旧暦について


概要 天体 太陽暦 太陰暦
陰陽思想 五行説 易・八卦 干支 九星
二十四節気・節月 雑節 五節句 行事日 縁日
六曜 十二直 二十八宿 選日 方位神 下段 補遺 参考文献

雑節:節分 彼岸 八十八夜 入梅 半夏生 土用の入 二百十日 二百二十日
節句:人日 上巳 端午 七夕 重陽
行事:十日えびす 鏡開き 小正月 二十日正月 初午 針供養 社日 復活祭 花まつり
   夏越しの祓い 中元 地蔵盆 月遅れ盆 八朔 十五夜 十三夜 酉の市 七五三 新嘗祭 亥の子 大祓い
縁日:妙見 元三大師 水天 薬師如来 鬼子母 金毘羅 虚空蔵 閻魔 聖天 観音 大師 地蔵 愛宕 天神
   不動 初寅 初亥 甲子・初子 己巳・初巳 庚申 初卯
選日:八専 十方暮 天一天上 一粒万倍日 不成就日 三隣亡 犯土 三伏 天赦日 臘日
九星:一白 二黒 三碧 四緑 五黄 六白 七赤 八白 九紫 同会 六大凶方
神々:歳徳神 太歳神 大将軍 太陰神 歳刑神 歳破神 歳殺神 黄幡神 豹尾神 金神 天道 人道 福徳
   太歳合 歳徳合 歳禄神 歳枝徳 天徳 天徳号 月徳 月徳合 生気方 歳馬 奏書 博士 太陽 龍徳
   都天殺 災殺 劫殺 死符 病符 白虎 蚕室 力士 飛簾 定位対冲


1. 概要

 暦は日や季節を正確に表す技術として発達してきました。 この基本となるのは、地球の自転周期によってできる1日です。 時を規定するものが天体と関係するのは、誰にとってもそれが時を正確に刻む唯一のものになるからでしょう。 しかもそれが太陽と月になるのは、当然の帰結となります。 というのは、地球は太陽の回りを公転し、また月が地球を公転している唯一の衛星だからです。 ただ地球の衛星である月も時を刻むものとして使用されたのは、衛星としては不釣り合いなほど大きいために夜空に大きく見えることも原因したと考えられます。
 ということで、地球上での暦では、日、月、年という単位が生じることになったのだと考えられます。 もし他の惑星で暦が発達したならば、衛星の公転周期はあまり考慮されず、惑星の自転周期と、公転周期が時を定める単位になったと考えられます。 つまり、それぞれの惑星でその自転周期を「1日」と定め、その公転周期を「1年」と定めたもので暦を定めることになると考えられます。 もっとも惑星によっては自転周期がかなり長いものもあり、それによって「1日」を表わすのはあまり適切でない場合もありますが。

 さて暦は太陽よりも月を基準にして定められることが多かったのですが、これは月の方が太陽の変化よりも大きいということからの必然的な結果でしょう。 というのは、月は毎日満ち欠けを行なうのに対して、太陽の方はそれほど目立った変化は認められないからです。 太陽の方は主に一日の長さを決めるためだけに利用されることになります。
 ところが一年を経過すると、毎年決った変化、つまり季節的変化が現われることになります。 これは地球の公転軌道における位置で決るものです。 この位置は太陽の黄道の位置(方角)によって知ることができます。 したがって、太陽による年という単位が必然的に暦に組み込まれることになります。


 この場合、地球の公転ということは自身では知ることはできないので、これを知るためには間接的ながら太陽を利用するしかないのです。 このため、年という単位は太陽に関係づけるしかありません。
 太陽暦とは言うものの、この本質は地球の公転運動に帰着されるものですが、過去においては天動説が常識的な見方でしたから、地球と関係づけることはできませんでした。

 しかし、暦を月の運行で記述しようとすると、月は地球を29.53日で一周し、地球は太陽を365.2422日で一周することより、月の周期の約12.37倍が一年という関係になりますから、端数が生じます。 この端数を除いて、1年を12ヶ月と定めることになるのですが、3年経つと、約一ヶ月短くなってしまいます。 このため、約3年経過する毎に一ヶ月余分な月を挿入せざるを得ない事態となります。 (これが太陰太陽暦で言われることになる閏月と呼ばれるものです。閏月は、前月の月名の前に「閏」をつけて呼ばれます。たとえば、「閏5月」というようにです。)

 中国の元の時代には、既に郭守敬という人によって一ヶ月の長さと一年の長さが、それぞれ29.53日、365.2425日と定められていました。
 一ヶ月の長さは、過去の各月の日数の平均を取れば得られます。 一年の長さの方は、各年の冬至日が分かれば、冬至日間の日数を計算することで各年の日数が定まり、これらの平均を取ることで得られます。 冬至の日は正午の太陽の位置が一年で最も低いときになりますから、長い棒を立ててその影の長さが最も長くなる日に決定すれば良いということになります。 郭守敬が用いた棒は12mもの長さがあったということです。

 したがって、冬至日およびこの月の新月の日時が決定されれば、後は自動的に定めることができ、来年の暦を作ることが可能になります。
 なお、一ヶ月の長さが約29.5日となることより、この値は二ヶ月の日数の平均として表わすことが可能になります。 つまり、29日と30日の平均が29.5日になることより、29日と30日とを交互に繰り返していけばよいということになります。 ただしこれでも誤差が出るので、そのように繰り返さない月も生じることになります。
 旧暦ではこうした不規則性が現われるので、暦の需要が高く、毎年かなりの部数の暦が売れることになったのでしょう。


 そうした不規則性の生じることが太陰暦の最大の欠陥ということになります。 (もっとも明治の改暦ではこの点を利用したわけですが。この突然の改暦は、明治政府の財政不足を補うことが本当の目的だったとされます。 とはいえこの改暦は、日本が過去のしがらみから離れ、近代国家に生まれ変わるためには必要な措置だったと考えられます。 しかし、この代償として過去の情緒をいくらか失うことになりましたが。) この点太陽暦の場合には、月という単位は単なる区切りの意味でしかなく、自由に一ヶ月の日数を調整することができます。 このため、太陽暦の場合には一ヶ月の日数の取り決め方が変則的になったりするのです。

 さて日を定めるには番号や序数を表わすものを用いることになりますが、古代中国(殷の時代)においては日は干支(これは幹と枝を意味するものです)によって数えられました。 これは、十干(甲から葵までの十種)と十二支(子から亥までの十二種)の組合わせによる60までの「番号」で、甲子から始まり、葵亥で終わります。 これが60個になるのは、干支は十干と十二支をそれぞれ独立に循環させるものであることより、(10と12の公倍数である)60回目の次にはまた元に戻ることになるからです。
 そのようなわけで、古代中国で発生した暦では、日は干支によって示されたのです。 同様に年も干支で数えられることになりました。 (60歳を還暦と呼ぶのは、年を干支で数えていたことに由来しています。) この干支による日の数え上げでは、月や年によるリセットというものがありません。 常に同じように巡回しています。 これは年についても同じです(年も干支で表わすようになったのは、しばらく経ってからのようです)。 このことは紀元前より連綿と続いていて、これが干支というものの本質を物語っています。
 しかし、それでは同じ干支の年が何度も出てきて、干支では実際に何年のことなのか分からなくなりますが、正式には年は年号で表わされます。 ただ、年を干支でも表わした方が、年号の切り替えが起こっても、年数を計算しやすいということになります。 ですから、それなりに意味があるものです。 現在では、干支に対して順序的感覚を持たないので、その有用性に気がつかなくなっているのです。


 日を干支によって表わした殷の時代の暦は、月の満ち欠けを元にした太陰暦ではありませんでした。 月は単に30日を一まとめにしたものでしかありませんでした。 (これは10日を一旬とする日数の3倍に当たります。このように月というのは一ヶ月の日数を三旬とするものにすぎませんでした。) というわけで、日付は干支による日の名称と、30日を一ヶ月とする月の番号、そして年号で表わされていました。
 日を番号ではなくて干支で表わした理由は、殷(商)の時代では政治的な事などを決定する際、常に占卜(「せんぼく」、卜占とも。つまり占いのこと)によって決めていたことが関係しているようです。 他には、殷の時代には10個の太陽を考え、順にこれらの太陽が昇ってくると考えていたことも関係しているでしょう。 これが日の名称に十干が使用されている理由だと考えられます。
 後に殷を倒した周の時代になると、占卜が否定され、月の満ち欠けを元にした太陰暦に移行することになりました。 (この頃に陰陽思想もできました。) これは、暦が日という周期性の認識から、月という周期性の認識に進化したと考えることができます。 しかし、太陰暦に移行しても、月の満ち欠けを基準にしたものではない、干支による日の表示の習慣は残ることになりました。
 そして、前漢の頃になると、日付の表し方は完全に太陰暦に移行して、日は新月のときからの順番の番号によって表わされることになったのです。 つまり、日付の表し方は現代のような月と日による表記になりました。(もちろん太陰暦と太陽暦という違いはありますが。) ただし、依然として日を干支でも表わすという習慣は残りました。
 もっともこれにも利点があります。 というのは、太陰暦では各月の日数が変ってしまい、その日付だけでは日数の計算が容易ではないのですが、干支による日の表示では、これが単純に60日で巡回するものであることより、容易に日数が計算できるようになるからです。 というわけで、これは太陰暦では必須のものとなり、日を干支で表わすという習慣は、現代に至るまで残り続ける結果になったのでしょう。

 さて、暦の規定によってある事が周期的に繰り返されるようになると、事象の成因原因をその周期性と関連づけて考えるようになるのは、人々の認識の在り方としては自然なことでしょう。 今日のように自然科学が発達しなかった過去においては明確な因果的自然観は成立たず、物事の成因原因は何か固定的に定まっているものと関連づけて考えるしかなかったと考えられます。
 しかし自然科学が発達した現在ではそうした成因原因は迷信の類いと考えられ、かなり廃れてしまいましたが、それでも依然としてそうした因果的認識を人々は保持しています。 このことには、おそらく事象生起に対する精神的作用が働いているからだと考えられます。 この意味では、その成因の元になっている原因というのは、実は人間側のそうした規定によるものと考えられます。 ですから、任意なものが「因果律」として成立つようになると考えられます。
 古代の中国においては、そうした因果性の根本を成すと考えられたのが陰陽説と五行説でした。 これはいわば自然法則のようなものですから、人々はそれを絶対的なものとして信じたのでしょう。 現在の視点からは、自然科学という絶対的な自然観があり、陰陽五行説という考えはこの自然観とは相反しますから、容易にそれは迷信であると断定できますが、広範な適用性を持つ、確固たる現在のような科学が無かった時代には無理なことです。

