活動紹介 2007.8.18up もどる
活動の概要
練習日 | 土曜、日曜、祝日 | 雨などで路面が濡れて滑走できない時は、主に日産スタジアムで練習します。 掲示板に連絡が書き込まれるので、お出かけ前にチェックしてください。 |
時間 | 13:00−日没 | 照明がないので日没で練習終了となります。 午前から滑る場合もありますが、午後の方が確実に人がいます。 |
種目 | 主にトリックスラローム | フィットネスの人、スキー練習の人もいます。 マーキング:150cm x 2、80cm x 1、インラインスキーGSセット。(2007.8現在) |
季節ごとの特徴
春 | スキーヤーが鶴間公園へ戻ってくる。梅雨までが一番いい時期。 お花見の時期は人で溢れて滑走が困難になります。 |
梅雨 | この時期は日産スタジアムがメインになります。 |
夏 | 並木のおかげで陽射しがしのげます(鶴間公園のメリット)。台風後は大枝小枝の掃除。 日によって毛虫の大量落下に注意。8月第三土曜に南町田祭が開催されます(滑走可能)。 |
秋 | 落葉のシーズン。練習前の落ち葉掃除が準備運動。気持ちよく滑走できる時期です。 |
冬 | スキーヤー、ボーダーは雪山へ、真のスケータは鶴間に残る。 |
活動とHPの歴史 もどる
有史以前 はじまり |
1990年代前半、公園近傍在住の天野氏が滑走を始める。 |
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2000年 | 春頃 | clutch氏、ハリガネ氏らが鶴間公園で滑走を始め、福島氏と出会い、 現在に続く鶴間公園でのスラローム活動が自然発生的に始まる。 |
8月 | 以前からスキーのオフトレとして鶴間公園でのインラインスケートを画策していた このHPの管理人(弟ヤハチ)が鶴間デビュー。天野氏、福島氏、clutch氏、 ハリガネ氏と出会う。福島氏の手ほどきを受けて、スラロームにハマっていく。 |
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2001年 | 3月 | 福島氏が引越しのため鶴間公園から去る。 |
8月 | 鶴間公園でのスラローム活動の情報発信を目的にHPを立ち上げる。 | |
10月 | HPを「はろすけ」やサーチエンジンに登録、本格的に情報発信を開始。 | |
11月 | 三ツ沢、新横浜で滑っていたとめ氏、あぜる氏、こん氏らが鶴間に合流。 | |
2002年 | 4月 | 以降、鶴間公園のスラローマー人口が増える。 |
6月 | とめ氏が管理人の更新の遅さに業を煮やし、毎週写真・動画を掲載開始。 (2003.5に「鶴間公園インラインじゃんき〜ず」として独立) |
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11月 | 本牧在住のほんもく氏が呼び掛けた横浜シティーラン(第1回)に団体参加。 | |
12月 | 管理人弟ヤハチ、心を入れ替えHP更新に励むようになる。 | |
2003年 | 1-3月 | 例年鶴間公園のスラローマー人口が減っていたこの時期も人口を維持する。 |
1-7月 | 水道管敷設替工事によりパイロン設置場所を一時移動。 | |
7月 | 河口湖へ慰安旅行。(初の宿泊イベント) | |
10月 | 光が丘インラインスケートフェスティバルへ団体参加する。(初の他流試合) | |
11月 | 幕張海浜公園まつり幕張インラインスケート・フェスティバルへ参加する。 | |
2004年 | 1月 | 秋葉台とのジョイントワークショップを開催する。(鶴間における初イベント) このイベント以降、他活動拠点との交流(行き来)が増える。 |
4月 | 光が丘カップへ参加。 | |
9月 | 今年も河口湖へ慰安旅行。 | |
10月 | 光が丘インラインスケートフェスティバルへ参加。 | |
2005年 | 2月 | お泊りスキーツアー(舞子後楽園スキー場)。 |
5月 | 光が丘カップへ参加。 | |
9月 | 今年も河口湖へ慰安旅行。 | |
10月 | 光が丘インラインスケートフェスティバルへ参加。今年は、やまよしさん一家の 指導で、光・ハラッパ・駒との混成チームでダンスパフォーマンスを披露した。 |
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2006年 | 2月 | お泊りスキーツアー(舞子後楽園スキー場)。 |
5月 | 光が丘カップへ参加。 | |
9月 | 今年も河口湖へ慰安旅行。 | |
10月 | 日産スタジアムインラインチャレンジ参加。 | |
10月 | 光が丘インラインスケートフェスティバルへ参加。 今年も光・ハラッパ・駒・神川との混成チームでダンスパフォーマンスを披露。 |
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2007年 | 2月 | お泊りスキーツアー(舞子後楽園スキー場)。 |
5月 | 光が丘カップへ参加。 | |