りぼん用語辞典
第2版:H17.12.24.更新
「オリジナル」・「発行部数」
はじめに
「『りぼん』命って奴は、世の中に、まァ、ゴマンといるが、
こと『りぼん』の漫画が、漫画として最高と思っているヤツは少ないと思うヨ。
乙女ちっくすぎて非現実的だとか、内容が幼すぎとか、みーんな自嘲的に笑ったりしてナ。
…で、他の雑誌を恒常的に手に取るようになった時気付くのヨ。アレよかったって。
そして、戻れる奴は再び『りぼん』に戻るし、事情が許さず戻れない奴もずっと忘れない雑誌になるのヨ。
突出していたのは『りぼん』の漫画じゃなく、その存在そのものだったんだと気付くのヨ」
そんな雑誌の存在を、フォローするような内容を目指しました。
まだ、りぼんを手にしたばかりで、みんなの交錯する想いに圧倒されるばかりの方々の、
ほんの少しでも力になれたらと思っています。
[あ]
[か]
[さ]
[た]
[な]
[は]
[ま]
[や]
[ら]
[わ・ん]
Special Articles
「満月をさがして」の丸かじり
愛 夢 笑い
りぼんの基本理念。
善し悪しはともかく、語呂が悪いと思う。「2−2−3」より「2−3−2」…。
アニメ化
りぼん誌上の漫画を原作とし、アニメが作られること。
TVアニメ化、OVA化などの他、CSアニメ化という対象視聴者不明なものまで様々である。
ある程度連載された作品をアニメ化する王道のほか、同時開始のタイアップのようなものもある。
他メディアへの露出の増加により、作品への影響が懸念される、センシティブな出来事でもある。
ライバル誌がこぞってアニメ化し、成功している事実があるため、事態はさらにややこしくなる。
成功例は「姫ちゃんのリボン」であろうが、これも本誌低年齢化の原因だとか賛否両論のため難しい。
中途半端な取り組みが、中途半端な結果しか生まない事を証明している、いい例である。
移籍 名詞
りぼんの漫画家が、りぼんから別の雑誌に活躍の場を移すこと。正式な言葉ではないが、一部でこう呼ばれる。
りぼんに籍を置いている、というか、りぼんに籍を置く、という制度はないから、これは間違った用法であろう。
しかし、「感覚的に「移籍」と呼ぶのは吝かではない」というのは、非常にりぼんらしさを象徴している。
大概、同じ集英社の雑誌であるクッキーやコーラスなどに移籍するが、出版社を超えての移籍もある。
前者の例では、一条ゆかり先生や池野恋先生、後者では寿らいむ先生や藤馬かおり先生などがいる。
最近では、移籍を受け入れたりして濃い読者を困惑させたりもしている。これもまた「りぼんらしさ」か…。
イメージアルバム 名詞
メディアミックスの一手段。漫画を、音楽の世界に落とし込む事。(以下IA)。
漫画の世界を反映した歌や曲などで構成され、別の感覚から作品の世界に触れることが出来る。
最近はあまり聞かないが、80年代後半の人気作品は積極的にIA化されていた。
原作者はジャケットイラストや作詞という形で、製作に参加することになる。
が、吉住渉先生は、「ハンサムな彼女」のIAで自ら歌を歌うという行動に出、ファンを驚愕させた。
絵 名詞
漫画の表現のうち、最も重要な要素の一つ。
だが、りぼんで生き残るためには「絵より話」であることは、一条先生のコメントからも明らか。
プッシュされる段階で自然と絵は上達していくのは、不思議ではあるが確かなことである。
同時に、下降線をたどると絵が崩れるのは、絵が漫画家の心理と直結しているからなのであろうか。
落とす 動詞
何らかの理由で、原稿が印刷に間に合わなくなること。「原稿を−」。
理由は、健康上だったり、作者の都合だったり、不明だったりする。
完全に休載、一部落ち、未完成のまま印刷と、落とし方にも様々な形がある。
読者、編集、株主、漫画家、それぞれ色々な見方があるだろう。難しい問題ではある。
<コラム>
原稿を落とすという行為は、非常に広範囲の人に(どちらかというと悪い)影響を及ぼす出来事である。
そして、もう一つ重要、かつ非常に判断が難しいことは、事態発生後の対応であると思料する。
例えば、原稿が下書き状態です、というときに、載せるか載せないかは、どう判断すべきなのか。
待ってくれている読者が、下書きでも読めるほうが嬉しいと思うのか、評判を下げる事になるのか。
下書き状態で掲載することが、雑誌のブランド力をどこまで傷つけるのか、それとも傷つけないのか。
掲載しないことにより売上が下がるような事態になるならば、下書きでも掲載に踏み切るべきではないのか。
漫画家、編集者にとってみれば、己の保身についても考えざる得ないだろう。一体だれが尊重されるべきか。
ちょっと考えてみただけでも、コンセンサスが得られないような事ばかりが挙がってくる。
巨匠藤子不二雄先生は、一度原稿を落としたことにより、2年ほど漫画界から干されている。
最近はそのようなことも無いようだが、原稿落しはそれほどの重罪であると漫画家には認識していただきたい。
納期は守るために存在しているのであり、それを守るのは社会人として最低の義務のはずだから。
オダカズ事件 名詞
水沢めぐみ先生の代表作「姫ちゃんのリボン」で発生した事件のこと。