 陰陽説は、万物を陰性と陽性とに分けて考えるものです。 したがって、何事も陰性のものと陽性のものとに分けることができると考えられることになりました。
 一方五行説は、万物を水性(水気とも)、木性、土性、金性、火性というように性質づけるものです。 したがって、暦の干支に対してもそれが適用されます。 またこのことは、地球から見て太陽系の主要な5つの惑星である、水星、金星、火星、木星、土星に対しても適用されます。 それぞれの惑星がそのように呼ばれるのは、五行説と関係があります。
 さらにその規定によってそれぞれの相性といったものも規定されます。 つまり日を表わすものである干支の十干や十二支に対して五行が規定されて、相性が定められることになったのです。 この相性から、日に対する吉凶が規定されることになりました。 また、十干と十二支は方位とも関係づけられています。 このため、干支による方位占いも行われることになりました。

 また、天地自然の変化を九星によって表わすということも考えられました。 これは、まず一年を二つに分け、冬至の頃から夏至の頃に至るまで(180日間)を陽気の季節とし、夏至の頃から冬至の頃に至るまで(180日間)を陰気の季節と考えるのです。 そして、九星を冬至に近い干支の最初の日である甲子の日を一白に対応づけ、陽遁(昇順の巡回)を行なわせるのです。 逆に夏至に近い甲子の日からはその日を九紫に対応づけ、陰遁(降順の巡回)を行なわせるのです。


 九星の考えの元になったのが、今から四千年前の夏の国の時代の河図(かと)や洛書であり、これを基に九星の哲理が研究されました。 河図とは、中国の不伏義の治世時代に背中に斑点のある「龍馬」が黄河より現れ、その背中には一から十までの模様が現われていて、この図に名づけた名称です。 洛書の方は、禹王の時代、洪水の治水工事をしているとき、洛水という黄河の支流から一匹の大亀が現れ、その亀の甲には異様な紋様がついていて、この紋様が不思議な数理(魔方陣の配置)を示していたので、これを洛書と名づけたということです。 (ただしこれらは神話とみなされていますが。)
 その後、周の文王や孔子等により九星術がより研鑽され完成されたということです。 (周の文王というのは殷の時代の西伯候姫昌のことで、この人は殷周伝説によれば占いに長けていたようです。 殷の紂王の横暴に対して四大諸侯が謀反するのを恐れた紂王が、これら諸侯を呼び出して謀殺を企てたのですが(ただ北伯候だけは紂王側だったので除外されました)、これを西伯候が占いによって予知し、うまく身を処すことでその災禍を逃れることができたということです。 また、これによって7年間幽閉されるだろうということも占いで予知していたとされます。 )
 日本では、西暦602年に百済の観勒により持ち込まれたこの思想を、推古天皇十二年(西暦604年)甲子の年より暦に用いられることになりました。 これを聖徳太子が活用して国を治め、伝教大師や弘法大師によって広く伝承されたということです。 しかし中世以後になると、これは一部特権階級の秘法となり、竹中半兵衛、天界僧正、佐久間象山等に受け継がれるだけとなりました。 この九星術を、宗家園田地角という人が気学と名づけて広く講習した結果、民間の間でも知られることになりました。 (中国ではこれのことは風水と呼ばれていますが、どうやら気学とは多少異なるようです。)

 こうして暦には九星が組み込まれることになりました。 この九星にも五行説が適用され、九星同士の相性が定められています。 そして、各自の本命星にしたがって日などの吉凶が占われます。

 こうした吉凶といった規定は何かが周期的に循環するものなら何でもよさそうで、暦には他にも様々な吉凶判断が追加されています。 六曜、十二直そして二十八宿がそうです。
 とはいえ、それぞれに吉凶が規定されるわけですから、あるものを見ると吉でも、他は凶となる場合が起こることになります。 とすると、それらは矛盾することになるのでおかしいということになるのですが(ここからも迷信性を容易に導くことができますが)、これは結局異なる作用の選択(もしくは総和)ということで回避されると考えられます。 つまり、それぞれ(もしくは集団的無意識)が正しいと信じている事柄のことが起こり易いと考えることで、その矛盾性を回避することができると考えられます。


2.天体について(分かりにくい説明のところは読み飛ばして貰って結構です)

(1)天動説のこと

 古代においては科学は発達していませんでしたから、物事の認識は感覚的あるいは直感的に決定されるしかありませんでした。 例えば、重いものは落下するとか、太陽は東から昇り西に沈むとかの観察による経験則が一般的でした。 そのように経験則が第一法則となるのであって、その原因になっている法則については何も考慮されてはいなかったのです。 というよりは、そうしたことは経験則からは大きく外れることになって、誰にも考えられないことになっていたのです。 しかも、たとえそれが考えられたとしても、その考えを実証することができなかったので、その正当性を主張したり、それを周りから認められることにはならなかったのです。
 そのようなわけで、我々は物理について誰からも教えられなければ、物は下に落下するもので、太陽は毎日東から昇り、西に沈むものだという認識を持つことになります。
 しかし全てのものが落下すると考えれば、なぜ太陽は落ちてこないのだろうかという疑問を抱いてもよさそうですが、これは結局、経験則が勝ってしまうからということになるでしょう。 つまり、現実がそうなのだから、そう認識するしかないと妥協せざるを得ないからでしょう。 もしそんなことをいちいち不思議がっていたのでは、ほとんど何も思考できなくなってしまうことでしょう。 なぜなら、現実は原因が不明なものに満ちているからです。 これは個々の人間が知りえることに限界があることが大きな理由です。 例えば、誰かが不可解なことを言ったとき、どうしてそう言われることになったのかを考えようとしても、彼の頭のことは知りえませんから、その訳を知るのは無理というものです。


 しかしながら、人間の不条理な言動に対しては一種の不快感を覚えさせるものであり、他の人の言動が自然なことのように思えるのを期待するようになります。 おそらくこれが人間を常識という枠に嵌めさせたがるようになることの理由だと考えられます。
 これの最も容易な解決策は、規則を作り、それを守らせることです。 というのは、常識ということを教えこんでも、それを受容できないという人がどうしても出てくることになるからです。
 所詮、常識というのは人々の平均的考えにすぎませんから(真実はこの平均的考えをもたらすことになり、「常識=真実」という考え方が成立つようになるのです)、その考えに馴染んでいない人達にそうした常識を強要するのは無理なのです。 実際、常識が単に人々の平均的考えであるということは、それが如何に奇妙な常識であっても、人々の大半がその常識に染まっている場合には、それが当然のことであるかのように看做すことに現われています。例えば、江戸時代の武士の髪型がそうです。

 その度にいちいち物事を考えていたのでは埒が明かないということになってしまいます。 ですから、大人になる頃には原因について考えることをもう諦めてしまい、結果だけを見るようになってしまうのです。 そして、その結果を直接的に導くような経験則を作り上げてしまうのです。 その一つとして出来たのが天動説ということになります。
 天動説は二体の相互的関係を論じる限りでは特に支障がないので、地球が静止していて太陽の方が動いているとしても同じような結果が得られることになります。

 しかし、絶対的なものと思われていた天動説は破綻せざるを得なくなりました。 これは、惑星の運動によって人生を占うという占星術によってもたらされることになりました。 つまり、それによって占うためには惑星の運動を正確に観察する必要があったのですが、惑星の動きを観察してみると、惑星が行ったり来たりという奇妙な運動をしていました。 そこで、このことを説明するために周転円なるものが考えられることになりました。
 しかし中には敬虔的な考え方をする人もいて、宇宙がそんな複雑で奇妙なものである筈がないと考え、もっと美しい説明に成功する人が現われました。(美がこの世の普遍的傾向であることより、宇宙もそうであるべきだと考えたのは自然なことだったのでしょう。ただし、世界のこの美的秩序は人間の諸活動によって崩れることになりましたが。これは人間の活動が、単に確率的あるいは欲求的に決定されることが多いということ、しかもその影響が甚大であるということからの必然的結果です。また、これには無機物の氾濫によって生態系が復元しなくなることや、乱獲などによって秩序ある生態系が狂ってしまうということも関係しています。)
 その人というのがコペルニクスであり、彼は惑星の運動はそれぞれが太陽を中心にして回っていると考えれば、何も複雑な周転円を持ち出さなくても、単純に説明できることを示しました。 (なお、地動説は既にギリシャのある哲学者によって提唱されてはいましたが、それは奇妙な考えとして一般には浸透することはなかったのでしょう。)  しかしながら、所詮それは一つの考えにすぎず、天動説を揺るがすものにはなり得ませんでした。 このためには、もっとその正当性を実証できることが必要だったのです。 これは、天体の運動を精密に観測して、その位置をより正確に知るということが、第一に求められることになります。 (科学の発展は、常に正確な観察から始められることが多いのですが、これはそれによって思考の拠り所となるものが得られるからといえます。) というのは、それによって法則性を導き出すことが可能になるからです。
 この正確な観測をしたのがティコ・ブラーエという人で、ケプラーは運良くこの観測結果を得ることになったのです。 そして、有名なケプラーの三法則を打ちたてることに成功しました。 そうなると、さすがに周転円の方は旗色が悪くなってしまいます。 そして、遂には地動説の方を認めざるを得ないということになったのでしょう。
 しかしながら、それは物事の真の原因を説明するものにはなり得ませんでした。 それは、あくまでも惑星の運動に対してのみ適用されるものだったからです。 科学において求められる法則というのは、個々に適用されるものではなくて、全てのものに適用されるものでなければなりません。 この意味では、ケプラーの法則は科学の土台となる法則には成り得なかったのです。
 後に、ニュートンがケプラーの法則は、彼の提唱した万有引力から導かれることを示して、物事の真の原因となる法則を打ちたてることに成功しました。 ここに科学の第一歩が印されることになり、後の科学の発展を見ることになったのです。 この意味において、土台の重要性というものが伺えます。 この土台には、二つのものがあります。 それは正確な観察と、それを説明する真の原因法則です。量子力学も真の原因法則を打ちたてるのに非常に苦労したのですが、それが打ちたてられた後には、現代の様々な科学技術の隆盛が起こることになりました。 現代の科学技術は、偏に彼らの発見・努力に負ったものだと言えます。


