第21回トリノ国際映画祭 参加リポート
 
会場入口
 今回で第21回を迎えるトリノ国際映画祭は、イタリアではベネチアに次ぐステイタスを持つ。いわゆる世界3大映画祭の1つであるベネチア国際映画祭との差別化を図るためか、メインの長編映画部門コンペティションは新人監督の第1、2回監督作品のみがセレクトされる。セレクションの傾向としても比較的クセのある、オリジナリティーを重視した作品が多いと聞いていた。
 拙作『箱-The Box-』もそのメインコンペへの参加となった。通常であればこのような風変わりな作品は、いわゆる異端的な扱いとして、サブプログラムへのセレクションを受けやすい。だがこのトリノ国際映画祭では、真っ向から映画祭の目玉であるメインコンペティションへ招待されたのが大変嬉しい。トリノ到着後、早速挨拶を交わしたプログラムディレクターのロベルト氏も、この作品のオリジナリティーを大変興味深く感じて下さったようだ。

 11月13〜21日までの一週間余りの開催期間中、300本近い映画作品が一気に上映される。コンペは長編、短編、ドキュメンタリー、イタリア映画の4部門が行われる。長編部門は全13作品で日本映画は本作のみの参加。私はオープニング初日13日の夜に到着し、17日まで滞在した。
 滞在スケジュールをクロージングまで延ばす事ができなかった事もあって、他の長編コンペ参加作品の多くを見逃してしまったが、カタログの解説を読んだ限りでの印象としても、やはり本作はラインナップの中でかなり異質な存在感をを放っていたようだ。タイトルも"The Box"としてではなく原題のまま"HAKO"と紹介されており、多くの初対面の参加者の方々から「あなたはあの"HAKO"の監督さんですね?」と挨拶を受けたものだった。自分の名前より遥かに覚えてもらいやすい作品タイトルは何かと便利なものだ。
ポスター
 滞在期間中のホスピタリティーは万全で、スタッフの皆さんの親切で細やかな対応には、日本人である私でも頭が下がる思いがした。ほぼ毎晩のように堅苦しくない形式の夕食会やパーティーが催され、美味しいワインと共にアットホームで気さくな時間を楽しむ事ができた。おそらくステイタスの高いベネチアやカンヌには決して見られない和やかな光景であろう。

 トリノ映画祭の会場はトリノの中心街から少し離れた場所にある。リンゴットと呼ばれる広大な総合施設の中にホテルやレストラン、ショッピングセンター、オフィス等がひしめき合い、その一角にある全10館のシアターを有するシネコンが会場となっている。シネコンで国際映画祭が開かれるというのは初めて見たが、なるほど、映画祭にこれ以上合理的な方式はないだろうと感心した。各々十分な席数を有するシアターが10館分確保され、各々のシアターを行き来するのに3分とかからない。それぞれに分離したシアターを徒歩で15分もかけて移動しなくてはならないような、立地上の不便さは皆無だった。

 "HAKO"は16ミリ作品である事から、映写施設の都合上、最大のシアターでの上映ができないと事前に聞かされていた。またその理由から上映回数は他のコンペ作品と比べて一回多く、計4回の上映が行われた。最初の上映はディナータイムと被る夜8時過ぎからだったが、それでも360席以上はある会場が満員の観客で埋まっていた。観客の年齢層も広く、年配の観客の皆さんにも多く集まってもらえたことが嬉しい。上映前の挨拶と若干のコメントを、プログラムディレクターのロベルト氏の司会と、通訳の辻田希世子さん(大変気さくで親切な方だった)のバックアップで満足にこなし、上映を始めることができた。
 とにかく、16ミリフィルムという小さなフォーマットの映画を限界まで目一杯拡大映写し、良質なサウンドシステムを通して、多くの、また年齢層の広いイタリアの観客の皆さんに観てもらうことができた事はこの映画祭に参加した最大の収穫であろう。日本でも未だに劇場公開を果たしていない私にとってはささやかな至福を感じるひとときであった。
上映中
 ヨーロッパの映画祭ではクセのある作品であるほど上映中の途中退席者をよく見かける。エンターテイメント作品でもなく、また観客の感情的な共感を得づらい作品であるにも関わらず、途中退席者はほとんどなく上映を終了する事ができた。
 上映直後の観客の反応は私にとって実に興味深いものだ。もちろん全体的な賞賛の拍手は貰えるのではあるが、その個々の反応にはバラつきが感じられる。賛否のはっきりした反応ではなく、感動、放心、困惑や戸惑いなどが入り乱れ、それでも何か有無を言わせぬ気迫が伝わるのか、全体にはドヨドヨドヨ〜っとした奇妙な反応を見せるのだ。もちろん観客全員の絶賛を一気に貰えれば作り手としては最も嬉しいのだろうけれど、私の作品にはそれはやはり不似合いなような気もする。いずれにせよ、全く体験した事のない異世界や価値観を目の当たりにしたときの人間の反応としては、これが真っ当なものなのかもしれないと思うのだ。ウケる事には確かに憧れを感じるけれども・・・。ここには私自身の矛盾した欲望がある。
 翌日の朝10時というあまり嬉しくない時間に、2回目の上映が同じ会場で行われた。さすがに空席が目立つだろうと思いきや、これも満席である。やはりメインプログラムの作品である事が観客の動員を安定させているのだろうか。昨夜よりもさらに落ち着いた雰囲気の客席の様子で、改めて満足な反応を確認する事ができた。