緒田和也という人物に関する表現が、単行本化に際し大幅に変更された。というか、率直に言うと削除された。
連載時に、不朽の名作「ときめきトゥナイト」との内容の酷似が指摘され話題になった結果がこれである。
250万部を支えた大看板連載が、安易にパクるなど正気の沙汰とは思えず、意図は今もって不明である。
個人的には、これを食い止められなかった編集・担当にも大きな責任があると考えている。
「チャイム」でりぼんにハマった私としては、水沢先生の失墜は非常に心苦しいものがあるのだ…。
(準備中)
乙女ちっく(準備稿) 名詞
現在では、18禁を含む美少女ゲームにもこの影響を強く受けた作品が見られる。
つまり、乙女だろうが男だろうが、で、憧れにはGenderもSexも関係ないということなのだろう。
オリジっ娘 名詞
りぼんオリジナルの読者のこと。
「りぼんっこに対こうして。」とは、アニ横の前川涼先生の弁。
オリジっ娘はほぼ完全にりぼんっこであると推測されるため、細分化されたセグメントと言える。
不思議と女性に限定しているようであるが、理由は不明。
とりあえず、発声しにくい言葉ではある。
オリジナル 名詞
りぼんオリジナルのこと。関連誌の一。隔月にて刊行中。
若手登用の増刊として位置付けられてはいたが、現在では同一のコンセプトのまま、立派な雑誌となった。
本誌登場前の腕試し的な作品が多く掲載されているいたため、技量はともかく勢いには好感が持てるた。
ここで成功することによって、本誌掲載というチャンスが与えられる、重要な場所であるった。
最近は、少し切ない乙女ちっく作品など、本誌で見られない作風を掲載している。
これは紙面の差別化というより、好まれる作風を探っているのではないかと思っているが、どうだろうか。
と、思っていたら、2005/12に紙面がリニューアル。若手登用の場から、ベテラン救済の場へとコンセプトが移行したらしい。
<コラム>
上記の最終項を書いたのは、2003/5のことなのだが、わずか半年にして事態が変わったと見える。
なにしろ、本誌との間で作品の出入りが激しく、どうにもプロ野球の2軍みたいな状態なのである。
プロ野球の2軍というのは、若手の育成と故障者のリハビリを実戦で同時並行させる組織であり、
まさに今(2003年現在)のオリジナルであると言えないだろうか…。
感じが悪いのは確かだが、純粋にそう感じてしまった自分がいる。
でも、僕はどちらかというと、本誌よりオリジナルを良しとする珍しい人物であり、
個人的名作「無敵のビーナス」なども、オリジナル出身本誌掲載組の一つとして誇りにさえ感じているのだ。
そのような作品が、今後もこの雑誌から継続的に生まれてくることを、心より祈念したい…。
<コラム2>
上のコラムから3年弱。りぼんの置かれている状況も変わってきたらしく、
遂に増刊誌のコンセプト転換にまで踏み切りざるをえなくなった。
しかも、その方向性が、ベテランの登用ということで、これはどういうことなんだろう?
ベテランの救済(職場創造)なのか、それとも、離れていった高年齢の読者を取り戻すためか?
どっちにしろ、ロクなアイデアではない。しかも、それにより若手の場が縮まるということならば、論外である。
かつてのりぼんは、作家の粋(生)のよさが最大の売り物だったと思う。
鮮度が落ちた作家は、いくら才能があっても、容赦なく切り捨てていったハズ。良い事だとは言わないが、
それが、まだそれほど作品にシビアな態度を持たない若年層の感性にマッチしていたのは、間違いないだろう。
そういう物を、バッサリと切り捨てる。英断だ。その勇気は認めたいところである。しかし…。
ターゲットは、僕のような人たちなのか?もしそうなら、こんな雑誌、売れて欲しくない。
早いところなくなって欲しい。そして、昔のオリジナルをまた見せて欲しい。
そんな気持ちでいっぱいである。
オムニバス 名詞
いくつかの独立した話により、大きな一つの話を形成する作品のこと。
読みきりは読みきり、連載は連載と割り切るりぼんには似合わない形式であり、採用例は極めて少ない。
そんな土壌の中、谷川史子先生はオムニバスの名作家として大成した。これはものすごいことである。
だが、りぼんの対象年齢に受けたとは決して言えなかったし、編集サイドも持て余していた感は否めない。
<コラム>
ご存知かもしれないが、僕はりぼん作家としての谷川史子先生が好きであり、作品も好きである。
それはひとえに話の紡ぎ方にあるのだが、その中でも登場人物が交錯するオムニバスには強く惹かれる。
だが、これが万人に受け入れられる形か、と問われると、そうだとは言い切れない自分がいる。
特に、作品への感情移入を強く促したがるりぼんの作品の中で、毎度主人公が入れ替わるオムニバスは、
どう考えてもメインストリームにはなり得ないし、又、だれもそれを望んではいないことを理解しているのだ。
だからといって、じゃぁ読者に応える形での連載だけが望ましいかというと、それはNG。
さまざまな良質の作品を読者に提供することにより、読者の眼をも育てる、それぐらいの気概が欲しい。
