最高の贅沢



「センパイ、これで上がりましょう!」
 目指す先から、そんなかわいらしい声が聞こえた。
 ふふ、頑張ってるわね、葵。
「おうっ、お疲れさん!」
 つづけて、そんな声。
 うししし、いきなり現れたら、驚くかしらね、ヒロのやつ。
 ちょうど終わった所見たいだし、ちと驚かしてやろ。
 私はそんなことを思いながら、足を境内に運ぶ。

 寺の前の、少し開けたスペースにでると、ちょうどヒロの奴が、サンドバッグを片付けているところだった。
 ふふ、ちょうどいいわ。
 忍び足でヒロの背後に忍び寄る。
 さすが私、軽やかなフットワーク!
 彼氏にさえ存在を気づかせないなんて、すごすぎるわ私!
 さぁて…かるーく驚かしてやろうかしらね。
 と、少し大きめな声を出そうとしたとき…
「あ!綾香さん!いらしてたんですね!!」
 背後から、おおきな声が聞こえた。
 がーん。
 あ、葵ぃ〜…。
 その声に反応して、ヒロがこちらに顔を向ける。
「んお?あ、綾香?おまえ、なんでここに?」
 私をみたヒロは、そんなマヌケな言葉を口にした。
 ……。
 あ、葵〜、よくもあんた私のささやかないたずらを…!
 し、しかも、ヒロ、あんた…もうちっと気の効いた事言えないの…?
 ……はぁ。
 うなだれる私。
 やってらんないわ、とほほ。
「…あ、綾香さんっ?ど、どうしたんですかっ?」
「?なにやってんだ、おまえ?」
 なにやってんだ、じゃないわよ、ったく。
 私は気を取り直して顔を上げると、二人の顔を見た。
 ほんとに、なんでここにいるんだって顔してる。
 まぁ、葵はともかく、ヒロ、あんたガールフレンド目の前にして何をいうかね…。
 …せっかく逢いにきてあげたというのに…。
 まぁ…そこがいいと言えばいいんだけど…、はぁ…ま、いっか。
 私はひと息おいて、
「いやぁね、偶然午後がフリーになったからね、どんな感じか様子見にね〜」
 そう言った。
「わ、わざわざ見に来てくださったんですかっ!?」
 葵が、感激ですっ!と言った風に声を出す。
 そうよ、あなたのことも偵察しておかないと次のエクスストリーム、大変だもん、そんな言葉を口にしようとしたときだった。
 体の右がわに、どさっと重みがかかったかと思うと、左側から腕が伸びてきた。
 ?…げ。
 どうやら、ヒロの奴がからんできたらしい…ってオイオイ、葵が見てるわよ…ってオイオイ、そーゆう問題じゃないだろ、私。
 ひとりボケツッコミに頭をこんがらせることわずかコンマ数秒。
 その間に…ヒロの奴が、「なにか」を口にした。
 ?へ?こいつ、何をいったんだ?
 目の前で、葵が照れながら
「…二人、本当に仲がいいんですね!」
 そんな事を言っていた。
 …はぁ?どうなってるの?
「…ちょっと…あんた、いま、なんて言ったの…?私、聞き取れなかったんだけど…?」
 ギロリ、睨みを効かせながら、少しきつめに言ってみた。
 …大体、想像はつくけど…。
「んのー、『ちげーよ、こいつは、少しでも俺の顔が見たくてやって来たんだよん、かわいーやつだなぁ』て言った」
 へらへらと、答えるヒロ。
 …んのやろー、何を言ってるんじゃ!
 あながち間違いでもないところが、めっちゃくやしい!
 この!と、ヒロのからだを振り払い…あ!まずい!おもわず手がでた!
 しかも、右ストレート!
 て、照れ隠しのつもりがぁ!
 あちゃ、ヤバ、思いきりっ…お願い、よけてぇ!
 目を閉じる、ヒロが自分の手で打ちのめされるのなんて、見たくない〜!
 バシッ!
「ああっ!!」
 葵の声。
 やばぁ、やっちゃっ…た?…って、いや、ちがう、手ごたえがおかしい。
 そーっと目を開ける…すると、そこには左できちっとブロックしているヒロの姿があった。
 ……は…はぁー…よ、よかったぁ。
 し、しかし…ヒロのやつ…私の右ストレートを…ブロックするなんて…。
 う、腕を上げたわね…!
 ちらりとヒロを見る。
 目が合うと同時に、ニヤリ、口元をゆがませ笑う。
「…ふっ。俺だって、遊んでる訳じゃないんだぜ…」
 かー!
 言うに事欠いてそれかい!
 もーいいわ、やってらんないわ!
 キッ、そうヒロをひと睨みして、この場を去ろうと決心。
 目をつりあげ…睨もうと…あ、あれ?ヒロの奴…いない?
「おーう、綾香ぁ。これ片付けるまで、待っててくれー。終わったら一緒に帰ろうぜぇ」
 …10メートルほど前から、サンドバッグを抱え、葵とならんでいるヒロが、呼び掛けてきた。
 …な、なんて素早い奴なの…。
 は…あはは…。
 …はぁ…。

