A Day, The Day -PM part2-




 PM4:20。
「なに?私がどうしたって?」
 後ろから耳慣れぬ声がした。
 葵ちゃんの目が見開き、驚きの表情に変わる。
「あ、綾香さんっ!?」
 なに?綾香?綾香ってあの綾香か?
 葵ちゃんの視線を追いかけ体を反転させると、そこには綾香とセリオが立っていた。
 なんだってこいつがこんな所に居るんだ…。
「なんだってこいつがこんなところに居るんだ、って顔しているわね」
 図星。
 …相変わらず人を食ったところがあるヤツだ。
「今日はね、葵と練習するために来たんだけど…」
「そうなの?葵ちゃん?」
 コクン、頷く
。  よくよく考えてみれば、この部には昔っから葵ちゃんの練習相手になりそうなヤツがいない。
 基礎練習ならどうにでもなろうが、その後の成長が止まってしまうのは目に見えたことで、おそらく葵ちゃんの才能を埋もれさせないために綾香が自分から駆ってでたことなのだろう。  良い師匠、ってところだな。
「そうかそうか…うん。いいね、実に素晴らしい」
 頷く俺。
「…なにが素晴らしいんだか…」
 あきれ気味に綾香が言い、さらに続けた。
「で、アンタはなんでここにいるの?学校は?」
「俺?今日はな、葵ちゃんにおめでとうを言いに来たのさ」
「私には?」
 …?
「は?」
「は?じゃないでしょ?私には?」
 なに言ってるんだこいつは。
「なんでお前におめでとうを言わないといけないんだ?彼氏でもできたんか?」
「…はぁ?…!…ま、まさかアンタ見てなかったんじゃ…」
「見てる?なにを?」
 せ、先輩っ。
 葵ちゃんが小さな声で俺を呼びながら右腕の裾を引っ張る。
 と、やっと聞こえるかのような声で続けた。
「…あ、綾香さんも優勝してるんです…一般のほうで…」
 …。
 …あー…そーいえば、こいつもでてたんだっけー…忘れてた。
「どうやら…見ていなかったようね…」
「明らかに見てみませんね」
 セリオが言った。
 いらないことを言うヤツだ…。
 腕まくりをして、構えを取る綾香。
 ま、まずいっ!
「いや、お、落ち着け綾香。あのな、ちゃんと予選は見てだな…っ」
「予選は、高校の部と同時にやってたからでしょ…。アンタ、葵が優勝してそのまま帰ったって訳ね…もう、言い訳は聞かないわ…覚悟なさい」
 な、なんだってこんなに怒られないといかんのだ。
「あ、綾香さん…」
 おろおろしながら葵ちゃん。
 綾香とてギャグでやってるんだろうが、ギャグでも一発喰らいそうな勢いがある。
 に、逃げるか?と体を出口に向けると、そこに居たのは綾香似の女の子。
 いや、もはや女の子という表現は正しくない、20歳を迎えた女性…芹香先輩だった。

「あれ?先輩?」
「ね、姉さん?」
 同時に声を上げる。
「どうしたの!?」
 これまたハミング。
「…って、一緒に来てたんだっけ…」
 これは綾香だけ。
 こくり…。
 そうです、という風に顔を下げ綾香の言葉を肯定すると、今度はあげた顔を俺に向け…おひさしぶりです、と挨拶した。
 何気ない挨拶だけど、先輩が挨拶すると言うことはすごくうれしいことだと思う。
 なんでも、この本物のお嬢様に初めてであった時、彼女は自分から挨拶をすることは無かった。
 いや、出来なかった…のだろう。
 何不自由なく育てられた彼女が、その代償として手に入れてしまったものは「自分の殻」であった。
 こういえば「ただのお嬢様」で済むかもしれないが、それは明らかに自閉症という心の病以外何ものでもなかった。
 だから…先輩の言葉の一言には、彼女自身の癒されていく心を感じる。
 それが、とても嬉しい。
「よぉ、先輩、ひさしぶりっ」
 バカっぽく挨拶する俺。
 というか、ガキっぽくか。
 どうしても先輩の前だとガキっぽくなっちまうな、不思議だ。
 いや…素直になれる、それだけなのかもしれない。
 不思議と深さを感じさせる目は、自分の感情にごまかしをさせないのだ。
 嘘偽りなさを露呈できる唯一の空間を作り出す目。
 …きっと、これが先輩の最高の魔法なんだろう。
 顔を赤くしてうつむく先輩に隙を見つけ、その右手を左手で奪う。
 くっ、っと軽く引き、自分へと。
 あっ…と、あまり表情を変えずに驚く先輩。
「あっ」
 この声は綾香と葵ちゃん。
 くるり、と先輩の向きを外へと変えると、俺は顔だけ綾香と葵ちゃんに向け
「んじゃ、がんばれよっ!俺は先輩と帰るからっ!姫様はもらったっ!」
 そう言って、先輩を引きずるように駆けだした。
 咄嗟のことに先輩の動きは付いて来ていないが、別にかまわない。
「あんたねぇっ!」
「せ、先輩っ」
 二人の声を背中で聞きながら、二人、体育館を抜け日差しの中へ躍り出る。
 あははははっ、二人に聞こえるかのように高笑い。
 声を突き放すかのように笑い、走り続け、空気に互いの声がかき消される距離まで来ると、足を止めた。
 そして、手が繋がれたまま二人。
「大丈夫?」
 …こくり、頬を上気させながら…頷いた。