りぼんは、成長期をともに過ごす雑誌。だからこそ、様々な成長へのきっかけを与える、
そんな紙面づくりをしてほしいな、と僕なんかは考えております。
学校訪問 名詞
文字通り、学校を訪ねること。
ちゃおに業界1位を奪取された時、りぼんが突発的にブチ上げた企画の一つ。
読者主導で、りぼん漫画家・編集者が学校に行っちゃうよ!という企画であった。
が、これ、行われたのか?企画倒れ?本誌見ている限りでは一応やっているようだが…。
よくよく考えてみると、一般読者とは全く縁が無いページが掲載される企画もいかがなものかと。
カラー 名詞
カラーページから始まる漫画のこと。
カラーページの有無は、ある程度、人気のバロメーターとなり得る。
が、プッシュや過去の威光の影響もあるため、カラー=人気、とは一概には言えないのに注意。
連載漫画がカラーページ有りのときは、カラー連載、と呼ぶことがある。
カラー落ち 名詞
カラー連載していた漫画から、カラーページが消えること。
人気が下降気味の連載がこのような待遇を受けるほか、多忙などによっても発生する。
よって、カラー落ち=人気が無い、などと考えず、総合的に事態を分析することが大切だ。
カレンダー 名詞
こよみ表のこと。りぼん1月号の恒例付録である。
12月分の絵を主力連載陣が担当するため、その時点でのりぼんの「力」が判明する。
しかし、2004年のカレンダー、ちょっと苦しいよなこれ(爆
巻頭 名詞
雑誌のトップを飾る漫画のこと。ほとんどの場合カラーであり、その場合は巻頭カラーと呼ぶ。
強いプッシュ作品のみが割り当てられるため、その時々の編集部の意向が分かる。
本誌連載の上、プッシュされなくては到達できない場所のため、まさに名誉といえる。
これと表紙、両方を担当してこそ、本当のトップ作家と言えるのではないだろうか。
連載一回目・表紙・巻頭カラーとなると、とてつもない名誉だといえよう。
巻頭カラー 名詞
→巻頭
眼球肥大症 名詞
目が大きく腫れ上がること。顔における、目の面積比の拡大傾向を言う。
傾向は90年代前半からと言われ、現在の連載陣/中堅作家は、高い確率で感染している。
目を大きく描く事により、絵柄と表情が可愛らしくなるため、主流の絵柄となった。
個人的には「眼球拡大症候群(Eyeball Magnification Syndrome), EMS」がカッコよくて良いと思う。
<コラム>
眼球肥大症は90年代のトレンドともいえるが、男性である私からしてみると、
少女漫画といえば「大きなキラキラ目」という偏見があったぐらいで、
別に拡大とか肥大とかしたとはあまり感じないというのが正直なところである。
なお、目が大きいと可愛く見えるのは、生物的な本能らしく、
子供が「可愛らしい」のは、顔に占める目の面積を拡大することにより、
相手に可愛いと錯覚させ、身の保全を守るというシステムがあるという。
しかし、本能的に可愛いと思う、といわれても理解しがたいものがあるのもまた事実なのである。
関連誌 名詞
りぼんオリジナル、増刊、総集編などを、りぼんとの比較上こう呼ぶ。りぼんは本誌となる。
暗に、りぼん本誌は別格なんだという意味合いが含まれていると思われる。
ただし、明確に定義がされているわけではないし、編集部で用いられているかも不明。
↑と書いたが、津山先生が漫画内で用いてた。どうやら公認用語らしい。
高校 名詞
中学校を卒業したものに、高等普通教育または専門教育を行う教育機関のこと。高等学校。
日本での進学率は実に96.6%。ほとんどの人が通い、15歳〜18歳という多感な時期を過ごす。
りぼん作者は大概この時期に投稿を重ね、デビューへと駆け上がっていくが、まれにデビューすることもある。
デビュー自体は凄いことだが、だからといってことさら「高校生漫画家」とか言うのはいまいち馴染めない。
個人的には、高校生ん時にはそのときしか出来ないことをして、さまざまな事を感じ、
心を成長させる時期であるべきなのではないか、と思っている。いろいろな意味でかけがえの無い時期なのだ。
<コラム>
一時、GALS!でりぼんを支えた藤井みほな先生は、高校のときの思い出は漫画を書いていたことだけ、
とどこかで言っていた。そういう生き方もあるかもね、とか、それはそれで夢のかなえ方なんじゃないの、
とか言う意見もあるだろうが、僕なんかにしてみると、とても勿体無い生き方をしていると思う。
高校生の瑞々しい感性というものは、その時期を通り過ぎてしまうと取り戻しようが無い。
そのとき感じたさまざまなことや経験こそが、りぼん紙面を飾るべき漫画に相応しいのではないかと思うのだ。
それだけに、僕からすると、りぼんの漫画家を目指す人には思いっきり高校ライフをエンジョイしてもらいたい、
そういう風に考えているのだが…編集部とはちょっとばっかり違うみたいなのよね、この考え方。
学歴優先などと言うつもりはないが、高校生活をそれなりに送り、将来を考えていた漫画家、
たとえば水沢めぐみ先生や吉住渉先生などは、ご覧のとおり息が長い。
高校時代には、高校時代に相応しい時間のすごし方をすべきではないか?させるべきではないか?