(2)天の川銀河

 太陽系が属している天の川銀河は渦巻銀河の一つで、円盤成分と球状のハロー成分(この部分はバルジと呼ばれます)から構成されています。 たとえば、かみのけ座にある渦巻銀河NGC4565は天の川銀河を横から見たものとよく似ています。 渦巻銀河を上から見た例としては、NGC2997が挙げられます。
 因みに各銀河は比較的接近していて、しかも不規則に運動していることより、銀河同士の衝突が起こることがあります。 そうした結果の銀河としては、ちょうこくしつ座にある車輪銀河がそうです。 (この近くには二つの銀河があり、どちらかが突き抜けたようです。) 他には、銀河ケンタウルスAは銀河同士が衝突し合体したものと考えられています。 銀河同士の衝突が進行中(といっても過去のことになるのですが)のものとしては、からす座のアンテナ銀河が挙げられます。
 さて天の川銀河の大きさは直径が約105光年であり、太陽系は銀河の中心から3×104光年の距離にあります。 1光年は光が1年間に進む距離で、これはc×365×24×60×60=9.45425495×1012kmにもなります。(この計算で、有効桁数に満たない数値は切り捨てていることに注意して下さい。また、この定義では1年を365日としています。) ここで cは光速度であり、これは2.99792458×108m/sの値です。
 太陽近傍での銀河の回転速度は 250km/sで、この近傍の当銀河の回転周期は2.2×108年になっています。 したがって、(円軌道をこの速度で公転するとみなして)千年経過しても、360×1000/(2.2×108)=0.0016°6″しか移動しません。
 なお、上記の値は最新のデータとは少し違っていますが。


(3)星座を構成する恒星について

 各星座を構成している恒星は、太陽系の近くにあるもので、これは4光年からせいぜい数百光年の距離にあるものです。 そこで、半径千光年を天球の大きさということにすれば、これは「銀河球」の大きさに比べると、1000/(100000/2)=1/50倍の大きさの半径でしかありません。
 また、太陽系の近くの恒星は、太陽と同じ方向に進みますから、それらの恒星との位置関係はほとんど変わらないということになります。 また、配位している空間が非常に大きいことより、数十年程度の恒星の(太陽に対する相対)運動はほとんど無視できるということが、何年(数百年程度)経過しても1年の各時期で太陽が常に同じ星座に入ることの理由です。

 しかし、この配置がほとんど変わらないとしても、春分点での太陽の裏側に当たる星座は変ってくることになります。 これは、自転軸(地軸)が歳差運動していることによります。 つまり、地球が完全な球ではなく楕円になっていることより、太陽や月の引力によって自転軸が傾くようになります。 これが地軸の歳差運動、つまりコマの回転が遅くなったときに見られるような軸の回転が生じることになるのです。
 地軸は現在、黄道面の垂直方向に対して23.5度傾いています。 地軸は歳差運動によって、25,868年で1回転します。 したがって、72年で約1度進みます。
 春分点というのは昼と夜の長さが等しくなる春の日時に当たるもので、これは地軸が太陽方向に対して垂直になる時なのですが、このことは地軸が回転することによって変ってしまいます。
 また、春分点が毎年の黄径の開始を定めるものになっています。 黄径というのは、黄道面での春分点を0度として、星の東回りに測った回転角のことです。 地球は太陽の周囲を反時計回りに回転していますが、これは東回りです。 逆に地球から見ると、太陽も反時計回りに回転しますから、太陽の黄径は春分の日を0度として増加していくことになります。

 なお、星座を構成している恒星の呼称ですが、これは星座名の次に、明るい順にα,β,γ等のギリシャ文字をつけて呼びます。 たとえば、「乙女座のα星」というのは乙女座の最も明るい星のことを指しています。
 因みに時々新星が出現するのは、何も他の恒星が太陽系の近くに紛れ込んだことによるのではなくて、星の爆発によってそれまで暗かった星が明るく見えるようになったためです。 というわけでは、それは新星ではなくて、星の最後の姿だったのです。


(4)太陽系の惑星・衛星について

 太陽系の惑星は、全て反時計回りに回転しています。 また、自転の回転方向も金星と天王星を除けば、反時計回りになっています。 これは偶然ではなくて、必然的な結果なのです。 というのは、星というのは星雲が凝縮してできたものであり、星雲は同じ方向に回転していますから、星雲から凝縮してできた星もその回転を保持することになるからです(角運動量は保存されますから)。 同様に、惑星の衛星も反時計回りになっているものと考えられます。
 ただ、自転が時計回りになるものがあるのは、自転の角運動量が小さいからだと説明できるでしょう。 つまり、軌道の角運動量に比べると自転の角運動量の方が遥かに小さいために、外部的攪乱を受けやすいということが関係していると考えられます。 実際、金星の自転周期はかなり長くなっていて、これは自転の角運動量が小さいということを意味しています。

 さて太陽系には9個の惑星または準惑星があり、これらの主な値は次のようになっています。 (冥王星は惑星の地位を剥奪され、今は準惑星の地位に引き下げられました。)

 上の表で自転周期や公転周期は恒星に対するものです。 1日は24時間なのに、自転周期がこれと一致していないのは、1日の取り決め方が自転周期とは異なっているためです。 つまり1日とは、地球が自転して太陽が再び同じ方向に見えるまでの時間となりますが、これは地球が公転している関係上、公転した角だけ余計に回る必要があります。 そこで、1日に公転する角を約0.99度として、これに要する自転時間はどれくらいかということを計算すると、
   0.99×自転周期/360=0.99×(23×3600+56×60+4)秒/360=237秒
になります。 この時間を可算すれば、24時間にかなり近い値(1秒だけ多くなっています)になって辻褄が合います。
 また、地球の公転周期が365.2422日と食い違っているのは、1年の長さの取り決め方が異なっているためです。 つまり、カレンダーでいう一年の長さというのは、春分点から春分点までに要する公転時間(正確にはこれと秋分点から秋分点までの時間、夏至から夏至までの時間、そして冬至から冬至までの時間の平均時間になります)のことですが(こちらは回帰年と呼ばれます)、地軸の歳差運動により春分点が前に移動(約1/72度)してしまうために、一年の長さは公転周期より僅かに短くなってしまうのです。

 なお、獣帯は黄道を中心とする約18度の天球上の帯域のことですが、水星と冥王星を除いて、惑星の軌道はこの帯域に収まっています。

 次に月の各値は次のようになります。

 上の表からすぐに分かるように公転周期と自転周期は一致しています。 これが月が地球に対していつも同じ面を向けていることの理由です。 これは衛星一般に見られることで、何も月が特殊だからということではありません。 これは自転における
潮汐摩擦によって自転とは逆向きの回転力が働くためです。
 そのようなわけで、この自転というのは、地球に対する公転の結果によるもので、地球を中心として見れば実のところ自転などしていないとみなすべきものでしょう。(もちろんより大きな「静止系」である太陽を中心として見れば自転していますが。)
 では、同じことが惑星についても言えるのではないかと考えることになりますが、実際には惑星はそのようにはなっていません。 これは、衛星があることが関係しているようです。 というのは、衛星を持たない水星と金星の自転周期だけがかなり長くなっていて、公転周期に比較的近い値になっているからです。
 なお、不思議なことに地球と火星の自転時間はだいたい一致していて、また木星、土星の自転時間もだいたい一致しています。 


(5)黄道12宮について

 参考までに、西洋占星術では黄道を12分割して各宮を定めていますが、これは次のようになっています。

上記黄径は、後で述べる二十四節気で示すことができ、0:春分、30:穀雨、60:小満、90:夏至、120:大暑、150:処暑、180:秋分、210:霜降、240:小雪、270:冬至、300:大寒、330:雨水、となります。

 ついでながら、星座占いについていうと、これは星座と関係するよりは生まれた時の季節と関係するように思われます。 というのは、脳の発達は生まれた時点のときが最も重要となるものだからです。 (おそらく生まれてから3ヶ月間くらいがこの時期になるのではないかと思われます。) したがって、そうしたことは緯度とも関係すると考えられます。
 例えば、春に生まれた人の場合には、あまり寒くもなく、また暑くもなく、さらにこれから冬になるという陰気めいた気持ちになることもないという状況の中で過ごすことになります。 このような環境においては、現実との関りといったものは希薄になるでしょう。 このため、ほとんどの時間を自己の夢想した世界とだけ戯れるということになるのではないかと考えられます。 そしてそうした思考傾向が定着し、春の星座である魚座生まれの人の場合の特徴である繊細さや夢想的性向を持つようになるのだと考えられます。
 こうした性格形成を生まれた時の月の12宮の星座に結びつけて、このことを星座による働きとみなしたのだと考えられます。 この意味では、この関係づけは単なる対応関係でしかなく、因果関係となるものではありません。 (単なる対応関係や同期的関係が因果関係とみなされるのはよくあることで、この占星術もそうした例なのではないかと考えられます。ただ惑星との因果関係は不明ですが。)


(6)地球の運動について

 地球は太陽の回りをほぼ円軌道を描いて公転していますが、実際にはこれは楕円軌道になっています。 そこで、このことについて述べることにします。 まず近日点と遠日点の距離ですが、これは近日点が0.983320天文単位、遠日点が1.016728天文単位 になります。 天文単位というのは、太陽と地球との平均距離のことです。
 これより、近日点と遠日点での角変化の相異率を求めることにします。 これは、ケプラーの第2法則である面積一定の法則より求めることができます。 (現在ではこれは角運動量保存則から導かれるものですが。) つまり、微小時間Δt経過後の両者の面積は等しくなることより、次の関係式が成立ちます。

