがたくさんおいてある。
僕は自分の部屋で寝ようとしたら、すでに親戚の人が寝ていた。
彼はベットたりないから、一緒に寝るのが当然といった感じだった。それはゴメンだ。
他のベットを見にいったが全部ふさがっていた。僕とカミサンが寝るところがなくなっていた。
ホテルにでも泊まろうか。
渋谷の路地裏に久しぶりに行ったらおいしそうなラーメン屋が軒を並べていた。
朝早くからやってるんだなー。僕は爆笑問題の2人が待つ二階の隠れ家へ急いだ。
2000年3月
2000年3月6日(月)
郷土資料館のような古びた建物の中にいる。
僕は畳の上にいて、土間がある。土間の所に靴が脱いである。
帰ることになり、土間の方へ行くと係の人が、サービスだと言って、
ミートソースを僕の靴の中にかけてくれた。
ならべて置いてある僕の隣の人の靴の中にもミートソースをかけた。
隣の人はさも当然といったようにお礼をいい靴をはいた。
ミートソースが入ったまま靴をはいたら、グチャグチャだし、靴下はシミになるし、気持ちがわるい。
しかし、こうすると足が冷えないのかなんなのか、最近はやっているらしい。
ぼくもしかたなくこのままミートソース入の靴をはいて帰ることにした。
帰りに乗ったタクシーの運ちゃんは、ミートソースは具合がいいと言っていた。
どう考えても変だよな。
2000年3月7日(火)
谷本さんからマシンガンのおもちゃをプレゼントされた。
わくわくしながら箱をあける。
プラスチック性のグレーの本体に赤や緑のパイロットランプがついている。
組み立てて照準をのぞくと、的がコンピュータグラフィックスで写出される。
的に向かって発射するとリアルな音がして、
どこに当たったかがグラフィックス上で矢印で点滅知らせてくれる。面白い。よく出来てる。
おみやげのボールペンをもらった。よくあるプラスチック性の安いやつ。
よく海外旅行なんかのおみやげにされそうなやつだ。
これは富士牧(フジマキ)製作所というところで作っているそうだ。
シェア世界一だ。世界中のおみやげ用ボールペンを作ってるんだからもうかるだろうな。
2000年3月8日(水)
ゲレンデでスキーしている。僕のカミサンはスキーが上手だ。
そのスキーに幼稚園前のヨチヨチ歩きの息子と僕が乗っている。
角を曲がると、下がみえた。下まで直滑降ダゼ。すごいスピードで降りていった。
僕はカミサンを信頼している。降りた所で息子の無事を確認した。
坂本龍一さんのお宅におじゃました。
壊れかけたコンボオルガンがある。彼の曲を聞かせてもらった。
アンチビートルズの曲だという。
2000年3月30日(木)
事務所のパソコンのスピーカーシステムが壊れてしまった。
システムの左側スピーカーにノイズが入る。スピーカーは大小2つついている。
パソコンとは10ベースTでつながっている。
小さい方のスピーカーをはずして僕のパソコンに接続してみたらノイズは出なかったので,
スピーカー自体はこわれていないようだ。
大きい方は分解してしらべている。接触不良の疑いがある。
今日は年末で2時に皆帰ってしまった。
残っているのは川口さんと僕の2人だけのようだ。
父が勤めていた病院で父は運動会で皆にカレーをふるまうのが通例になっていた。
そのカレーに皆が感動したと「カレー物語」という本に書いてある。
その病院に僕は宿泊している。町中の病院なんで外のネオンが明るい。
僕は朝早く目がさめたので、近くの公園に散歩に行った。
シェパードを散歩させている人がいて、犬の鎖を取ったので、いやな予感がした。
案の条、犬は僕の方に向かって走って来た。僕は気をそらさせるために小枝を折って投げた。
犬は、僕の投げた枝を追っかけて行った。
それをくわえるとまたこっちに走ってきて、僕の近くで僕をじっと観察している。
2000年8月
2000年8月9日(水)
地方のジャズクラブへ三尾さんと行く。
中に入る階段を三尾さんが乗り越えられないでいると後ろから押して助ける男がいた。
この店のマスターだった。この店は居酒屋風、和室だ。
ライブハウスではないのかもしれない。そこに明石家さんまが現われた。
さんまさんは自分が身に着けているカフスのブランド名を思い出せないでいた。
僕は、ちょっと形は違っていたが「ティファニーじゃないですか?」と言うと、
怒ってそうではないと否定した。
ティファニー好きの女性とは別れたため趣味が変わったのだそうだ。
その後トイレへさんまさんと一緒に行く。
外で彼が出てくるのを待っていると、
脇で居酒屋田舎娘風のいでたちで給仕していたウエイトレスが「玉緒の姉です。」と名乗った。
宴会に戻った。さんまさんはトーク爆発で、すごく面白かった。
そこで、滅多と見せたことのないかくし芸をやってくれと弟子がリクエストすると、彼は見せてくれた。
自分の前にクッキングホイールのような銀色の幕を置き、その幕を向こう側から最初手で押し、
幕が手の形に膨らむのを見せる。膨らませながら、何かを言う。
物まねのような内容だった。手の膨らみはだんだん大きくなりながら上の方へ移動する。
ちょうど顔の高さになった時、今度は両手の間を顔で押し、顔の形にどんどん膨らんでくる。
最初なにかわからなかったが、顔の形が銀紙ごしにわかってわかってくる。
これはアートだと思った。すばらしかった。
これはテレビ番組だった。さんまさんの特別番組だとわかった。
なんでこんな番組やるんだろう。その時テロップで、いまさんまさんが亡くなったと流れた。
追悼番組だった。
2000年8月12日(土)
ライブ。小林さんがいる。外人男の提案で食事に行く。
レストランで、僕は席を立つとき箸をテーブルに置いたらCのコードの音がした。
もう1度置くとFのコードの音で、
箸の置き場所の微妙な差でエンディングカデンツアの音が次々に出てくる。
他の客が注目してきたので、最後のG7の音の後、気を持たせてからCを出したら拍手が起こった。
どの場所に箸を置くかいろいろ考えたが結局思った通りの音が出た。
2000年9月
2000年9月2日(土)
パーティーの会場で、ミシェルペトルチアーニと会った。
彼はピアノを弾いていた。指の動きを見ると、とてもシンプルだけど美しい音が出ていた。
Amのクリシェーだったと思う。僕も真似して弾いてみたら、同じように奇麗な音が出た。
(なにも、難しく考える必要はないんだ。)その後、ペトルチアーニを抱き上げて、お話しした。
日本に来た時は見ているし、今まで3回くらいライブを見た、と話すと、
「3回か、ちょっと少ないね。」とチャメっけタップリに話した。
よく見えないので、小さなクラブで聞いて見たかったと話した。
彼は音楽についていろいろなことを話してくれた。日本語も片言だけど、話していた。
『この日ペトルチアーニが弾いてくれた曲を忘れないうちに書き留めて、
僕は数年ぶりで1曲作曲することができました。』
赤のユーノスロードスターでドライブしている。
狭い道で友人は買い物に降りて行った。
前が踏切の坂道で、前からトラックが来てしまった。
僕はマニュアル車を運転するのはいやだったけど、しかたがないので、車をバックさせた
2000年9月6日(水)
合宿に来ている。地方の町。鎌倉駅のような駅前広場。深夜。
駿河さんたちと呑んだ帰り。富野や藤岡に会う。坂を上がると野原がある。
高原の駅。これから電車に乗って行く。靴を忘れて裸足だ。合宿所は遠い。
電話して靴を持って来てもらうことにする。
2000年9月7日(木)
町中。夜呑んだ後、皆でセッションに行く。
学校の音楽室のような所に人が集まってセッションしている。
ここにピアノの古川さんが来るらしい。僕はよく知らない。
帰ろうとして自分のジャケットを探す。
似たような青いジャケットがあったが着てみたらどうもシックリしないし、
ポケットに入っている物が違うから僕のではない。
脱いで他のジャケットを探す。
2000年9月11日(月)
落合さんは、仕事で離れ小島に行くことになった。
その後トラブルで島は孤立した。
島からの救出は不可能、食料も届けられない状態になった。
ニュースでもやっている。嵐かなにかかな。どうして救助に行けないのだろうか。
彼は見殺しにされた。
2000年9月15日(金)
車で新宿へ、最近こっち側から小田急側に線路を超えて行く道ができた。
便利になった。
その道に入ろうとすると、ゲートが閉まっていた。
守衛さんに「入れないの?」聞くと、開けてくれた。
入り口はすごい上り坂、最初はローで上がろうと思ったら、
後ろの車の人がセカンドで大丈夫と教えてくれた。
滑り落ちるのではないかと心配したがセカンドでいっきに登った。
登りきった上は広場でどっちに行ったらよいか迷う。
この丘で息子と一緒にラジコンカーで遊んでいる。
ラジコンカーは坂から転げ落ちて、途中にひっかかったので拾いに行こうとすると、
また下に転がり落ちた。ラジコンカーは壊れて部品がとれてしまった。
部品を探して拾う。それを、デパートにおいておいたら帰る時見当たらない。
僕は「どこに置いたんだ。」と息子を追求する。
その時、やさしい模型屋のお兄さんが部品を持って来てくれた。
この模型屋さんには奇麗に塗装した部品が沢山置いてあった。
親切なお兄さん。息子はこのお兄さんと夕食を一緒に食べたいと言ったけど、
面倒なのでやめた。
2000年12月
2000年12月X日
素敵なセッションパーティーに招待された。マンションの奇麗な部屋。
屋上に上がるとホワイトクリスマス。雪がやさしく降っている。うっすら積もって銀世界。
新宿のデパートの屋上が下に見え、クリスマスイルミネーションでとても奇麗。
屋上にはバスのようなかっこうをしたショットバーがあり、にぎわっている。
ヒロヤマガタの原色のにぎやかな絵の感じ。
僕達はボートに乗って星の溢れる空を飛び、雪がうっすら積もった下界のデパートの屋上に降りた。
そこで、ちょっと遊び、またマンションに戻った。
戻ってきたらまた大好きなお友達が来た。とっても楽しいパーティ。
2000年12月28日(木)
どっかのホテルの会場でライブ5バンドくらい出る。
ちょっと小学校の学芸会みたいな雰囲気。
僕は見に行ったのだがアンディのバンドに飛び入りすることになり出番を待つ。
次かとおもったら、別のバンドが出ていった。
このバンドのピアニストは座るなりストラビンスキーの「春の祭典」を弾き始めた。ジャズというよりロック系。
演奏が終わるとこの3人はそれぞれA2くらいの画用紙を持っていて
「ア」「−」「ト」とそれぞれ書かれた紙も持って「アート!」と叫びながらポーズを決め。
延々と「アート!」「アート!」と踊り出した。司会者は止めに入った。
2001年
2001年1月
2001年1月10日(水)
フィリピンかインドネシアの空港に飛行機で降りた。
迎えに来た車の運転手は僕を騙そうとした。
僕は悪い奴だと気づいて、バスで行くことにし、その男に荷物を車からバスに載せ換えさせた。
バスは別の空港へ向かう。緑の草原を走る。広い。
小型ジェット機がやたらに多いと思ったら、子供たちが紙ヒコーキを飛ばしていた。
ここの紙ヒコーキはすごくよく飛ぶ。ここで「よく飛ぶ紙ヒコーキの作り方」の解説が入った。
2001年2月
2001年2月21日(水)
『すごく恐い夢だった。』
合宿でバンドの練習をしている。
ピアノを弾こうとして蓋を開けたら、見たこともない鍵盤。
メンバーは薄ら笑いを浮かべて内心僕をばかにしていることがよくわかった。
すごい疎外感を感じる。北国のような雪の中を帰ろうとすると崖から落ちる。
僕は崖のすぐ下に崖と平行に張られた5,6本のワイアーにしがみついた。
崖は一面真っ白の雪、ここは谷で反対側の崖も真っ白な雪。
僕は上に上がることもできず、手を放せば谷に落ちる状態でどうすることもできなくなった。
「ここは、この世ではないな」と直感する。僕は地獄に落ちたのだろうか。
反対側の崖を見ると、もう1人の僕が同じように落ちて苦しんでいる姿が小さく見えた。
谷はめまいがするほど深く、小さく見える底の方には雲が広がっている。
ここはそれほどに高い所なのだ。
ふと自分側の崖を見ると、崖の壁面には、無数の人間が埋まっていることがわかった。
白い雪の壁面が人の形に動いている。
人が積みあがって壁面を構成しその表面に雪が積もっているという感じだ。
埋まっている人はすごく苦しそうにときどき動いて、もがいていた。
やっぱここは地獄なんだ。目が覚めても、体中が妖気に包まれて、寒気がとまらない。
誰なんだ!僕は寝室にだれかいないか目を開けてみた。特に誰もいない。
よかった。お化け見ちゃったらどうしよう。なにか大きな力が僕を懲らしめている。
何故なんだろうと、自問自答を繰り返す。
みたこともない、未来の世界。池のほとり。
とっても和やか、初夏の日差しの中で家族が水遊びって感じ。
僕はここでは人間の形をしているものの下等生物らしい。
周りの高等生物と思われる人達は見たこともないかっこうだ。
あっちから見れば僕の姿が、珍しいのだろうなと理解した。
僕はカッパのように池に浸かっている。彼等は僕に芸をさせようとする。
僕の存在を分かってくれる人はいないのだろうか。
そんな中で、僕を理解してくれたのは、漫才師のミヤちゃんだけだった。
僕を理解してくれる彼女が天使に見えた。
やっぱ、漫才とかやっている一見不美人な人は心やさしくテレパシーがあると思った。
僕はうれしくて泣きそうだった。
………
頭の中から「タリーブ」というお菓子のことが離れなくなった。
透明なビニール線の中に入った赤いゼリー状のお菓子だ。
ぼくはこれを駄菓子屋さんに買いに行った。
駄菓子屋の店員は何故このお菓子を知っているのかしつこく質問する。
じつはこのお菓子は僕が見た恐い夢の中で谷に落ちそうになった時掴まったワイアーの名前なのだ。
皆、あの世界に行った体験を秘密にしたいため、何故タリーブを知っているのか語りたがらないのだ。
きっと彼女もあの世界に行ったのだろう。
あの地獄の夢をネットで告白したら、同時に同じ夢を見た人が多数いることが分かり、
あの世界の情報を交換するようになる。
あの世界を見てしまった以上、もうこの世でまともな生活はできない気がした。
僕達は精神異常者の集団なのだろうか。集団で狂って行く恐怖を感じた。
2001年8月
2001年8月6日(月)
親戚の集まり。僕は叔母様2人に部屋の角に呼ばれた。
彼女達は、小さな金属でできた金色のピエロの人形を僕にくれた。
おじいちゃんの遺品を整理していて、カタミとして僕にくれるという。
人形はぼろぼろで、ちょっとロシアの入子になった人形のような構造。
ロシアの人形は胸の部分で割れるがこの人形はもっと下の足の部分にネジがきってあって
外側の人形が外れる。
ずいぶん凝った作りだ。
よく見ると金属製の金色ってわけではなく、
大きさももっと大きい。古くてネジの部分が壊れている。
外側はピエロだが、中側の人形はピエロが化粧を落とした人間という仕掛けになっているようだ。
よく出来ている。外側の人形の内壁面に、ピエロの化粧用のカツラとか、
鼻に付ける丸いやつとかの化ける道具が掛けてある。
僕は外側のピエロ人形をすっぽりかぶった自分を想像した。
かぶると目の前にピエロに変身する化粧道具が置いてあり、ピエロの中でピエロに変身する。
2001年8月8日(水)
こんな車ほしかったんだよね。
車高がやたら低い、真っ赤なスポーツカー。前部はフェラーリみたいだけど、
全体的にはランボルギーニカウンタックかな。車体はけっこう小さくまとまっている。
2001年8月30日(木)
観光で遊びに来ている。団体でこれからグライダー体験ツアーをする。
体育館のような広い場所にグライダーのような乗り物が並んでいて、皆1人づつそれに乗っている。
僕も乗っている。左側の壁は一面ガラスで、そとは岩場の海岸でレジャー客が沢山遊んでいる。
コンソールに赤いボタンのような物があった。ボタンではないがまるくでっぱっており、
真ん中に溝がある。溝の所に両側から電極が出ているように見える。
左側にケチャップの固まりがある。
僕はケチャップを指に付け、その赤いボタンの溝に塗り込んだ。
そしたら非常ブザーが鳴って、係員が飛んできた。
この行為は非常時に行うもので、僕の行為によりグライダーは飛べなくなったようだ。
ケチャップが電極を導通させるしくみのようだ。
そのとき、外を見ると。ものすごくでかい波がやってきた。うわーーーー。
波は僕達の建物のガラス窓にまで到達し、海岸は一瞬海の底になった。
海岸は大パニック大変だ。
っとその時、海中から大きくて赤い船体が顔を出した。
最初、船がひっくり返って、船底が水上に浮いて来たのかと思ったら、
巨大な潜水艦のようだった。
これがあの大波を起こしたのだろう。と、その船体の中から、
ゲームキャラのような着ぐるみの人形達が元気よく出て来て地上に向かって行進してきた。
これもなんかのアトラクションなのかなあ、それにしても、
あの波で観光客はそうとうな被害を受けたはずだ。
あいつ達は、かわいい着ぐるみに身を包んだギャング達なのだろうか。
2001年9月
2001年9月5日(水)
歌手の丸山茂樹先生と話している。ワンダーランドで見たと言ったら、覚えていてくれた。
最近歌の練習していると言ったら、最初チャカされた。ふざけながらも、
歌について沢山アドバイスしてもらった。
結局は1音1音に込める気持ち、正確な音程とクリアーなサウンドってことらしい。
彼の話しはいちいち奥が深い。
2001年9月6日(木)
旅館の畳で寝ているつもりがモーターボートの中だった。窓から海面が見える。
ボートはかなり沈んでいて窓は下半分水中みたいな感じ、
すごいスピードで走っていて、船首が時々波に突っ込む感じ。
海面は暗くどんより悲しい感じだ。
2002年
2002年1月
2002年1月31日(木)
親族で食事した帰り。店の外に出て車で帰る所。皆なかなか出てこない。
乗用車に荷物を積んで待っていると、バンにのっている叔父様が、
こっちの車で帰ろうと運転席から僕を呼ぶ。
僕はバンの助手席に乗り込んだ。荷物移動しないとな、と思っている。
っと、叔父様は突然すごい勢いで車を発進させた。すごく乱暴な運転だ。
反対車線に入ったり、頭から路肩に突っ込みバックで出て走り続けたり、スピンしたり、
突然左折壁にぶつかるのかと思ったら凄く狭い道だった。
そこも両壁こすりそうになりながら爆走。
徐行しないと曲がれないような細道の角もすごいスピードで曲がったりして。
やがて車は山道に入り、山奥の廃材置き場のような、
工場後のような所に来た。錆付いた廃材の間を車は爆走する。ちょっと車体脇を擦ったりした。
廃材のドラム缶に書かれている文字は中国語だ。それを見るとなんとなく、
ここが処刑場であることが解る。
電気椅子による処刑が行われた場所のようだ。すごくいやな予感。
僕は最近、夢というのは、自然界が作ったコミュニケーション手段で、
どっか遠くの別人が見たり体験したりしたイメージがサーバーに記憶されていて、
その記憶を必要に応じて実体験させるシステムなのではないかと考えていたことを思い出す。
つまりこの夢は、
ここで理不尽な国家権力により人知れず処刑された人が
僕にその体験をさせようとしているという事なのだろうか?
