礼拝

1999/6/20

Tペテロ2:18〜25

「キリストの模範」


Tペテロ2:18〜25

イタリア、ミラノのドメニコ教会にある、レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452-1519)の描いた「最後の晩餐」という絵が、このたび20年の歳月をかけて修復されて、テレビなどで特集されています。第二次世界大戦中にはこの教会が全壊して、この絵が描かれた壁は奇跡的に残ったのですが、屋根がとれてしまったまま三年間放置されて、いっそうひどい状態になっていたものが修復されました。イエス様を真ん中にして、12弟子が長テーブルをこちら向きにずらっと並んでいます。イエス様が十字架の死を前に、弟子たちにその死の予告と、また裏切り者が指し示された緊迫の場面です。今まではっきりしなかったテーブルの上にのった魚の絵、また、弟子たちの表情まではっきりわかるようになりました。その絵にあらわれたダ・ヴィンチの理解が、よりはっきりと理解できるようになりました。

一応に皆、席を立ち身を乗り出して驚きを表しています。イエス様を裏切ったユダも身を乗り出し、不気味に右手には、ひっそりとナイフをもっています(たまたま魚を切るとちゅうだった?彼の属していたと伝説のある熱心党の名前に由来?)。彼の顔は逆光に照らされて一人暗いのです。また、イエス様がよみがえったと聞いて、「自分は、手の釘の後を見、指をその釘のあとに入れてみなければ信じない」と言ったトマスは、身を乗り出して、指を一本立てイエス様に向けて突き出しています。疑い深いトマスらしく、「もう一度言ってみてくれ」とでも言っているようです。

一連の使徒たちが身を乗り出し、また強い驚きの表情を見せる中で、二人の人物は、座ったままです。一人は、イエス様の愛された弟子と言われるヨハネ、彼はイエス様の隣にいて、悲しみの表情を表しながらも、うつむき加減に、覚悟したようにその手は、既に祈りの体制です。もう一人はペテロです。ほとんどが身を乗り出して驚いているのに、彼は、身一つ分ほども、のけ反り、着ている上着を右手でしっかりと握りしめながら、そうですね、おびえているような仕草をしています。また、左手は、今までもっていたパンを落としてしまったのか、あるいは、取ろうとして手が止まってしまったのか、パンの上で左手が開いたまま止まってしまっています。

「たとい、すべての者がつまずいても、私は決してつまずきません。(マタイ26:33)」と公言してはばからなかったペテロ、イエス様が湖の上を歩かれれば私も歩きたいと、人より前にしゃしゃり出て、真っ先に手を挙げるタイプのペテロ。いつもイエス様に質問をするのは、ペテロが真っ先にでありました。その性格は、活動的、熱情的、しかし、衝動的。

そんなもっとも威勢の良かったペテロが、最後の晩餐の席で、現実を目の前にし、皆が身を乗り出す中、彼一人、大きく身を引いている姿。ダ・ヴィンチの解釈です。彼は、このあと、裏切り者ユダに見劣りしないほどの裏切りをします。彼は言うのです。「私は、あの人を知らない。見当もつかないと。」

そんな、彼が、福音書に、最後に登場するのは、ヨハネによる福音書の、最後の章の21章、イエス様のよみがえりの後の場面です。ヨハネの福音書は、本当は20章で終わる予定であったと言われます(「この書には書かれていないがまだ他の多くの印を主は行われた。」20:30)。そして、それは、イエス様自身がどうしてもやり残された事をまるで最後の最後に「それまでは天に昇れない」という思いであるイエス様の思いを伝えるかのように、21章を付け加えます。彼らがガリラヤ湖湖畔で、炭火にあたっていたとき、イエス様は現れました。ペテロにとっては、その状況は、前にイエス様を「知らない。」と言ったあの場面、場所こそ違うものの、祭司の庭で、彼が役人たちと火にあたっている場面の(マルコ14:54)再現のような場所でした。いや、イエス様はあえてそのような場所を選ばれたのではなかったでしょうか。もういちど、今度こそ、イエス様を愛している、けっして裏切らないと彼の口から言わせて立ち直らせるために。彼は、前に三度知らないと裏切った事を、自らの口で三度、イエス様を愛していると、言い直すことで心が癒されました。いや、主がそのようにして、彼を癒して下さいました。その時に、イエス様が彼が言われたことは、命がけで多くのイエス様を信じる人々の信仰を守りなさいということでした。

 

今朝も、そのペテロの書いた手紙を読んでいます。

彼は、前回は、国とクリスチャンの関係について、次回は夫婦関係、さらには、教会の兄弟姉妹の関係というように具体的なことに触れていきます。で、今日の所は、いかにも時代をよくあらわしていまして、奴隷と主人という当時としてはきわめて具体的で現実的な関係(問題)にふれています。今日の所の特徴というのは、しかしその奴隷と主人との関係のあり方というよりも、彼のこれらのところで述べているあらゆる人間関係に共通の原則を書いているという事なのです。そして、その原則とは、「イエス様はどういう風に振る舞われたか」そこに注目しなさい、そこを基準としなさいということなのです。

