No.1



4月20日、日曜日。
その日、あたしは、一つの決心をしていた。
今日、ヒロをうちに呼んで、そして…。
ピッチを取り出し、ヒロの家の電話番号を押していく。
ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる…。
呼び出し音の間も、心臓の鼓動は激しくなってくる。

だ、だめよ。
声が震えてて、何かあると感づかれでもしたらどうする気?
「あ、あー。あー」
ちょっと、発声練習なんかしてみちゃったりする。

今日は、両親が懸賞で当たった旅行に行ってて、
この家にはあたししかいない。
しかし、旅行と言っても1泊2日という、
えらくちゃちなシロモノだったりする。
だから、チャンスは今日しかない。
ヒロと、あたしが…。

――カチャ。
「はい、藤田です」
出た!

「やっほー! あ・た・し☆」
とにかくボロが出ないよう、いつも通りの
ムカつかせるペースで話しはじめた。
ここから徐々にヒロを引き込んで、あたしんちに
来させるように仕向けるのだ。
ここは、志保ちゃんの話術の見せ所ね!

「…そうそう。あんた今、ヒマでしょ? あたしんちまで来て!」
言葉の中身に気付かれないよう、早口でまくしたてる。
「なにぃ!? オメーの家は、ふた駅も先じゃねーか」
「なんてことないわよ。片道170円よ」
「カネの問題じゃねーよ! なんでオレがわざわざ、
お前に呼び出されて出向かなきゃなんねーんだ!?」
「なんで? いいじゃん。ヒマなんでしょ?」
「ヒマはヒマでも、オメーんちに行くヒマは、これっ
ぽっちもねぇ!!」

――雲行きがやばくなってきた。

「あ〜ん、そんなこと言わないでさぁ。退屈なんだもん。
遊びに来てよぉ」
「わりぃな、付き合ってらんねーよ!」

これはやばい! かなりやばい!

「あ、あ、切らないで切らないで! そんなこと言わないでさぁ〜、
サービスしちゃうからぁ」
「…間に合ってるよっ!」
ガチャ!

あっちゃぁ…。
やっちゃった…。
もしかしなくても、普段の二人の関係を
考慮に入れてなかったのが敗因?
じゃ、次はその辺も計算に入れて、と…。

ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる…。
カチャ。
「もしもし、藤田です」
「ちょっとぉ〜、いきなり切らないでよぉ。せっかくあたしが――」
ガチャ!
…切られた。

ちょっとちょっと! いっくらなんでもフツー無言で切る!?
もう一度かけ直した。

…ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…。
…あれ、話し中? 間違えたかな?
一度切って、もっぺんかけ直してみる。

…ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…。
…あたしは手帳を取り出し、ヒロんちの番号を
確認しながら、もう一度だけダイヤルしてみた。

…ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ…。
…あんの馬鹿! 受話器外しやがったわね!? なんてヤツなの!

…つまり…、失敗した、ってこと?
…そっ…か。
「失敗…しちゃった…か」
つぶやきながら、ベッドにぼすっ、と倒れこんだ。
そして枕元に手を伸ばし、段差の上に置いてある、
フォトスタンドを手に取った。
あたしと、あかりと、雅史と、ヒロの写ってる写真が入っている。
ヒロ…。



以前から、自分の、ヒロに対する気持ちは、なんとなく
気付いていたとは思う。
しかし、ヒロにはあかりがいるんだから、二人でよろしく
やってればいいと思っていた。
あたしのヒロに対する気持ちが大きくならないうちに、
とっとと別の相手を探すつもりでいた。
…なのに。
写真の中の、笑顔のヒロを見た。



あの日、図書館で橋本先輩に迫られてたとき、ヒロが
助けに来てくれた。
信じられないものを見た気がした。
嬉しかった。
他の誰でもない、ヒロが、あたしを助けに現れたということが。
あの日から、あたしの調子はおかしくなっていった。
いくらヒロにはあかりがいると思っていても、
好きになっていく気持ちが止められないのだ。
だから今日決心して、電話をかけた。
…だけど。

もぞ…。
写真を見ながら、下肢に手を伸ばす。
ヒロ…。
ヒロ、ヒロ、ヒロ、ヒロ、
ヒロ、ヒロ、ヒロ、ヒロ…。



ヒロ! ヒロ! ヒロ! ヒロ!
ヒロ!
「…っ…くっ…」
…………。
…………。
…また、やっちゃった…。
ティッシュをしゅっしゅっと取り、後始末をする。
だがそこで、ふいに手を止めて、考え込んでしまう。

――あたし、何やってるんだろう…。
馬鹿みたい、こんな、こんな…。
ヒロにはあかりしかいないって、一番よく解ってるのは
あたしのはずなのに。
それでも。
それでも、それでも、それでも…。

枕を掴んで胸元へ引き寄せ、抱えて目を押し付けた。
「うっ…、ううっ…、うううっ…、ううっ…」
嗚咽が漏れる。
止めどもなく溢れ出てくる涙。
人を好きになるってことが、こんなに辛いことだとは
思わなかった。
辛い。
辛い、辛い、辛い、辛い。
胸が張り裂けそうなほど。
あたしはやっぱり、ヒロのことが好きなのだ。
だけど、あかりのことも大切にしてやりたい。
あかりの、ヒロへの思いを知っているから。
そしてあたしの思いが、あかりのそれに適わないことも。
その板挟みに苦しむ。

枕に、さらにぎゅっ…と顔を埋めた。
涙はあとからあとから溢れ出てくる。
それとともに、ヒロを好きな気持ちもあふれ出てくる。
どんなに押さえつけようとしても、もう無駄だった。



[続く]