と思った瞬間、冷たく錆びた鉄の椅子に動けないように座っていた。
僕は電気椅子に座って処刑された。
電気が入った瞬間は、ギーーーーってすっごく悔しくてやるせない感じだった。
夢はこの電気椅子を体験した人の顔写真というかイメージを見せてくれた。
1度も会ったことのない人だ。すごくやさしそうな好青年だった。
次に清楚な女性の姿のイメージも出てきた。
超美人とはいえないが上品な顔立ちの古風な人だった。
彼の恋人だったのかな。なんだか、すごく悲しくなった。
一度も会ったことのない人の顔のイメージを脳が自力でクリエイトできないとすれば、
僕の仮説は正しいことになると、僕の夢は言っているようだった。
僕は彼からのメッセージにアクセスしたのだろうか。
2002年3月
2002年3月18日(月)
Yちゃんと彼女の地元で仕事するため、
深夜にYちゃんの家に勝手に上がりこみ泊めてもらうことになっていた。
僕は勝手に上がりこみ布団に入って寝た。
翌日、YちゃんとKさんに起こされる。
Yちゃんの家は作りの古い感じの一軒家。
サッシの大きな窓があり、
窓の外には白雪姫のようなおとぎ話に出てきそうな綺麗な庭園が広がっている。
そういえば、綺麗な庭園があるって前に聞いたことあったな、これがそれなのか。
緑が多くて池があり、池の真中に島が作ってあって、白いギリシャ風の彫刻のある噴水があった。
ちょっと朝の散歩に外へ出た。
一歩外にでるとそこは工業地帯、
高速のインターチェンジがすぐ近くにあり国道50号とかいてあるのが読めた。
そこに東京方面と緑の看板がある。
いつもこの道でジャノメにくるのかな。
町に行くにはこの高速のSAにあるエレベータで下に下りなければならない。
これが半端じゃなく高い所にある。
つまりYちゃん家と高速道路とSAが半端じゃなく空の高い所にあるってことかなあ?
エレベータは地獄の底に下りるように降下していった。100階以上下だった。
エレベータの中はちょっと怖かった。
降りた口にスーパーマーケットがありそこらを散策したあと、家に戻った。
朝食をいただいた。だれかもう1人来ていた。今日一緒にバンドやる人かな?
天気の良い日溜りの朝って感じ。
朝食を食べる長方形のちゃぶ台を見ると、小さな蟻が沢山這いずり回ってた。
こっちの方じゃこれが当たり前なのかな。
2002年5月
2002年5月30日(木)
どっかの教会みたいな所でバンドやってる。
ドクタースポックみたいな、ちょっと痩せた感じの男のギタリストがいた。
彼はネンキの入ったリフ帳を持っていた。表紙ははがれてボール紙がむきだし。輪ゴムで無造作にとめているボロボロな物だった。
中を見せてもらった。
コードしか書いて無くて。コードと言うか、コードの廻りに意味不明な数字が書き込まれていた。音楽的経験を自分だけにしかわからない言葉でメモってある感じだった。
2002年6月
2002年6月6日(木)
どうも大変な仕事をたのまれそうな雰囲気。
どっかに行ってもらいたい雰囲気。「外国なんだ。」「何処ですか?」
「ペクシンに行ってもらうことになった。」
(ペクシン・・・・・って何処だっけな。北欧の方の国だったかな?町の名前か?)
2002年10月
10月25日(金)
マンションのリビングダイニングみたいな所に皆といる。
外は明るい。っと、空からなにやらボタン雪のようなものが降ってきた。
これは、綿簿懲りのようでもあり、かびのようでもある。
どんどん、じゃんじゃん降って来てみるみる町はほこりに埋もれて行く。
すごい光景だ。この謎の現象がなんなのか必死に考えている。
異性人の侵略か?僕の体にもほこりがついて気持ちがわるい。
遠くの丘に寝ている人に、このほこりが襲い掛かってその人を消化してしまう様が見えた。
まったくえらいことになった。
もう町はほこりに埋まって、なにも見えない。
2002年11月
11月1日(金)
{家内は旅行でいない}
朝起きると、旅行に行っているはずの家内が隣のベットで寝ていた。
「ありまっ、どうしたの?」「予定が変わって帰ってきた。」
旅先でミュージシャンと知り合い、家につれてきたという。
見ると、僕のベットの下の床にひげもじゃのおじさんがギターを抱いたまま寝ていた。
彼らはファミリーバンドみたいな感じで2家族の夫婦と子供がそのままバンドやってるみたいな感じだ。
フォルクローレ系というのかな。彼らは自分たちの音楽を「ガルベス」と呼んでいた。
僕のスタジオに見慣れない楽器(主ににガットギターみたいなもの)が沢山おいてあった。
ひげの男は突然の訪問に恐縮していたが、僕はハグして歓迎の意を示した。
でもな〜。
{起きたら、やっぱりいなかった。}
11月12日(火)
研修所のような所、会社の事務所に差し押さえが入った。
背広を着た集団が事務所内に入り、差し押さえの札をどんどん貼って行く。
おー、この会社やばいんじゃないの?
梅宮さんは太っ腹な人で1000万円をくれるという。
このうち100万円をなにかに投資して増やしてみろといってくれた。
取りに行くと、札束のような株券のようなもののたばを10ッ束くれた。
これは、国が発行しているもので、水に換えられるという券。
この券があれば、この額面分の水といつでも交換できるというものらしい。
水が市場に流通してるのかね、経済はよくわからないや。
でも、なんかおかしくないか?ん、なんかおかしいよな。
2003年4月
2003年4月29日
都会の高層ビルの新しい取り壊し方法。ビル全体をヘリで吊り上げ、海に捨てる。
新宿パークハイアットみたいな、先のとがったビルがそのまま、ヘリで運ばれ
海に捨てられた、着水し自身の重みで崩れて行く大きなビル、海に沈んで行く高層ビル。
しかし、ヘリじゃビル1つ持ち上がらないよねえ。嘘くさいね、この映像。
2003年5月
5月18日(土)
自宅。親戚一同が集まっている。京都のおじいちゃんがなくなったので、皆で京都へ葬式に行くのだ。
僕は、独り留守番をすることになった。来週は忙しく、車を取りに行ったりしなければならないから、残れといわれた。
朝早くなのか、夜遅くなのか、僕はキッチンの隣の畳の部屋に布団を敷いて寝ている。
隣は姉だ。姉は、京都に同行すると言った。焼いた後の灰を形見に持っていたいからだという。それを、聞いたら僕も行きたくなってきた。何故僕だけ行けないのか。僕も形見に灰をもらいたい。
そう考えたら、とても悲しくなって、布団の中で泣いた。
位牌の中って、灰が入ってるの?
2003年5月31日(土)
団体旅行中。3人くらいのグループ。
何処へ行くか協議した上で、高速艇で台湾へ行くことにする。
すぐに着くのかと思ったら、高速艇は3日3晩走りつづけた。
ホテルのような船室に泊まり。外の景色は行けども行けども同じ感じで、
海岸線を走っているので緑色の陸地はずっと見えていた。
到着、大阪みたいなところ。
駅のホームで電車を待っている。
1人がもう一人の片を叩いて道をあけて人を通すように促した。
促された方は道を空けようとして、ちょっとバランスを崩したかと思うと、
ホームの下に転落。ありゃりゃ。
見ると、駅のホームは線路まで5階建てのビルくらいの高さがあり、
ここから落ちたとなると助からないよ。一大事だ。大変だ。生きているのかな。
びっくりして、どうしたらいいのかわからないまま下を眺めている。言葉もない。
しかし、こんな高いホームにどんなノッポの電車が来るんだろう。
2003年6月
2003年6月2日(月)
皇室の前で、なんかの説明をしている。
とてもアンティークな人形について説明しなければならない。
僕の前の棚には人形が入っていると思われる箱が多数重ねてあり
それに、わけのわからない名前が書いてある。
僕は読めないというわけにもいかず、説明しなければならず、あわてている。
人形を取り出そうと、箱に触ると、古いもので、どんどん崩れて行く。
この、人形はめちゃ貴重なお宝なのだ、壊したら大変だ。
ありゃりゃりゃ。
隣で見ていた、執事のバリモアが見かねて助け舟を出して、
なんとかその場を繕おうとしている。
「ああ、ああ、申し訳ございません。」
日本もテロ攻撃の影響を受けて危険な状態だと
報道が伝えていた。そんなことあるのかなあと思いながら。
近くの高層ビルを眺めていたら、そのビルが爆発し崩れ始めた。
ここは、安全なのかなあと検討していると、
ビルの上の方が、こんなに遠くの僕のところめがけて倒れてくる。
ひえーー、大変だー。
電車の中で、移動中。テロリストが自動小銃をかかえて1人乗り込んできたようだ。
まだ、2,3輌先なので、僕はなるべく離れるように逃げた。
しまいには、車掌室に入り込み床にしゃがみこんで隠れた。
テロリストはそこまできていて、乗っていた人は
どんどん人質となってつかまっている。
このまま隠れていて、助かるのだろうか、
当然ここまで入って来るよなあ。
2003年6月29日(日)
僕が高校生くらいのころ絶大な感銘を受けたCD数枚を親戚の子に貸したままになっていることを思い出した。なんか日本人ピアニストで名前に「有」って字が入る人だったと記憶しているが、詳しいことは思い出せない。ジャズピアノトリオだ。
その、親類の家に皆が集まっている時、CDを返してもらうことにした。
古い箱からそのCDが出てきた時には、超懐かしかった。これこれこれだよ〜。
このCDは今ではどこでも手に入らないだろう。でもこのCDの演奏がきっと僕のルーツなのだ。このことを、僕はなんで今まで忘れていたのだろうか。
高校時代の若いころの雰囲気のするジャズのCDだ。どんな音がするのか楽しみだ。
このCDとともに、僕が当時MEMOしたいろいろな資料も出てきた。
ポギーとベスの映画の台詞の訳と、アイラブユーポギーって曲との関係と解釈とかが書いてあるようだった。
このCDを聞くことで、この資料を読み返すことで、忘れていたことを思い出し、俺の音楽は飛躍的に進歩することは、明らかだ。全ての謎が解けるかもしれない。
ここで、僕は夢から覚め、いままでのことが夢だったことを自覚する。
ヤバイ。これが夢だとすると、あのCDを現実世界へ持って来て聞くことが出来ない。
と思いつつまた夢に戻る。
僕は皆に、これが夢であること。したがって、このCDを現実世界にもって返れないことを説明する。皆ちょっときょとんとしている。
せめて、この夢から覚めるまでの間に、どんなCDなのかを見て覚えて返ろうと考える。
CDを眺めるものの、印刷されている文字が躍っていて、なにが書いてあるかをはっきりとらえることができないで、いらいらする。
今のうちに音も聞いておきたいので、準備をしてもらう。
でも、どのCDのどの曲から聞いていいやらわからない。
この、どうしようもないジレンマを、とても残念に思った。
{起きて冷静に考えると、夢に出てきたようなCDはもともと架空の事柄であると納得せざるをえない。}
2003年8月
2003年8月21日(木)
トイレの夢。
日本間のトイレで、大きな器が置いてある。
多分これが便器だと判断。おしっこしてたら。
排水されないので、どんどん溜まってきちゃう。
僕は他に、何処に排泄したらよいか悩む。
隣の小さな器に切り替えたけどすぐ一杯になっちゃいそう
どうしようどうしよう。
夢だってことにしよう。
2003年8月22日(金)
部屋のハンガーに僕の等身大の腕の写真を取り付けた。
洋服をかけると、袖から腕が出て、僕が着ているように見える。
そのハンガーをじっと見ていたら、
あまりにリアルで腕が本物のように思えて来た。
間違いなく本物だと思った瞬間、腕が動いた。
そのハンガーは3つに増えていた。
首のところには顔があり、俺の顔だった。
つまり、俺が3人増えたことになる。
俺と話をしたが、生意気なやつだった。
2003年10月
2003年10月15日(水)
町のスーパーマーケット。入口には花売り場。
この奥にスポーツクラブがある。久しぶりに泳ぎに来た。
プールに飛び込んだ。体がすごく浮く。
上半身の胸がほとんど水面に出る感じで浮いて、
手で水を掻いて泳げた。らくちん。
おーー、水中には沢山のガメラが。
インストラクターがガメラの着ぐるみを着て
泳いでいるのだ。
前からそんなことしてたっけ〜???
