礼拝

2001/4/22

使徒の働き19:8〜20

「地味ではあっても」


使徒の働き19:8〜20

ここに一枚のトラクトがあります。今朝は、少し長いですが、このトラクトをお読みするところから始めさせていただきたいと思います。

題は、『もと僧侶 いま牧師〜仏教からキリスト教へ変えられた人生〜』です。「・・・私は以前僧侶でした。私は1962年に、寺の住職の息子として生まれました。二人の兄がいましたから、寺を継がなくてはならないと言うことはありませんでした。高校生の頃から、「なぜ私は生まれてきたのか。なぜ生きていかなければならないのか。」といった疑問が、絶えずわたしの心を支配するようになりました。回りの人たちを見ていると、夢の実現に向けて、あるいはお金を得るために、わき目もふらず一生懸命になっています。しかし、生きている目的がわからないまま、なぜ自分の夢やお金や名誉、社会的地位のために力の限り努力することが出来るのか、わたしには不思議でなりませんでした。生きる目的とは何かを見いだそうと、わたしは自ら望んで僧侶の道に入ったのです。大学では仏教を研究しました。やはり仏教は深遠で、その思想、哲学の中には、偉大な真理が隠されているように思えました。いつかきっと真理に目覚めるときが来るだろうと期待を持ち、山に入って様々な修行もしました。

そのようなわたしが人生の問題の解決を得たのは、仏教ではなく、聖書によってでした。わたしにとって全く縁のないものと考えていたイエス・キリストとの出会いが、人生を変えました。

わたしは1988年に、韓国仏教を研究するために韓国のソウルに留学しました。・・・僧侶としての宗教的教養として、聖書を学ぶ必要があるのではないかと考え、その教会で聖書の勉強を始めました。すると、読めば読むほど、聖書の言葉がわたしの心に響いてきました。人はみな罪を持っており、その罪のために身代わりとなってイエス・キリストは十字架にかかったという教えは大変興味深いものでした。しかし本当の意味を理解することは出来ませんでした。

そしてある日、ひとつ試して見ようと言う気持ちで「わたしは罪人です。どうぞおゆるしください。」と、神に向かって祈りました。すると突然、涙があふれてきました。これには自分でも驚きました。わたしは泣きながら続けて「神様、ゆるしてください。わたしの罪をゆるしてください。」と祈りました。

そのとき、驚くべき変化がわたしに訪れました。それまで心を支配していた「生きるのは空しい、意味がない」という暗い思いが、全く消えてしまい、今までに経験したことのない大きな喜びに包まれたのです。・・・それまで学び、求め続けていた仏教からは多くの知識を得ました。しかしそれらは頭だけのもので、まったく私の生きる力とはなっていませんでした。仏を礼拝しても、極楽浄土に思いを馳せようとしても、それらを信じられない自分に気づくだけでした。」

彼は、埼玉県南埼玉郡宮代町で開拓伝道をされている松岡広和という牧師(大正大学大学院仏教学部(修士課程)卒業。韓国から帰られて僧侶をやめサラリーマンをしていたが、1996年に東京中央神学院を卒業。現在に至る。趣味:リクガメ飼育。)です。

彼は、「キリスト教だけに救いがあるというのは、独善ではないでしょうか。たとえば、仏教も奥が深く、歴史があってすばらしいし、とんでもない破壊的宗教以外なら、他の宗教も認めるべきではないでしょうか。」との質問にこのように答えました。「確かに、イエス・キリストを信じることだけが救いに至る道です。その他に、どんなにすばらしく思える教えや宗教があっても、それらを通してでは、救い(宗教によっては、悟りなどという)に至ることはありません。・・・何も心配せずただイエス・キリストを求めていただきたいと思います。」

http://homepage2.nifty.com/kyokai/hitotunosukui.htm

何という確信。何という平安でしょうか。

本日の箇所は、エペソという場所で起きた出来事ですが、多くの宗教家、魔術をすることで人を驚かせたり、おそらく時には病を癒したり、そういうことを生業(なりわい)としていた者たちがたくさんイエス・キリストを信じたというのです。

はじめにその箇所を読んでおきます。

19:19「また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

当時、銀貨一枚一日の日当といわれた時代ですから(5億円くらい?)、とんでもない額の書物の値段です。それらを捨てても、キリストを信じると、そのように思わせた理由は何であったのでしょうか。

