全自動の洗濯機よりも水の量が少なくてすむ、と聞いたこともあるが、最近はどうだかよく知らない。きっと今どきは全自動のほうが環境に優しく、生地も傷めず汚れもよく落ちるのだろう。それでもなんとなく二槽式のほうが全自動より好きだ。といいつつ、使っている洗濯機は結局全自動だったりしてしまっている。
自動車にしてもそうだ。マニュアル車に乗りたいのだが、自分で車を買う金もないので家のオートマ車を使わせてもらっている。まあこのへんまでは家族とのかねあいもあるからしょうがない。が、パソコンなどはWindowsなんてものは一生使わないと思っていたのに、今こうやってしっかりと使っている。本体もWindowsも自分の金で買ったものだ。
こんな例はほかにもいくらでもある。特に求めていなかった便利さを、なんらかの事情で手に入れることになり、そのうち逆にそれが当たり前になって、手放せなくなってしまうのだ。そんなことが続いて、買い物をするときも、不便なものよりも便利なものの方がいいだろう、という調子になってきてしまっている。買ったときは最新鋭のものでも、どうせ1年後には古くて不便なものの仲間入りをしてしまうのである。
まあ、いろんなものが便利になっていくというのは、きっと社会全体で見ればいいことなのだろう。しかし、便利になったかわりに、何かをしたときの手ごたえがだんだん薄くなっている気がしてならない。単に年をとったせいかもしれないが。ともかく、月並みな言い方ではあるが、便利さとひきかえに何かが失われているのは確かだと思う。