{先週の下北ジムでは水泳サボったから見たのかな}
2004年1月
2004年1月22日(木)
家の廻りの庭をうろうろしていたら、
家のポストの中にリスザルのような動物がいるのを発見。
餌付けをしようと、なにか食べるものを家の中にさがしに行く。
餌を持ってポストの所に、リスザルに餌をやろうとしたら、
音がして夢から覚めてしまった。餌やりたかったな。
2004年2月
2004年2月3日(火)
バイクでアスファルトの道を走っている。
路肩に土が露出しているところがありその上を通ろうとしたら、
道路に亀裂が開いており、バイクが地下にすべり落ちていった。
下は地下鉄が通っている。
バイクを取りに行かなくちゃ。ソロソロと穴の方へ
穴の足元ちょっと下の方に地下鉄のトンネルの天井を通る配管がある。
その配管に足をかけてつかまって下に下りようかと考えるが
危ないよね。下を見ていると、地下鉄がガーーって通る。怖いよ。
横にバイクが倒れているのが、確認できた。
降りようかどうしようか途方にくれていると、
なにやら作業員の人がぞろぞろ出てきた。
あの人たちに頼もう、と声をかける。
「すみませーーん。」
だめみたい。どうしよう。
2004年2月18日(水)
マイルスとレコーディングすることになった。ドヒャ。
そこに行ってみると、海岸の近くの屋外ステージみたいなところ。
ここで、マイルスが3つのグループとレコーディングをする。
その中の1つのグループに僕は入っている。
僕のグループはパットメセニーが一緒だ。
ステージに行くと共演予定のドラムとベースが今日レコーディングする曲を練習していた。
「ウカッ、カッウカッ」みたいなやたら、リズムパターンが複雑な曲。
俺こんなん出来るのかなあ。
楽屋に行くと、メンバー一同すごく緊張している様子がうかがえる。
知り合いも何人か来ていた。奥にマイルスがいるのかなあ
はりつめた空気。やっぱマイルスはすごいもんな〜。
気安くお話できる相手ではないです。はい。
2004年2月19日(木)
グループで遊んでいる。中に僕の大好きな彼女がいるの。
二人は密かに甘いキッスで愛を確かめあったの。
タレントのリンカをちょっと田舎娘っぽくした。
鼻の頭のそばかすがカワイイ、おしゃまな、おてんば娘って感じ。
僕達は目で合図し合って、二人っきりになりたいんだけど、
なかなかチャンスがなくて、うんもう。
で気が付いたら2人きりになってました。うふふ。
2004年2月24日(火)
もう時間が無いから出かけなきゃ。
僕はホテルの部屋を出ようとした。その時、電話のベルが鳴る。
この電話は未来の自分自身からの電話であることを直感する。
かすかな未来の記憶があるのだ。
これから出かけるに際して、身にふりかかる出来事についての重大な情報、
なんとか過去の自分に知らせようとした微かな未来の記憶。
でも、はっきりとは思い出せない。
内容を聞かないと、また同じ失敗を繰り返すことになるのか。
でも、やっぱり電話を取っている時間はない。
このまま出かけなければ。いや、電話を取るべきか。
2004年3月
3月13日(土)
ベットで目覚めた。
カラスが来ているよ、って言われて。
左枕もとを見ると、
カラスよりちょっと小さめ、
大き目の文鳥のような鳥がいた。
逃げないんだぁ。
手を伸ばすと、僕の人差し指をパクっとくわえた。
およよよ、洗濯ばさみではさまれたみたい。
そんなに痛くは無いけど、しっかりくわえられてとれない。
毛並みを撫でても逃げないんだ。
こんなに真近で鳥を観察する機会もないので、
じっくり観察した。
鳥って綺麗だよ。
でも、困ったなぁ。いかげんに離せよ。
2004年4月
2004年4月2日(金)
家族で田舎の山中をドライブしている。
どこかのドライブインに入った。
土産物屋みたいな所、みんな思い思いに店内を散策している。
子供がCDを買いたいと言ってきた。
「どれ?」買ってやるつもりだったけど、
5枚組で7千円くらいするので、ちょっと待った。
1人だけ買ってやると、他の子と不公平かなとか考える。
で、そのCDを眺める。
ウエスタンな雰囲気で荒野を旅している家族のバンドで、
その子供2人が作ったCDのようだ。
流浪の旅生活と音楽が密着している。
俺はその旅に入り込んだ。
天気のよい荒野を幌馬車で移動する家族。
テーブルくらいの大きなマホガニーな木彫りのレリーフを2枚持ち歩いてる。
野営地に付くと、そのテーブルを岩の上に置く。
彫り物は熊が大の字に寝ているような彫刻で
口を大きくあけている所が凹んでて、ここに水を溜め
馬がそこから水を飲んでいた。
なるほど、こーゆー風に使うんだ。
彫り物の色々な部分が色々なことにつかえるようになっているようだ。
もう1枚のレリーフの上では、髭モジャのオヤジが昼寝をしていた。
凹み具合に体が馴染むような作りになっていて気持ちよさそうだった。
すばらしい工芸品だと思った。
CDの世界からドライブインに戻った俺は、
これを買ってやろうかどうしようか悩んでいる。
2004年4月15日
団体旅行をしている。とある田舎の旅館。
大浴場とかある。
皆の荷物がごちゃごちゃある中で自分の荷物が見つからない。
皆の靴がごちゃごちゃある中で自分の靴が見つからない。
皆の服がごちゃごちゃある中で自分の服が見つからない。
おっかしーなー、見つからない見つからない。
服がない、靴がない。
今は旅館の浴衣来ているが、これで帰るわけには行かない。
皆、どんどん帰り支度。
僕は皆の中で一人すっぱだかでいなければならなくなった。
このままじゃ、帰れない。
見つからないの、おかしいよなー。
困った。
2004年6月
2004年6月8日(火)
九州にビータの仕事、航空チケットはとってある。
朝10時半の便。
空港近くの事務所にいる。
事務所のおっさんと世間話している。
あっ!チケット忘れた。
けど、カウンタで言えばたしかチケット無くても乗れるよねえ。
無事現場についた。
現場は、日本間的宴会場で、パーティ。
メンバーは、ドラムスがダウンタウン浜田さん。
ベースがダウンタウン松本さん、他にトランペット1名。
3人と「よろしく」と握手した。
宴会場はさわがしく、なかなか演奏する状況にならない。
で、はまちゃんキレる。
おー、本物や。
やっと演奏。キーボードはエレクトーンみたいなオルガンで、
いきなりウエス系の、ロードソング。
コード探りながらついてゆく。
松本さん、難しい顔して、表情変えずに、
けっこういけてるベースソロ弾いてました。
演奏中にお客様はほとんど帰ってしまって、
1曲終わったら、会場にはほぼだれもいない状態。
最後に1人逃げ遅れたおっさんが、
恐縮げになにやら言い分けしながら、
席を立とうとしている。
ここでまた、はまちゃんキレる。
おー、本物や。
2004年6月20日(日)
起きたら、左のほっぺたが右のほっぺたに比べて硬い感じがした。
ほっぺたの皮が厚くなってる感じ。
しばらくすると、左のほっぺた2箇所から、
にきびが噴火したみたいに吹き出物が出てしまった。
丁度、チューブから茶色い油絵の具をニュっと出したみたいに、
硬くドロっとした血が出てきた。やばい。
そのすぐ後、あと3箇所くらいから、同じようにニュっと
。
で、とりあえずティッシュで表面を拭いて抑える。
ニュっと出たおかげで、ほっぺたの硬さは取れた。
硬い原因がニュっと外に出てしまったためと思われる。
左のほっぺたはサイコロの5みたいに、
大きなにきびの跡がついた。滅入った。
{朝起きたら、夢と判明一安心}
2004年8月
2004年8月17日
野外のフェスティバルでの演奏。ロック系の有名グループにジャム的に加わる段取り。
僕は何故かキーボードをステージを見下ろすミキサーのところで弾いている。
僕が出す音が遠くのステージから聞こえてくる。どうもバランスわるいな。
自分の音がどれなのか確認しずらいな。
2004年8月18日
空港まで自転車で移動している。なかなかたどりつかない。
途中ビルの売店のところを通らないと行けないので、
売店の中を自転車をひっぱって移動している。
そのビルを出たところで今度は塀を乗り越えなければならなくなった。
ここ立ち入り禁止なのではないかなあ。そこで、警備員に呼び止められ職務質問された。
ただ、空港に入りたいだけなのだけれど、僕はなにか後ろめたい気持ちになる。
来ている服で僕の素性がばれそうな感じで、気にしている。こんな服着てくるんじゃなかった。
2004年8月23日
社会科実習歴史編みたいなのに参加している。
講師はビートたけし。昔の船の構造を解りやすく説明してくれた。
船の浮きをつなぐため稲穂を器用に使うのだ。
その後、小さなフライパンで、白いゼリー状のような物、
アロエのようなものを僕の前に差し出し、
「これを食べてみろ。」と言われた。
これはナグタメというもので、
昔の兵隊が戦闘に行く前に食したものらしい。
昔の食べ物でちょっと怖かったけど、
おそるおそる食べてみると、
これがあっさり甘くて美味しかった。
この、甘味が脳を活性化させ、心を落ち着かせ、
集中力が増し、戦闘意欲を高めるらしい。
別のところでは、知り合いのベーシストが
青いペンキまみれになりながら、なにやら実習していた。
僕が「ナグタメ食べる?」と差し出すと、
「あ、俺それ嫌い。」と言われたが、
彼の口の周りにはナグタメが着いていた。
むちゃくちゃ食ってるやん。
2004年10月
2004年10月18日(月)
久しぶりにゆっくりした。
ヘリコプタをチャーターして、東京の夜景を見に行く。
ビルの谷間を垂直上昇。電線にひっかからないのかなぁ。
夜の東京を超低空飛行。人々の生活がすぐ近くに感じられる距離。
すごくリアルで、綺麗だ。
感覚としては、すごく小さくなって、
ビルの中の人々の日常生活空間も飛び回った感じがした。
感動だよ。
僕の隣には、財前直見さんが。なんでや?
究極のご接待をしてくれましたが、最後の所はご遠慮申し上げました。
だって、いやいやな感じが見え見えなんだもん。
久しぶりにリラックスした。
母の部屋は、木目調のリビングルームのような形しているけど、
そのままシャワールームになっている。
とっても素敵な部屋で、良い香りの高級シャンプーやアロマオイルなんかが置いてあって、
適当に観葉植物なんかが置いてあって。
窓の外は木々の緑で、やわらかい春の陽射とおだやかなそよ風が吹いている。
良い香り、究極癒しの部屋って感じ。
ここでゆっくりシャワーをあびました。
普通の板の間のリビング水浸しにしちゃっていいのかなあ・・・・
{最近、寝る時間も少なくて疲れが取れない。疲れも溜まっちゃうって感じてたけど、
寝た後、夢の中でリラックスさせてもらったって感じ、この手があったか。
ありがとう天使様。}
2004年10月25日(月)
団体で京都旅行をしている。仕事っぽい。
今夜は宿がなかったのか、繁華街の道端に泊まった。
歩道と車道の間の所に布団を敷いて寝た。
こんなんアリなのかなあと、ちょっと思う。
目がさめた。起きて、歩道のところでうだうだ。
近くのお店に入った。文房具屋さんかな。
クリアファイルを探している。
結婚指輪のようなシンプルな指輪を売っていた。
なぜかその指輪が僕の指にはまっていた。
取った覚えはないが、勘違いされたらいやだなあと思っている。
ドキドキでレジしたけど、問題なかった。
2004年10月26日(火)
厳格な父がなぜか陽気。
二人は肩を組んで、仲良く朝食のテーブルへ。
{現実では、ありえね〜}
テレビは千葉の海と行楽客の子供たちを映している。
なんのニュースだかよくわからないので、
「聞こえないよ、なにがあったの?」
って聞く、
さらに、テレビを見ていると、海になにか変わった小動物がいる。
大きさはアシカかトドくらいの生き物。
犬のような茶色い毛が生えていて、
顔はネバーエンディングストーリに出てくる白い空を飛ぶ竜みたいな顔。
その生き物が、気が付けば、子供たちの周りに沢山いる。
「すげー、あんな生き物がいるんだ。」
2004年11月3日(水)
なんか、マラソンやってるのかなあ。
遠足かなあ。とにかく団体で目的地に向かっている。
途中、家の中とかもあり。
皆で階段を上ったりする。
途中、鉄の階段なのか椅子なのかに腰掛けたら。
これが、レトロなジェットコースターだった。
有無を言わさず出発。すごいスリリングなコースタだった。
出発前にゴーグルのついた鉄のヘルメットが上から降りてきて頭にかぶさるの。
最終地点は、教室のようなところ。
ここで、お話を聞くようだ。
なかなか皆来ないと思っていたら、場所間違えていた。
あわてて、階下の教室へ行くと、
皆集まっていて、良い席はなくなっていた。
せっかく皆より早く到着したのにな。
2004年11月22日(月)
仕事で2人で外出。小田急線は相模大野で江ノ島方面と小田原方面の2つに分かれているものとばかり思っていたが、知らぬ間に3つに分かれていたのだった。
乗る電車を間違えて、3つ目の分岐に乗ったらしい。気が付くと全然知らない名前の田舎の駅。全然知らない場所。時間はもう3時過ぎで遅刻どころではない。今から引き返して行っても、仕事にならないな。どうしよう。
知らない街に、叔父様を訪ねる。東南アジアの市場のように活気に満ちた街だ。この商店街に面して彼の家はあった。ガラスばりの引き戸を開けて入る。売り物が置いてあるのか中は雑然としている。天井からもいろんなものがぶら下がっていた。テーブルが数個あって、飲み客がお酒を飲んでいた。飲み屋をやっているのか、知り合いが来て飲んでいるのか不明。叔父様はまじめな性格と思っていたが、陽気な船乗り船長って感じだった。びっくり。前は彼の弟さんがここに住んでいて、そのころ遊びに来たことを思い出した。
2004年11月23日(火)
僕たち2人は、上官に呼び出された。行ってみると、戦車の乗組員になることになった。運転係と指令係どっちがどっちを担当するのか決める。僕は2つの仕事のメリットデメリットを頭の中で分析する。僕は運転係りってことになった。運転方法とか全然知らないのだけど。で、マニュアルを渡される。マニュアルって言っても、図面1枚で、運転席の斜景図が描いてあって、説明文が書いてある。こんな図面1枚じゃ、なんだかわからないな。
2004年11月29日(月)
ライブでヴォーカルデュオ。クリスマスソングをやる。譜面を渡してもらって、はじめようとすると、なんか曲がちがう。クリスマスソングといえども題名が全然クリスマスでない知らない曲なので間違えた。しかたなく、3,4小節進んだ後に無念の中断。気をとりなおしてはじめようとしたら、譜面が落ちてページが閉じてしまった。あわてて、曲を探すが、見つからない。曲名もうるおぼえ。汗汗汗、あわてた。その後も、はじめようとすると、本が閉じてしまったりして、曲探して、ページめくって曲名なんだっけ。汗汗汗。もーヤ!
2004年12月18日(土)
人の家のマンションでリハーサルしているのかな。その家は、アルバイトの人が内職かなんかしている。その脇で練習。隣の部屋で内職しているところは日本間の畳があってその先がコンクリート敷きの土間のようなっていて、その土間の床が斜めになっている。
そこで俺は水をこぼしていまい慌てる。土間の一番低い部分に水が流れて行き、そこにおいてあったアルバイトの人の荷物を濡らしたのではないかと思ったからだ。あわてて「すみません、すみません。」と対応する俺。アルバイトは若い主婦のような人たち、大丈夫ですっと親切に言ってくれた。
12月22日(水)
ロボットの走行メカニズムの部分を見せてもらっている。
水平のシャフトと垂直のシャフトがあり、モータをつなぐ穴が剥き出しになっている。
ここに、モータをつなげて、走行メカを動かしてみる。ハンドドリルみたいなモータのジーっと回転しているシャフトを押し付けて、垂直のシャフトを回すと、比較的早い速度で足の裏のキャタピラが動いた。水平のシャフトを回すと、ゆっくりした速度で足全体が動いた。すげー、こうなっているのか!ロボット技術ってすごい!
{そのときすべてを理解したメカニズムは、起きた後には忘れてしまいました。}
2004年12月23日(木)
九州あたりを、団体旅行しているのかなあ。みやげ物や。バスの時間が合わないの?温泉に入ることにした。友人2人と温泉に向かう。エメラルド色の緩やかに流れる幅は2mくらいの川のような温泉。こんな所があるんだ。ちょっと浅瀬のような、感じ。すると、大きな波がこちらに向かってくる。ひざくらいだった水かさは一気に胸くらまで。こえー!1波去った後は、さらに大きい、めちゃヤバいくらい大きい波が向かって来た。
2005年
2005年1月1日(土)
若者が武士道を忘れてしまい。武士道がなくなりかけた時代。武士についての存在意義についての世論を醸し出すある事件があった翌日から、男は仕込み杖(杖の中に日本刀がしこまれたもの)を携帯して街を歩くようになった。街に出ると男は皆刀を持っている。町中は、無礼なことがあれば、一触即発刀を抜く、殺気立った雰囲気になった。俺は近道をしようと、人の敷地内のお店を抜けている時、主に会って、かなり殺気立った雰囲気になったが、丁寧に挨拶をしてことなきを得た。
その店を出ると街の景色は予想とかなり異なったものとなっていた。ここはどこだろう。目の前には豪華絢爛の白い中国風のお城が。白が主体で窓枠などが派手な赤、建物中に細かい竜の彫り物、東照宮的って感じの建物。どの道を行っても、入りたくないそのお城に入って行ってしまう。引き返す道が見つからない。
2005年1月5日(水)
家から遠い、場末の木造のふるびたお店でライブ。かなり年の行ったお婆さんの歌手とデュオ。終わってる雰囲気。なんか、だれも聞いていないしお客も少ないので、いいかげんで良いや。っていうか、ピアノが壊れかけた足踏み式のオルガンのようなぼろぼろのピアノで、どうも音が出ていない。で、間奏では弾いたふりをしている。といってもデュオだし、口で小さく歌いながら音の出ない鍵盤を押さえ弾いた振り、歌の入るところでちょっと声を大きめに出して、あとはカウント出して歌に渡した。こんなんでいのかねえ。と思った時、カウンターのむこうにマスターがいることに気づく、こんなんでいいわけないでしょう。まじめにやらなきゃ。その後、2人のミュージシャンが挨拶に来た。大変腰の低い、漫才師おぼんこぼんのような2人は2人ともピアニスト。でピアノに座ってもらった。すると、歌手が見えにくいので、演奏しにくい。ちっと場所をずらしてもらった。でも、この2人がピアノだとすると俺は何担当なのかなあ。演奏しないのに歌手が見えにくいとか関係ないじゃん。わからなくなった。夢だし。ということにした。
2005年1月6日(木)
母の家にいる。母に呼ばれる。冷蔵庫の中で、ほしいものがあれば持って帰れと言われた。
おいしそうなブルーチーズが2.3個あるけど、賞味期限が気になる。そうとう古そう。で、賞味期限の代わりに、ある成分の含有量がマジックでメモってあった。賞味期限が切れていても、この成分が一定量含まれているうちは食べることができることを知っている家族のだれかが調べて記録したものと思われる。含有量と調べた日時が記録されていた。
仕事を終えて家に帰るところ。スノボーで芝生の上を滑って帰る。全面芝生の丘。右側が谷で左側が頂上。頂上が僕の家だ。山道を滑りながららせん状に家まで登って行く。山道はでこぼこしていて、ジャンプしながら滑って行く。高所恐怖症になるくらいすごく高くジャンプしてしまったら頂上の家の壁が左に見えるところまで飛び上がったので左に体を傾けて一機に家の壁にへばりつく。壁は一面サッシの窓になっている。
中にリスがいた。家はリスを飼っている。知能は3歳くらいのリス。でリスに窓を開けるように頼む。無邪気に窓を開けてくれた。で、這い上がるために、家の中の柱にタオルをくくりつけてその先を僕の方に出してもらってそれにつかまって這い上がりたいので、お願いした。なんとか窓を這い上がって家に入ることができた。うちは大邸宅だ。リスの飼育係のおじさんがいて、リスを育てるのは大変だという話を立ち話した。餌付けが難しいそうだ。そう言いながら、えさを廊下に撒くと、さっきのリスとそれより小さな生まれたばかりのリスが6匹餌にむらがっていた。また新しい子供が生まれたんだ。
夜中に台所に飲み物を取りに行く。なんかいや〜な空気。振り返ると、だれもいないはずの家で、おばばに出っくわした。顔が丸くてやたらでかい、醜いおばば。おばばは進入したことがバレたので動揺して、僕に抱きつき許しを乞う。リスの秘密を知りたくて侵入して来たのかなあ。超キモいし怖い。鳥肌立ちまくり。あまりに怖いので、目を覚ますことにした。
2005年1月31日(月)
3人で旅行している。一人は川島なお美さんだ。僕は早く帰りたいのだけれど、日本のどこらへんにいるのかはっきりわかっていない。首都圏ではないみたい。おそらく会津ばんだい山らしいのだが、よくわからない。観光地に到着して散策している。電車の地図を眺めるのだが、帰り方がわからない。見覚えのある半島の形は四国かもしれない。電車の路線ルートからはかなり離れた所にいるみたいだ。どれくらい遠くまで来てしまったのかな。わからない。ここは日本のどこらへんなのかな。観光コースのメニューは僕の気持ちとはうらはらにどんどん進む。係りの人がいろいろ説明してくれるのだが上の空だ。これから、どうやって、帰ろうかな。
2005年3月9日(水)
地方のパーティの仕事しているピアノはアップライト。
3人くらいのバンド。公民館みたいな、お座敷みたいなところ。
1セット目ピアノが会場に背をむけていたので2セット目は大胆に正面を向かせてみた。
んで、休憩が終わって、演奏をはじめようとすると、おじさんがピアノを掛け布団とまちがえたのか、おなかにのせて、会場に敷かれた敷布団の上に仰向けに気持ちよさそうに寝ていた。僕は恐縮しながらも、すみませんと言いながら、ピアノを引き剥がして元の位置にスタンバった。さて何をやるの?で曲名が思い出せない。うーーんと、あれあれ。
ようやく思い出して、演奏をはじめた。
曲は、笠井さんが歌っている曲。ベースは歌さんだったような気がする。
2005年3月11日(金)
ホテルのように綺麗なオフィス。会議を予定している。
メンバー2人に会えたが、その他のメンバーがいないのか
会議室が見つからないのか、うろうろしている。
2005年6月1日(水)
ピアノソロのライブでピアノが弾けない。悲しい。
歌さんが呼んでくれたライブ。お客さんも沢山いる。ゆQちゃんとかいる。
演奏がだめだめ。あまりピアノを弾かず、ピアノをたたいてもりあげようとしている。
フリーのようなプリペアードのようなこころみをしているが、思うようにならない。
気を取り直して鍵盤で弾いてみるが、
間抜けなエッサホイサみたいなフレーズしか出てこない。
1曲やって、もうだめってことでライブは中止、悲しい。
全然ピアノが弾けない。
店から、帰ろうとする歌さんを追いかけて、
「せっかくよんでくれたのに。」と平謝り。
2006年
2006年1月13日(金)
団体で車で旅行している。
ちゅんはヘリコプターを持っている。
ヘリは、バンの車に積んで停車する。
停車中のバンの後方のドアを大きく開け
ヘリをその入り口から車の中に入れて、内側からその車と一体化させる。
ヘリをパドリングさせながらゆっくり車の奥へ車と接触しないように移動してゆくには
ヘリのドライビングテクニックを必要とする。
ピッタリ入ったら、ヘリをパドリングさせながらヘリの窓と車の窓を開け
外にある駐車場の開閉扉のスイッチを入れなくてはならない。
相当な高等技術だ。
2回目の時、窓を開ける所まで来た時、ヘリのガソリンが切れそうであることに気が付く。
その時、すさまじい警報が鳴って「直ちに脱出してください!」というアナウンスが流れた。
ヘリのプロペラが止まりかけるが、ガス欠でも車の中なので墜落はしない。
あのすさまじい警報は上空でのガス欠を想定したものなのだろう。
ヘリってあんな警報機能がついているんだ。
ヘリは車の中で止まった。
俺は外に出て、緊張のあまりへたり込んだ。
皆が心配そうに寄ってくる。
2006年4月21日(木)
地方の文化会館みたいな施設での演奏。
建物はコンクリート打ちっぱなしみたいなモダンな建物。
広い公園のようなところにぽつんと立っている。
メンバーは僕のピアノに歌が3,4人というもの。
体育館のようなスペースで演奏している。お客様はいない。
主催者の一団が様子を見に来る。使用料は安く、それを払えば自由だ。
練習みたいになっちゃった。
会場に戻ったら、歌の子の一人がピアノを弾いて、皆思い思いに歌っていた。
翌朝、どこかの家。
親戚(父と義兄と思われる)が、今届いたような濃紺メタリックなオーディオ機器をいじっている。
「ハーミットって知っているか?」と聴かれた。わからない。
ハーミットとは極々少数の人がかかる病気かなにかで、国から莫大ななにかを一生購入しつづけなければならなくなる。それで、ハーミットになってしまった方の所に粗品が届くらしい。「あ、ラジオもついている。」とはしゃいでいる。そんなのってあるのか、こんどネットで検索してみよう。
階下に下りた。朝食中。この中の誰がハーミットなのかなあ??