いささか強調するようですが、後を絶つといいましょうか。書物を焼くというのは、ああ、やっぱり前の宗教の方が良かったと思い直す日が仮に来たならいつでも帰られるように保険をかけておくということをしない。その世界に帰りたくても二度と帰れないようによって立つべきテキスト、教科書、教典を焼いてしまった。それほどまでに、パウロの教えは何か決定的なものがあったのでしょうか。いったい、ここで何が起きたのでしょうか。そんなことを念頭におきながら、今日の箇所を最初から見ていきたいと思います。

まずは、最初から一気に10節までをお読みします。

19:8〜10「それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。」

前回の続きで言いますと、アクラとプリスキラ夫婦を残してエルサレムへ旅立ったパウロでしたが用事も終わり、またエペソへと戻ってきました。彼は、早速ユダヤ教の会堂で伝道を再開します。

3ヶ月ユダヤ教の会堂で。結果的に、この会堂を去ることになりますが、今まであっという間に追い出されていたことを思うと、長いというべきでしょう。エペソは、彼がエルサレムへと旅立とうとしたとき、これもめずらしくユダヤ人からもっと聞かせて欲しいと引き留められたという、そういう地でしたから、比較的好意的に聞かれたのでしょうね。3ヶ月。でも、結果的には、内容を深く知るほどに反発も大きくなりました。例の如くという感じではあります。

彼は、集会場所を変えます。

先の、開拓中の松岡先生ですが、「私たちの教会は、伝統的なプロテスタントの教会です。埼玉県南埼玉郡宮代町で、伝道しています。まだ会堂はなく、コミニュティーセンターの部屋を借りて礼拝しています。平日は、川口市の牧師自宅でも、集会をもっています。」とおっしゃっておられますが、パウロが、ツラノの講堂に、弟子達すなわちクリスチャンたちを集めて、そこで集会を始めたというのが、ここでの報告なのですが、ツラノとは・・・あまり良くわからないのですが。当時、当地の人々は、朝働いて夕方また働くという生活パターンでした。昼の11時から3時頃までは、暑いので、昼寝をしたり、皆で集まってしゃべったり、そんな時間を過ごしていました。そんなたまり場を、資産家が、お金を出して、建物を建てて。今の市民ホールではありませんが、そういう集会場所を作ったようです。ツラノという人を記念する建物(講堂:スコレー:「ひま」が語源。)だったのかも知れません。これは、お金を払ったと思います。使用料を払って、11時から3時まで時間で部屋を借りたのです。

後の報告を総合して考えると、パウロも11時までに一仕事済ませてから、毎日クリスチャンと集会、礼拝をもっていたのです。パウロは、夕方からまた仕事にもどって夜までテント職人の仕事をするというハードな伝道でした。(ヘンク兄:テントメーカーのように。)

しかし、彼らが出来る限りの方法を見つけて、そうですね、どんな言葉をもちいたらいいのでしょうか、一生懸命、努力して、色々考えて、出来ることを出来ることから始めた。それが、ツラノの講堂を借りるという選択でした。

先週、不動産屋さんから電話がありました。「おたくは林さんですか?」「そうです。」「ルツさんという方が来られて、家を探しておられるとか。」「詳しいことは、林という人間に聞いてくれと。」「ご提案ですが、教会の集会場所として、ビルの一室テナントをご利用になったらいかがでしょうか。」・・・・「いいですねえ。出来れば住まいもそれについているといいのですが。」そんな会話を交わしたばかりでした。

なるほどと思いました。集会をするには一戸建てしかないと考えていましたが、集会場所と寝泊まりするところを別に考えれば出来るんだと。逆に、不動産屋さんから伝道の方法を教えていただきました。

私たちも出来るところからやっていきたい。そのように思っていますね。

ただ、この出来るところからやっていった教会がどのように成長したか。前回言いましたように、このエペソの教会は、黙示録でも7つの代表する教会の筆頭にあげられている教会に成長します。後に獄中から書かれたエペソ人への手紙は、「教会とは何か?」という事のテキストとなるような手紙で、エペソの教会が、何と言いましょうか、もっともしっかりした、教会らしい教会として、数的にも内容的にも、代表的な教会としてこのように育っていったようです。

このツラノの講堂ではじまった集会は、今までになく、地に足をつけたと言いましょうか、クリスチャン達が集まって聖書を学ぶ、パウロの講義を聞くというような、「毎日ツラノの講堂で論じた。これが二年の間続いた。」という、地道で忍耐強く、無理はしない、危険なことも特にない安定した集会だったようです。その事を証明するかのようにパウロの滞在期間は、今までで一番長い、3年近くそれは続きます。