そして、日本人は時間を輪切りにして考える傾向があるが、これは早急に流れとしてみるよう変化が必要だと、
僕などは考えているのだが、どうなのだろうか?
高校生 名詞
高等学校に通う生徒のこと。
→高校。
コミックス 名詞
→単行本
CD-ROM 名詞
2003年9月号で初登場、新しい付録の形である。
内容は公認HPである「りぼんわくわくステーション」の焼き直しで、新鮮味は薄い。
アンケートから、読者におけるPC普及率を割り出した上での企画だと思いたいのだが、さて。
冷静に考えて、小学校低学年が積極的にPC使うか?仮に使ってたなら、直接HPみてないか…?
さらには、同じ2003年9月号ちゃおの付録はCDドラマ。企画力で負けた感は否めない。
<コラム>
CD-ROMとは思い切ったことを、と密かに感心していたのだが、同時発売のちゃおの付録が、
CDドラマだというのを発売日に知り、最近のりぼんの負け犬っぷりを実感させられた。
おそらく、りぼんではこのCD-ROMが現状での限界であり、CDドラマはどうしても全プレどまり、
たとえそれを推進しようとする人がいても、反対勢力が押えつけるだろうことは想像に易い。
ちゃおの強みは、新興勢力として思い切った施策を打てることであり、これはりぼんの弱みである。
正直なところ、りぼんの強みと言われているものは現りぼん読者にとってはどうでもいいことばかりで、
これでは戦いにもなっていないというのが、僕の見方である。
ここはもう、漫画家ではなく、編集者が切り開くべき境地。今の編集者は、きっと変化は促せない。
売れた作品を担当したから責任者、という出世の道から、クリエイティブな視線の責任者を育成する、
そんな道への変化を、りぼん編集部には期待したいと思う。
主人公 名詞
ストーリーの軸となる登場人物のこと。
りぼん本誌では、(信じがたいことだが)女性しか主人公の座を勝ち取ることが出来ない。
読者とのシンクロを深めるための策なのだろうが、男女差別と言えなくもないし、それ以上に、
そんな足枷を加えて良質の漫画を生み出すきっかけを失わせている編集部には、嫌悪感さえ感じる。
それに比べ、関連誌においてはそのような規制もなく、おおいま先生や榎本先生が秀作を生み出している。
<コラム>
ヒロインとシンクロ、というのは大切な要素であるが、編集部はちょっと勘違いしていると思う。
りぼんの根底は「愛・夢・笑い」であり、「幻想」ではないはずだ。
本誌連載組において、いまいちその地位を確立できない榎本先生は、確かにヒロインを描かせたらイマイチだが、
番外編としてヒーロー視点に持ち込むと、とてつもない才能を発揮したりする。
編集として大切なのは、漫画家の才能を引き出すことであり、このような才能を軽視するのは納得できない。
良質な少女漫画が、ヒロインだけからしか生まれないと思っているのなら、それは間違いのはず。
りぼんの復活のためにも、編集部には柔軟な思考を持っていただきたいと考えている。
出世作 名詞
その人の名前を確立した作品のこと。
りぼんでは、本誌初連載作品、などがそれに該当するか。もちろんそれがスベってれば論外だが。
猛プッシュされた作品は、ある程度の成功が(作為的に)約束されるため、出世作となる確立が高い。
これが同時に代表作となるケースも散見される。というか、読者が思い込んでるケースも多いが。
cf.→代表作
<コラム>
吉住先生を例に取ると:
出世作→ハンサムな彼女(四重奏ゲームじゃないだろ…?)
代表作→ママレード・ボーイ
となるんだろう、世間的に。僕にしてみると、代表作もハンサムな気がするのだが、
あえてコンセンサスを形成する必要もあるまい。思い入れはあれど、そこは流す度量が欲しいですな。
個人的ナンバーワン作家、谷川先生になると:
出世作→…か、各駅停車…?
代表作→…くじら日和かなぁ…?