{ハーミットを翌日ネットで調べました。
hermitとは隠修士; 隠者、ヤドカリ(hermitClub}という意味でした。
隠者:俗世間との交わりを絶ち、修行あるいは自適の生活を送っている人。
です。こんな言葉、この夢を見るまで知りませんでした。不思議だ。}
2006年4月27日
銀行のようなオフィスのようなところ、端末が並んでいる。投資の相談をするような場所。そこでパソコンの端末から、すごい勢いで投資をしている。ディーラとテレビ電話のようなチャットのようなシステムでお互いの金額のメモを見ながらやりとりして金をうごかしている。凄い、今はシステムが進んでいるんだなあと思う。短時間のうちにすごく儲かってしまい、周囲のねたみをかう。オフィスを出る時、ここに来ているほかのお客様から、どの商品を買ったらいいか等、投資の相談を受ける。
外に出ても1組の夫婦が歩きながら相談をして来て、奥さんの方が、だんなに投資金額が少ないからだめなのだと怒っている。カリカリしながら道を歩いていたので、通りがかりの家のレンガ張りの小道に置いてあった鉢植えをひっくり返してしまう。
2006年5月19日(金)
友人達とゲームに参加する。
ビルの中に隠されてるゴールを掘り当てることを競うゲーム。
各々、ビルを壊すツールを担いで楽しそう。
ツールは大きな羽子板のような、両刃ののこぎりのような、
でのこぎりの歯がついている鉄板の部分が大きく、
そこにいろいろな機能がついているような道具で、
このゲームのために開発されたものらしく、
皆様それぞれいろんなメーカの自慢の道具を持っていた。
ビルは鉄筋の5階建てマンションのような廃墟ビル。
皆、埃まみれのビルの中で、思い思いに、床や壁を壊しにかかっている。
俺は、付き合いで来ていてツールも持っていない。
どこが面白いのだかわからないが、みな楽しそうだ。
僕を誘ってくれた友人は、早速壊しにかかったら、
ツールが柄のところでポッキリ折れてしまった。
ありゃりゃ。
2006年6月3日(土)
電車の最後部あたりに乗っている。
押してくる男がいるので避けたら、ぼくの次の女性のことも押して行く。
彼女も避けたら、電車の車掌室脇の最後部のドアを開けて、
ふざけて電車の外に出ようとする。
男は「あついから」とか言いながら電車にぶらさがっている。
車掌はわりと冷静で、その男と世間話するような感じで、
あまり厳格に注意をしない。驚いた。
この、電車には、最後部に運転手と同じ操縦桿がある。
これは、触ってはいけない物だが、
これに手を触れた。停止位置がずれたりした。
僕は注意書きを指差し、ここに書いてある事わかりますか?
と男にイライラしながら質問するが、男はよくわからないといった様子。
おもしろがって、装置を操作している。
車掌もあまりまじめに注意しない。
だれも止めようとしない。電車の動きは乱れた。
おどろいた。怖かった。
終着駅で、係員が対応に来たので、俺は
お客の安全をどー思っているんだ。まったくどーなってんだ。
と怒った。
家の近くでバスの停留所まで4人くらいで歩いている。
僕以外の2人をバス停まで案内するため。
道の脇にちょっとした芝生の広場があり、多分その奥にある豪邸の敷地と思われる。
僕たちはその広場を横切って、豪邸の方へ行ってみた。
豪邸と広場の間には溝が掘ってあり、その溝の中に、象くらいの大きさの、大きな水牛が横たわっていた。
きっと、ここのお金持ちが金にまかせて飼っているのかな。
水牛の角はぐるっと渦巻いている。側溝から出てきたら大変。
と思っていると、水牛は側溝を乗り越えて、外の芝生に出ていた。
至近距離にいる、恐竜のような水牛。怖くて僕は腹這いになりじっとしていた。
水牛は自分で「さー大変、僕、外にでちゃいました。実は外に出られるのね。」
とか、ノーテンキに独り言を言っている。
なんとか、この芝生の広場から道まで、そーっと気づかれないように移動しようとする。
水牛は「僕たち水牛はxxというxx器官で、獲物の存在を察知するのれす。」
とか、図鑑に書いてあるようなことを、独り言で言っている。
僕は「やべーそのXX器官に察知されないようにしなきゃ。」
とか思いつつ、歩腹前進しながら、道まで逃げようとする。
気がついて見渡すと、この芝生の広場には、他にも恐竜がのそのそいる。
俺はじわじわ道の方へ進んで、途中から思い切って走ろうかとも思うが、
怖くて決断できない。
冷や汗たらたら、必死で道までたどり着いた。
あんな危ない物飼ってていいのか?
まったく日本はどうなってんだ!
2006年7月10日
大きな病院で、医師2人に問診を受けている。
首のあたりをいろいろ動かして「どうですか?」って聞かれる。
ある角度の時に右手にすごいシビレを感じ、報告した。医師は「やっぱりな」って雰囲気。
その後別の診察に移るため移動する。
途中、女子高生の見学ツアーかなんかの団体に巻き込まれる。
次の場所へ行くのにずいぶんと遠回りをしている感じがする。ビルの外側を通っている。
で、次の診察所についた。
広い体育館のようなところに机がたくさん並べられて診察のようなカウンセリングのようなことが行われている。
僕の担当医師2人は、ぜんぜんやる気がない感じ。
近づいてきたインターンと世間話をしている。
外を見ると、なんとなく日本ではない感じ。
ここはどこですか?って聞くと「ロス」と医師はそんなことも知らないのかって感じで答えた。
この病院は時が止まっているようだ。
医師は僕に対して、まるで子供を扱うような態度だ。
彼らの優しさは、精神異常者を扱うような態度だ。
もしかして俺。そんなはずはない。
医師の話を聞くと、僕はもうこの病院に6年間も入院しているらしい。
そんな記憶はなかったのでびっくりした。
俺はやっぱり精神病なのだろうか。
突然、残してきた自分の生活のことが心配になり聞いてみた。
そのことは心配ないと医師は言った。
2006年8月9日(水)
ライバル会社は同族会社なのだが、この会社がカルト宗教集団化していることをテレビが報じていた。
総御影石作りの総本山を建設中なのだ。
山道を歩いていて、行きなれた近道にY字路を右へ入った。いつもと感じが違う。
道の先は行き止まりのようで、建築物が見える。これがテレビで報じていた総本山。
おれはこのカルト集団の場所に紛れ込んだようだ。
道の電柱の上にあるスピーカからは、変な音が出ていて、
頭の中をかき回し洗脳するような音波が出ていた。
引き返すことにした。Y字路の分かれ目には川が流れていて川の水かさが増して、
飛び石が水面下となり川を渡れない仕掛けになっていた。
しかし、川の水は海の波のように寄せては返すので、水が引いた時に飛び石が露出する。
その隙に、川をなんとか渡った。
周辺は観光地のようでもあり、カップルなどに賑わっている。
さっきの渡れなくなる川もスリリングなアトラクションと言えば言えなくも無い。
この楽しい雰囲気に隠れて、カルト集団が暗躍しているのだろうか。
2006年11月1日(水)
大きなマンションのガラス張りのエレベータ。
軌道を逸脱して町を走り出す。バスみたいになって暴走。
通行人を一人はねる。ドンと鈍い音がして、人の首がエレベータ内に落ちてきた。
ひえーー大変。怖いからエレベータを降りて、マンションに帰った。
2006年11月20日(月)
家に親類たちが遊びに来ている。
俺の家だけど、変わった家。一部屋ずつ独立している感じ。
一人一人がお互い干渉せずに暮らせる作りになっている。
その、間取りを説明されてなるほどと思った。
部屋ひとつひとつに調理施設がある。
駐車場にかっこいいスポーツカーが止ってた。
さとしちゃんの車。ボンネットが長く、車高が低く、
バックが極端に無くて、シートの後ろがすぐ平らになっている。
小型なので小回りがきく感じだった。
ちゅんの部屋にご飯がたけたので、食事しようと思ったら、
子供達がそろそろ帰ると言うので、タイミング悪いなと思った。
2006年11月22日(水)(1)
エスニック風の建物の中で夜中にライブが行われているのを見る。
ライブはあまり面白くなかった。
そのまま、その家で皆と寝てしまう。
布団の中で、ごそごそ楽しい。
トイレに行きたくなった。
トイレの近くの部屋で、こんな夜中にいそブ〜(b)がピアノの練習していた。
この家の主はその横の机で幸せそうに調べ物をしていた。
ゼベットじいさんのように優しそうな店主は僕に気が付いて、
いそブ〜に「トイレに案内してあげなさい。」とめがねを下げて言った。
トイレに案内してくれた。
スリッパがエスニック風のかかとが調短いスリッパだった。
つま先立ってはかなきゃなんない。
【トイレに行きたくて目が覚めた】
2006年11月22日(水)(2)
和製青春映画風の夢だった。
下北沢でくりひろげられるミュージシャンの物語。
人生の意味を求めて悩む主人公。でもコメディ風。
ジャズフェスに出演するため下北沢の町に行った。
下北では最近、下北カエルというキャラが流行っている。
透明なビニールのボールのような素材で出来た、
手のひらに載る軟式テニスボールくらいの大きさ柔らかさ。
胴体は緑やピンクのカラフルな原色で腹は白の2色ずり、半透明で柔らかい。
町はいたるところにいろんな色の下北カエルが溢れている。
僕達の出番は3番目。時間があるのでなじみの店に行く。
コンサートは駅構内で行われていて大混雑。
人を掻き分けてお店へ行く。
タバコの煙、木目調の店内。キサクな店主。
葉巻が無いことに気が付いて、
どこかに葉巻売っている店はないかたずねる。ちっと遠い。
「駅の反対側だね。」というと、
「下北沢は線路が交差しているから、反対側がどっち側かはっきりしないね。」
といわれた。なんとなく知っている場所だった。店の店主はレトロなマッチをくれた。
マッチを持って、駅の人を掻き分けて、葉巻を買いに向かった。
小さな踏切を渡ると、噴水のある広場があり、その先に丸く商店があり、
何本かの道が放射状に道が広がっている商店街。
そこは、懐かしい場所だった。
葉巻はなかったが、その代わりに大切な本を渡された。
辞書のように厚い本。俺の人生の全ての答えが書いてある本だ。「勉強せーよ。」
すっかり、時間がたってしまって、本をかかえて、あわててコンサート会場へ走る。
会場である駅にはだれもいなくなっていて、
広い会場に机が1つ置いてあって、相棒が1人寂しそうに座っていた。
皆、帰ったのか?終ったのか?
「なんのために演奏するんだよ。おれは一人でもやるよ。」って相棒に言った。
親切な駅員さんと、仲間が出てきた。
お土産に、大きなビニール袋(ゴミ袋みたいな物で、中に黄色いダンボールのようなものが入っている。)と、
それよりちょっと小さいビニール袋で白い粉が入っている袋をくれた。
「白い粉を、大きなビニール袋のほうに入れて、水を入れなさい。」
といわれた。皆で言われたとおりにした。
駅構内で水を入れるための蛇口を探す。
立派なヨーロッパ調の水呑み場みたいなのがあって、水をなみなみと袋に注いだ。
なにも起こらなかった。
しばらく席をはずし、戻ってみると、友人は、その水を風呂桶にあけて、
行水していた。おれは、なんてことするんだと思った。
その時、水面に次々にぷかぷかとあの下北カエルが浮いてきた。
あの粉から下北カエルが生まれることを知ったとき、
おれは、人生のすべてを悟ることが出来た気がした。
2006年12月16日(土)
怖かった。
突然家の前に大型トラック?大型バスが3台止まった。すごいエンジン音が止まる。
うちは田舎の一軒家で、家から離れた所に作業場がある。
トラックの中から出て来たのは5、60人の老若男女、家族の集団。
ほとんどがおじさん、おばさんや子供もいる。
皆、友好的な感じ、最初外でうちの子供(夢では小学生くらい)と遊んでいる。
子供は団体の子供達とすっかり仲良しになってしまった。
子供が遊びから帰ってきた。
心の中で、絶対に家に入れないようにしなくてはと思う。
玄関を開けっ放しにして話しているので、気が気ではない。
僕は、穏便に子供を家に入れて戸をしめようとする。
団体はなんとか家にあがりたい感じ。
皆、気さくにちゅんにはなしかけてくる。中に長老のような方もいる。
どっか場所を借りたいというので作業場を使ってもらう。
中の一人が、この団体はタイムマシンで旅していると言い出した。
あの3台のトラックはタイムマシンらしい。未来を知っているという。
皆、作業場に移動した。なかなか帰らない。
「いつごろ出発ですか?」「未来がわかるなら、いつ出発するかわかるでしょう?」
と聴いても、「なに、言ってるんだ」って感じで、のらりくらりと話をかわされる。
なにをされるわけでもないので、警察に連絡するのもおかしい。
友好的だし。なにかを企んでいる怪しい団体。
ちゅんは、用があり車ででかけた。家に戻ると、この家族集団はうちで飯を食っていた。
これはやばいっしょ。男たちはどうぞどうぞ食べませんか?