青梅に、おざく台に、猿橋に、そして、藤橋今井に、一つ一つを地味でもそこを愛しじっくりと続けていく。一人一人の家庭にあって、職場にあって、学生であっても同じです。一つ一つのことを地味でもその家庭を愛し、その職場を愛し書の職場のために祈り、その学校を愛し、その友人のために祈っていく。「地道で忍耐強く」で、しかし必ず実を結ぶ、しかもそのようなあゆみであってこそ、もっと偉大な実を結ぶような、そのような歩みでありたいと願います。

さて、11節以下は、その3年間での代表的なエピソードであります。

今日は、全体的に比較的短い箇所ですので、ここも読んでみましょう。

少し長いですが、最初のお読みしました19節のところまでをお読みします。

19:11〜19「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

何かすごいことが起きていますね。

ただ、奇蹟そのものよりも、わたしたちは、今朝、次の言葉に目をとめておきたいと思います。

まず、「パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」と。

誰が、病人にあてたのか。新共同訳では、パウロがあてたとなっています(フランシスコ会聖書でも)。もし、他の人があたとしても、わたしは、この前掛け、手ぬぐいに注目したいのです。

手ぬぐいとは何でしょうか。それは、パウロが午前中汗水垂らして仕事をした、その時汗を拭い、手を拭くその手ぬぐいでした。前掛けは、テント職人の前掛けです。テントの生地となる皮を膝(ひざ)にあて、穴を空け、ひもを通して編む。そんなときに使う前掛けでした。膝に当たるあたりが真っ黒に汚れていました。

わたしも、やはりパウロがと読みますが、彼は、それをあてた。

オリーブ油をもってきて、うやうやしく注いだのではありません。そのボロ雑巾のような布と薄汚れた前掛けを使うことで、その結果、そのオリーブ油が聖なる油とされませんでした。

ルルドの泉から汲んできた特別の水を使って癒したのでもありませんでした。朝から使ってきたまだ汗くさい手ぬぐいをあてていやしたのです。それ自体に効力があるとは思えないような扱い、そこらにあるものなら何でもいいという扱いでした。また、夕方からは、言わばその聖なる布で当時、何かと嫌われることの多かった動物の皮を拭いたりもするのでしょうから。

わたしは、「パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」という事を是非皆さんに黙想していただきたいのです。

なぜ、パウロがそれを用いたのか。あるいは、用いさせたのか。(おそらくそれ以外は拒否した。)

13節から18節までは、ユダヤ人の魔よけ祈祷師が出てきます。何か魔術的なことをやって、言わば、パウロと同じような主旨のこと、ようするに病気を治したりしていたわけです。ところが、パウロと同じようにやったら、イエス様の名を使って病気を治そうと思ったら、かえって悪霊が出てきてしまって、彼らに襲いかかったというのです。

旧約のエリヤとバアルの祭司たちとの戦い、モーセとエジプトの魔術使いの戦いのような事がおきました。パウロ対、魔術使いの戦いでした。結果は、そのように、パウロの勝利でした。これを見て、最初に言いましたように、多くの魔術使いが回心したというのです。

細かいことを言うようですが、なぜこの使徒の働きの著者、ルカは、断り書きもなく、このような異教的な奇蹟を記録したのかと問題にされることがあります。しかし、わたしは思うのですが、けっして断っていないわけではないと思います。彼は、魔術師達との違いを明らかにしていると思います。その一つが、パウロがあえてこの手ぬぐいや前掛けを用いたあるいは用いさせたと言うことです。おそらく魔術師らは、金の酌をもってきてうやうやしくいやしてみたり、やはり高級な紫の布をもってきてそれらしく振りかざしたりしていやして見せました。しかし、パウロは、非常に日常的なものをおそらくあえて用いた。

それは、皆さんも考えていただけたと思いますが、それ事態に力が宿ると思わせないためでした。

ルカは、はっきりと主張しています。

19:11神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。

どういうことでしょうか。第一に、神が、なさったことだということです。パウロがしたことではない。まして、前掛けや手ぬぐいに力があるわけではない。神がなさった奇蹟なのだ。