イエス様はペテロにどのように忍耐され、どのように配慮され、どのように導かれたか。あれ以来、彼にとってはそれこそ、彼の使徒として、弟子としての基準であったと思います。特に今日の所は、主人と奴隷との関係?なんて私たちと一番関係のない聖書の箇所だと思われるような所ですが、実は、一番彼の者の考え方の基準、動機(イエス様への熱い思いですね。)というようなものが、一番よく表れているところかもしれないと思うのです。

まず、具体的な奴隷たちへの御言葉の指針について、簡単に見ておきましょう。

2:1820「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。」

前回と原則は同じです。王に対する姿勢と。奴隷は主人に対して、それが横暴な主人であっても、むしろ、こころをこめて服従し従いなさいということです。

ところで前回ものべましたように(特に、今回はそうなのですが)、その時代の限界ある特徴について是非知っておかなければなりません。奴隷と主人との関係を、無批判に(他の聖書を参考にすることなく)例えば、社長と社員との関係とかにもってきては間違ってしまいます。そこで、多少当時の状況を述べておきます。

奴隷制度という制度は、ローマ帝国が始まった頃にはなかったといわれます。ローマが国を拡大していくなかで、すなわち敵国と戦争をする中で連れてこられた外国の人々だったのです。ガリラヤをはじめとする小アジアとよばれる地域にもそういう奴隷がたくさんいました。私の調べた範囲では、2世紀で帝国全体で人口が、5400万人くらい(ローマで100万人:以上、「世界大百科事典」)に対して、一説には6000万人(バークレー)の奴隷の数が上げられるくらいですから、相当数奴隷がいたということは確かなようです。ですから外国では医者であったとか法律家であったとか優秀な技術者であったとか、学者であったとか、そういう人々が奴隷になるわけですから、扱われ方は、哲学者アリストテレスが、「彼らは物といっしょだ」といい、口をきく道具だ、道具との違いは口が利けるということくらいだという扱いではあったようですが、一方では家族の中で貴重でまた大切な扱いを受けていたというケースも多かったことが想像されています。

少し踏み込んで、想像しますが、一つには、彼らの中には、主人よりよっぽど頭が良く、物の考え方も筋が通っていて、実質的に彼がいなければどうしようもないというほどに家をきりもりしているような優秀な奴隷がいっぱいいたのではないかという事です。彼らには主人を馬鹿にするような要素がいっぱいあったのではないでしょうか。いや、陰では、優秀な奴隷にまかせて、日がな怠惰な生活を送っていた、自分より愚かな主人を軽蔑していたかもしれません。

もう一つのことですが、殉教の歴史をみてみるときに貴族と奴隷とが手を取り合って殉教をしていく場面をみることが出来ます(ローマの初期の司教カリストゥスは奴隷、彼と貴族ペルペトウアは手をとって殉教)。このように御言葉をとりつぐ教会の指導者の中に奴隷がいたのです。言うなれば、教会の中では実質的に奴隷解放が行われていたのです。それは御言葉の原則に基づくものでした。ですから、奴隷が教会の長であって教会員がその主人ということさえあり得たのです。

日曜日は民の霊的な指導者となり、月曜日になると道具に戻る。彼らの心境は複雑だったでしょう。

そんな中で、いやだからこそ、ペテロはこのように言ったと言うことなのです。

「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。」と。

この言葉は、封建制度の中で既に身も心もずたずたにされた人々にさらに圧力をかけて制度を確立しようとするような権力者のそれでもなく、また、そのような圧力に負けてただ妥協するというような卑屈な精神でもなく、むしろ、前回も彼が確認していますように、すでに神の国に国籍をもち自由人とされている(教会の中では実質的にそれがすでに行われている)誇りある者として、いやだからこそ、そうですね、むしろこういう言い方をしましょう。「主人を受け止めてあげなさい。」その主人が優秀だからとか無能だからとか、いや、横暴だから罪人だからといっても受けてあげなさいと言っているのです。

どうして、こういう発想になるのか。「ここは聖書の中でつまずく人の多いところかもしれない。」と加藤常昭牧師は言いましたが、ここに見られる、今朝は、私たちは、ペテロの動機、その根拠に、適応こそ時代によって違いはあれ、決して変わることのない原理に、目をとめたいのです。それは、次の20節以下に書かれているのです。一気の後半部分を見ましょう。

 

2:2025「罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」

ペテロは自分がイエス様にどのように扱われたかを良く知っていました。そして、それと同じくらい、自分がどういう人間であるかということを痛いほどよくわかっていました。

彼は、イエス様は、あなた方のために苦しみを受けましたと言いました。しかし、イエス様が苦しみを受けたのは、イエス様を裏切って、直接的には私も一枚かんでいるということを、良く知っていました。「ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」と彼は言います。イエス様はペテロを、「お前は駄目だ、裏切った地獄に堕ちろ。」とおどす事の出来る権利も力ももっていました。しかし、裏切り者、そして性格の悪い(自分でそのように落ち込んだでしょう)彼に、イエス様がされたことは、おどすことではなくて、最後の最後まで、いつくしみに満ち、まるごと彼を許し、必死に彼をたちなおらせようとする最大の配慮でした。ところが、彼はいつも自分が先に立ちたい、時には下手なことを言う(と彼が思った)イエス様を、まるで若者を戒めるように戒めることさえしたのです。