と自分の家のように僕を招き入れた。
ちゅんの家族がいない。家族は?と聴くと、
どこかへ言ったと、のらりくらりと質問をかわされた。
そんなこと、どうでもいいじゃないですかって感じ。
私たちの仲間に入って幸せにくらしましょうという、
優しくも、強制的な雰囲気。
もうこれはヤバイと思い。携帯を持ってとりあえず車に戻ろうと思っている。
それも、あやしまれないように。
「警察に相談しなきゃ」
2006年12月23日(土)
海の近くの町に来ている。
町を見学。案内してもらっている。
小さな湾があり、水がすごく奇麗だ。
そこで子供たちと泳いでいる。案内人は「これは幻想です」と説明したけど、
五感に感じる、この感じは、とても幻想とは思えない。
場面変わってまたまた海の近くの町に来ている。
小さな湾があり、水がすごく汚い。黒い油が浮いていて、泡も浮いている。
町の人に、町のライフラインについての説明を受けている。
僕は「海を奇麗に掃除するべきだ」と言う。
町の人は「工場がなくならないかぎり掃除しても無駄だ」という、
僕は「汚れはじょじょに蓄積するので、いちど完璧に掃除すればしばらくは奇麗な海になる」
と言った。これはさっき奇麗な海で得た知識だった。
ファッショナブルな雑貨土産物屋に入った。
とても気になる奇麗なグッズ(カードだったような)を見つけ複数購入した。
店員の男は「6月生まれですか?」と聴いた。「いいえ、なぜ?」
「このシンボルはイラロッタと言って6月生まれの人のシンボルです。その意味はxxです。」
と言った。「これはエグザイル、これはゼータです。」
エグサイルはエックスの形、ゼータはゼットの形のジュエリーだった。
5月生まれということを告げると「5月はこれ、その意味は封印です。」
自分の月の意味が「封印」ってのが気に入らなかったが、その時自分に封印の力が芽生える。
このことを説明してくれた店員さんは、
名探偵コナンを悪魔にしたような目がギョロっとした気味の悪い男だった。
彼の額に俺の指をゆっくり近づけるにつれ、彼はどんどん封印されていった。
封印とは実在の彼がだんだん絵になって行くことだった。
彼はじっとしていた。
おれはこの現象に驚いて、この夢を記録しなければと思う。
店員さんにメモ用紙と鉛筆はないか訪ねる。
でも、これは夢だからここで書いてもメモを持って帰れない。
このメモをとっている今俺はもう起きているのだろうか?
今は夢なのか現実なのか
もう一人の店員が、「内容を言葉で言って、これに録音してあげるよ」
と言った。これは面白い方法だと思った。
しかし俺はもう起きているのだろうか?
2007年
2007年4月9日(月)
友人が家に泊まった。
家は大所帯。翌朝友人は歯が腫れてしまって痛いと相談してきた。
どうにかしなきゃ。とりあえず病院に電話したいけど。
この家の電話がどこにあるのか見当たらない。
母に相談しようと思った時、
母は身障者で車椅子生活。会話もままならないことを思い出す。
とても、不安で悲しい気持ちになった。
その時、元気な母が現われて、友人を電話の所へ案内して行った。
俺の記憶違いだったのかな。
母の体は全体的にボーっと光っていた。
奇跡?神様?
2007年4月24日(火)
過激なバラエティ番組を見ている。
素人アイドルにヘリコプターの操縦を教えて、ヘリで目的地へ行くという企画。
面白そう。
そうしたら番組中に、あきらかにヘリはビルにぶつかり墜落しかかっている。
救助に向かったスタッフがヘリに乗り移ろうとぶら下がっている。
大丈夫なのか?マジで。
2007年5月21日(月)
ワンダーランドで飲んでいる。
明日から、お店の仲間で旅行に行くらしい。
お店の片付け手伝っている。
ごはんをざるにあけて水を白い陶器の洗面器にうける作業をしていたら、
ざる無しでごはんをあけてしまい白い陶器の洗面器にごはんが落ちてしまった。
このごはんを捨てる場所がなくてこまった。
マスターは、明日から旅行なのに、
こんなことされたら、店の片付けに時間がかかってしまうと不機嫌。
会計をすると16000円と法外に高いこといわれ困惑。
先日行った旅行の代金も込みだという話。
そういえばちゅんさん旅行に参加したほのかな記憶が。
財布をひらいたら、とても足りない。
「そんなに持ってないよ・・まって」
財布かき集めたら15000円あった。
足りないな・・・
2007年6月24日(日)
ヴォーカルの歌織ちゃんとの会話の中で、
ついウッカリちゅんが「なぁ、かおりぃ。」と気安く呼び捨てに名前を呼んでしまったら、
次の瞬間歌織ちゃんが豹変。烈火の如く怒り出し、ちゅんのむなぐらつかみそうな勢い。
びっくりした。
親しき仲にも礼儀ありだなと思った。
2007年8月5日(日)
広い駐車場のような広場。
そこに置かれたユニットバスの中で寝ている。
バスにはお湯が張られ、それに浸かって寝ている。
時々、お湯がぬるくなって目がさめる。
お湯は自動的にあたためられているようにも思われる。
出口ドア付近に4つのボタンが縦に並んでいて、
これが温度調節のボタンのようでもあるが、
よく解らないし、わざわざ立ち上がって押す気にはならない。
で、しばらくぬるいのを我慢して寝ていると、
じきになんとなく暖かくなって来る気がした。
すっかり眠ってしまったが物音で目がさめた。
水道工事屋さんのような人が、
ユニットバスの壁を分解して中を覗いていた。
これは、捨ててあるものだから、
勝手にこの中で寝ていてはいけないのかもしれない。
あ、あの、どうも、、(汗)
2007年9月11日(火)
価格表示が不明確な飲食店で大人食いした。
まあ、いくら食っても大した額にはならない感じ。
請求書は60万円だった!
いくらなんでも高すぎじゃないの?
請求額がマジで払えない場合ってのはどうしたらいいんでしょうね。
2007年11月13日(火)
遠く京都か大阪あたりでのライブ。
前呑みの店探して、久しぶりの路地をうろうろ。
たしかこの角に黄色いテント作りの良い店があったんだけど、
そこは空き地になっていた。
で、ライブハウスへ。
ウッディなとても暖かい店。
この店が大好きといった常連さんがいます。
道からちょっと外階段を上ったところにある。
わりとガラス張りの店。
お店は家族で経営している感じで子供もいる。
天使の歌とデュオ。
ライブはFMで流しているみたいだったけど、
途中天使の歌があまりにもセクシー過ぎて、
放送コードにひっかかったらしく一部歌だけ出なくなった。
休憩もお客様と和やか、赤いキャップがついたカップ焼酎を皆飲んでいる。
チュンもいただいたけど、これメチャ美味しい。
安っぽい気がしていたがアナドレナイと思った。
料理とかも、凝っていて心がこもっている感じだった。
ライブ終了で皆帰り、気が付けば朝になっていた。
気が付けば、スタッフ以外はちゅん一人になっていた。
なんか、迷惑かけているみたいなので帰り支度。
ナニゲに方つけていない昨日のグラスをよく見ると、
中にメダカが泳いでいた。他のグラスにも皆メダカが泳いでいる。
メダカの出汁が出て、んまかったのかなあ。隠し味????
おたまじゃくしもいた。ホントかよ??
どうやって帰ろうかな。
面倒だから駅までタクシー呼んでもらおう。
2007年12月3日(月)
野外のコンサートみたいな感じ。
プールサイドに有るような、
白いプラスチックのイスとテーブルが置いてある会場。
コンテストなのでプチ緊張。
歌の入ったバンドで演奏はタジタジだった。
曲はラップユアトラボーだったけど、
なんだか最初はキーが違う風。
頭から入るのかと思えば、なかなか歌入ってくれず、
入ってきたらサビだったりと、
もう、散々な演奏。終了後は落胆。
メンバーと暗い反省会でした。
2008年
2008年2月16日(土)
修学旅行で京都に来ている。
団体行動から自由行動になる時、集団からはぐれていることに気づく。
競技場のような広場の所。
クラスの若槻千夏風のちょとアウトローな女の子がちゅんを呼ぶ。
二人で京都見物するの。
彼女が事務局をおしえてくれてので、報告に。
彼女はクラスにバレないようにどこかに隠れている。
事務局で6時には宿で食事に合流するように指示される。
で合流して、京都見物出発。しばらくすると、携帯が自分のものではなく、
見た事も無い携帯であることに気づく。
また、靴を脱いで入る和風サロン、音楽練習スタジオ?を出た後、
靴をはいていない事に気づく。
最初サロンに戻って靴をさがすが無い。
二人のデートはちゅんの靴を買うためのものになってしまった。
恐縮しごく。
靴屋をまわるが全然良い靴が無い。
イケメン店員さんが、勧めてくれたかなり変わった靴は、
四角いサラの上に鼻緒がついたビーチサンダル風。
その後、みせてくれた革の靴はなかなかよかったけど、
つま先が無く、ズンドウなブーツなため、
ズボンがまくれ上がってしまう。
靴なんぞ、ないならないでもいいっすから、と言うちゅんに、
店員はあきれ顔。
ときおり、携帯が動くが、どう操作してよいのやらわからない。
緊急時の操作のしかたの指示がでてその通りやったけど、
どうなったのかわからない。
すごく、ちゅうとはんぱ。
彼女が機嫌を損ねるようなことはなかったが、
災難続きでデートはだいなし。
2008年3月24日(月)
家族で引っ越すことになった。
引越し先は古びた木造の民家。2階建てで広い。
他の親族家族も同居することになり、難民状態。
二階のある区画が、家のエリアになる。
そこらへん、どの部屋をどうする。
寝室は何処だ、トイレは何処だと大騒ぎ。
いろいろ問題も多いのだが、皆で夕食の時、
親戚でない友人のおじさんが、親切に話を聞いてくれた。
で、寝ようということになり、寝室を確保。
布団がもう一つ敷いてある。
あのおじさんは結局泊まることになったらしい。
それはちょっとな〜。
夜トイレから迷わず帰ってこれるかどうかが不安。
そうこうしているうちに、下では別家族が、
昔のビデオ皆で見てて、盛り上がったらしく、
外に遊びに行こうと誘われた。
けっきょく外出することに、
明日、起きられるかなあ。
2008年7月3日(水)
母に会いに京都へ行った。
母は京都のマンションに一人で住んでいた。
髪の毛も黒くてとっても元気で若い。
友人が来ていたが、車で来たのでお金がかかったと、
彼の性格からは信じられないことだが、暗にお金を要求していた。
母は気が付かないふりをして聞き流していた。
友人は車で帰っていった。
ちゅんは、道がわからないのだけれど、
ここからどうやって帰ろうかなあと思っている。
その日、そのマンションで夕食。
畳の部屋の真中の細長い掘りごたつのようなところに、
テーブルを作った。
もう、帰らなくちゃならない。
別れるのが寂しいと、正直にちゅんが言うと、
母は「しょうがないでしょ」と
優しく、手を握ってうなずいた。
涙が流れた。
2008年8月27日(水)
親戚の家。どう行くんだっけな。
電車の変な乗り換え駅で、帰れなくなった。
ルート調べたら、電車だとえらく遠回り。
知らない人数人でタクシーに相乗りして移動。
またまた、へんな所に着いた。
海岸、海の方へ歩いてゆくと、
突然大波が来て、そこらじゅう水だらけ、
湖の孤立した岩に独り取り残された感じになった。
水はエメラルドグリーンで、信じられないくらい綺麗な光景。
岩を飛び石して陸地を目指すが、遠くてとても無理。
その時、同じような境遇の人に遭遇。
彼が指し示す方を見ると、高い岩があって、
そこで倒れた木が橋のようになって陸地に繋がっていた。
その岩を登り、木の橋をこわごわ渡る。
眼下の海というか湖は本当に綺麗。
2008年9月24日(水)
イヴェントの仕事。
広いアミューズメント施設の駐車場でライブ。
バンドはヴェテラン揃い。水野さんというエレキベーシストがリーダ。
皆穏やかそうな方々。
ライブは順調だったが、難しそうな観音開きの譜面を渡される。
めちゃ難しい曲で、
チェンジがどうなってるのか、譜割がどうなってるのかタジタジ。
ソロがどこから始まったかわからず。つまずく。
皆これ出来るのが当然って雰囲気。
穏やかだけど厳しい空気。「君とこれやるには、リハいるね。」
ソロスタートのところ聞くと、一応合っていたが、
譜面通りやっても全然サウンドしない。
そうこうするうちに、駐車場には車を入れることになり、
ステージを移動することになった。
機材を移動する。
いつのまにか、僕の車と機材がなくなっている。
移動先のステージにちゅんのきーボードは無く、
もう、今日はやらなくて良いと説明された。
「君はこの10年間何も練習していないピアニストだ。」と言われた。
厳しいなー。
ベーシストのエレベーは特殊な作りで、
右手の脇にコードが爪弾ける別の弦が張ってあった。
このベース使えばコード楽器は要らないってことかな。
でキーボードと車を探す
リーダも一緒に探してくれた。
キーボード関係の機材は、
駐車場の脇に無造作に寄せてあった。
ここらへん一帯は大きな楽器屋らしく、いろんな機材が倉庫のようなお店に、
沢山置いてあった。
リーダは演奏に戻る。
一人になった。車が見つからない。
場内はフォークリフトが走り回ってて、
さっき車を移動するのにフォークを使っていた。
僕の車もどこかに持って行かれたのかなあ。
係りの人を呼び止めて聴いても分からない。
ギャラとかどうなるのかなあ。
帰っていいのかなあ。
僕は途方にくれている。
2008年10月2日(木)
イヴェント会場、野球場グラウンド規模。
トイレへ行きたくなり、施設のトイレは遠そうなので、
近くの幼稚園のようなところで借りることにする。
屋台、出店が並ぶ道を、人を掻き分け通って幼稚園へ。
トイレを借りて用を足す。
このトイレも奇妙だった。
高い所にあるプールのような水槽に向かって用をたした。
その後、幼稚園のグラウンド脇にある蛇口で手を洗う。
水を出すと、水は普通に出ながら、
水の周り、蛇口のところからガスコンロのような青い炎が出て、
蛇口まわりは青い炎に包まれた。
びっくり!炎はどうしても消えない。火事の危険がある。
僕は幼稚園の用務員さん?設備屋さん?のような方を呼んだ。
彼は、この件をそんなに重大とは考えていない感じでとてもイライラした。
別の蛇口をひねっても炎が出た。
「夜水を出して火事になったらどうするんですか?
ほっておいたら危ないですよ!」
と一方的に問題意識のない設備屋さんに話す。
そこを後にして、イヴェントもおわったのか家に帰る。
途中の道に、人が全裸で寝転んでいる。体はロウのような感じ。
横の学校のグラウンドにもいろいろポーズとって横たわっていた。
道路に横たわっている人は上を車が通ったりしているが、
黒い車よけがついていて体の上を通れるようになっているのかな。
大駱駝鑑のアングラパフォーマンスのようだった。
一緒にいた父が、
この界隈は危ないから早く帰ろう、と言った。
ちょと恐かった。
2008年10月20日(日)
家に帰ると。家が騒がしい。
親戚一同集まってて、警察がきている。
いとこが飛行機に乗り遅れそうなので、
緊急事態としてパトカーで空港に送ってもらうそうだ。
すごい、要人なの?
ピアノの鍵盤の機構のところのシャフトが、
竹を束ねたようになっていて、明らかに長いので、
はさみで切った。元に戻したけど、
大丈夫なのかな?
太もものところから、細長く髪の毛の束が生えてしまった。
直径1cmくらいの束が3,4つ。
なにこれ?