ここで、r1は近日点での距離、r2は遠日点での距離、Δθ1は近日点でΔt時間に動いた微小角度、Δθ2は遠日点でΔt時間に動いた微小角度です。 上式より、回転角の比率Δθ1/Δθ2 となります。 つまり、回転角の相異率の最大は2%未満になりますから、平均値からは±1%の範囲内に収まるとできます(軌道が円軌道にかなり近いことより、回転角の平均値は近日点のものと遠日点のものとのほぼ中間にくると考えられますから)。 したがって、これは1日当たりの公転角の平均値を用いてもそれほど問題にはならない程度とみなすことができます。
 つまり、一日当たりの平均の公転角は ということになりますから、小数点以下第三位を四捨五入して、一日の公転角は0.99度とすることにします。(なお地球の公転周期のより正確な値は、365.2564日になっています。)


(7)月の運動について

 月と地球との運動では、月が地球に比べて無視できないほどの質量を持っていますから、この運動を正確に考えるには、この重力中心によって考える必要があります。 つまり、どちらも重力中心の回りを回転すると考える必要があります。 この運動では、常に他方はこの中心に対して一方の反対方向にくることになりますから、一方が速く回転するならば、他方も速く回転することになります。
 この重心の位置は、月までの(平均)距離3.84400×105kmを質量の逆比に内分する点になりますから、次の関係式が成立します。

これを計算すると、重心位置xは4671kmになります。 この距離は地球の半径6378kmよりも短いので、地球の半径からこの距離を引くと、1707kmとなります。 つまり、これは地下約1700kmのマントルがその重心ということになります。

 さて、地球の回転角の相異率を求めたように、月の場合にも求めることにしましょう。 これは、月の近地点の距離3.56410×105kmと遠地点の距離4.06697×105kmを代入すれば良いのですから、

になります。 (ただし最大の変化がこれくらいになるということで、毎月このように変化しているということではないようです。近地点がどの位置(配位)になるかで楕円の形が違うということなのかもしれません。) これより、月の場合では、この回転角の平均値からは3.3%程度の変動があるということが予想されます。 これは、微小回転角の平均値Δθが近地点のものと遠地点のものとの中間にくるとすると、 になることによります。

 また、重力の比率について求めると、重力は距離の二乗に反比例しますから(距離以外の値はどちらの場合も同じです)、遠地点と近地点での重力の比率は、

になります。 これは結構大きい違いになっています。 このため、新月または満月の時に近地点になると、地球での潮汐力が結構強く働くということになります。 例えば、1974年の1月と2月がこれに該当し、この時には大潮で大被害が生じたということです。
 なお、潮の干潮の他に月の大きな影響として挙げられるのが地震です。 MIT(マサチューセッツ工科大学)の地球物理学チームが、地震発生と月の引力との関係を調査するために、トルコで起きた計2670回の地震と月の相関関係を統計的に分析した結果、マグニチュード3以上の地震は新月、満月、上弦または下弦の当日かこの前後に発生していることが判明しました。
 また、2001年10月26日の日経に、以下のことが記述されています。

 東北大の大竹政和教授らのグループは、海底のプレート境界と呼ばれる場所を震源とする地震の発生は、潮の満ち干に関連する月などの引力が最後の引き金に成りやすいことを明らかにした。 地球の自転に伴って、地球のある地点から見た月の位置は1日のうちでも刻々と変わり、その引力は潮の満ち干を起こす大きな要因にもなる。
 世界9地域の海底のプレート境界で発生したマグニチュード5.5以上の逆断層型地震(断層の上の面がずり上がるタイプの地震)1923回を対象に、月などの引力と地震発生との関係を統計的に調べた結果、月などの引力が断層の滑りを助けるような方向に働いている時、地震発生に至った回数が明かに多いことを突き止めた。
 なお、月の公転が地球の地震と関係するようになるのは、月がエピトロコイド運動することも関係していると考えられます。 つまり、この回転運動においては月が進行方向とは逆向きに運動する箇所が生じますが、これは慣性運動と反することから月には応力が掛かるということになります。 これは同時に地球に対しても作用・反作用の法則により、応力が生じるということになります。この応力が地球本体で解消される際に、内部に歪みが生じて地震が発生するのではないかと考えられます。

 次に、月の見掛け上の一周期と月の公転周期の違いについて述べることにします。 月は29.53日(より正確には29.530589日)をかけて地球を一周するとされますが、これは月が新月になってから、次の新月になるまでの時間ということになります。 (ただしこれは平均であり、実際は29.27日から29.84日までの値となります。これは月が楕円軌道を描いているということによります。つまり、月の新月付近での角速度が毎月異なることによります。) この場合、月が一周する間に地球も太陽の回りを公転しているということを考える必要があります。 つまり、月が恒星に対して一周しても、地球と太陽を結ぶ軸上には来ないことより、地球が公転した角だけ余計に回る必要が生じるのです。
 そこで、この計算をしてみることにします。 まず月の恒星に対する公転周期は、27.322日となります。 この間に地球は0.99度×27.32227.1度回転することになりますから、少なくともこの角だけ月はさらに回転する必要があります。 これは、月の一日当たりの回転角(平均値)で割ると、その日数が得られます。 つまり

になります。
 しかし、この間に地球はさらに0.99×2.062.04だけ公転しますから、この分回転する日数も加える必要があります。 これは、 になります。 つまり、地球から見た月の一周期は、 となって、これは29.530…日とほとんど一致することになります。


3.太陽暦について

 太陽暦を(ほとんど合っていなかった以前のものを改善して)初めて制定したのは、ユリウス・カエサルであったことより、初期の太陽暦のことはユリウス暦(BC45年制定)と呼ばれることになりました。 この暦では、1年を365日とし、4年毎に閏日をおくというものでした。


 太陽暦で、7月と8月だけがどうして31日が繰り返されるのだろうと疑問に思っている人が少なくないと思われますが、これは単に恣意的な理由によるもので、何の必然性もなかったのです。 本来は各月の日数は、31日、30日、31日と周期的に繰り返していて、8月は30日だったのですが、これが恣意的な理由によって31日に変更されてしまったのです。 そして、以降の月は30日、31日と繰り返され、結局8月からは1日増えることになりました。 この1日増えた分は、2月から1日引くことで調整されました。
 また、2月は閏年の調整の月であったので、閏年の場合には29日となり、そうでない年は28日になりました。 そのような経緯で、2月だけが他の月と比べてかなり異端的な月となってしまいました。 (2月を閏年の調整月にするのは、もともと1月と2月は後から追加された月だからだと考えられます。つまり、追加された当初は2月が一年の最後の月だったのです。 しかし、1月につけた名前である Januaryは古代ローマ神話の神 Janus(ヤヌス)に由来しているのですが、カエサルが、これは神に対して失礼だと考え、年の初めの月を Januaryにしたということです。)
 8月を31日にしたのは、アウグストゥス(この叔父がカエサルです)の名誉を保持しようという意図でしかありませんでした。 これが8月の日数とどう関係するのかは、以下のことによります。
 7月はJulyと呼ばれ、これはユリウスと関係づけられていて、一方8月は、アウグストゥスがトラキア、アクティウムの戦いに勝利をおさめたこの月名を、戦勝記念という大義名分によって、自分の名に因む Augustusと変えたのですが、7月が31日あり、大の月(これは太陰暦でいう大の月とは一日違います)であるのに対して、自分の月である8月は30日で、小の月であるのは、自分の威厳にかかわるということで、勝手に8月の日数を31日に変えてしまったのです。 つまり、大の月と小の月という認識があったために、自分に因む8月を31日に変えてしまったということです。

 ところが、それでもユリウス暦では一年の長さは、平均して365.25-365.2422=0.0078日だけずれていきます。 このため、1000年も経つと、7.8日の狂いが生じるようになりますから、キリスト教の重要な行事である復活祭を定める春分の日がずれてきて、大きな問題になっていました。
 そこで、遂に教皇グレゴリウス13世が1582年に暦の改定を行ないました。 これは、400年毎に3回は閏日を入れないという規則のものでした。 つまり、年が100で割り切れる場合には閏日を入れないが、それでも400で割り切れる場合には閏日を入れるという規則です。
 なお、こうした規則を数式的に表わせば、平均した一年の長さは次のようになります。  

(因みに3333年目の場合には閏年にしないとすると、つまり -1/3333という項を追加すると365.24219987…となり、365.2422にほとんど一致します。そこで、この年に最も近い4,100,400の公倍数の年である3200年目には閏年にしないとすると、つまり -1/3200という項を追加すると365.241875となります。)

 この改暦の結果、ずれた日数分である10日が10月5日から飛ぶことになりました。 つまりこの翌日からグレゴリオ暦になった日は、10月15日に定められました。

 しかしグレゴリオ暦の制定が1582年に行われても、それに従わない国もあり、それが普及するのはしばらく後になりました。 例えばイギリスでは、ユリウス暦からグレゴリオ暦に変更したのは1752年11月24日となっているので、これ以前ではグレゴリオ暦とは日付が異なることになります。


4.太陰暦について

 太陰暦は、月の地球に対する公転を基準とするもので、この公転による配置関係はもう一つの「静的」天体である太陽によって規定されます。
 太陽と地球とを結ぶ軸を常に回転における角の始点にとれば(月と比べればこの軸の変動は小さいので、だいたい固定しているとみなすことができます)、月と地球を結ぶ軸の回転角が0度の場合、つまり月が地球と太陽とを結ぶ軸に入るとき(これは朔とよばれます)が月初めとされます。(日本の元々の月初めは、月が反対側になる180度の場合、つまり満月のとき(これは望と呼ばれます)でした。ですから、暦にはこの名残りが残っています。なお望となるのは、新月のときから約半月後になりますから、旧暦での15日前後がその日になります。)
 この交差が起こるのは、ある日時ということになるのですが、その日に生じた場合を最初の日と規定されます。 つまり、その時間が0時0分の場合でも、23時59分の場合でも、その日が月初めになります。
 しかしながら、一日の最初の時間を決めるのは、地球上のそれぞれの経度によって異なることになります。 つまり、経度が異なれば、ある場所では昼だったものが、ある場所では夜だったりします。 このため、どこかを基準にして一日の開始を規定する必要があります。