「パウロの手によって」11時まで皮をなめし、糸を強く引き、がさがさで薄汚れた、そのパウロの手によって神は奇跡を行われたのだ。そういうことではないでしょうか。

汗くさい手ぬぐいと、落とそうにももう落とせない汚れで真っ黒になった前掛けを用いられたのだと。

神は、何でも誰でも用いることが出来る。

わたしは、ここ全体的に、3年いたにしては、エピソードが少ないと思っています(次回、もっと大騒ぎになりますが・・・少なくとも、福音が驚くほど広まるまでの間は、この程度のことであった)。実に地道で忍耐のいる奉仕。しかし、結果は、今もはしょって読んでしまいましたが、19:20「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」

驚くべき成長とその結果が与えられたのです。

その秘密は、汗くさい手ぬぐいと前掛けの勝利です。何でもない、むしろ非常に仕事に密着した、実に地味なもの、あるいは地味なこと、あるいは地味な方法を通して神様は素晴らしい働き、しかも、今までにないほどの素晴らしい結果を見させて下さったと言うことです。

私たちの愛するヘンク兄弟の、おそらく日本では、当分最後の、テントメーカーとしてのレポートを読まさせていただきました。彼のもっとも奇跡的な証は、仲良くなった牛乳屋さんがクリスチャンで、その彼が、彼が去る会社に勤めることになったという証です。証の使命がこのように引き継がれていくことになったと。佐藤家での集会の恵み、礼拝の恵み、勝又兄弟が受洗されたこと。わたしは、牛乳屋さんの証を聞いたとき、はっきり言って、ふーんと聞いていました。それがどうしたの?って感じですね。約10年の彼の日本での証。わたしは、大きな実をこれから結ぶのだと信じています。彼の蔵書の半分が聖書関係だとわたしはよく話すのですが、忙しい仕事の中で、証を続けられた。神様は、確かに、彼の証を大切なものと考えておられたと思います。2000人の従業員で、今までクリスチャンだと知ったのは、あと一人の人だけ。そんな職場で、彼が去るとき、彼の変わりに、貴重なクリスチャンをきちっと一人用意された。地味なようですが、たしかに奇蹟です。(わたしは反省しています。)

なぜ、魔術を行っていた多くの者たちが、あれほど大きな悔い改めをしたのでしょうか。多くの人たちが自分の罪を示されて、それをあえて公にしてまで、自分はクリスチャンになると宣言したのでしょうか。

3ヶ月論じ続け、あるいは、毎日、ツラノで講義し続けた。3年間。ごまかしは利きません。パウロの人格、欠点も、長所も、嫌な点もいい点もみんな明らかになってしまう。奇蹟だけではありません。見ていたんですね。そして、これは本物だと踏んだのです。

ルカがはっきり伝えていることは、ここには、パウロの業があるのではない、パウロを用いた神様の業がある。手品でも何でもない。神様が事実働かれている。あの欠点だらけで、薄汚いパウロを用いておられる。本当の神様がおられる。その事がはっきりとわかったのではなかったでしょうか。

先週、二人の方が受洗されました。一人の人が救われる。それは、いつも奇蹟です。たとえば、30年間。科学を見つめ科学の力を信じてきた人が、目に見えない神を信じる。これは、奇蹟です。

兄弟から皆さんに手紙をいただいています。「皆様を用いてくださった神様に感謝する・・・花を準備してくれたKさんMさん。祝いの言葉を寄せてくださったS先生。Sさん。Oさん。Mさん。Sさん。個人的に色々相談に乗ってくれたHさん。早々腐れ縁となったTさん一家、Sさんの祈りはとてもうれしかったです。的を射た聖句を教えてくださったKさん。色々支えて下さったOさん。よく話しかけてくれたMさん、AさんMさんKさん。札幌情報を下さったKさん。カードを下さったKさん。執事の皆様など、本当にどうもありがとうございます。遠く札幌の地よりお礼申し上げます。「あなた方はキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(Tコリント12:27)」」

パウロとエペソの人たちとの別れの場面(「ミレトの別れ」)は、感動的です。一人一人の何でもない主にある親切。祈り。一つ一つをみれば何でもないようだけれど、結果は、一人の人の救いという奇蹟を生む。彼が言うとおり、神様が、一人一人を確実に用いてくださったのです。ボロ布のような人も、臭い前掛けのような人も。(Tさん一家とか、誰とは言ってませんので・・・)

もう一度確認します。

19:20「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」

地味ではあっても、忠実な一人一人の信仰の歩み、証の歩みを必ず用いて偉大なことをしてくださる主を信じて、今週も、忠実に主に仕え歩む歩みでありたいと願います。祈りましょう。