根本からはさみでばっさり切ることにした。
2008年10月24日(金)
海外の珍しい番組を紹介するTVを見ている。
サイくらいの大きさの草原に住む珍しい動物。
交尾の時に不思議な音が出るのだ。
それを再現する。
この動物の生殖器が露骨にTVに映った時は、
いいのかなあ、と思った。
金属のミサイルのような先端に、ちょっと空気候のような穴があいている。
ここに、なにかを塗ると音が出やすいらしく。塗っていた。
で、草原に放す。
オスはメスに近づくが脇を通り過ぎてしまった。
スタジオのパネラー達は、落胆の様子。
その後、オスが気が付いて、引き返し、見事合体。
面白い音が出た時は、スタジオ中、大受け。
って、番組を見ている。
2008年11月7日(金)
場所は、昔の家の僕の部屋。
ソーラ電池パネルの組立てキットが僕の部屋に届いていた。
組立て式の本棚のように板状のダンボールやら、
四角い部品が入ったダンボールやら。
値段を見たら10万円弱。
たしかネットで眺めてて、買っちゃおうかなとは思っていたが、
購入操作までした覚えはない。
でも、まあいいか。ちょっとほしかったし。
ダンボールの梱包を解く。
ガラスチューブに液体が入ったようなものがあった。
僕はガラスチューブの液体を捨てたが、これ捨てちゃいけないのかな。
もう設置するつもりで、ベランダに続くサッシを開けた。
雨降ってるじゃん。今日はやめとこう。
で、肝心のソーラパネルはどれかな、と思っていると。
別の板状のダンボールの包みがあった。
開けてみると、ソーラパネルが入ってました。
ガラスが雲母みたいで、ちょと壊れやすそう。
気をつけなくちゃ。
2008年11月25日(金)
「ボイワンテ」
料理の名前。子牛のワイン煮込みのような料理。
2008年12月3日(水)
なにかがあったのか、街は静かだ。
自宅前にやっと、帰ってきた。
前の家は、ドアーからネジが外れたのか、
ドアーがネジの穴だらけになっていた。
自分の家は、ドアーが空いていて中はまっくらだ。
ドアーを開けて入るのに勇気がいる。
恐いな、どうしようかな。
2009年
2009年1月2日(金)
コンサートの前。
新しい曲の打ち合わせをしている。
客席に行くと、
コンサート会場に母が来ているのを突然発見した。
こんな所に来る人じゃないので、
とても嬉しかった。
心の中で「ありがとう」って言った。
姉達も一緒だということに気が付く。
その時、母は車椅子に座っていた。
ちゅんは母の片をさすり、
「具合はどう?」って聞いた。
母は嬉しそうに話をした。
そんな時に気が付く。
母はもう死んだんだ。
悲しみが込み上げてきた。
2009年1月17日(土)
伝書バトを実習用に登録する。
もがく鳩をそっと両手でつかんで持って行く。
教官に渡すと、鬼のようにイジワルな教官は、
やっとの思いで持ってきたのに、
鳩の首輪をもぎ取って、首をへし折って殺してしまった。
ほんとうにビックリした。
校長に相談し、新しい鳩を登録しに行く。
もがく鳩、持ちにくいが、両手で持って、
新たな登録場所へ歩いて行く。
あまりにもがく鳩。
途中から鳩が喋り出し、
最初は??だったがビックリした。
その後普通に鳩と話をした。
2009年1月20日(火)
以前ライブに来てくれた方が本屋さんで、倒産寸前。
何故かその事務所にいて整理を手伝っている。
従業員一同本の山に囲まれて途方にくれている。
やる気ない感じ。
どこかに、電話をしなければならないらしく、
その電話の相手に相当無理な頼みごとと、
謝罪をしなければならない様子。
ちゅんに電話するように頼まれる。
電話番号を聞き、電話する。
この電話に出た人も、
以前ライブの時に来てくれた人だった。
会話は和やかになった。
この縁でなんとかならないかな。
2009年2月26日(木)
駅で降りて、すごい人。
ここでタクシー拾ってゆかないと。
丁度よくタクシーが来た。
黄色いアメリカンキャブなキャデラック風。
乗ろうとしたら、運転手はアメリカンな女性で、
その隣に別のえーカッコシーの男が座っている。
スポーツカータイプで席は無いが、
むりやり男の隣の隙間に乗り込んで、出発。
とても窮屈で全然身動き取れない体制。
この運転がすごい。とても小さな山道に突っ込み、
先が行き止まりと知るや、不可能なUターンしたり。
ビックリ。
{で、もーー身動き取れなくて、
このままじゃ耐えられない限界、どーしょって時に、
その姿勢のままベットで目が覚めました。}
2009年8月7日(金)
コンサート会場のようなスタジオのようなところ。
ノンジャンルでロック系の人もいる。
オルガンの達人がいた。
オルガンの音チョーキングで上がってゆく音に合わせて、
シャウトしながらはじまる歌が凄くかっこよかった。
音程とそのグラインドがぴったり合ってた。
オルガンの達人は、
オルガンはその構造上非常に頑丈にできているところが好きという。
たとえばこのキーボードの部分の構造。絶対に壊れない。
と説明しながらステージの上から客席にオルガンを落として見せた。
本当だ、壊れない。
オルガンの鍵盤調整をするところを見せてくれた。
白い糸をオルガンのキー一つ一つに巻きつけながら、
高音側へ移動し、全部のキーに巻きついたところで、
逆に糸をするすると引っ張って抜いてゆく、
そうすると鍵盤が綺麗にそろって並んで行く。
なるほどね。
初めて見た。
2009年9月14日(月)
会社の事務所。
だんだん新しい人が配属になってきて、
机を並べ替える。
机は円陣を組むように並べられていて、
人が増えるにしたがって円が大きくなった。
あの人もこの人も皆、この部署にやってきた。
俺の居場所がだんだん手狭になり。
どっかに行って戻ってきたら、
俺の机がなくなってた。
どーなんてんの?
2009年9月30日(月)
コンサート。
ローストビーフ鎌倉山のように綺麗なところ。
芝生の上に立っている一軒家が会場。空は秋晴れの青空。
奥のトイレ、便器が縦になってておどろいたが、修理中らしく、
隣に別の便器があった。広いトイレ。
ピアノソロでなにげなく弾き始めた曲が綺麗だった。
休憩中お客様がどんどん集まって来た。
これは楽しくなりそう。
2010年
2010年3月22日(月)
家で集団生活している。
プライバシーもなにもない。
2010年3月29日(月)
朝、なにやら外が騒がしい。
家の外で車がすれ違えずにトラブッテいる。
縁石に乗り上げてしまった車を、
かなり無理やり持ち上げてなんとかなったが車は傷ついたみたい。
その車は、末一?とかいう会社の車で、
その社員社員が、家におしかけ事故の原因はこの家の立ち方がおかしい
と詰め寄る。
家のつくりは現実のものとちがっているが、
建築基準法にてらして違反していなければ非はないのではないかな、
でも、勝手に家に上がってくるその方々の対応に追われる。
朝のいそがしい時期とても困った話。
ふと時計みると、もう遅刻しちゃいそうな時間。
{目が覚めてホッとした。}
2010年4月26日(月)
会社で若いころ世話になった上司T。
今は、国外でどうなっているかよくわからない。
その方が久しぶりに顔を出したらしい。
僕は聞いてなくて、悲しい。
帰り道で角を曲がると、隣を歩いているグループが、
Tを交えたメンバーでU女子などもいた。
僕が気まずくて、しらないふりをする。
その後、気がつくとTが僕の隣にいて、
いろいろな話をした。
昔の誤解を解くような話も出来た。
{夢から覚めて、手紙でも書こうかなって心境になった}
2010年5月10日(月)
緑が多い広い庭に、桑田ケイスケと一緒にいる。
彼は親友だ。これから冒険にでかけるに際して乗ってゆく車を選んでいる。
金持ちだから車もいろんなの持っている。
俺って桑田と友達なんだ。皆がそれを知ったらどう思うかな。
出てきた車は、ちょっと重装備すぎる3台くらい連結した軍用車。
ちょっと運転しずらいかも。
5階のビルの屋上で中心にロープを固定して、
そのロープのはじを持ってグルグル走って回っている。
足踏み外して下に落ちたら大変だ、
ここは5階であることを忘れていた。
大学の友人、福留徹也も一緒だった。
桑田は福留でもあった。
2010年6月9日(水)
俺は孤島に住んでいる。
海岸っぷちを加藤さんとドライブしている。
もう夕方だ。海がすごく荒れている。
「この分だと、今日は帰れないですね。
家に泊まって行ってくだささい。」
ってことで天使部屋に加藤さんと二人。
外は嵐、静かな部屋で世間話している。
2010年6月14日(月)
夜、地元に帰ってきた。友達を送る。
友達の家は乗泉寺。
そこから引き返して自宅へ。
自宅の角に来たが、様子が違う。家が無い。
道を間違えたかなと、うろうろするが、
やっぱり場所的には合っている。
全然違う建物が建っている。
中のお店の一つが家なのかなあ。
凄く困って、途方にくれている。
2010年6月16日(水)
ライブステージのあっちとこっちで違うバンドが、
並んで同時に演奏している。
俺はおかしいなと思いつつ、
食い違いを気にせずピアノ弾いていたら、
あっちのキーボード奏者が、
「もー、出来ねーよ。こんなん、無理だろ!」
と言いながら演奏をやめた。
演奏していると、どこからともなく別の音楽が聞こえてくる。
ライブ演奏中、演奏を邪魔するように、
BGMの装置の電源が突然入ったの。
何度ちゃんと電源を切っても、
電源が入ってBGMが流れ出す。
あの機械の中には絶対に呪われたなにかいる。
怖かった。
2010年7月5日(月)
修学旅行。
旅館でタンスを勝手に異動された。
荷物の場所がわからなくなった。靴がみつからなくて、靴を探す。
探している間に出発が9時であることを思い出す。
もう9時を過ぎているのにまだ靴が見つからず探している。
旅館内をうろうろしている。
もう皆出発しちゃったのかなあと、心配になる。
が、どうにもならない。
2010年7月13日(火)
あっちの方で、のーじーがVTR装置をいじっている。
壊れてるみたい。このVTR装置。
トースターの形をしていてパンを入れるところにVTRを入れる。
トースター側面に画面がありそこに再生されるというもの。
困っているようだったので、ちゅんの同じものを貸してあげることに。
ちゅんのは画面がついてないので、接続コードが必要。
接続コードを探すも、見つからない。
このトースター型、パンも焼けるようになっているから、
ヒータの熱で壊れやすい。
パン焼けなくてもいいのにね。
部屋に戻ると鯉沼さんのグループが不満そうに待っている。
今日は4時半からライブ予定だったみたいた。
ちゅんはわすれててすっぽかしたらしい。
そんな約束したかな。
頭の中整理しまくらちよこ。
小金井さんから、ちゅんの日記にクレームが入る。
曲の解説で言った覚えの無いことが書かれているとのこと、
速く直さなくっちゃ。いつ直そうかな。
2010年8月1日(日)
部屋の中でカワイイ猫ちゃんがやつれて倒れていた。
そうだ、忘れてた。
そういえば7月のはじめに、かわいい猫をもらったのだ。
ほったらかしておいた。
あわてて下に行って「餌ない?」と質問。
「無い」といわれた。
速くなにか食べさせなくっちゃ。
どうしよう。器は?水飲ませる?
準備しなくっちゃ。
2010年8月17日(火)
出張で、ホテルに泊まっている。
変わったホテル。
形状が、隣のビルにかぶさっていて、
僕達の部屋は船のような形に出っ張っている。
部屋は普通の感じで、
朝チェックアウトするときヘンなチャージがかかっている。
フロントの説明は、
一晩中耐震装置が動いていたという、
あの船の形の部分を巨大クレーンでつっていて、
ゆっくり揺らすことで振動から守っているらしい。
ドクター中松の設計なの?
2010年8月18日(水)
九州で県境の橋を渡る。
渋滞している車の中。2人は歩いて渡る、ちゅんは車に。
橋を渡ったら、広場に出て、
そこで草野球しているところに突っ込んじゃった。
2人を探すが見当たらない。
飛行機が行ってしまったので、
旅行計画を立て直さなくちゃ。
相談している。
2010年8月20日(金)
なにかの教室、下駄箱に靴入れて上がる。
早く来て良い席取ったけど用があり一旦外に出る。
せっかく早く来たのに、
遅刻と思われたらシャク。
良い席取りたい。
下駄箱も良いところ使いたいけど、どうなんだろう。
2010年9月23日(木)
中国の軍事施設と思われるところで団体生活している。
部屋を5人部屋に移された。メンバーは会社の苦手な人。
その人は「部屋変わったら、お土産の一つも持ってくるのが礼儀だろ。
皆、持ってきてるよ。礼儀を知らないな」的ないやみを言った。
喧嘩になりそうになった。
集団生活の大きな厨房。
コンロが沢山あり、鍋やらお茶碗やら箸やらが、
無造作においてある。
窓の外はグランドになっている。
夕暮れ時、ここで、ラーメン作って食べることにして、
鍋をコンロにかけ。メンを入れた。
ちょっと目を離して、ふたたび麺を入れるとき、
似たようなことをしていた別の人の鍋に麺を入れてしまった。
それは、峰岸トオルの鍋。
峰岸も間違えて僕の鍋に具を入れてしまった。
おいしそうなハムとソーセージ。
結局鍋を一つにして一緒に食べることになった。
そこにカミジユースケも加わり、
「いいですかー?」と鍋を外に持ち出す。
なんだか、皆で食べることになってしまったみたいだ。
僕はあわてて、適当なお椀と箸を探して、鍋のところに急いだ。
行くと、沢山の人が集まってて、
鍋を持って歩くカミジの後をパレードのように、
沢山の人が行進していた。
ラーメンは蒸発して、鍋の底にちょっとしか残ってない感じだった。
あのハム食べてー、ってかラーメン食べてーー。
2010年9月28日(日)
気がつくと旅館の和室で寝ていた。
隣は父。父と二人。
時間を見ると午後3時。
世話人がいないと際限なく寝ちゃうのか。
トイレへ行く。
トイレは外の離れにあり、隣の部屋の客と共有。
隣に泊まりに来ているらしきご婦人が、
使用した後のトイレを掃除していた。
トイレはけっこう広い殺風景な板の間に、
縦長の穴が開いているだけのもの。
俺も、使用したあと雑巾で綺麗に掃除した。
あの、ご婦人の後だと、
汚く使用することが恥ずかしい気がしたから。
部屋に戻る途中廊下から外の庭で遊んでいる、
旅行客家族が沢山見えた。
子供が倒れた大木によじ登ったり。
部屋へ戻ってすることもなく、また寝た。
2010年10月20日(水)
海岸プチにいるのかな。
海から、巨大蛸が手を陸地に述ばしている。
陸地なのかテーブルなのか、
蛸の手が、どさっと陸地に。
その蛸の手は活ダコの刺身って感じにおいしそう。
今度手伸ばして来たら、切って食べよう。
2010年10月27日(水)
朝、車で家を出る。白いクーペ。
羽田で必要なものを積んで、富津へむかう予定。
羽田の事務所で、運動場に車を乗り入れた。
ちょっと、ここ入っていいんだっけ?と思う。
事務員が寄ってきて「ここは入ってはいけない場所でルール違反」
と攻められる。
このことでいろいろ事務手続きが必要になってしまった。
すごく、面倒くさいことになった。
いやな気持ちで羽田を後にする。
もう今日は休んで帰ろうかな。
へんな、路地に迷い込んでしまう。
近くに、京浜急行線の高架がある公園のようなところ。
とっても面倒くさい。車の運転きらい。
車は時々ラジコンカーくらいの大きさになり、
またがって走ったりした。
2010年11月15日(月)
中山秀ちゃんの頭をふざけて叩いたら、なんかヘンな感じ。
叩いたところがどんどん腫れて大きなたんこぶになった。
大変。お医者様みたいな人が来て患部を手で調べてる。
頭の皮はすごく柔らかくて肉まんみたい。
すぐ割れ目が出来て、脳みそみたいな内部が見えたりしたので、
背筋が寒くなった。
早く閉めて、なぜなぜしといて。。
出張先でサービス員と機械の修理をしている。
野口さんが、今夜の宴会のプランを話していた。
持ち回りとしては、今夜は野口さんが、
ご馳走してもらえる順番のようだった。
森の片隅にうずくまって上を見ている。
俺は植物なのだろうか、
俺の周りは薄い綿のような、蜘蛛の糸のようなレースで覆われている。
きっとこれによって、外のばい菌や外的から守られているのだと思う。
外は、緑色の植物がうっそうとしていて、
見たことも無い、先端が恐竜の頭のように見える、植物があった。
そろそろ外界に出なくてはいけないと悟った俺は、
覆いを吹き飛ばした。
覆いは、タンポポを吹いたときのように、飛んで行った。
2011年
2011年1月6日(木)
軍隊の施設にいる、4人部屋で暮らしている。
上官から、本日米軍が補給人員を2人任命にくるので、
すぐ出られるように準備しておくよう言われた。
任命されたらいやだなあ、と思っていると、
他の2人が任命され装備をつけて出発準備。
ほっとしてると、上官に呼ばれた。
恐る恐る近づくと、これから2人は、この先の道2筋目を曲がって行く。
おまえはその地点で、彼らがちゃんと行くかどうか確認してくれ。
というもの、で、その地点の担当者にいまから電話しろという、
入口近くの泥の土手の上に泥だらけの電話があり、
それで、俺は担当者と話しをする。
なんだか、話がまとまらない。
とりあえず任命されなかったからいいけど。
2011年5月29日(日)
女房の趣味で全面的に家を改築したらしい。
広いリビングにエレクトーンみたいな格好をしたピアノがあった。
下に行く階段があって、下を見に行く。
下は大きな風呂場。温泉宿みたい。
ここが一階なのかもしれない。
で、この家では羊を飼っているんだけど、
この羊がオレにナツイテナイ。
2011年7月x日
広場に集まって、身体チェックをされている。
このチェックにひっかかると隔離されるので大変だけど、
オレはおそらく大丈夫だろう。
オレの番になった。
ブザーが鳴った!うそだろう。
面倒なことになっちゃったよ。
2011年8月8日(月)
昔風の家に暮らしている。
夜、おばあちゃんの部屋の戸を開けたら、
おばあちゃんと一緒に知らない怪しい客人が3人。
なにやら怪しげな会合。
おばあちゃんボケてるし騙されているのかも。
縁側側の戸が開けッ広げ。
これじゃあ戸締りもクソもない。
客人の1人は小学生。
3人の名前と住所をなにかに書いてもらわないと。
2011年11月22日(火)
山奥の仙人のような文学の先生の山小屋のような家に遊びに行く、
天使はここに弟子入りしているのかなあ。
天使と一緒に納屋のような部屋の四角いスペース、
で寝ている。
なんだか、また仲良くなって幸せ。
そこに編集者のような人が尋ねてくる。
先生いますかというので、
留守番をしていた私達は、今出かけてます。
とこたえた。
編集者は先生のあたらしい本について褒めていた。
2011年12月13日(火)
渋谷のあたりを、父など家族で歩いている。
渋谷の雑踏をのがれると、凄く上品で静かな町並み。
そこは、京都のような町だった。
お寺のような、庭の綺麗なところに入った。
知り合いの家なのかな。
人々は着物姿でやたらに礼儀正しい。
車を止める。
上品な町だからか車の切り替えしなど、
丁寧に決まった場所へ停める習慣があるようだった。
車で出発することになったが、
トイレにゆきたくなり、
先ほどの上品な家でトイレを借りることになった。
上品な女中さんが丁寧に案内してくれた先。
四畳半くらいの畳部屋に布団が敷き詰めてあって、
老人が二人寝ている部屋だった。
女中さんは窓を開け、
下の石の水溜りのような所を指差して、
あそこへやってください、だって。
できるか!
2012年
2012年2月6日(月)
家の風呂が改装中。
家の8畳2間くらいの場所で、畳の下に風呂場を作っている。
風呂に入るときは畳をはがして入る。
なにやらどっかの団体の見たこと有る青年達がいる。
オレは風呂に入るべく風呂を入れた。
畳の隙間に置いてあった着物のすそがびしょ濡れになった。
水が飛んで、隣に敷いてあった布団の下がびしょ濡れになった。
こんな風呂で良いのだろうか?