挨拶
 この上映の後プレス主催の記者会見を受け、質疑応答を行ったが、これには少々閉口する一幕があった。なにしろ「『線路』の意味はDNAを表しているのか?」「この作品のラストで石を埋めてしまうのはどういう意味があるのか?」等々の、極端な深読みと意味づけにまみれた質問が飛び交う・・・。映画芸術に於ける抽象性やポエジアというものは、一部の西洋人には理解しがたい曖昧さとして映るらしい。いや、日本人にもそういう一面は少なからずあるものだろう。こうしたズレはこの作品にはつきものかもしれないが、逆に感性の豊かな観客がいることもまた事実である。後に2社のテレビ局からのインタビュー取材を受け、私の滞在中における仕事と役割は終了した。

 クロージングセレモニーでのコンペの結果を確認する事ができないのは多少心残りだったが、開催途中で帰国。プログラムのラインナップを確認してみても、私のような異色作が大賞候補に上がる事の難しさは理解していた。大賞のみに贈与される賞金20500ユーロ(約260万円)は確かに魅力的だが・・・。
 帰国後数日してコンペ結果のメールを受け取った。大賞はフランスのJoel Brisse監督の作品、"The End of Kingdom"に贈られた(私はこの作品を見ていないし、監督にも会っていない)。審査員特別賞には2作品が選ばれ、その中の1本であるイランの監督Parviz Shahbazi(パービス・シャハバジ)氏の作品、”Deep Breath”は私も気に入った作品だ。テヘランの若者が抱える心の不安定さと安らぎの在り処を、社会的な視点を据えつつ描き出した秀作である。パービス氏とは何度も会合でお話ししたし、日本の映画祭にも3度ほど招待を受け来日している才人である。日本を大変気に入っているらしく、私と私の作品にも大変興味を抱いてくれていた。おめでとう、パービス。

 受賞結果は以上かと思いきや、リストには私の名前が載っているではないか。よく見ると"has awarded a special mention to : "Hako" by Kanji Nakajima "と表記されている。いわゆる「特別奨励賞」を受賞。これは本来予定されていなかった賞のようだ。
 勝手な推察ではあるが、複数の審査員の中のある一部の方がこの作品の魅力をしっかり受け取ってくれたのではないか。私の作風で必ず発生するであろう状況とは、極端に賛否が分かれると言う事である。これは前作でも経験済みだ。意見がはっきり二つに割れてしまっては上位の受賞は難しい。よってこのようなイレギュラーな受賞に至ったのではないだろうか・・・。
トリノ市街
 いずれにせよ、受賞に値する価値というものを与えてくれた事は、今後の活動に関しても大変励みになる事である。この結果を国内の活動にも活かすことが今後の課題となるだろう。
 こうして本作にとって初めてのコンペティション部門参加と受賞の経験を残し、思い出深いトリノ国際映画祭への参加は幕を閉じた。初回の上映後に、上品な物腰の老夫婦から「本当に詩的で美しい作品だった」と御褒めの言葉を戴いた、その満面の微笑がなぜかいつまでも心に残っている・・・。



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