そんな感じで、いまいちそういう定義が明確にフィットしなかったりもする。
そういうのもあるということで一つ。
純血主義 名詞
自社で育成の上、自社のみで登用という、りぼんの方針のこと。
作者を一元管理する集英社ならではの方針であり、ジャンプなどもこの方針をとっている。
メリットデメリットはともかく、重要なのはなぜりぼんがこの方針をとっているかであろう。
個人的には、純血主義だからりぼんなのだ、だと思っている。
上下巻 名詞
この辞典の作者が『前後巻』と間違って掲載していた項目。以下はその名残。恥ずかしいけどそのまま放置。
上下、という響きが教科書っぽく、優等生志向のりぼんらしさを発揮していたし、連載の計画性も感じさせた。
現在は、通常の数字カウント式となっているため、現行読者が目にすることは稀であろう。
本誌←→関連を行ったりきたりとか、復活というパターンもある現在…ちょっと無理か?
新人漫画賞 名詞
「りぼん新人漫画賞」のこと。上下で年二回行われている。
漫画スクールとの明確な違いは、審査委員が漫画家な事である。(スクールは編集者)。
個人的に、2本のルートが差別化できているとは思えず、ちょっと理解できない企画である。
一条先生ぐらいの眼があれば、とは思うが、今の審査員を見るとちょっと引いてしまうざる得ない。
ところで、この制度が実に高いレベルで職業倫理感を試されるものだということに、何人が気づいているのだろう…?
全プレ 名詞
全員プレゼント、の事・略。
その時の代表作のキャラグッズやPVを、希望者向けに配布する。
本誌に付与された応募券を編集部に送付することによって入手可能。応募券が2か月分必要の場合もある。
懸賞と違い、100%入手できるのが特徴。読者に優しい制度であるし、Customer retentionとして有効な制度でもある。
でも、正確には、「希望者向け全員景品交換」だと思う。読者は切手という有価証券を提供するわけだし…。
前後巻 名詞
りぼんマスコットコミックスの発刊形態。2巻構成の時、用いられていた。
現在は、通常の数字カウント式となっているため、現行読者が目にすることは稀であろう。
本誌←→関連を行ったりきたりとか、復活というパターンもある現在…ちょっと無理か?
前後巻の女 名詞
高須賀由枝先生のこと。単行本において前後巻構成になる漫画ばかり連載していたことによる。
おそらくは揶揄だったのだろうが、連載は長ければ良いものでもなく、それはそれで作者の色の気もする。
だが、彼女はそのような揶揄に反発するかのごとく、グッドモーニングコールでトップ作者の仲間入り。
実に11巻にも及ぶ長期連載を担当し、一時期のりぼんを支えることとなった。
増刊号 名詞
オリジナルの合間を縫う増刊で、「びっくり増刊」「おたのしみ増刊」などがある。おたのしみ?
90年代初頭に、増えすぎた作者救済のため刊行されたという噂があるが、真偽は不明。
無理やり作っているような印象が拭えず、悲しいかな出来はイマイチである。再録は…。
漫画家救済のための雑誌であるならば失礼な話だ、と一喝しておこう。
タイトル 名詞
作品の表題のこと。
作者が付けたり編集に投げたりとさまざまだが、作品の顔になる点は変わらない。
作品を手に取るかどうかはタイトルで決定するだろうから、とても大切な作品の一部だと思っているのだが。
代表作 名詞
その作者全てを形容するような、その人を語るに欠かせない決定的な作品のこと。
りぼんでは、プッシュが強烈だった作品がそのまま代表作になる傾向が見られる。
安定した地位を確立した後の作品は、よく「○○」のほうが良かった、とかいう言葉で片付けられるが…。
現在の読者に過去の作品がどれだけ重要か?最新作が代表作、そうであってもらいたいですな。
cf.→出世作
単行本 名詞
雑誌に掲載されたものを1冊に再編集の上、販売するもの。コミックス。
りぼんの場合、「りぼんマスコットコミックス」という専用レーベルがある。
まとめて読みたい人他、雑誌を読まなくなったものの特定筆者はぜひ、という人も手に取るようだ。
1/4・1/3広告スペースを活用した、おまけを楽しみにしている人も多い。
RMCの場合、雑誌と縦横比が異なるため、若干違和感がなくも無い。
担当 名詞
漫画家に付く編集者のこと。ある程度の成績を収めることにより、漫画家候補にも付く。
りぼん編集部の担当者は、比較的、社会人として若年者のようである。
勢いは買いたいところだが、イマイチ世間知らずな印象を受ける。自覚に欠けるといいますか…。
もっと日々の研鑚に務め、紙面が魅力溢れるように、陰ながら作者をサポートしてくださいね。
中堅 名詞・形容詞
ある集団の中で、中心的な役割を担う者のこと。
りぼんでは、2種類の中堅があると思う。経験年数的と作品的な中堅だ。
前者においては、「倉橋ゆかり」先生などが該当すると思う。ベテランに区分は躊躇われる。
後者においては、「亜月亮」先生あたりの、一線級漫画家のことである。
本来、漫画雑誌の柱となる層だとは思うが、ここの扱いが蔑ろなのは気のせいだろうか。
長期連載の大切さは分かるが、量産の利く作者ばかりを登用するのは健全とはいえないだろう。