 旧暦ではそれを規定する場所は京都(これは東経135°44'の場所)でしたが、現在では世界標準時を基準とする日本標準時が使用されることになったため、その場所は東経135°にある明石に定められています。 135度が選択されたのは、世界標準時を規定する経度0のイギリスのロンドンから、経度差を15度の倍数となるように各国の標準時を規定するようにしたためです。 つまり、この15度というのは360度を24分したものですから、ちょうど1時間単位のずれをもつように各国の標準時を規定しようということです。
 日本の場合には、東経135度ですから、標準時よりも9時間進むことになります。 なお、京都の明石との経度差は、44'ですから、日本標準時とは約3分のずれがあります。

 さて、当プログラムでは(春分点での地球と太陽を結ぶ軸の回転角を0とする、地球からみた)太陽および月の回転角は、それらの天体運動の近似式(海上保安庁水路部による略算式)で計算しています。 そして、それらの角の差分が0になった場合が、朔の日時ということになり、その日が太陰暦での月初めということになります。しかし、これは1分未満の誤差が生じています。 したがって、その日時が0時0分または23時59分の場合には、朔日が曖昧という事態が生じます。
 また、24節気の時刻ですが、これは上記略算式では1分以上の誤差となることが多く、このため2020年頃の現状に合うように補正を行っています(地球の公転が楕円軌道を取ることによる誤差のようです)。概ね誤差は1分以内に収まっているようですが、時に2分の誤差が生じる場合があります。

 旧暦の表示には、朔月の場合は「朔」、満月の場合は「望」、上弦の月の場合は「上」、下弦の月の場合には「下」と表示されます。


 大潮は朔または望の1〜2日後、小潮は上弦または下弦の1〜2日後になります。 大潮とは満潮と干潮の潮位差が最も大きくなるもので、小潮とはそれが最も小さくなるものです。 このことは海水が太陽や月の引力によって引かれるためで、太陽または月と地球を結ぶ方向でこれと向き合う面と反対側の面の潮位が高くなり、そして側方の面の潮位は低くなります。 したがって、太陽と月による満潮がぴったり重なる朔月や満月の時に大潮となり、また太陽と月による満潮が互いに相殺することになる上弦または下弦の月の時に小潮となるのですが、海水の動きは海水の慣性や地殻との摩擦などにより遅れるため、実際には大潮や小潮はそれらの時期の1〜2日後になります。
 なお、満潮や干潮の時には、潮の流れがほとんど停止します。 潮の流れは魚の活動や流動に影響を与えると考えられますから、その場合には魚があまり釣れなくなると信じられているのも、妥当なことかもしれません。

 旧暦で月初めの日が重要になるのは、六曜の決定の場合です。 というのは六曜の決定は、旧暦での月初めによって定められるからです。 もし一日異なると、六曜が違ってくることになります。
 特に、結婚式場や葬儀場の休日は六曜に合わせて決められているので、六曜が狂うとその日付が違ってくることになります。


5.陰陽思想について

 暦の仕組みを知るには、古代中国の思想をまず知る必要があります。 それとしては、陰陽論、五行説、干支、易、九星があります。
 以下では、順次これらについて説明することにしますが、これらは暦を理解するための予備知識なので、これらを知っていないと暦についての説明が全く分からないということではありません。

 陰陽論は、万物は陰と陽との二元素によって成立ち、また陰陽の気によって万物が成長・発展すると考えるものです。 そうした二元化が可能となるのは、一般には物事というのは対立して存在しているものや対立する概念が存在するからだと考えることができるでしょう。

 なお、この陰陽論は女性と男性に対しても適用されることになり、女性が陰で、男性が陽とされました。 そしてこの規定によって、あるいは肉体的な力関係か経済的関係によって、男性の方が女性よりも優れていると考えられることになったのでしょう。


 脳の働きについては女性も男性もそれほど大きな差異はなく、そうした優位性はあまり根拠のないものです。 知性は脳の大きさとはあまり関係がありません。知性は脳の大きさではなく、脳内の各ニューロン間の結合性と関係します。 加齢によってこの結合性が低下することになるので、一般に若者の方が知的働きでは優位になるのですが、ただ若者の場合知識が足りなかったり、物事をあまり深く考えていなかったりするので、総合的には年長者の方が知的に勝るということになります。 ただし、40才程度を上限として、知的能力は徐々に低下してくると思われます。
 しかしながら、それは一般論であって、もし若い時期から大量に物事を覚えた場合には、状況が異なります。 よく早熟の天才と言われるのは、そうした典型であることが大半であると考えられます。

 さて女性脳と男性脳との大きな違いは、左右の脳を繋ぐ脳梁の違いによるとされます。 (左脳は言語や計算などの論理的な思考性を持ち、右脳が音楽的認識や絵画的認識などの直感的な思考性を持つと考えられています。) つまり、女性脳の場合には、左右の脳の繋がりが良好なので、快活さや繊細さという性質が生じるのだと考えられます。
 一方、男性脳の場合には、その繋がりがあまり良好ではないので、論理的思考または直感的思考のいずれかが優位になると考えられます。 男性の粗雑さや謹厳実直な性質は、そうした傾向から生じるものと考えられます。
 ただし現在では、男女共に大量の情報にさらされていて、各情報が緊密に「醸成」されてはいず、このために女性も男性的傾向が強まっているように思われます。 また、繊細さというのは、各情報間の緊密さから生じるものですから、それが失われてくることになる加齢と共に女性が男性的傾向をもつようになるのは必然的なことであると考えられます。



6.五行説について

 万物は五要素から成立っていると考え、それらは自然界の代表的なものである、木・火・土・金(属)・土を対応させて表わし、あらゆることをこれらの五要素に還元しようというのが、五行説です。


 当時は、原子的理論はありませんでしたから、そのように考えたのはある意味必然的だったのでしょう。 現在では、全ての物質は陽子と中性子からなる原子核と電子に還元することができ、この意味ではそうした五要素説はあまり関係がありません。 どちらかといえば、五要素説よりは3要素説が正しかったのですが。 色も三原色に還元でき、五要素説は分が悪いように思われます(特に、白は赤、緑、青の要素に還元できますから)。 もっとも五味のように五要素に還元するしかないという場合もあります。 こうしたことは、それぞれの特質と関係することなので、全てが五要素に還元されると考えるのはおかしなことです。
 とはいえ、現在では五行説が正しいから人々がこれを重用しているというのではなく、吉凶を占う上で重用されているということにすぎません。 五行説が吉凶判断の規定あるいは事象変化を予想するものとしてのみ重用されているということからは、その説の正当性を云々する必要はあまりないのです。

 そこで、五行説では万物は次の五つの要素あるいは性質や範疇のいずれかに分類されると考えます。(ということで、どんな無理があっても、五要素に対応づけて考えることになります。) 

 さらに五要素同士に対して相性を定めました。 これは以下のようになっています。

上記の相性を人間関係に例えると、相生は親子関係、比和は友人関係、相剋は敵対関係ということになるでしょう。

 さて上記の相性関係はこじつけのようであり、あまり信頼に足るもののようには思えませんが、これが五行説による吉凶判断の要をなすものであり、五行の相性のことは十分に認識する必要があります。 (五行説の相性の規定については、相性関係がどのような由来を持つのかを知っていれば十分で、この正当性を吟味する必要はあまりありません。それは結局のところ単なる規定にすぎないと考えられます。)


7.易・八卦について

 八卦は易でいうところの八個の分類を表わすものです。 これは陰と陽とを分割していって作られたものです。 つまり、以下にようにして作られます。
 まず大元である太極を陰()と陽(|)の二つに分割します(と|は本来は横です。漢字がないので、これで代用しました)。 (これらは、両儀と呼ばれます。) 次に、陰と陽とをそれぞれさらに陰と陽とに分割します。 この結果、陽・陽(これは老陽と呼ばれます。これが老陽と呼ばれるのは、陽が極まった状態ということからでしょう。また陽極まれば陰に転じるという意味もあるからでしょう)、陽・陰(小陽)、陰・陽(小陰)、陰・陰(老陰)の四象ができます。 これをもう一回繰り返すと八個のものができ、これらのものは八卦(はっけ)と呼ばれます。 同様にして、十六卦、三十二卦、六十四卦というものも作られます。

 そこで、この八卦を方位に配置したものが八方位となります。これら八卦のそれぞれの呼び名と基本象意や方位、そして対応することになる九星などは次のようになっています。  

 八卦(もしくは九星)の委細はだいたい次のようになります。
8.干支について

 干支は、十干と十二支を組合わせたものですが、十干は(季節の移り変わりなどの)天象あるいは日(太陽)のことを表わし、十二支は(草木の変化などの)地象あるいは月のことを表わしたものとされています。

 十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十種のことで、これは十日単位を旬(じゅん)とする 1日目から10日目までを表わすものとして使用されました。 この十干の由来は次のようになっています。

 十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二種のことで、これは1年を12ヶ月(太陽太陰暦では1年は必ずしも12ヶ月にはなりませんが、暦が初めに作られた頃では1年は12ヶ月と定められていました)に分けた各月を表わすものとして使用されました。


 12という単位は、円の分割においては必然的なことであると考えられます。 つまり、直角を分割するということを考えた場合、二つに分割する場合と三つに分割する場合が基本的となるでしょう。直角を三つに分割した場合には、4×3=12で円が埋ることになります。また、直角を二つに分割する場合には、4×2=8で円が埋ることになります。
 そして、季節というのは太陽の周回によって生じるものですから、これは円に該当し、したがって1年を12の月に分割するのは自然なことになるでしょう。
 ただし、このことには月の周期がおよそ30日になるということも関係していますが。 つまり、30日を12倍すると約1年になることより、12の分割が生じることになります。

