礼拝

1999/4/18

Tペテロ1:1〜2

『選ばれた人々へ』


Tペテロ1:1〜2

私たちは、前回まで使徒パウロの書いた、ガラテヤ人への手紙から教えられてまいりました。

本日からペテロの手紙第1より教えられていきたいと願っています。で、早速ですが、先ほど、司会者の方に聖書を読んでいただいて、お気づきになった方もあるかもしれません。私たちも慣れ親しんだガラテヤという名が今回から教えられることになったペテロの手紙の冒頭に出てくるのです。

1:1「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、」と。

パウロと共に、ペテロもまたこの手紙をガラテヤの人々に向けて書いているのです。パウロの手紙は、そのすべてが、宛先がその手紙の表題になっていますが、ペテロやヨハネの手紙は、数が少ないものですから、便宜上、手紙の発信者であるペテロやヨハネや、ユダなどが、ペテロの手紙、ヨハネの手紙というように、その手紙の名前になっているわけです。ということですから、この手紙も、パウロの手紙の基準に従って名前を付ければ、他の宛先もあるのですが、ガラテヤ人への手紙という事なんです。前回まで私たちはパウロの書いたガラテヤ人への手紙を学び、今回から、ペテロの書いたガラテヤ人への手紙を学ぶことになるということです。

で、既にパウロのガラテヤ人へ手紙を読んでこられた多くの兄弟姉妹にとっては、ここまでご説明しただけで、想像力がパーッと広がっておられるのではないでしょうか。特にそれは、パウロとペテロの関係についてであります。

ガラテヤ人への手紙の復習になりますが。パウロは、ガラテヤ教会が、神の一人子キリストによってだけ救われると言う福音から離れて、努力や精進によって救われるのだという考え、かつてのユダヤの考えに戻ってしまうことに悲しみ、その事と戦いました。そんな戦いのエピソードとして、パウロは、「私はペテロに言いたいことがある。」(ガラテヤ2:11)と言いまして、「彼に非難すべき事がある、私は面と向かってペテロに抗議した。」と言いました。パウロに言わせればペテロは、ユダヤ教徒を恐れて、異邦人とのつきあいをやめ、また、クリスチャンでありながら、まるで自分は、本当はユダヤ人ですよ、ユダヤ教徒ですよ、と言う振る舞いをし、使徒としてガラテヤの人たちの模範にならなければならないにも関わらず、悪い模範になっているではないか、と非難したのです。パウロとペテロの間には少なからず対立があって、そしてまた、その対立はガラテヤの教会を巻き込んでいたと言うことがパウロのガラテヤ人への手紙を見るとわかるのです。

ということですので、あらためてそのペテロが、おなじあのガラテヤの人たちに手紙を書いていると言うことになると、「パウロのガラテヤ人への反論でも書いてあるのか」「面白くなってきたぞ」というような興味をそそられるのであります。

 

今朝は、新しい聖書の書から教えられるときの恒例として、その書の周辺事情というものについてお話ししているつもりですが、もうすこしこのこと(周辺事情)についてお話しすることをお許し下さい。

先ほどの、この手紙の内容は、すわ、パウロへの挑戦状のような手紙なのかという緊迫感をもたれるようなお話をしましたが、結論から言いますと、残念ながら?そうではありませんで、実は、ペテロの第二番目の手紙(Uペテロ3:15)の中に、パウロの事にペテロが言及している部分がありましてね。

3:1516「また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。」と。

私たちの愛する兄弟パウロと、「愛している」と言います。「まあ、パウロの手紙はどれも難しいのですが」とちょっと「あれ?皮肉も言っているのかな?」という部分もありますが、詳しいことは省きますが、特に重要なのは、その直後のペテロの言い方で、

3:16b「その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」と言いまして、注目したいのは、パウロの手紙を、「聖書の他の個所のばあいも」と神の言葉である旧約聖書と同等のものと並べて見せまして、聖書である、神の言葉であると言っているという事なのです。これ以上の、ペテロのパウロへの尊敬の言葉はないでしょう。