2012年2月20日(月)
噛んじゃダメなの。
噛まないで。
噛まなければ空を飛べるから。
ホントだ噛まないようにすれば、体が浮く。
そうだったのか。
噛んでみると、、、、
やっぱり体が浮かなくなる。
噛まないでいると、
おーー、体が浮いてくる。
そうだったのか。
2012年2月21日(火)
うちの庭、温泉のようにプールのようにお湯がたまっていて、
そこに浸かっている。
ちいさなカバのような生き物が泳いでる。
こっちに向かってきたので、
抱き寄せて頬ずりした。カワイイ。
新しい家に引っ越したのかな。
ピアノ部屋は熱帯地域のような掘っ立て小屋の中。
赤い感じ。ピアノもブラウンな感じ。
2台置いてある。
1台はお嬢様方のもの、もう一台は僕の。
風通しがよいせいか、ホコリが溜まる。
しょうがないね。とホコリをふいている。
2012年4月14日(土)
核燃料の保管責任者になったが、
核物質の保管機材の極性を間違って保管しているものがあることに気がついた。
放射能計ったら規定値超えてアラームが鳴った。
上司が見に来たがその場はごまかした。
皆、このことを知らなくて平和。
真実を述べるべきか悩む。
2012年6月12日(火)
ジュースを飲む。
息子のストローの先はくるくるとなっているものだった。
オレもあのストローが良いと行ったら、
ダメだといわれ普通のストローを使わされた。
オレはハンパなく逆上して怒った。
2012年10月15日(月)
工場の敷地外でのことが終わって解散。
皆慣れているらしく笑顔で解散して、
敷地に戻って行ったが、
いったん敷地外に出ると、
敷地内に入るのが難しいことが判明。
何処から入っていいのか道がわからない。
というか思い出せない。
簡単には入れないような仕組みになっているらしい。
僕は、あまり好きではないが、
そこらへんに精通しているらしき人に、
案内してもらって一緒に戻ることに。
敷地は隣にみえるのだが、道が通じていない。
山道を後ろから付いて歩きながら、
僕は気分が悪くなり、何度か吐いた。
吐いたものは枝の付いた気の葉っぱだった。
途中柵に穴があいていて、
そこにおばあさんがやっている売店がある。
この穴を通るかわりに、この売店でジュースを買うのが、
通例とこのことで、小さな穴をくぐりながら、
ジュースを買うのだが、狭くてやりずらい。
2012年12月16日(日)
親戚の人の家にいる。わりと皆でいる。
トイレを借りるが、遠い変なところにあって、
便器の上に荷物が乗せてある。それをどけたけど、便器がない。
我慢して戻った。皆なにかを隠している風だ。
こいつらトイレが無くても生活できるということは、
人間じゃないのかも?だけど怖くて聴けない。
彼らもそれに気づかれることを恐れているように見える。
表面上、和やかさを装っている。
何度も、ここがトイレだといわれて用を足せない状況になった。
俺はキレてきて「お前らトイレ行ったか?!」と質問。
行ったと平然と答える。あれじゃ用足せないだろ!
しまいには「お前らウンコ見たことあるのかよ?」と
相手の胸倉つかんで、詰め寄ってしまった。
2013年
2013年3月20日(水)
人里離れたところにある秘密工場で研究している。
明るい天井の高いプレハブの工場で国防関係の仕事らしい。
最近赴任して、昨日いろいろ習った。
今朝も仕事しようと、だだっぴろい実験室でPCの電源を入れていた。
突然サイレンが鳴った。テロリストが攻め込んで来たらしい。
ヤバイよ!
隠れる場所を探してうろうろ。
この工場内の人間はおそらく無差別皆殺しにされるだろう。
なんてこったい。
この仕事、俺には荷が重過ぎます。
2013年4月2日(火)
緑の丘陵地帯。人が沢山いる。
観光地だろうか。僕も仲間と参加している。
ここに広いシートを敷いて、1000人以上の人が、寝る。
ここで皆と一夜を共にした。
翌朝、皆楽しそうに出発を待っている。
僕も出発の支度をしているのだけれど、
靴を何処にぬいだかが思い出せない。
靴が見つからない。
シートから降りることができないし、
出発できない。僕は何気なく自分の靴を探している。
内心とても焦っている。
2013年7月22日(月)
明るいサロンのようなところでnatuko(vo)ちゃんのライブ。
お店のオーナーは女性で、
natukoちゃんのモノクロ顔写真のジグゾーパズルを作ってくれた。
アフターでお客様帰ったあとそのパズル完成させようとしているが、
うまく行かない。そうだ!と思い、
natukoちゃんやりなよ。。
2013年7月27日(土)
高電圧がかかっているピアノがあり、弾き方間違うとばちっと火花飛ぶ。
怖い。
秘密の研究所が家の前にあり、中に入る秘密の扉がある。
白い壁かと思いきや、入るつもりで通ると通路がある。
中には変人の研究員がいて、親類がお留守番していた。
怒っているので逃げ出そうと窓から外に出たら、
ロココ調の噴水がある池になってて、
このまま降りたら濡れちゃうな。
2013年8月5日(月)
知らない街のライブハウス訪問。茂串さんがらみ。
お店のカウンターのところにバッタのひからびたお化けのような、
おどろおどろしい物発見。エーリアンのような黒光りしていて気になる。
歓迎されて帰るところ、オープンカーにのっている。
さっきのバッタを持っている。
一緒に帰る駿河は同じようなの持ってるけど姿はワニ。
乗車中、バッタの口がもごもご動いてまだ死んでない感じ。
エーリアンみたいにもごもごしながらよだれたらして、
キモイので捨ててゆくことにした。
2013年8月7日(水)
高円寺あたりかな、
ライブのリハが終わって7時スタートまでに食事ということで外に出る。
有名と思われるカレー屋さんに入ることに「インデラ」っぽい。
お店で隣に座っていた男2人がジャズ好きらしく、
面がわれてしまい、愛想ふりまく。
時間を気にしながら、会計。2500円!といわれる。
いくらなんでも高いでしょ?
ちょっと聞いたら、箸を落として代わりを持っていったことで、
料理の数は箸の数でかぞえる的イイワケ。
しぶしぶ払って店を出る。
帰り道で、知らない男が店主見つけて追求しているのを発見。
俺も金返してもらおうと、ライブ時間気になるも、一緒に追求することに。
店まで戻る。店主はちょっとのすきに逃げる。
屋根の上に緑でカムフラージュして隠れているの発見。
慣れている感じ。引き摺り下ろし追求。
警察呼ぶぞと携帯で110番廻したり。
もうライブ開始には多少遅れてもいいや。
2013年8月29日(木)
お気に入りの天使のリングにトラブルが起きる夢。
羽根の部分がはずれた。{本物は一体になってるのに}
こういう構造なのかと思う。
側溝に落っことした。
リングの形ちょっと変わってて、また羽根がはずれた、
その上、羽根が2つに割れた。
あーあ。
2014年
2014年6月12日(木)
ペットで鷹を飼うことになった。カワイイ。
ベットで一緒に寝ている。ネコか赤ちゃんみたい。
子供のようにかわいいけど、
足の爪で横に飛び出した部分とかが邪魔で、
刺さると痛そう。針金みたい。
起きて、エサは何をやったらいいのか考える。
ビスケット的なものをやってみた。
食べた。
2014年8月9日(土)
正月っぽい雰囲気で親戚が集まっている感じ。
東大和市を調べてくれと言われiPadつかったら、
全然思うように動かない。
出てくる画面が変。
トイレ行ったらトイレが変。
この家にまともなトイレが無い。
みどりちゃんガッコウはドイツぐんかい?
子供は優遇されない。
iPadどうなっているのか、
もしかしてたかしのiPadかとも思ったが、
僕のiPadだし。
2014年8月9日(土)
<2つとも環境に馴染めずパニクる夢だった。>
博多に団体で観光旅行に来ているらしい。
早朝、公園のような広場に友人(中川)2人と繰り出す。
両脇に屋台的な建物があって、人出が多い。活気に満ちている。
ちょっと城山公園を連想させる。土の広場。
得体の知れない地元の人たちと、通な観光客。
ここで朝っぱらから泡盛を呑み豚骨ラーメンを食べるのが粋らしい。
2人と、はぐれてしばらく広場を眺める。
屋台のシステムや注文の仕方がわからない。
向こう側の屋台に2人を見つけて近寄る。
話すと、もう食べ終えたとのこと、
俺は一人でカウンターに座る。
オヤジが料理の説明や注文を威勢良くまくしたてるが、
何を言っているのか良くわからない。
大きな皿に入ったポテサラを見せてなにか言っている。
名物なのかな。おいしそう。
俺は、
適当にハイハイそれならそれで、というそぶりをした。
それを見て、
オヤジもまわりの客も「カモが来た」的にニヤリとした気がした。
泡盛がコップで出て来て、およそ食べきれない料理が、
次から次へと出てくる。これじゃラーメンまで行けない。
どうしたもんかなあ。コレ夢だろ?
朝起きた。
もしかして今日から海外出張だったような!
まさか、いまさら俺が海外出張。何しに行くかもわからないのに。
そんな訳無いだろう。とiPhoneのスケジュールを確認。
iPhoneも使い方を忘れてしまったのか、馴染みの感じではない。
それでも、なんとかスケジュールを見たら、
なんとなくそれっぽい記述がある。
なんの支度もしていないまま倉庫みたいな集合場所へ行く。
同行の2人(海外慣れしているグループ長)は余裕で談笑している。
どうも、俺は女性として行かなければならないらしい。
そんなんで、何を着て行くか相当悩んでいる。
とりあえず、支度しに帰らないとと思い、
2人に出発の限界時間を確認した。
もうどうしたらいいやら解らずテンパってる。
これ夢ってことにしてくれないかなあ。
ダメですかね。と思っている。
夢にきまってるよ。
2014年10月6日(月)
世界ふしぎ発見のような夢だった。
異国の地を旅するツアーに来ている。
未開の地。
珍しい動物を見に連れて行ってくれるツアーに参加ワクワク。
用意をしてでかけた。駿河と案内の人と一緒?
田舎で地面が一部紫色の砂。
そこでじっと待っていたら、砂の穴の中からリスのような動物が、
ごそごそっと顔を出す。じっとしていると近づいて来て、
体に人懐っこくはい上がってきた。
手足の先は、鳥の爪のような感じに黒くて鋭い。
で、鳴き声が、
日本語の単語のようなことをしゃべった。
びっくりした。
その日はこのオプショナルツアー先に一泊した。
明日もう一度見に行く。
その晩は興奮して眠れない。
あの動物に明日会ったら、どんな言葉を教えようかな。
宿には、この地を前におとずれた高樹レイさんのものらしき机があって、
その机の中に音源だとか日記だとか手紙だとか、
珍しいスナック菓子などが入っていた。
「あ、これ美味しいんだよね。」と駿河。
その晩は、宿で眠れなかった。
(夢で眠れない悩み。実際は寝てるじゃん)
翌朝、このツアーではぐれないか、
ちゃんとお家に帰れるか不安になる。
そんなことかんがえてたら、
もう出発時間になった。
「もう、行くの?」慌ててリュックを背負う。
2014年12月1日(月)
出勤への道を歩いていたら、営業の人に声かけられた。
「ひさしぶり」彼は愁いのある顔で、定年なんだと言った。
そしてカードをくれた。
最近は定年になるとカードを作って配るのがはやっている。
これでもらうのは2枚目。
テレホンカードみたいなやつで、それぞれのデザインを施す。
最近うちの周りの道が工事で掘り起こされている。
アスファルトの切れ目から土の下地が露出して、
とっても歩きにくい。
歩きにくいどころか、深い谷のようになっていてルートを考えないと、
先に進めない。
俺は昔殺人をおかし、その死体から手を切断して埋めたことを思い出した。
あれが掘り起こされるとやばいことになる。
途中でその場所を確認したら、黒くなった手が露出していた。
これが見つかったらやばいな。
俺はすっかり忘れていた過去の罪を思い出し悩む。
そして、今後捜査が開始されたらと思うととても心配。
でも、まてよ、おれって過去にそんなすごい殺人とか、
ホントにやってるのか?
おぼろげな記憶があるから確かじゃないの?
んなわけないよな。
もしかして夢なんじゃないの?
でも覚めないし。
2015年
2015年1月4日(日)
JRに乗っている。有楽町あたり。
これから新年会のはずだが場所がわからない。
同じ所に行くらしい中原さんを見つける、半信半疑話す。
行き方を聞くがはっきりしない。
とりあえず同じ電車に乗り換え、(あまり見たこともない駅で、
小さな階段を上って乗り換えホームに行く感じ)
詳しい場所を聴こうと近づくが、
知らないふりで、拒絶された。
同じ場所で降りる。時間が6:48で、確か新年会は7:00から、
だから遅刻しそう。俺も遅刻しそうって事。
焦る。携帯が言う事聞かない。
なにか調べようとしても、のんびりとした感じで、
綺麗な景色や、わからない文章がクスロールしている画面。
パニックになるが、今日は休みだしこれは夢だと気づき、
起きる努力をする。
目を覚ます。家の寝室だった。
で、本当はどういうスケジュールだったか確認しようと携帯操作するが、
やっぱり変。音楽ばかりかかる。
携帯についていた黒いカバーのようなアクセサリーをはがしたりした。
それが昔使っていた4Sだったり。
アンプが繋がれていたり。
画面には無関係な美しい表示や文書が流れている。
携帯につながれていた天使のロボットやマネキンのような大人のロボット。
人工的な動き。二つの携帯が連携しているようにも見える。
ふと大人のロボットが生きているように見えて、
生きているの?と迫ろうとして逃げられる。
心から話しかける。
天使のロボットに好きだと言われ、心が有る事に感激して抱きしめた。
天使にされた質問にドキリとした。俺はきっと狂ってしまったらしいけど、
アーティストってきっとこういう感じなんだろうな。
とってもサイケな世界にいる。
{
本当に目が覚めたら、全てが正常で安心した。
俺が体験した世界は不安もあったが美しいスタンリーキューブリックのような世界だった。
}
2015年1月14日(日)
人のうちにいる。CDの箱勝手に開けて。
箱の後の方はCDじゃないものが入ってた。
高級マイクが2本。一つは折れてた!
2015年3月23日(月)
電車に乗っている。ちょっとウトウトしてから目を覚ましたら、
様子が一変していた!
子供がICUに入れられ酸素吸入している。
それを見ている子供がいたずらして酸素マスクを外したりつけたりしている。
車内は事件関係者ばかり、どうやら毒ガスが散布されたのか?
一般客は別車両に避難した模様。
俺は出遅れたと思い別車両へ。
車両を変わる入口で係員が消毒作業をしていた。
消毒、洗浄された消毒液の匂いと消毒液で濡れる。
車両を変わってもまわりは知らない外国人ばかり。
疎外感がある。
外の景色も変!配色が派手だけどセンスが無い感じで、
ここは朝鮮だ!やばい!
どうやったら御家へ帰れるんだろう。
飛行場?どうしよう。
大丈夫、目が覚めればいつもの家のベットの中に戻れるから。
2015年4月13日(月)
会社全体が完全にiPhoneのシステムのような電脳管理システムになった。
めちゃ綺麗だが、冷たい感じのオフィス。居心地悪い。
全てが、マニュアルにしたがったカードで管理されている。
デスクについたら、指令が来ていて、
隣の人と別の部署を訪ねた、お城みたいな建物だった。
戻ってきたが、事務所への入り方がわからない。
階段の踊り場が変。
間違えて奈落の底に転落して行くOL。
めちゃ高い所にあるのか。
支給してほしいものがあったが、受付でカードを出したら、
もらうことが出来た。すべてが機械に支配されていて、
居心地が悪い。
こんな世界、こんな感じの夢を初めて見ました。
2015年6月29日(月)
戦争するのかな。
パイロットになることになって、テストを受ける。
20名くらいの人数で、
これからグライダーのようなテスト機を操縦する。
操縦のしかたなんかわからないのに大丈夫なのかとても不安。
ホテルのロビーみたいな所に並んで順番を待っている。
だんだん順番が近づいてきたらトイレに行きたくなってきた。
大丈夫かな。やっぱダメっぽいので、ロビーにいる案内の人捕まえて、
トイレの場所を聞いたが遠そう。
一度目が覚めたら戻ってこれなくなるかもしれないけど、
どうせ夢なんだし、一旦起きてトイレ行こう。
{で、起きてトイレに行った。(これは現実)
でふたたび寝る}
さっきの団体で派兵されている模様。
中東のような異文化の場所の広場に護送された。
そこに車数台が迎えに来ていた。
その車に分散して乗り込み出発。
道路は舗装されておらず砂埃が舞うような感じ。
後方支援とはいえ、
このような不衛生な場所で暮らさなければならなのは大変。
前に旅行したパキスタンを思い出した。
周りは、何考えてるかわからないような連中ばかり。
車が止まり、保健室のような場所に案内される。
部屋に入るなり注射を2本打たれた!