 PM4:30。
 再び校門までの中途半端な距離を引き返す。
 一人では長い、だけど二人だと短い距離。
 言葉を重ねるには短すぎるそんな距離。
 まとまらない言葉に苛立ちを募らせる距離。
 だけど、敢えて黙る事無く言葉を紡ごう、その距離を大切と思える為に。
 時の大切さをお互いが認識出来るように。
「最近どう?先輩?」
 あやふやな言葉、なにがどう、どうなんだか、自分でもさっぱり分からない。
 でも、先輩は
「…すごく、いいです」
 そう、答えた。
 何がどういいんだろう、さっぱり分からない。
 だけど、そうか、すごくいいんだろうな、うん、納得できる。
 飾りのない言葉は、素直に心に飛び込んできていろいろな想いを氷解させる。
 よけいな言葉は必要ないんです、と語る視線が気持ちよかった。
「なんかよー、ほら、な。いきなりでびっくりしたよ、うん」
 …私は分かっていたんです…占いで、と先輩は答えた。
 そうか、先輩は俺がここに来ることが分かっていたのか。
 だから、綾香と来た、綾香も来た。
 そう言うことか。
 その後は黙って歩いた、手は繋いだまま。
 そして校門。
 右手に待機する車。
「…乗っていきますか?」
 うんにゃ、首を横に振った。
「歩いて帰りたい気分なんだ」
 その答えに、先輩は空を見上げると…その気持ち、分かります、と。
 ん。
「まぁ、ありがとな。今度はうちに遊びに来てくれよ。あいつも会いたがってるし、会いにきてくれよな」
 …そうですね…では、また後ほど、といいながら微笑んだ。
 微笑みを確認した俺は、足を運び車のドアを開けた。
「どうぞ、お姫様」
 先輩を車へと導く。
 上品に車へと乗り込んだ先輩に
「じゃぁな」
 自らお互いの空間を遮断する。
 小さく右手を振って、車を送りだした。
 坂を下っていく車が消える。
 ふうっ…と小さなため息を付く。
 …今に至っても、先輩が心を開いているのは綾香と俺とそれを取り巻く数人だけ。
 でも、彼女は、俺や綾香を踏み台にしてその心を羽ばたかせようとしている。
 その努力を、いつまでも見守りたいと思う。
 この俺に、その…資格があるならば。
 そして早く気付いて欲しい、もう一つの、不毛な想いに。


 PM5:00。
 坂を下る。
 さっき先輩の見上げた空は、より一層赤くなり夜の闇がその陰を表わす。
 秋の雲が大きな太陽の赤さを反射して夕方を演出する。
 頬に当たる風が秋風から夜風に変わり、肌を緊張させる。
 坂の下に展開する街が、家族の色に染まるのを理屈ではなく感じる。
 やもすれば急ぎかねない足を制しながら、意図的にゆるり足を運ぶ。
 代わりゆく情景の中にとどまろうとする自分に、取り残されたような感覚を。
 それを寂しさというのだろうか。
 だけど、その心故か、全てが綺麗に…そう、美しく光る。

 その光の中へ足を運ぶ。
 一日と言う時の中であてもなく広がっていた心が、一点に収縮していく。
 あいつにただ一言、ただいま、を言うために。
 さぁ…家へ帰ろう。

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