 十二支の由来は次のようになっています。

 十二支は初めには単に各月の番号を表わす意味しか持っていなかったのですが、後に動物と関係づけられて言われるようになりました。
 また、十二支は方位や時刻を示すのにも使われました。(十二支も十干と同じく、番号的な意味のものでしかなかったので、このように順番に割り振られることになったのでしょう。) 方位は、子を真北にとり、それから東回りに30度ずつ、丑、寅、…の順に対応させることになりました。 時刻は、子の刻を真夜中の2時間すなわち23時から1時までを示し、丑の刻は1時から3時まで、寅の刻は3時から5時までというように順に2時間ずつ対応させることになりました。
 因みに、女性の名に「子」という字をつけることが多いのですが、これは産むということよりついたものと考えられます。 これは子孫繁栄を願ってつけられたものでしょう。

 十干・十二支はもともとは番号的な意味のものでしかありませんでしたが、陰陽五行説が現れると、これらに対しても適用されることになりました。 十干は五気をそれぞれ陽と陰とに分けて対応させられることになりました。 というわけで、十干は次のように呼ばれることになりました。 

ここで、「兄」が陰陽説でいう陽性を表わすもので、「弟」が陰性を表わすものになっています。

 なお、十干が以上のように五行で規定されることになったのは、もともと十干というのは番号的な意味のもので、この順序性と五行での順序性と対応づけられたことによるようです。
 五行での順序性は次のように定められています。 木より火を生じ、火より土を生じ、土より金を生じ、金より水を生じさせるということより、木が第一番目で、火が二番目、土が三番目、金が四番目、水が五番目のものとされました。 また、五行はそれぞれ陽と陰とに分けることができ、するとちょうど十個のものができ、それらを十干と順に対応させれば、上記のように定まるということになります。

 しかし実際には五行の生成順序は上記のようにはなりません。 生命の源は水と土(さらには太陽光によるエネルギー)にあり、木が自立的に生じるのではないからです。 つまり、有機物の主な構成元素は、水素、酸素、窒素、炭素であり、これらは全て水および土に存在するものだからです。 また、木が燃えて土を生じさせると考えるよりは、それは土に還元されると考えるべきものです。 要するに、土の変性により木が生じ、この変性状態が元の状態に戻って、木は土や水に戻ると考えるべきものでしょう。 もっとも、木における生長的意志というものがあれば、それは土や水に優先するということも考えられますが。つまり、それが原初的生成因ということになり、それは水や土といった生成因よりも優先すると考えることができるからです。
 しかしながら、そうしたことは結局のところ規定の仕方にすぎないので、上記のように対応すると考えてもあまり問題にはならないといえます。

 十干が五行に対応づけられると、それぞれの五行がもつ方位と対応づけられるということになります。 この結果、十干は方位的対応をもつということになります。 こうしたことは、基本的に対応関係が明確に付きさえすれば良いことなので、実際にそうであるという必要はあまりないのです。 つまり、内的な論理的整合性が保たれていれば、それで十分なのです。 それに付け加えていうと、範疇的分類に欠けがなければ現実との対応性には何も支障が出ないということになります。


 十干の方位(東・西・南・北)への配当は次のようになります。(上が南で、左が東です。)

 なお、運命盤と呼ばれるものは円を24分割したもので、この各方位(各15度)には中央の二干を除く八干と、十二支、そして八卦のうち東・西・南・北以外のもの(艮・巽・坤・乾)が配置させられます。 これは気学で言うところの方位盤とは異なるものなので、ご注意下さい。 方位盤の方は30度で区分します。
 次に、十二支の方は次のように対応させられることになりました。(因みに守り本尊も併記してあります。)

上記のように五行の要素が割当てられたのは、以下のように考えることができます。
 まず十二支が月に対して割り当てられたことより、これは季節に対する方位と関係づけられることになります。 つまり、冬を北に(北を下にとりますが)、春を東に、夏を南に、そして秋を西に配置します。 それぞれの季節の変わり目には土用が入りますから、上記の季節の他に4つの土用が入ります。 そして、「各季節」で等分に360度を8分すると、それぞれは45度ずつ振り分けられることになります。 次に、45度の各区分をそれぞれ3分します。 すると、一つの区分が15度となる24個の小区分ができます。 24個の小区分ができるので、各十二支を一つ置きに配置していけば、等分に配置できることになります。
 このとき、子は1月を表わすものですから、北の45度の区分に入れますが、東・西・南・北の区分は本来は土用の区分よりは大きいわけですから、これらの区分にはそれぞれ二つの支を入れるとすれば、子は北の3つの小区分のうち東側の小区分に入れるしかないということになります。 子の配置が定まったので、以降を順に配置させていけば、子は北、丑は北東、寅・卯は東、辰は南東、巳・午は南、未は南西、未・申は西、酉は西北、亥は北の区分に入ることになります。 そこで季節に対する五行の規定に合わせれば、上記のように十二支に対して五行の要素が定まるということになります。
 なお、正統な解釈では、子は真北におきます。 実際、方位を15度ではなく30度で分割する場合には(これは気学での方位分割となるのですが)、気学での基準の配置パターンでは子は真北に配置させます。

 十二支の方位への配当は次のようになります。(上が南です。)

 十二支の相性関係には、次のものがあります。

 さて、十干と十二支を組合わせた干支と呼ばれるものが考えられ、日に配当されることになりした。 干支が十干と十二支との組合わせでできたものであることより、これらの要素同士の相性による吉凶が生じるということになります。 これが干支によって生じる吉凶判断の元になっています。


9.九星について

 九星とは、一白(いっぱく)水星、二黒(じこく)土星、三碧(さんぺき)木星、四緑(しろく)木星、五黄(ごおう)土星、六白(ろっぱく)金星、七赤(しちせき)金星、八白(はっぱく)土星、九紫(きゅうし)火星のことです。 これらは「星」と名づけられていますが、惑星とは特に関係がなく、これは五行と関係したものです。
 九星は日・月・年の吉凶を占う他に、方位移動に対する吉凶判断に利用されます。
 この九星術である気学の元になっている考え方は、陰陽観、五行観、三才観の三つです。 三才とは天・地・人のことで、天は父に、地は母に、人は子に対応していて、それぞれは十干(天)、十二支(地)、九星(人)によって示されます。

 九星は、干支と同じく、日・月(節月)・年それぞれについて配当され、巡回しています。この周期は60日間となります。 年と月の九星については陰遁(数が減少していくもの)を行います。
 日の九星については、夏至の頃(夏至に最も近い甲子の日)から冬至の頃(冬至に最も近い甲子の日)までは陰遁を行い、それからは夏至の頃まで陽遁(数が増加していくもの)に転じます。 したがって、それらは180日間で切り替わることになり、これは年間にして360日の周期で推移することになりますが、これは年間5.24日ほど短くなっていくことから、11年から12年で60日以上ずれることになり、この調整が必要となります。そこで、陽遁または陰遁の期間が上記決定によって240日間となるとき、夏至または冬至の前後1日間に甲午(これは干支の中間)がある場合、この日を隠遁または陽遁の切り替え日にするという例外則が適用されます。この結果、30日ずつ振り分けられて陽遁と陰遁はそれぞれ210日間となり、これは九星の閏と呼ばれます。なお、この切り替え方については流派による相違があります。

 上記のように九星が定まったならぱ、その日(または月、年)の九星を中央に配置して、他を各方位に配当させます。 この配当の仕方の元になるのが、3×3の魔方陣であり、これは次のものです。


 なお、魔方陣の配置が重視されたのは、調和性あるいは対称性ということが関係しているように考えられます。 このことは、無から何かを生じさせる場合には、必然的なことのように考えられます。 つまり、局所的に全体として無になるようにすれば、総合的な全体としての存在性とは何ら矛盾しなくなるからです。
 このことは、実際、量子の生成の場合に当てはまっています。 量子は無から生じ得ますが、その場合には、対となる反対の量子も生成する必要があるのです。 なお、光(子)の反粒子は光そのものです。

 これで九星同士の配置関係は定まるのですが、これを方位にどう配置させるのかという問題が残ります。 これは、1を北に3を東に配置させることで決まります。(もともとは2が西に、4が南に配置させられたのですが、東西南北以外の4方位を追加する際に、2と4は上記のようにずらされることになりました。)
 上記配置から、各方位について1可算していくと、全ての配置が次のように定められることになります。

注.上が南の方位になっています。

上記方位は、東・西・南・北の各方位が30度、他が60度の分割になります。 (なお、家相の方位の場合は、45度の均等分割になります。)

 さて、方位に対する配置としては易の八卦によるものもあります。 そこで、九星は八卦とも関連づけられることになります。 特に、九星の特徴を表わす際には、対応する八卦の象意が用いられます。 (しかしながら、吉凶関係については五行で規定しますが。)
 また、九星での方位規定と八卦での方位規定との本質的な相異としては、前者が各方位を巡回していくのに対して、後者はそうした巡回を行なわないことです。
 八卦の他には、十二支と十干も方位的対応がなされていて、これらとの対応づけもなされます。 (十二支と十干は干支によって日、月、年それぞれに配当されます。) このため方位の吉凶を占うには十二支や十干も関係することになりますが、十二支が八大凶方の一つである破の決定に利用されるだけになっています。


 方位の定め方については異論があります。 つまり、北を真北すなわち北極点にとるか、それとも磁北にとるかという問題があります。 気学の効果を磁気作用と結びつけて考える人は、北を磁北にとります。 一方、気学を地球の自転性とだけ結びつけて考える人、あるいは単なる方位分割と結びつけて考える人の場合には、北を真北にとるようです。
 しかしながら、どちらの見方でも正しい結果になるともいわれています。 このことから推察すると、これは各自の見解と関係しているように思われます。 おそらくは、これは深層意識に働きかける自己暗示によるものと思われます。 あるいは集団的深層心理効果によるものかもしれません。 このため、これは自分の表層的な想いで変えることは難しいのかもしれません。 (例えば、負けが込んで熱くなり、ツキがないのはそのせいだということが分かっていても、その意識状態を変えるのは難しいようにです。)
 気学の本では、磁北については特に述べていないことが多く、おそらくは真北を北にとって良いのではないかと思われます。
 磁北説を採る方は、次のようにして下さい。 まず磁北は北極点の方向を指していますが、正確には北極点と一致していません。 これは数十年単位で変動しています。 例えば、西暦2000年頃では磁北はカナダの北の方にあります。 磁北の真北からのズレは北にいくほど大きくなり、札幌9度、東京6度、鹿児島5度というようになっています。 つまり、磁北に近いほど、方位のずれが大きくなるということです。
 したがって、方位を決定する際には、地図上の北の方位を、各緯度での方位のずれにしたがって西にずらす必要があります。 正確には地図上に載っている西偏値だけ真北を西に傾けると(東偏になる場合には、東に傾けます)、それが磁北による北ということになります。
 どちらの説を採用すればよいのか分からないという人の場合には、西偏値分だけ内側の領域に限定すれば良いということになります。 つまり、方位のずれを見込んで該当方位の領域を線引きすれば良いということになります。