かつての「長谷川潤」「谷川史子」先生のような作風も、大切にしてもらいたいと思っている。
定価 名詞
ある物品に定めてある売価。ここでは、りぼんの店頭取引価格のこと。
平成15年11月現在(12月号)、本誌の定価は410円、オリジナルのそれは380円。
本誌でいうと、日本の1人あたりのGNP3,583,047円(=$32,585*109.96TTM)の0.01144%であるが、これは数遊び。
問題は、購入する人にとって、これが高いか安いかである。絶対的にも相対的にも。
小学生の平均小遣いが1000円として、410円は半分弱といったところであるが、売り手買い手ともに、
りぼんという雑誌が、収入の半分を費やす価値があるものなのか、少し考える必要があると思う。
正直に言う。今の僕にも、「今」のりぼんは「高い」のだ…。
<コラム>
「株式会社の使命は、株主価値の最大化です」なんて言葉は、似非経営学者の常套句。
ちょっと進んだ人は、「それだけではなく、それが法的に認められるのか」とか言ったりする。
でも、最終的に行き着き大切なことは、「それが人に受け入れられますか」ということなのではないでしょうか。
確かに、1行目の言葉は正しく、実践しなくてはならない命題だと思います。
でも、りぼんの編集者はそのようなスタンスでいてはならないと思うのです。
僕は、りぼんの編集者のなすべきことは、人の心や感性を育てることだと思っています。
そして、育った心や感性の報酬として、少女たちの貴重な小遣いが会社の元へと行くべきだと考えるのです。
自分のやっている仕事が、どれだけの犠牲を生み、その上で将来、どれだけの価値を築くのか。
それらを意識しながら、編集者には仕事をしていただきたいと祈る毎日です。
デビュー 名詞
漫画家候補から、漫画家になること。ここでは、りぼんの漫画家になること。
漫画スクールにて準りぼん賞を取ることが、現在最も一般的なデビューへの道である。
作者以上にその作者のデビューを待っているのが、実は読者だったりするのがりぼんならではだ。
デビューまでも苦しいだろうが、デビュー後はもっと苦しいだろう。華やかな通過点なのだ。
読者ページ 名詞
読者からのハガキと、それに対する編集者のレスポンスで構成されるページのこと。
双方向コミュニケーションが実践可能な場だが、それにはハガキが採用されなくてはならない。
下手すると、ハガキ職人にしか楽しめなくなってしまう可能性があるページである。
りぼんでは、若手編集者+中堅候補漫画家という組み合わせで運営され、雰囲気も良い。
読者ページは「とんケチャ」につきると思っているファンも多いに違いない、と見ているがどうか?
<コラム>
私は「とんケチャ」のリアルタイム読者ではないため、どのような雰囲気かは知らないが、
その盛り上がりは、何もみーやんの実力だけではないのではないかと思っている。
というのも、当時は弟誌ともいえる「ジャンプ」でも「ジャンプ放送局」という形で、
非常に強く読者ページがプッシュされており、集英社の方針として「読者ページ強化」
があったのではないかと睨んでいるからである。
それはともかく、読者ページを投稿者だけが楽しめるページにしてしまうのは避けるべきで、
その点、フィクションキャラを設けることにより、客観的に楽しめる紙面構成にした、
現在の「うらら王国」は上手いことやっているのではないか、そんな風に思っている。
偽久住君事件 名詞
「星の瞳のシルエット」の主人公、久住聡と同姓同名の人間が全国模試に現れたという事件。
詳しいことは、事件の当本人が事件についてのHPを作っているのでそちらを参照のこと。
ちょっとばっかり頭のいいヲタクは手におえんな、といういい例である。特に男性な。
別に、私が頭悪いから僻んでいるわけでは決してありません。念のため。
200万 名詞
りぼん好調期を形容する言葉で、発行部数のこと。
80年代中後期の出来事であり、この原動力は間違いなく「ときめきトゥナイト」なのである。
にもかかわらず、なぜか「星の瞳のシルエット」のキャッチコピーに用いられていた。
あっさりと自己担当の作品に使ってしまうあたり、みーやんのしたたかさと才能を感じてしまう…。
250万 名詞
りぼん絶頂期を形容する言葉で、発行部数のこと。実際の最高部数は265万という説もある。
連載作が全てヒットするという尋常ではない時期ではあり、このときが異常と考える人もいる。
「星の瞳のシルエット」、「銀色のハーモニー」のキャッチコピーに用いられていた。
用例:「250万乙女の恋の教科書」「250万乙女の恋の聖書」
発行部数 名詞
どのように定義されているのかちょっとわかりません。調べておきます(下で更新済)。
なぜ「販売部数」では無いのか疑問であるし、謎の多い数字。
ただし、これが1位から転落したという現実は、じわじわとりぼんを蝕むのではないか?
やっぱり、発行部数は怪しい数字で、適当な水増し数値だったことが、2004年に判明。
この後、各出版社は販売実数に基づいた数値を発表するようになった。りぼんはだいたい80万部前後。
となると、以前の発行部数ってのは一体なんだったのか…あの頃の200万部ってのは…。
まさか、…、じゃないでしょうね?
