中嶋莞爾インタビュー
 
 昨年フランス・パリで開催された第3回TokyoZone。『箱-TheBox-』の招待上映が行われた際に、主催者であるTokyoZoneディレクター、エリック・プリズヴァ氏より、書面による10項目のインタビューを受けました。
以下がプログラムに全文掲載された質問と回答の内容です。
質問内容だけをみても、日本の映像文化に敏感なフランス人にとって、日本映画がどのような印象を持たれているか、非常に興味深い内容だと思います。
 
なぜ、そしてどのようにして映画を志すようになったのでしょうか?

私にとって映画を作るということは、選択可能な職業の一つというわけではありません。これは極めて必然的なことです。魚が陸では生きられないのと同じように、映画を作ることでしか自分の生き方を見つけられないのです。

西洋において、とりわけフランスにおいて、日本映画はファッショナブルで芸術的であるとの尊重を受けているように思われます。この状況をどのように分析しますか?
西洋の感性についてあまり詳しくない私にはよく分かりませんが、日本人としては大変嬉しい事です。しかし御質問にある「ファッショナブル」であることと「芸術的」である事は、根本的に異なるように思います。本当に「芸術的」な作品というものは日本にもそう多くはないと思います。それは作品のヴィジュアル的な装飾や奇抜な演出の手法などとは無関係なものです。
影響を受けた西洋の映画監督は誰ですか?
ユーリー・ノルシュテイン、アンドレイ・タルコフスキー、タル・ベーラ、
ビクトル・エリセ、テオ・アンゲロプロス。
傑作とは、次の世代の作家を生み、育てる母親のようなものだと思います。

あなたの映画にアンドレイ・タルコフスキー作品との関連性は見いだしやすいでしょうか?
タルコフスキーは大変尊敬しています。私とは作品のテーマが大きく異なりますが、私はタルコフスキーの作品から誠実な視点を多く学びました。

あなたの映画はハイテクとエコロジーとの混合による不思議な風刺だと思います。このオリジナリティーある創作をどのようにして導入したのでしょうか?
これは何も不思議な事ではありません。自然と人間と文明との関係性を深く見つめた上で現れた結果なのです。例えぱ、本当の意味でのエコロジーとは、ハイテクノロジーとの密接な関係を抜きにして語る事はできないからです。私はその関係性と精神の在り方をユニークに、そして詩的に語る事が私の役割であると考えます。

観客にとって、この作品は常に分かりやすいと思われますか?また西洋と日本とにおける反応の違いを感じますか?
日本に於いても西洋に於いても同様に、観客とは常に分かりやすい物事ばかりを好み、主人公との感情的な共感ばかりを望むものでしょうか?。そんなはずはないと思います。そう考える事は観客をパカにしていることになります。私は観客の豊かな感性を尊重し、信じたいのです。

青山真治や北野武でさえ、自身の映画を観客は自由に解釈すべきだとしばしば述べています。あなたの映画のミステリアスな部分に置いてもあなたは同意見ですか?
基本的には同意見です。他国の映画に於いて、ミステリアスな部分が全くないのは単純なハリウッド映画くらいのものですから。しかし芸術作品において全てを明確に分かりやすく翻訳、解釈することは無意味です。例えば抽象絵画や音楽において、「この青い色は孤独を表している」「この旋律は喜ぴを表している」などと解釈する事に意味があるでしょうか?。映画においてはしばしばこの『抽象性』が観客を混乱させ、分かりやすい解釈を無理にあてはめることになります。しかし映画を鑑賞することは、単に意味を理解するということではありません。その作品の世界に特有のイメージを感じ取り、その世界の出来事を体験する事が大切です。
私たちは現実の生活において体験する様々な物事に、全て単純な解釈を当てはめて生きているでしょうか?。そうであるなら、それは危険なことです。

日本映画は時折素晴らしい美学的イメージを表現する偉大な技量を持っており、あなたの映画もそれに当てはまると思います。この特徴をどのように説明できますか?
これは大変難しい質問ですね。全く抽象的な答えにしかなりませんが、おそらく日本映画に於けるその特徴は、物事の関係性を見つめようとする視点の広さにあると思います。例えば異なる色彩における配色の美しさ、音楽に於けるハーモニーの美しさを考えてみて下さい。それらは互いの関係性の中で、初めて価値を持つ美しさとなります。それぞれの単体の要素だけでは全く不十分です。ですからこのような美しさは狭い視点では生まれてこないのです。人間にとって、人聞中心の、また自分中心の、狭い視点では見えてこない特徴だと思います。

もう一つの特徴として、いくつかの日本映画は、我々の日常の中にあるハイテクの強い影響力を独創的に表しています。『箱』は社会全てのハイテクシステムにおける一種のメタファーです。日本のハイテクにおける、あなたの個人的なビジョンを聞かせてください。
我々人間は、自然と文明と人問との関係性に於いて、新しい調和と秩序とを生み出さなくてばなりません。そのためにはまず、我々人間がテクノロジーや自然に対する価値観を柔軟に変えて行く事が必要なのです。まさにこの御質問の答えこそが作品を御覧になって感じ取って頂きたいことであり、今ここで私がわざわざ言葉で説明するようなことではないと思います。

あなたの映画はごく一般的な物語映画ではありません。これをどのように位置づけるべきでしょうか?
そのような事を私自身が決められるでしょうか?。私の作品をどのような位置づけにするかは、観客の皆さんか、もしくば映画の歴史が決める事だと思います。私はその審判を待っている、哀れな囚人のようなものですよ。もしそのうち私の作品が観客の皆さんから忘れ去られ、映画の歴史からも忘れ去られて行くのなら、私の作品は無価値であったということになるでしょう。
 映画は生まれてからまだたった100年しか経っていない、まだまだ未成熟な、そして可能性を秘めた芸術です。観客の皆さんが私と私の作品をどこに位置づけるのか、その新しいポジションを決めて下さる事を願っています。そしてフランスの観客の皆さんに見て頂く事ができる事を大変嬉しく思います。

聞き手 TokyoZoneディレクター : エリック・プリズヴァ氏
(Tokyo Zone 2003 プログラムに掲載)

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