 さて、以下では方位作用ということについて述べることにします。 その前に方位作用が何であるかということについて私の観点を述べると、これは明らかに物理的作用のものではなくて、心理的作用のものです。 (鳥は地磁気によって方位を認識していると考えられてもいますが、私としてはこれは認識的なものと考えられます。) つまり、心理作用が物理的作用を引起こして、物理的事象あるいは心理的事象を引起こすのだと考えます。
 この心理的現象界を定めるもの(心素)は、個々の観念であると考え、この観念規定こそが、心理的作用の本質であると考えます。 観念における引力とは、観念同士の関係認識によるものであり、関係の深いもの同士が強く結びつくと考えます。 したがって、観念における引力は、観念間の関係規定(の認識)によって成立するものということになります。 この関係規定は任意であることより様々に定めることができますが、多数によって共有されるならば、これは共通部分に収束していくことになります。 通常は、既に定められたものへ即座に収束することになります。 つまり、その関係規定を知り、自己において同定するということになります。 これは外部から与えられたものですが、自己において同定されるならば、恰もそれは自明的真実であると思われるようになります。
 次に方位観念ですが、これは視覚における幾何学的認識から自然に生じるものとなります。 つまり、ある平面を認識した場合、それには上下の認識と左右の認識が生じることになり、少なくとも4つの方位認識が自動的に生じることになります。 これらの方位をさらに分割すれば、8個の方位が生じることになります。 この方位観念の生成は必然的なものであり、それらの方位認識がなければ、平面内を動くことができなくなります。 (例えば、右方向に動きながら、上の方に移動するという場合には、右上方向という認識が必要になります。なお、方位分割は様々に可能ですが、それはこの8個の方位認識を精密にしたものにすぎないものといえ、それは後天的に獲得するものと考えられます。) このため、動くということには必然的に方位観念が生じるということになります。 移動に対して方位観念が生じるならば、この観念に対して観念規定が働くということになります。 これが方位作用の本質であると考えられます。 (実際、観念生成が物理的偶然事象の生成を左右するという傾向が認められます。)
 したがって、方位は自己の認識によるものということになるのですが、これは物理的に定められるものでもあることより、自己のその認識と一致することになります。 一般的には方位感覚が方位を定めることになると考えられます。
 なお、上と下という方位認識があるのであって、北と南という方位認識があるのではありません。 北と南は上と下に結びつけられて生じるものです。 したがって、北と南という上下の方位認識は入れ換え可能なものということになります。 以前においては、南が上と考えられていて、南に行くことは上に行くという認識でした。 しかし、現在では主要な国が北半球にあることより、地図上では北を上に配置しています。 このため、この方位配置を元にすれば、北の方に行くことが上に行くという認識なのですが、これは易が定められた頃とは逆の認識になっています。  


 それでは、九星の巡回のよる「方位占い」について簡単に説明することにします。 (詳細については、気学などの解説書を参照して下さい。)
 この方位占いをするためには、まず自分の本命星が規定される必要があります。 本命星は、生まれた年の九星となります。 ただし、生まれた日が立春(2月4日頃)以前の場合には、前年の九星になります。 そして自分の本命星と移動方位に配置している九星との相性関係によって、その方位への移動の吉凶判断がなされることになります。 (なお、同様に月命も定まり、これとの吉凶も生じますが、これは精神面にのみ作用するものということなので、とりあえずは無視して考えてよいと思われます。 また、これとの作用が生じるのは、精神的に成熟する30歳くらいまでとされます。)
 この吉凶判断および九星についてまとめたものが次の表です。(詳細事項については、八卦・十二支・十干について調べれば得られることになります。)

代表的な凶方位は上記のものですが、回座している九星が本命星と相剋になる方位も凶方となるのでご注意下さい。 これについては特に表示は行なっていません。 (吉方位以外は凶方になります。)

 さて、九星に対する五行が「九星表」のように定められたのは、方位と関係しています。 つまり、北に配置する一白は水性となり、南に配置する九紫は火性となり、東側に配置する三碧・四緑は木性となり、西側に配置する六白・七赤は金性となり、中央に配置する五黄は土性となっています。 二黒・八白については、土用の方位と関係づけられて決ったように考えられます。

 次に方位効果について述べることにします。 まず、九星には年(これは立春が切り替え日になります)、月(これは立春等の節入りの日が切り替え日になります)、日(日家九星)とそれぞれにあるわけですが、これは用途や方位への移動期間によって何を用いるべきかということが異なり、それは次のようになります。
 住居の移転、開業、大きな取引きといった大きな目的の場合や、遠い場所(500km以上)への旅行、一週間以上の旅行になる場合には、年盤と月盤を用います。 小さな取引きや一週間以内の旅行などの場合には、月盤と日盤を用います。 それら以外の小さな行動の場合には、日盤を用います。 (特に小さな移動の場合では、気学よりも奇問遁甲術の方が効果が高いとされます。 これは時間を重視するもので、占いとしては結構面倒なものになっています。 因みに三国志で有名な軍師の諸葛孔明は、奇門遁甲を使って戦に勝ったと伝えられています。)
 方位効果の有効期間は、年であれば60年間、月であれば60ヶ月間、日であれば60日間となりますが、実際にはそれぞれ13年間、13ヶ月間、13日間くらいが効果が明白に現われる期間とされ、特に4、7、10、13番目のときに顕著に現われるとされます。 また用いた方位に自分の本命星が回座するときにも大きな効果が現われてくるとされます。


 といっても、何かの拍子でその効果が現われることになるように考えられます。 ということで、そうした条件が整った時点でその効果が現われるようになるのだと考えられます。
 一般的には、凶作用の効果としては油断や不注意、不摂生がその引き金になるように思われます。 このため、九星の効果は物理的因果関係と何ら矛盾しないと考えることができます。 つまり、このために新規な物理的作用を持ち出す必要は何もないのです。 また、物事は恰も自然に起きたかのように生じることになります。 この意味では、九星的効果の因となるようなものがないと、この事象は起こり得ないと考えることができます。
 これの背後にある真の「力」というのは、物質の不確定状態を決定するようなものであると考えられます。 物質自身はこの不確定状態を決定することはできないので、不確定性原理は絶対的なものとみなすことができますが…

 距離は100km以上あれば十分とされますが、これ以下(300m〜2kmくらいが下限のようです)でも効果が現われます。 滞在時間は4時間以上であれば十分な時間とされます。 (距離は遠いほど、時間は長いほど、長く大きく影響が現われてくることになります。 私の経験では、数km離れた場所に行き、3時間くらい経つとそうした傾向が現われることが多かったように思います。また、平成18年1月に継続的(5〜7日間)に南方(一白水星方位)に行っていたのですが、その方位への移動を止めた次の日から1〜2日ほど方位効果が現われるということが三度連続して起こったということもありました。) さらに用いる九星が共に同じ場合ほど、効果が顕著に現われるようになります。
 ただし一説によると、土用期間中(四季の各土用入りから18日間くらい)は、吉作用は半減し、凶作用はさらに強まるので、この期間中はあまり用いない方が良いとされます。

 方位効果は、該当方位の宮の運勢運に九星の象意を加味することによって示されます。 (これについては結構な解説を必要とすることより、気学の解説書をご参照下さい。 それに、これについてはあまり詳説していないようであり、実際のところは各人が体験して判断する他ないと考えられます。 なお、参考文献として挙げた二つの気学の本の説明での明らかな相違点を挙げると、定位対冲の見方が異なることです。)

 次に九星による運気について述べることにします。 他の占いと同様に、九星の場合でも年、月、日に対して吉凶が言われます。
 まず年の場合の運気ですが、これは定位盤(五黄が中宮のもの)と年盤との同会を見て決めるものです。 (被同会もありますが、これは後述します。) つまり、その年の年盤で、自分の本命星がどこの宮にいるかを見ます。 そして、定位盤では、その宮にはどの九星が回座しているかを見ます。 例えば、本命星が一白の人の場合、平成15年の六白の年盤では、一白は南の離宮にいますから、離宮の九紫同会となり、九紫(離宮)同会の運気を見ます。(これは「離宮(九紫)」同会でも同じことです。というのは九紫の象意は離宮のものと同じになるからです。)
 月の場合の運気は、年盤と月盤の同会を見て決めるもので、その月の月盤で自分の本命星がいる宮を探し、この宮に年盤ではどの九星が回座しているかで占います。 例えば、一白の平成15年8月の運気を見る場合、8月は八白が中宮の月ですから、一白は西の兌宮にいて、この年の六白の年盤の兌宮には八白が回座していますから、兌宮の八白同会となり、この月の運勢は八白の象意に兌宮の象意を加味して占います。
 日の場合は、月の場合と同様で、日盤の自分の本命星の宮に、月盤ではどの九星が回座しているかで運気を見ます。

 また、同会に対して被同会というものもあり、これは同会の場合と逆で、例えば、月の場合でいうと、年盤での本命星の宮に、月盤ではどの九星が回座しているかを見るものです。

 そこで同会と被同会の運勢の相異点が問題になりますが、これは次のようになります。

 同会の運勢の概略は次のようになります。 ただし上記は、該当の方位盤(日の運勢ならば日盤のこと)で本命星が回座している方位に暗剣殺や破がつくときには、凶的意味のものになります。 (これは、「★」を付けて表示するようにしました。)  