想像を交えてこの手紙の状況を結論的にご説明しますと、一つの説明の仕方ではありますがこういうようなことなのかもしれません。パウロとからめてお話しします。

パウロは、ガラテヤ教会への手紙を書いた後、更に伝道の旅を続けます。当時は、パウロがペテロに会いにエルサレムに上った後であったでしょう。ペテロはパウロのガラテヤ教会の報告も聞き、パウロという人物についていろいろな意味で強い印象を受けたことでしょう。その後パウロは、ローマに捕らえられて牢獄に投獄され、また監視されてローマに幽閉されるようになります。伝説によればパウロはそのローマで処刑されます。伝説によればペテロもローマで処刑される事になりました。ペテロは幽閉されているパウロを訪ねたかもしれません。この手紙は、ローマで書かれています。(5:13「バビロン」は、ローマのこと)

ところで、パウロは、シルワノ(シラス)という、度々彼の書の中で出てくる忠実な弟子を伴って旅をし、あるいは、あのガラテヤ人への手紙もこのシラスが、最後大きな字で彼自身が書くところまでは(5章あたりまでは)、彼が筆記したということは大いに考えられるのです。

で、このシルワノなのですが、はしょってTペテロ5:12を見てみて下さい。

5:12「私の認めている忠実な兄弟シルワノによって、私はここに簡潔に書き送り、勧めをし、これが神の真の恵みであることをあかししました。」と書かれています。すなわち、そのガラテヤ人への手紙を筆記したかもしれない、少なくともパウロの忠実な弟子シルワノが、このペテロの手紙を筆記したというのです。(確かに、このペテロの手紙は、非常に美しいギリシャ語で書かれていて、とても漁師のペテロが書いたと思えないような文章なのです。〜ペテロが口述したという意味ですが〜)

で、なぜシルワノがペテロについたのか。パウロについていなくてよかったのか?既にこの手紙を書いているときにはパウロは、死んでいたかもしれないと言う事です。紀元64年、ローマの大火の責任をクリスチャンが負わされて、ローマの皇帝ネロによって、クリスチャンへの猛烈な迫害が始まりました。幽閉されているパウロも、ペテロの目の前で殺されたのでしょうか。ペテロは、ガラテヤの教会などに急いで手紙を書く必要を覚えました。ペテロも程なくして殺されることになるのかもしれません。彼は、ネロのクリスチャンに対する迫害は、いずれ、ギリシャやトルコ、イスラエルまで及ぶだろうことを、予感しました。彼は、パウロについていたシルワノに命じます。手紙を書いてくれ。そして出来れば持っていってくれ。ガラテヤをはじめ、いずれも今のトルコ(ギリシャの東。今、私たちの祈りの課題である、セルビア・アルバニアなどというのは、そのギリシャの北にあたりますが)にあたりますが、ポント、カパドキヤ、アジヤ(小アジヤ)、ビテニヤなどの都市をこの手紙をもって回るようにと命じたのです。

少し想像を交えてお話ししましたが、ペテロとパウロは尊敬しあっています。また、それより、今や、パウロとペテロの対立点であったユダヤ教の問題は、もうそれどころではなくなっていました。ローマによるクリスチャンねらい打ちの激しい迫害が目の前に迫っている、そういう時代に書かれたという事です。

時代背景についてお話ししてまいりましたが、ペテロの手紙を見ると、その緊迫感が伝わってまいります。これもまたペテロの手紙のまとめのような言い方をしますが、彼は、この手紙の中でローマという言葉を使わない。バビロンと言い、また「食い尽くすべきものを探し求めながら歩き回っている」という、悪魔とか、獅子という。この手紙がローマの誰かの目に触れたら、ポント、ガラテヤと次々回覧してもらいたいのだが、途中で没収される可能性がある?だから敵の名前を出すことは出来ないが、心の準備をするように、信仰の備えをするように、しかし、「草(ローマ)はしおれ、花(ローマ)は散る。しかし、神の言葉はとこしえに変わることがない。」(1:24)と言い、必ず、御言葉に従う者は勝利する。教会がローマ国家に勝つ日が来る。ローマは滅びるが御言葉は永遠、教会とクリスチャンは永遠である。と励ますのです。