彼は、イエス様に対して自分こそが横暴な主人になっていたことを良く知っていたのではなかったでしょうか。

「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」

キリストの打ち傷のゆえに癒されたのは、あなた方だと彼は言うのですが、本当は、誰よりも自分であることをペテロは良く知っていました。

彼が、「けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。」と、まるで苦しむことがキリスト者の生きる意味であるかの如く言う彼の言い方は、つまずきを覚えますが、一方で迫力があります。イエス様を裏切り続け苦しみ続けた分、残りの生涯を、イエス様のように人を許し愛し続けていこう、苦しむならあえて苦しみ続けていこうという彼の決意を感じます。

ペテロには、原則と実践(現実)を分けないで、いつも切り離さずに繰り返し述べていくところに特徴があります(by宮村武夫)。今日の所は、むしろその原則のことについて強調されているところです。

ただ、最後に、それは現実からは本当にかけはなれていることなのでしょうか。全部ではありませんが、やはりそこには、キリスト者の現代における実践においても、大切な真理が説かれていると思います。

例えば、そう会社での上司と社員とのかかわりにおいても、また、学校の先生と生徒との関わりにおいても、家族の秩序と言うことにおいても、教会においても。(もっとも気をつけなければいけないのは、主人が奴隷にものを言うときにここを用いてはならず、夫が妻にもの言うときに妻への注意を用いてはならず、妻が夫にもの言うときに夫への注意を用いてはならないということを、牧会的な配慮の中で述べておきたいとは思いますが・・・)

「尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。」とあります。単に服従するばかりではありません。「心を込めて」しかも、「尊敬の心を込めて」です。ペテロは、それが出来るはずだと言います。たとえ、尊敬できないと思われる横暴な主人であっても。では、どのようにしてであるかと、具体的な問題に関わっておられるみなさんは、私にお尋ねになるかもしれません。

ただ、ここで逃げるようですが、私は、みなさんが使わされている現場の状況を知りません。だから、いくら詳しくいかに上司が馬鹿であるかをこんこんと聞かされても、適切な指導は出来ないのではないかと思っています。遣わされているのはみなさんなのです。あえて言えば、今日の御言葉を実践するところからはじめてみてください。

ただ、このような例を、最後にお伝えして終わりたいと思います。

今日、与えられている御言葉を、もっとも鮮明に実行した人は、誰だと思われますか?聖書の中で。ダビデだと思います。

彼は、サウル王を心から愛していました。サウルの子ヨナタンはそのことを良く知っていました。ヨナタンは彼を愛していました。またやはり、サウルの娘ミカルも。しかし、ダビデはその優秀さゆえにサウルに命をねらわれます。しかもしつこく。彼は、洞窟にいたサウルの衣のふさを切り取り、私は、あなたを殺すこともできたけれどこのようにあなたを愛し尊敬していますと、言いました。部下のヨアブには、ひと思いに殺せばいいものをと迫るのですが、神の建てた人だと、尊敬を表すのです。しかもなお、彼は、密かに王の衣を切り取り自分をアピールしたことを、神の前に恥じます。神に立てられた王の衣を切り取るというような人を馬鹿にしたようにことをしたと。彼は、次第に追いつめられついには、いくところが無くなって、外国まで逃げます。彼は、主人に、愚直なほどに、忠誠を誓い通したのです。しかし、彼が最後に逃げ込んだペリシテ国は、サウルの敵となりました。ペリシテの圧倒的な国力の下、サウルは殺されます。もし、彼がサウルを殺して替わってイスラエルの王になっていたら、やはり彼も同じ運命をたどっていたかもしれません。彼は、結果的に一番安全なところにいたのです。苦しんだように思いましたが。ペテロは、横暴な主人に対して神の正義が行われないとは思っていません。模範とすべきイエス様は、「正しくさばかれる方にお任せにな」った(:23)というのです。ダビデも、そうしたのです。神はサウルを正しく裁き、ダビデを約束通り王にしたのです。

あえて控えめに言いますが、こう言うことさえあり得ると言うことなのです。言うまでもなく、今日、与えられている御言葉を、もっとも鮮明に実行してくださったのは、イエス・キリストです。他でもない私たちのために。罪を担い、十字架にかかり、その結果、私たちの罪は癒され、また、私たちは自由人として、また神の子どもにして下さったのです。

イエス・キリストの模範に従う歩みを、この原則をこそ、私たちの原則として、今週もここから勝利の歩みを、主が勝利を取って下さる歩みを歩み始めたいと思います。祈りましょう。