「それじゃ、葵、これからも頑張ってね」
「はいっ、送っていただき、ありがとうございました!センパイ、また明日よろしくお願いします!」
 そう言って、車から降りた葵が、ぺこりと頭を下げる。
 相変わらず礼儀正しい子だ、そう思う。
 ヒロのやつは、窓から顔を出して、じゃあ、また明日ね、とか言葉をかけていた。
 …。
 葵の挨拶もおわり、セバスチャンが、車をだす。
 車のタイヤが回転し始め、それとシンクロするかの様に、私の頭も回転し始める。
 …そっか、よくよく考えて見りゃ、葵は、こいつとずっと一緒に練習している…訳ね。
 ちぇ…ちとずるいぞ、葵ぃ…って、いまさら嫉妬もないか。
 ヒロの奴と言えば、そんな私の頭の中など興味がないのか、ただだまってシートに身を任せている。
 …妙な沈黙が続く。
 ?
 それにしてもおっかしーわねぇ。
 いつもなら、セバスチャンをからかったりしてるのに…。
 うーん?
 と、そのとき、ヒロが言葉を発した。
「…しかし、あいかわらずすげぇ車だな。美川憲一の車みたいだ」
 …はぁ?いきなり何を言うかな、こいつは。
「な、何を言ってるの?だいたい、美川憲一って、なによぉ。あんなんと一緒にしないでよ」
「ははは、スマー。だけどさぁ、いやさ、なんか、贅沢だなぁ、とね 。今更っちゃ、そうだけどな」
 笑いながら、ヒロが言った。
 …当たり前じゃない…一応、来栖川だからねぇ…それなりの事はね。
 しかし…引け目、感じてるの?
 …いまさら?

 そのとき、車はヒロの家の前へ。
 ヒロがセバスチャンにサンキューとか言いながら、車を降りた。
 私も、つづけて車を降りる。
 ヒロには、きちんと別れを言いたいから。
「じゃ、またな、綾香。今度は、二人っきりで会おうぜ」
 ヒロが何もなかったように言った。
 …だが、何と無く納得がいかない私。
「…ねぇ、ヒロ、さっきの言葉、どういうこと?贅沢って?」
 …さぁ、どうでるヒロ。
 んぉ、と言った表情をし、ヒロは少し黙りこくると…ひと呼吸をおいて
「綾香様は、贅沢の中で暮らしておる」
 そんな事を言った。
 はぁ?訳わからんこといわないでよ。
「少なくとも、庶民である俺には、そう感じる」
 はぁ?
 怪訝な顔をする私を無視するかのように、そして自分の言葉によっているかのように、ヒロは言葉を続ける。
 何が言いたいんだ、この男は?
「…だから、なんだってのよ…?」
「だがな…おまえは『最高の贅沢』って奴を、知ってるか?」
 キッパリと言った。
 最高の贅沢ぅ?
 なによそれ、訳わからないわ…。
「?」
「ふふ…やっぱり、知らない…というか、分かってないようだな」
 …ふふって、なによ、一体…。
 それに、最高の贅沢って…こいつ、一体…。
「だから…何が言いたいのよ?それに、『最高の贅沢』って、なんなのよ?」
 すこし、いらいらしながら。
 こいつ、時々人をおちょくるように話す事があるからなー。
 そういう時って、必ず「切り札」持ってるんだよね…。
 …うー…わからん分からん奴め…、睨んでやれ!
 じろっと目を向けた…その時、ヒロの奴は、自信満々に、こう、言った。