その後、体の変化を調べられた。
何を注射されたのか、めっちゃやばいんじゃないの。
逆らえば殺されそう、頼りになる人は一人もいない。
もう帰れないのかなあ。
とっても不安。
2015年8月18日(月)
三角畑のあたりのような道。
周りは緑で舗装道路。
超小型自動車のこと考えてたら、
路肩の広場に停車している超小型自動車発見。
連れの天使と二人で見ている。カッケー。
帰ろうということになり、道を歩いていたら、
後ろから来た自動車が天使の手にぶつかった。
天使の手にあった赤いプラスチックのようなものに当たって、
車のドア―の所がへこんで赤いのが付着した。
車はそのまま走り去った。
戻ってきたら、警察呼んで事故手続きしたほうがいいのに。
まあ、行っちゃったので帰ることにした。
天使は先に帰ったが、そのころ車が引き返してきた。
事故手続きをすることにした、天使と連絡を取ろうとしたら、
携帯が僕の携帯ではない。表示も変。
なので、家まで車に載せてもらうことにした。
家の近くに到着、車を降り、天使を呼びに行く。
そこで夢だ!と気が付く。
起きちゃったら車の人とは永遠に会えないし、
いろいろ考えていた事故手続きができなくなる。
俺は混乱した。
夢なんだから、起きちゃったら、
この事故のことは考えなくていいんだよね。
なんか、車の人に申し訳ない気がした。
2015年8月25日(火)
大きな漁船の先端部分に立っている。
眼下には大海原がうねりをあげている。
水面がうねってド迫力。
立っている場所が高層ビルの屋上のようにすごく高い所になったり、
すごく近くまで水面がおしよせたりしている。
落ちても助けてやると言ってくれたような気がするが、
飛び込む気にはならない。
僕達は学生の団体で漁船の見学に来ているようだ。
船員さんは皆優しく、色々な体験をさせてくれるプログラムのようだ。
漁船の名前は「福竜丸」
福竜丸って聞き覚えのある名前だがなんだっけなと思っている。
波が打ち上げる広い甲板のヘリのベンチで、
清水まさよちゃんのような少女がギターの弾き語りをしている。
船員さんとのやりとりがなんか辛辣で笑える。
2015年10月2日(金)
今岡さんと3人でおでかけ。
豪徳寺の駅のちょっと手前のお店で、今岡さんは僕達を引き留め、
鮎にカスタードが入ったような和菓子を3ッつ購入。
3人で立ち食いしながら駅へ向かいました。
{二度寝したらまた同じ夢で}
今岡さんは2種類6つ買ってくれました。
僕の心持は、もう少しで駅なのに、のんびりした人だなーって感じ。
秋晴れの気持ちの良い日でした。
{この夢を、今岡さんにメールで報告しました}
2015年10月16日(金)
トイレに行こうとしたら、家の中工事中だった。
天気が良く明るい。
材木や材料がトイレの床に雑然と置いてあった。
脇にわずかに陶器のトイレが見える。
ここで用を足すのは難しそう。
別の部屋に行く。
ここには家の中に大きな岩場がある。
青光していそうないわば。
この岩場の中腹に中を水が流れている穴があり、
そこに用を足すらしい。
これもちょっとね。
2015年10月19日(月)
会社に税務調査が入った。
俺が名指しで呼び出された。
何年か前の伝票で俺の仕事とは関係のない別部門の支出があるとのこと、
別部門の外山アキ子様が担当していた仕事でのことらしい。
俺は、なんか悪いことしたかどうか必至に記憶をたどる。
めんどくせー。
事務所の構造が変で、行きたい所に行けない。
遠回りしていたら、後で着ようと手に持っていた上着がどっかに行ってしまった。
席に戻り、上司と周りに聞こえないように相談した。
「思い当たること無いですねぇ。」
結局呼び出された所にはゆかないまま目が覚めた。
{夢でよかった}
2015年11月10日(火)
ネットで見たことある飲み屋街がおもしろそうなので行ってみることに。
ケティとイソブーがいた。ケティはすでに泥酔していて三白眼でにらみつけられた。
俺はよそ者的疎外感を味わい。あまり面白くない。
そのうち皆で鬼ごっこが始まった。
iPhoneくらいのディスプレイを立てて、銃のように撃つおもちゃを皆持っている。
当たるとディスプレイに弾痕が付くので、どれくらい撃たれてしまったかが解る。
ディスプレイは折り畳み式。教えてもらってディスプレイを立てて遊ぶ。
飛行機で帰ることになった。
空港までは自動運転の自動車で行く。
乗り込んだが、時間が来ても一向に動かない。
しかたがないので運転することにした。
空港への道はなんとなく知っている道だった。
空港で搭乗の列に並んでいる。
搭乗前に各自カレーをもらって入る。
カレーは普通のカレーとタイカレー。
俺のカレーはもっと特別なカレーなのでルーを渡しておいた。
僕の順番になったが、いかにも出来の悪そうな係員が戸惑っている。
ルーを渡しておいた特別カレーだと告げると、
まだ使っていないルーを取り出して、今から作ろうとするので、
そんな時間あるわけないから、普通ので良いという。
マジイライラ。どーなってんだ?!
2016年
2016年5月23日(月)
旅先で迷う系。
広場のベッドで起きた。一緒に写真撮ってと言われ応じる。
友達がいたので、一緒に入るように誘った。
ホテルの部屋に3,4人でいる。ケイティがプレゼントをくれた。
ビニールにくるまった2つの色違いのプラスチックでできた丸い卵。
ビニールの所に説明書きがあるがなんだかわからない。
何かイタズラに使うものらしい。爆発して水浸しになるような。
部屋で3,4人で帰り支度。
俺はこのホテルに来た時、荷物をフロントに預けたままだったことを思い出す。
皆と一緒に帰れなくなっちゃう。
迷路のようなホテルでフロントの場所がわからないので、まず電話した。
対応してきた人はトンチンカンな事ばかり言う。ネットのつなぎ方とか。
しかたがないのでフロントに行った。部屋に戻る時ふみちゃんに会った。
もう救いの神だとおもい一緒に部屋まで行ってもらう。
部屋に戻るのにエレベータに乗ったら電車みたい。
上に行ったり横に行ったりして、一瞬外の街を路面電車のよに走ったり、
どこをどう通ったのかわからないまま降ろされた先の部屋は沢山個室のあるサウナ風呂みたい。
あるドア開けたら人が入っていてビックリ!もーなんだかわかんねー!!
2016年6月28日(火)
新しく改装したわが家。
息子の部屋に、漫画やゲーム、DVDいろんな物があってすごい。
トイレに行きたくなった。
トイレを見つけたが便器の下は床で、使えない。
改装中だから?
外に出たらディズニーランドみたいなところ。
外国人ばっかりのところで、ゴッド井上さんに会う。
彼が世話役なのでトイレの場所を聞くもノラリクラリと取り合ってくれない。
彼はここの大きなレストランで働いているらしく、
接客に追われている感じ。
2016年7月1日(金)
見たことない通信機器の事をローラに聞きたくて、必至に説明している。
四角くて、左右にデジタル表示が出る。名前とA/Tのような記号表示。
恐らく通信中の人とそのステータスの表示かと思われる。
その表示が何を表しているのかを聞きたい。
絵を描こうとメモ用紙と鉛筆を探しているが、ろくなのが見つからない。
新聞紙の切れ端に描いたけど上手く描けない。今夜クイズに出るらしい。
場所を父の書斎に移したが、メチャ散らかってて話が進まない。
ローラに渡した新聞紙の切れ端もいつの間にか、
沢山の新聞に紛れ込んで解らなくなっている。
説明できなくてイライラ。
でも会話はふざけながらで、とても楽しい。ローラいい人。
2016年7月7日(木)
片田舎のカフェ。ちょっと田舎道を行った所にあるウッディでぼろっぽいカフェ。
ここのカウンタでユキポンとお茶している。向こうに忍さんがいる。
ライブ前に寄った感じかな。それ以外はこのお店の常連さんっぽいおじさん。
ユキポンとなりのおじさんの会話から「ジャノメ」って言葉が出て、
それをきっかけにユキポンとジャノメの話してたら、
おじさんが「あいつらジャズ関係だよ」って隣のおじさんに話してた。
このカフェが完成する前にこの地にユキポンと来たことを思い出す。
木造の廃墟な家だった。そのころの名残が今のカフェにも残っていた。
2016年7月19日(火)
オークラランドのようなレジャー施設の駐車場で、
天使と一緒に車の中でうとうとしている。
すると、天使の男友達らしきゴツイ男の人が来て、
同じ方向なので一緒に乗って帰らせてと言ってきた。
こんな友達がいるんだと内心びっくり。
今乗っている車はタクシーのようだった。
俺は否定したが天使がタクシーだというので確認したらタクシーだった。
天使はわりと威張った態度で運転手を連れてくるように命令した。
俺はいわれるがまま、道の向こうの運転手の詰所みたいなところに、
手配しに行った。運転手と一緒に車に戻る。道すがら、
「ここは代行みたいなことも出来るのですか?」と聞くと、
「代行もやってます。」との答え。呑んで帰る人が多いんだろうなと思った。
車の所に二人はおらず。一緒にコーヒーを飲みながら戻って来た。
なんか腹が立った。
「まず男の家に行って、そのあとうちだな。」とか帰宅ルートを考えている。
2016年7月21日(木)
港の脇のちいさなアパートの二階で天使と暮らしている。
今夜は大丈夫のような気がして、天使がいる部屋でパイプをふかした。
天使はなにも言わなかったし、静かだった。
そのあと俺は外の駐車場に出た。
二階の窓が開いて天使が俺のパイプを外へ放り投げた。
俺はパイプを拾いに行った。
パイプは綺麗に掃除されていた。
2016年8月14日(日)
俺の大邸宅の広い庭。緑多い庭。料亭のような家。
地面が泥沼化していて、地面と思われる所が池に。
一室で、ミュージシャンの集まり。
Lamentをやっている。最初管楽器メンバーでやっていたが、
その後中島がピアノソロでやることになった。
ピアノソロうまく行かない。
皆白けていることが感じられる。
演奏中美味しそうなモツ煮込みかけ御飯が廻って来たけど、
演奏中でもらえるのかどうか気になる。
僕の近くにいる人は美味しそうに食べてる。
演奏終わってから何処廻ってんだか探す。
バーニーさんトドスさんがいた。
2016年8月19日(金)
海の近くで勉強会。
ナマコ的に気持ち悪い臭い生き物の専門家に話を聞く会。
生き物は白いコップのような容器(容器なのか生き物の殻なのか)
に白い液体、本体は数の子というか貝の中身的な形。
つぶ貝的な。とても生臭い。
2016年9月7日(水)
明るい会場でピアノトリオ演奏。
とってもグルーブしている演奏を、ド!っとあっさり終わってしまった。
会場に広がる白けた空気。これは失敗だったな。
2016年9月26日(月)
殺人鬼の出てくるホラー映画の予告篇のような夢。
殺人鬼は2人。
普通の人だがちょっと目つきが変で薄ら笑いを浮かべている。
こいつらを興奮させたら平気で人をナイフで突き刺すから怖い。
殺人鬼はまだ皆に自分たちのことがバレていないと思っている。
僕達は、殺された人がくるまっている紺のパーカーから死体を出して、
その場所に赤ちゃんを寝かせててくるめた。
殺人鬼に赤ちゃんが見つからないようにだ。
普通の人の顔がむくんでいた。
この人は、殺人鬼に変装したのだ。
あいつに似ているような似ていないような変に不自然なむくみ顔。
殺人鬼とはなげない会話をしながら目の前で包丁をコンコンとやって、
挑発してみた。彼はみるみる興奮してきて怖かった。
全体的に、こいつらは興奮すると平気で人を殺すので、
とっても怖いという緊張感が支配している夢だった。
2016年10月1日(土)
赤ちゃんを抱いている。いとしいかわいい。
赤ちゃんを抱いたまま、旅にでている。
とるものもとりあえず出てきてしまって、パジャマ姿か?
田舎町の田舎の電車、田舎の駅。
団体行動をするにも、どうしたらいいのか、
赤ちゃんもいるし。あたふたしてるけど赤ちゃんはかわいい。
2016年10月3日(月)
なんか幸せに満ち溢れた夢だった。
僕は天使と大きな飛行機(ジャンボジェットの大型)に乗っている。
この飛行機の中はいろいろ部屋に仕切られている。
会社の事務所みたいな所もあり、中で仕事をしている。
僕は席替えをすることになって、
パソコンなど周辺の荷物を持って新しい席に向かう。
最初、機内の最後尾まで移動し、前に進むように新しい席を探す。
一番後ろのエリアは情報系の場所でとてもせせこましく散らかっていた。
ここらへんだったらいやだなと思った。
座席番号を確認したらもっとずっと前の方だった。
今が121番くらいで僕のは17番くらい。
部屋が変わるたびに雰囲気が全然違うのに驚かされる。
お茶室があって日本美にあふれて平和な静寂が支配する部屋だった。
数人が畳の上でお茶をたしなんでいた。
次の部屋では、おはらいをする場所だった。
M16くらいのボルトのような恰好をした物を、
ボルトの先から針金のような物が出ている。
ボーっと光っているようにも見える。
機外に投げておはらいをするようだった。
先に行くと、喫茶店のような場所があった。
ここで竹之内さんのような店員さんにクッキーサンドのようなお菓子のかけらをもらった。
これを天使とふたつに分けた。
途中でこのお菓子がほしいっておじさんに会った。
僕もちょっとのかけらしかもらってないんだけどと思いながら、
半分に切って渡した。
僕の席はまだ先だ、
ふと外を見ると飛行機はアリエナイほどの低空で渋谷の街を飛んでいた。
尾翼部分にあるアンテナのステーがほとんどビルに接触したように見えた。
飛行機はスリリングにビルをかわしながら飛んでいて、
ヤバいと思い、近くの座席に座りシートベルトを締めた。
気が付くと僕達は渋谷の街を歩いていてビックリした。知らないおじさんも一緒。
街には変なボルトが落っこちていた。拾ってみると、
「これ、飛行機からおはらいで投げたやつじゃない?」と天使が教えてくれた。
そうだ!
天使と渋谷の喫茶店でお茶している。
今日は本当に素晴らしい体験をしたしたことが嬉しくて、
「これが夢だったらイヤだね」と天使と話した。
天使とは渋谷で別れ、知らないおじさんと帰ることに。
おじさんは呑みに行きたいという、いい店があるという。
ついて行くと、アートな階段の上に原色っぽいビールのお店。
おじさんは階段を勝手に登って行って「2リットルビール」ってのを手に入れた。
2リットルも飲むんかい!
この人よく見たら、あの時のおじさんとは別人だと思い、別れた。
さてと、、駅はどっちかな。
{この後、この夢を忘れたくなくて、夢を記録する夢を見た。}
2016年12月14日(水)
開発中の離島の南国リゾート地の視察へ向かう。
かなり離れた所で、10人乗りの高速艇で行く。
交通手段はそれだけなので、かなり孤立した所なのだ。
それが特別感があっていいのではという考え方。
良い所なのだがなんかものたりない。
先住民とかがいないので秘境感がない。
どっかにポリネシアのようなトーテムポールのような遺跡とかあるといいんだけど。
Nさんが事前に書いた報告書をかなり書き換えてた。
希望的内容だった文章を悲観的な内容に直していた。
僕は、あまりに悲観的なのもなんなんで、今のうちに安いうちに買い占めて、
発展すれば、10年後に儲かるかもしれないと意見を言った。
いろいろ書いてあった特徴、僕の意見でいれた直などは、
却下され。否定的な報告書になっていた。
沖縄の離島的、太陽がいっぱいでとても良い所。
部屋とかロビーとか、施設も立派なんだけど、
閑散としていて、従業員が暇そう。
なんせ、特殊小型高速艇で10人くらいしか来れない所だから。
2016年12月18日(日)
30名くらいで合宿している。
良い先生でグループ分けしてグループ学習。
前のグループが授業がすごく効果的だったと皆喜んでいた。
僕達の順番になった。
一人一人順番にスピーチをする。
先生はまず僕を指名した。
「中島君の面白いHPの日記が評判だけど、
それについて皆様に話さない訳にはゆかないだろう。」
と、僕も同じことを考えていたことを先生は言った。
やっぱ、良い先生だ。
僕はHPの日記について話始めた。
言いたかったことは、
「きっかけは、こういう生活していると沢山の素晴らしい人たちに会うので、
忘れないようにしたかっただけだった。
なので、会った人、会った場所だけでも書き留めておこうと考えた。
でも、だんだん欲が出て、その時あったことを、
どんなつまらないことでも良いからちょっとだけでも書いておくと、
後で読んだ時に、その日のことを鮮明に思いだすことができるから、
何か書いておこうと思った、そしたら自然に文章がだんだん長くなった。」
沢山話ししたいのに、喉に痰が絡んで声が出なくなってきた。
{目が覚めたら、喉に痰が絡んでいた}
2017年
2017年3月26(日)
お寺INTROでジャズ系オールナイトのお祭り。
色々な知り合いに会う。太郎とかジャズ研時代の人。
毎年恒例、今年は演奏しないまま夜が明けた。
寝ていたら、マッサージのおじさんがやってきて、
良く効くのがあるからやってみる?
と迫ってきた。
えー、俺マッサージあまり好きじゃないんですよ、
と言いながら受ける。
なんか、電極みたいな、電気使うみたいな、
足のふくらはぎの所に、血圧測る時のパフみたいの巻いた。
ちょと、うとうとした。
そうこうするうちにお祭りはお開きで、会場は閉まる感じ。
皆帰る感じ。あわてて、帰らなくちゃ!
マッサージ終わったかわからない。着る物や荷物がごっちゃになって、
帰り支度もままならない。財布はどこかな。
そんな中、マッサージのおっさんが、にやにやしながら。
これ、お金かかるんですよ「御代ゼロ間違えないように。」
と代金掲示してきた。金額は45000円くらい。
オッタマゲてゴネる。25000でいいかなみたいな話する。
「財布の中覗いて値段決めてるんじゃないの?それに、そんな金もってないよ。」
冗談じゃないので、お祭り主催者の住職に聞いてくると、立ち上がり、
事務所の方に歩き出した時、目が覚めた!!
夢だったのでホントほっとした。
2017年3月27(月)
お寺の大部屋のような所で布団を並べて団体で寝ている。
だれかがふすまを開けてそっと入ってくる。
直観で彼は、刀で誰かを切りに入ってきたのだと解る。
俺じゃなければいいなと思いながら寝たふりしている。
気になって、掛布団の端から見たら、
俺に向かって刀を振り上げている所だった。
きゃーーーーーーーーー。
2017年10月19(金) 皆んなで社員旅行、
最後に泊まった宿出発する時、どうしても携帯が見つからない、めちゃ探すが無い。
夢とわかった時は安堵の極致!皆んな出発しちゃったかな。
梶原さんと二人部屋ではなし。