番外編 名詞
本筋以外の話のこと。脇役視点のザッピングだったり、過去・未来の話であることが多い。
りぼんでは、本誌連載漫画の番外編が、オリジナルに掲載されるパターンが多い。
本筋を補完する役割があるが、本筋で完結しないのは本末転倒と思っている人もいる。
長短あるのだが、このシステムが長らく続いているところを見ると、おそらく好まれてはいるのだろう。
なお、番外編とはいえども、重要な話をつかさどる事もある。
「ときめきトゥナイト」における、俊→蘭世のプロポーズシーンは番外編で描かれているほどだから。
表紙 名詞
文字通り、表紙のこと。雑誌の看板であり、まさに顔である。
手に取るか取らないかは表紙の出来によるところが大きいため、非常に重要な役割を持つ。
そのため、りぼんでは一部の認められた作者にしかその担当が回ってこない。
裏を返せば、表紙を担当できる作者は雑誌の中心的人物であり、トップクラス作者という事が出来るだろう。
なお、関連誌では時々、本誌人気作家が表紙(だけ)を担当するという姑息な手段が使われている。
少ないお小遣いを使って関連誌を買う小学生のことを、編集部にはもっと考えてもらいたい。
ファンタジー 名詞
空想、幻想。もともとは音楽用語で、形式にとらわれない幻想を盛り込んだ曲のことを言う。
つまりは、形式にとらわれず幻想を盛り込んだ作品のことを指すことになった。
りぼんでファンタジーというと、誰が何を言おうが「ときめきトゥナイト」であろう。
この作品後は、どの作者がどんな作品を描いても、一度は「ときめき以下」と言われる状態にある。
というわけで、りぼん作者がネガティブな意味で意識せざるを得ないジャンルであろう。
もちろん、描きたい作者は描くし、個人的にはこだわる必要もないと思うのだが。
冷静に考えてみると、りぼんの漫画はどの漫画のどの部分を取ってみてもファンタジーだし、
それどころか漫画という存在自体がファンタジーな気がしなくもない…。
袋とじ 名詞
本・雑誌の装丁で、紙の端が閉じられており袋状になって中が見えない形となっているもののこと。
2004年春のびっくり増刊にて、「満月をさがして袋とじ」という企画でりぼんに初導入。
というか、ウリが「少女漫画界」初導入!というものであったが、なんで袋とじにしたのか、いまいち良く分からない。
通常は、淫猥なものなどを隠匿するために用いられるため、「満月ならそれもアリか?」と万人が思っていたが、
どうもそういうわけでもなかったようで、要するに、なんか仕掛けてみるか、程度のものであった。
内容は、ただ中途半端な漫画であったため、「袋とじじゃなくなった」とたん、読者の記憶から抹消されたと言われる。
袋とじは開けるまでドキドキだが、開けてみるとなーんだ、というのが常であり、
それを上手く再現した企画といえよう。そして、それが狙いだったとしたら、大成功であったといえよう。
プッシュ 名詞
編集部による、特定の作者への猛烈な後押しのこと。編集部から読者への「押し」ということである。
才能を見出された作者には、これでもか!というぐらい本誌・関連誌問わず出番が回ってくる。
されるされないで、その後の待遇は雲泥の差なので、作者は与えられたチャンスをモノにしなくてはならない。
個人的には、読者に作者を選択する余地を与えない、編集部による読者の洗脳だと思っている。
そのためか、稀に人気作品とプッシュ作品が一致しないという現象が発生する。
過去の猛プッシュ作者では「池野恋」「椎名あゆみ」、近年では「種村有菜」各先生が有名である。
フレッシュ 名詞・形容詞
Fresh、『いきいきとした、が原義』(ジーニアス英和辞典より)。転じて、新しい、新鮮な。
年数にして3年目、経験にして本誌連載1回目ぐらいまでの作品・作者を形容するのに使われる。
「−よみきり」「−連載」と書かれていたら、編集部がある程度プッシュしてるのだと分かる。
この形容詞が用いられているうちに成功しないと、その後の展開は推して知るべし。
フレッシュだから許される、などということは無い。常に勝負。作者には本当に頭が下がる思いである。
ふろく 名詞
雑誌についてくるお楽しみのこと。
これの充実度で、シェアが変わってくるという意味では、漫画同様大切なコンテンツといえる。
非常に気合が入っているとは思うが、興味を持ったことが無いのでコメントできません…。
ふろくファンルーム 名詞
ふろくについての解説ほか、読者とふろくを通じたコミュニケーションを図るページ。
具体的な付録の使い方や、読者の一押し活用法なども掲載され、ふろくの重用度をうかがい知ることが出来る。
でも、これまたあまり手を出してなかったため、コメントできません…これから勉強します。
ベテラン 名詞
長い経験と優れた知識を兼ね備える者のこと。
りぼんでは、ベテランになる前に雑誌から卒業もあるため、ベテランは一種の勲章だと思う。
2、3本の長期連載が好評のうちに終了し、安定した人気を誇っている場合などが該当するだろう。
現在でいうと、「吉住渉」先生は文句なし、「椎名あゆみ」先生が該当だろうか。
個人的には、もうちょっとベテランさんを起用し、紙面のバランスを取るのが良いと思っている。
編集部 名詞
りぼん編集部。りぼんを作っているところ。
10人強といわれているが、プロパー以外に何人いるか分からないため、陣容は不明。
漫画家のサポート役として重要では有るが、最近、どうもサポートしきれていない印象が強い。
良い漫画は、編集部の強いサポートなくしては生まれてこないだろう。今後の奮起に期待したい。
自分たちのお給料は、少女たちの貴重なお小遣いから出ていることを忘れずに!!