「おまえの『最高の贅沢』ってのは、この俺に愛されているってことさ」

 !?
 !?!?
 !?な、なに言い出すの、コイツは!?
「な!ななななななな?」
 驚きで声がでない私を、満足げに見,ニヤリと笑うと、ヒロは
「じゃ、またな」
 と言って、さっさと家の中に入っていってしまった。
 …は…はぁ?
 ちょ、ちょっと待ちなさいよ…!
 い、一体、なんなのよぉぉーーーーーー!!!!

「綾香お嬢様、行きましょう」
 運転席の窓から、何も知らないセバスが顔を出して、言った。
 釈然としないまま、車に乗り込む。
 …なんだってのよ…。
 夜とも夕方ともつかない時間帯の、あいまいな闇の中を泳ぐリムジン。
 うっすらと、窓ガラスに自分の顔が写る。
 アイツへの疑問が形になったような、眉間によるシワに
「美人が台無し」
 そう、つぶやいた。

 プルル…。
 電話が鳴った。
 コール3回で一旦切れて、再びコール。
 ヒロの奴だ。
 いまさらこんなことをする奴がいるのかねー、と思うが、私にとってはありがたい。
 言葉遣い…お嬢様だから、私。
「もしもし」
「もしもし…綾香?」
 受話器から耳慣れた声、ヒロの奴だ。
 …何だってのよ。
「…そうだけど…何?どうしたの、こんな時間に?」
 すこし、かったるそうに言ってみた。
 夕方のこと、まだ引きずってる、私。
 …当たり前か。
 そんな私の感情を、分かっているのかいないのか、受話器の向こう、少しの沈黙…。
 そして…
「なぁなぁ、別れ際の俺の言葉、イケてた!?なぁ!?どうだった!?」
 はしゃぐような声。
 ……!。
 ぐ、ぎゃぁ、こ、コイツって奴はぁ!
 そ、そういう事か!
 ちきしょー!く、くやしぃーーーー!!!
「あ、あんたねぇーー!!な、なによ!用はそれだけ?なら、切るわよ!」
 怒鳴るように私、ったく!
「あー、まってくれー、切らないでくれー、綾香様ぁー!」
 今度は、モロに演技な猫なで声。
 コ、コロコロ態度変えちゃって…コノヤロ!
なんと、再び、Hirokazuさんが、
挿し絵を描いてくださいました〜!!
おいら、感激っすぅ!!!ありがとうございますっ!!
クリックすると、原寸でお楽しみになれます〜
「だから、何だってのよ!速く、用件言いなさいよ!」
 キレて私。
 すると、電話の向こうから
「綾香」
 一言、ポツンとした声がし、続けて
「綾香の声が聞きたかった」
 今度は、はっきりとした声が、耳に響いた。
 …。
 …ちぇー…。
 …。
 …ちぇー…。

 そして。
 二時間後、私はやっと受話器を置いた。
 壁に掛かる時計の、長針と短針が、真上を向いて重なる。
 日が変わった。
 もう、寝なきゃね…明日も早い、練習もあるし。

 シャワーを浴び、ネグリジェを着て、ベッドに潜り込む。
 目をつぶりながら、小さな声で…
「…おやすみ、私の好きな人…」
 …最高の贅沢を、ありがとう。


終わり



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