ほとんどペテロの手紙を全部解説するような格好になってしまいましたが、最初ですので、少し長く、ペテロの手紙について解説しました。

 

もういちど、1.2節を読んでみましょう。

1:12「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」

そのペテロの、その時代の、最初の挨拶が、今朝のこの言葉なのです。

ペテロは、パウロのように例えばガラテヤなどの諸教会へとか、また兄弟姉妹へとか書きませんで、「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々(へ)」と、書きます。

散って、寄留している(一時的に身を寄せている。仮住まいをしている。)人々へと、書きます。

ペテロは、クリスチャンたちの多くがすぐにも、非常に激しい迫害が及んで命を落とすだろうことを、予感していました。彼は、クリスチャンは、この世に寄留している者だ。この世の生活は旅の途中、一時的な住まいだと思いなさいと、早速、迫害への心ぞなえをさせようとしているのかもしれません。

しかし、これは、今もクリスチャンすべての心ぞなえでなくてはならないのです。

イスラエル首相ネタニヤフが、以前、アメリカを訪れユダヤ人に向かって講演しました。ユダヤ人の何人かが意地悪な質問をしました。イスラエルの国のお金の出所はいったいどこなのか?アメリカのユダヤ人から集めているのではないかと。彼は、そのユダヤ人たちに質問しました。「あなたたちは、1976年のアメリカ200年記念祭で、誇りを感じたか?」と質問しました。「もちろん。」と。「愛国心を感じたか?」と質問しました。「もちろん」と答えました。ネタニヤフは言いました。「しかし、その自負と愛国心は、アメリカ人としてのものだろう。あなた達のルーツ、でどころを思っての事ではないだろう。アメリカは、あなたちの帰るべき家ではないだろう。あなたちの土地でもないし、あなた達のルーツでもない。」

彼の言ったのは「イスラエルを愛していない者に何がわかるのか?」という意味だと思います。

このエピソードは無茶な話ですし、問題を感じる話ではあります。しかし、神様が、あるいはペテロが、私に、あなたは日本に住んでいて誇りを感ずるかと聞かれたら、アジアに日本がしてきたことしてきたことを見るとき、「感じない」というかもしれません。しかし、(つまづかれるかたがおられるかもしれませんが心を開いて正直に言います。)石原慎太郎さんが横田基地をアメリカから取り戻せ、あるいは共同使用にして国際空港を羽村に作ろうと言ったら、心の底の方に愛国心が目覚めている自分に、気がつくのです。

家内に言われることがあります。「事あるたびに、大阪は何でも悪いと言う、あなたは、長野県が一番いいと思っている。」と。そんなつもりではないんですけれど、故郷を誇りに思い固執している自分を思うのです。

「桂司(私の名前です)よ。あなたの帰るべき所は喬木村なのか?あなたはこの国で外国人なのだ。あなたの誇りは、どこにあるのか。あなたの愛国心はどこにあるのか。あなたは知らないのか?あなたは本当はこの世の人とつきあうことをそんなに喜んでいない。この世の人も、あなたをそんなに尊敬しているわけではない。あなたと気の合うような人は、そんなにいない。あなたは、この世では、外人なのだ。あなたは、この世を通過している旅人にすぎないのだよ。」と私は神様に言われているのを思います。

心を開いて、正直に言います。以前、フィリピンに行ったとき、自分のパスポートを見ながら、フィリピンで骨を埋めるのはいやだ、私には帰るところがある、日本が私の国だと、安心感を覚えたのです。ある韓国の方から、私の林桂司という名前を見て、あなたは韓国に来ても改名する必要はありません。韓国には林という苗字もありますし、名前もそのままで韓国らしい名前ですから。嬉しいような、複雑な思いを持ったことを告白します。

ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤの人々よ、あなた方は、寄留している人々です。これは(ユダヤ人という意味だけではなくて、)すべてのクリスチャンに言っているのだと思います。あなた達はそこを旅をしているにすぎません。あなた達の故郷は、天国です。

「選ばれた人々よ。」と、ペテロは続けます。

「選ばれた人々よ、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々よ」と。

神は、イエス・キリストの生まれる前から、救われるべき人々を選んで、時至って、聖霊があなた達を確実にキリストへ、救いへと導いたのです。キリストは、十字架につかれ、あなたたちの罪を聖め、血を注ぐというのは約束の成就、契約の成就したぞ〜ということを示すのですが、もう神の子どもとなって天に属している、天国に必ず行くべき者に決まっていると言う意味なのです。

今朝、キリストを信じる者が、救われた者が、どこに属しているのかを確認したいと思うのです。どこに、安心(安息)を見いだし、何であることに誇りをもっているのか。ポント市民であることに誇りをもっているのか、ガラテヤの市民であることに誇りをもっているのか、日本人であることに誇りをもっているのか、アメリカ人であることに誇りをもっているのか・・・。

 

今日の箇所の最後で、ペテロは、「どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」と言いましたが、すでにクリスチャンであることがどんなに恵まれた立場であるのかを理解させようとしています。その恵みと平安の豊かさは、3節以下で一層明らかにされるのですが、今朝は、まず、私たちがイエス様を信じていることに平安と誇りをもって欲しいということを強調したいと思います。

Ex.

4月のはじめに、久しぶりに以前、お隣でペルー集会をしておられた、ホセ西川先生とルイス西川兄ご兄弟が、教会をお尋ね下さいました。今は川崎の集会に30名ほどと、千葉の集会に8名ほどが集っておられるということでした。

もみの木図書室の本棚の上に、かつてのペルー集会の看板が置かれていましす。私が、「持って帰られますか?」とお尋ねすると、「記念に置いておいて下さい。」と言われました。「じゃあ、いつ帰って来られてもいいように、置いておきましょうね。」と、私も答えました。

「祈り-95」神の家・天国のドア

 
そして、この度はじめてお聞きしたのですが、この看板は、3年あまり前の1995年11月22日に召天されたロレンソ古沢兄弟が書いたものなのだそうです。私たちとも特に親しかったロレンソ兄弟は、ペルーに生まれ、日本に来て、青梅(ホセ兄の部屋)で救われ、この部屋で礼拝し、召天されたのでした。

その看板には、「ORACION(祈り)-95CASA DE DIOS(神の家)””PUERTA DEL CIELO(天国の門)」と書いてありまして、1995年度のペルー集会のテーマを書いた言葉なのです。すなわち、1995年度テーマ“祈り”〜天国のドアはここに〜(創世記28:17より)

この看板は、「天国のドア」がまさにここにあったことを高らかと宣言しているのです。この言葉が、彼の召天する年に自らの手で書かれたことを不思議に感じます。私は、神様の予告と約束が、このテーマに表されていたことを思いました。またロレンソ兄弟が、この部屋のここでの集会の門を通って天国に行かれたのであることをあらためて私は確認させられたように思いました。

 

キリストを信じ救われた人たちの故郷はどこにあるのか。今朝、その事を私たちは黙想しているのです。

その事を本当に理解した人は、人を恐れず、死ぬことさえ通過点と理解し、どのような苦労と悲しみの中でも、いつも目の前の苦労を超越して喜べる自由と平安が与えられた幸せな人々であると思います。

選ばれた人々、選ばれた人々、この言葉が繰り返されます。

クリスチャンたち。この誇りとこの喜びをもってこそ、歩む、感謝と讃美のこの週でありましょう。