本誌 名詞
りぼん、のこと。
りぼんオリジナル、増刊などは関連誌といい、差別化している。
本誌に掲載されることはりぼんの漫画家にとっては名誉であり、デビュー後の第一目標。
もちろん、本誌掲載は通過点に過ぎず、漫画家はさらに上を目指して切磋琢磨することとなる。
本誌読み切り→短期連載→長期連載→カラー付き連載→表紙・巻頭カラー、がステップの目処であろうか。
ファンの間では日常的に用いられる言葉であるし、最近は漫画内でも用いられている。
漫画化
文字通り、他の媒体の物が漫画になること。メディアミックスの一手段。
ゲームが漫画化されたり、アニメが漫画化されたりと様々である。
漫画のどこかに、著作権に関する記述があれば、これの可能性が高い。
しかし、りぼんではイマイチぱっとしないのも事実で、どっちつかずは良くないと思っている。
漫画スクール 名詞
正式には「りぼん漫画スクール2004」。末尾は年号で、西暦が付く。
「りぼん漫画スクール」「りぼんNEW漫画スクール」を経て、現在の名称となった。
りぼん漫画家への登竜門であり、ここに投稿を重ね、デビューへと歩んでゆく。
漫画家志望でなくとも、読者はこのページを読み、漫画家候補の動向を掴んでいる。
おそらくりぼんの中で、一番対象年齢が高いページである。
各賞については、本誌参照のこと。最近は、準りぼん賞連発でデビュー者続出。いいのかよ。
昔は
「よかった」とか「違った」とか続く。現状と過去を比較するときに頻発する言葉である。
今、りぼんを読んで欲しい世代には、今のりぼんが大切なのであって、昔がよかったとか言われても、である。
読者が社会的に成長していくのと、りぼんの変化を同様に捕らえるととんでもない誤解を生むことになる。
というわけで、僕は「昔は」という言葉があまり好きではない…。
読みきり 名詞
1話完結の形式で掲載される漫画のこと。
本誌では1〜2枠が確保され、新人の披露や、連載への助走・リハビリに使われたりする。
一方、オリジナルや増刊号は、主に読みきり作品にて紙面が構成されている。(単発読者には優しい仕組!)
限定された紙面で最大限に自己を表現しなくてはならないわけで、実力が顕著に現れるのが読み切り漫画だ。
りぼんでは人気作家が連載を持つことが多いため、どうしても連載より格下に見られるが、立派な漫画の形式である。
面白いことに、長いことりぼんを読んでいる人に「印象に残った作品を」と聞くと、読み切りを挙げる人が多い。
話の流れが凝縮されていることから、読み切り作品は記憶に残りやすいとみているのだが、どうだろうか?
四コマ 名詞
4コマ漫画。主に「起承転結」という展開で、4コマにて構成される漫画のこと。
りぼんでは、ギャグ漫画の形態として主にお笑い部門を担当し、失笑を提供している。
と、毒を吐いてしまうぐらい、りぼんの4コマはレベルが低いといわざるを得ない。
4コマで連載を狙う漫画家の卵は、りぼんではなく4コマ専門誌を読んで学習すべきと思料。
りぼんカラーは失って欲しくないが、りぼんで学べることにも限界はあるはずで…ね。
りぼんっこ 名詞
広義では、りぼん読者のこと。
狭義では、りぼんの対象読者である、小中学生の女子りぼん読者を指す。
年齢が高くなればなるほど似合わない言葉であり、一般的には狭義の意味で用いられる。
なぜかひらがなで表記されることが多い。かといって、男性読者を考慮しているとも思えないのだが。
連載 名詞
雑誌等において、連続性をもって継続的に掲載されるの読み物のこと。
りぼんにおいては、短期・長期の2種があり、前者は3〜6回、後者はそれ以外という形になっている。
連載前には、綿密な打ち合わせの元、どれぐらいのスパンで連載するか決定の上連載開始という形になっているらしい。
殆どの場合、初連載は短期連載として読者の反応を見るが、あまりに評判が良いと一転して長期化したりもする。
本誌連載、はすべてのりぼん漫画家の目指すところだろうし、これを成し遂げてこそ、錦を飾れるというものだろう。
そういえば、りぼんの最長連載って何なんでしょうね?今度調べておきます。
製作者の横顔
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