10.二十四節気・節月について

 太陰暦では月の朔の日をもって月初めとするのですが、これは年毎に変っていくことになり、同じ月でも、年によってずいぶん早くなったり、遅くなったりします。 このため、季節感を表わすには旧暦での日付はあまり役に立たないものになります。


 春夏秋冬のような季節がなぜ生じるかというのは、地球が太陽を回る軌道面に対して自転軸が垂直になっていないことが理由です。 このため、地球から太陽に引いた直線(ベクトル)と自転軸(北を上とするベクトル)のなす角が90度より小さい場合には、日照時間が長くなるので暖かくなり(「南半球」では逆になりますが)、逆に90度を超えた場合では日照時間が短くなるので寒くなるということになります。 また、このことには大地の面が太陽となす角度も関係しています。 つまり、大地が太陽に対して垂直になるほど、強く照りつけられることになります。
 この自転軸が太陽に対してなす角は、地球が太陽を回る軌道上の位置で決ることになります。 この位置は、地球から見て、太陽が黄道上(黄道は太陽が周回する径路のことです)のどの方角に見えるかということ、つまり黄径で分かることになります。 黄径が位置と正比例の関係にあるのは、地球の公転軌道が円軌道に近いためです。

 したがって、季節を表現するには太陽の位置に基づくものが必要となり、これが二十四節気と呼ばれるものです。 これは、立春を起点にとり、まず1年を12の区分に均等に分割し、さらにそれぞれを二つに分けて、全部で24の季節に分けたものです。 (正式な見解としては、1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたものとされるようですが、12ヶ月に分けて考えた方が分かりやすいように思われます。) そして、これらの季節はその季節を連想しやすいような名称で呼ばれます。
 また、1年を12分割している12の節気によって節月が定められます。 これは新暦でいう月の区分に近いものですが、節月の方が1年を正確に分割しています。 (ただし、節月は新暦の月よりも一ヶ月遅くなっていることに注意する必要があります。 これは、年の開始をどう決めるかという単なる規定にすぎないので、どちらの方が標準的かということは言えません。新暦の方が標準的に思えるのは、単なる馴れであるにすぎません。)
 ということで、二十四節気及び節月は次のように定められています。

 また二十四節気は、旧暦の月が何月になるかということを決定する際にも利用されます。 旧暦での2月・5月・8月・12月は、上記のように中気である(これは単に春分等が中気になることの他は、中気の初めが満月になるということも関係するでしょう)春分、夏至、秋分、冬至によって固定的に定められますが、これ以外の中気(開始日)を含む月については、春分を含む月から夏至を含む月までというように、各間に入る月数が3ヶ月になる場合には、中気を含まない月を閏月とします(その3ヶ月のうち、必ずどれかの月がこれに該当することになります)。

 なお、二十四節気をそれぞれ三つに分けたものが七十二候と呼ばれるものです。 (これは中国華北地方の動植物の変化や自然現象の推移を表現したものとされます。) この中には、次の雑節で取り上げられる半夏生が入っています。
 この半夏生なる言葉はまことに奇妙であり、これは一体何だろうかと思うものなのですが、この奇妙な名は七十二気候のものであることによります。 つまり、この各気候の呼び名は中国伝来のもので、しかも各気候は単語としてではなくて、文節として表現されていることが理由です(ここまで細分化してしまうと、もはや単語としては表現できなくなるのでしょう)。 というわけで、半夏生を、「半夏 生(ずる)」と読めば、理解可能なものになりますが、大方の人にとってこの半夏という言葉自体も不明だと思われます。 これはさといも科のハンゲ属であるカラスビシャクのことで、田畑に多い雑草ということです。(しかし、この塊茎は薬効成分を持ち、雑草とみなされているとはいえ、有用な植物なのです。)
 つまり半夏生というのは、半夏という雑草(根を薬用としますが、そのままでは毒となります)が田畑に生じる時期を表したものなのです。 (正確には、この頃に上部の葉が白くなることから。) 因みに、半夏生というドクダミ科の植物もあり、これは半夏のカラスビシャクとは異なっていて、この解釈に混乱を引起こしているようです。


11.雑節について

 二十四節気を補足するような気候区分もしくは行事時期として挙げられる雑節というものがあります。 これは次のものです。

 土用について補足すると、この時期は体調をきたすとされていて(これは体が次の季節に備えて順応させるためと考えられます)、この注意を促すためものと考えられます。 これが土用と呼ばれるのは五行説からきていています。 つまり、五行説では全てを木性、火性、土性、金性、水性の五元素に対応づけることより、季節もこの対応づけがなされ、春は木、夏は火、秋は金、冬は水に対応づけられます。 さらに各季節の変わり目に土用なる「季節」も設けられました。 この各季節は土用と名づけられ、これで各季節と五行との対応がなされることになりました。 (この季節が土性であることより、変化の意が生じています。) 特に夏の土用が重視されて、「土用の丑」の日なるものが考えられました。 これは夏の土用期間中の丑の日のことです。 これは丑すなわち牛にあやかったもので、この日に鰻などを食べて養生すれば、健康に過ごせるということになりました。 (鰻は、ビタミンAが非常に多く含まれています。また、ビタミンB1・B2も多く含まれていますし、カルシウムなどのミネラルも十分で、夏場の健康維持にはまさに打って付けとなっています。これに欠けているものといえば、糖分とビタミンCくらいといえます。)
 昔は、病気になったら医者にかかればよいという安易な時代ではありませんでしたから、人々は健康に過ごせるということを非常に重視したのだと考えられます。
 なお、夏に体調不良になるというのは、おそらく夏には食が細くなるからだと考えられます。 特に、以前では肉食はあまりされていず、主に菜食の生活でしたから、食が細くなると、多くない蛋白質や脂質の摂取がより細くなってしまいます。 このため、蛋白質を作るための必須アミノ酸の欠乏が生じることになるのでしょう。
 現在の知識からすれば、土用の丑というのは単なる縁起付けもしくは摂取すべき間隔であって、本来の意味は、豊富な栄養分の摂取が夏バテや病気を防止するということなのだと考えられます。 ですから、それは丑の日でなくても良かったということになります。

 次に毎年決った時期に台風が訪れるようになる理由についても参考までに述べておくことにします。 まず台風というのは、強い風と雨を伴うものですが、これは渦を巻いている大規模な積乱雲によるものです。


 大気の渦は、地球の自転によって引起こされる見掛けの力であるコリオリの力と呼ばれるものから生じるとされます。
 ただし、これは運動している物体に対してのみ生じます。 例えば北半球で、真北方向に運動しているという場合、自転により子午線が回転しますが、元の経度(これを正面として見ますが)の場合と比較して子午線は西に傾きます。 しかし、子午線から見ると、物体の運動は右に傾いたということになります。
 逆に、真南に運動しているという場合では、物体の進行方向に対して子午線は東に傾きますから、子午線を基準にすると物体の進行方向は西に傾くということになります。 つまり、この場合でも物体の運動方向は進行方向に対して右側に傾きます。

 そのように、北半球では、コリオリの力は、自転方向と垂直方向(子午線の方向)の運動成分に対して、進行方向を右側に移動させようとする力です。(南半球では左側になります。)
 この力は緯度θのsinθに比例し、緯度0度では0、緯度45度では1/2、緯度90度では1というように強くなっていきます。

 さて、大気の渦が生じるためには、その部分で気圧が低下する必要があります。 つまり、上に空気が逃げこめば、その部分で気圧が低下するということになりますが、これは海水の蒸発による上昇気流によってもたらされます。 このことは水蒸気の凝結による潜熱の放出により大気がさらに温められ、このため大気が軽くなって上昇するということになります。 また、温度が高くなると水蒸気の蒸発もさかんになって、上昇気流はより強まっていきます。
 この大気圧の低下によって、周辺部から大気が流れ込みます。 このとき、コリオリの力によって大気の進行方向を右側に移動させる力が働くことによって、大気の回転による渦が生じるということになります。 そうした渦が多数集まって大規模な大気の回転が生じ、それが台風ということになります。
 というように、台風を生じさせている本質的なエネルギーというのは、太陽による光熱ということになります。 このエネルギーの一部が地球の自転及び重力によって渦に転換されることになるのだと考えられます。

 コリオリの力は緯度が高くなるにしたがって大きくなっていきますが、台風の形成が有効になる緯度は、北緯(または南緯)5度くらい(フィリピンでいえば、ミンダナオ島辺り)になるようです。


 大規模な積乱雲が発達するには、まず強い上昇気流が生じる必要があります。 これは、海しかも暖かい海域(26.5℃以上)となります。 この海域は、季節によって変化します。 つまり、暑くなるにしたがって、主に発生する海域の緯度は高くなっていきます。
 暖かい海域で発生した台風は、移動することで日本にやってくるのですが、これは時計回りに太平洋高気圧のまわりを廻って北上してくることになります。 したがって、台風が低緯度で発生した場合には、北上しても日本には到達しないで、フィリピン辺りを通っていくことになります。 これが、9月頃をピークにして、暑さと共に北上してくることになり、ちょうど9月頃になってから、日本を通過することになるのです。 それ以降は、発生緯度はまた低下することになるのですが、このときには台風は太平洋側を通過していくことになります。


12.五節句について

 五節句とは、人日(じんじつ)の節句(1/7)、上巳(じょうし)の節句(3/3)、端午(たんご)の節句(5/5)、七夕(しちせき)の節句(7/7)、重陽(ちょうよう)の節句(9/9)の五つです。 五節句はもともとは五節供とされるもので、その時期の草花を供えて神などに祈願しました。 このためこれらの節句はそれらの草花に因んで呼ばれたりします。
 以前は旧暦でしたから、これらの節句は旧暦の日に行われました。 旧暦では、冬至(12/22)のある月が11月でしたから、これは新暦とでは一ヶ月違います。 また、月の朔日によって月初めにしていたので、これまた一ヶ月くらいのずれが生じます。 ということで、これらの節句が行われる時期は、現在のとはだいたい20日から50日くらい先の行事でした。 このことに留意しないと五節句の意味の季節感とずれてしまいます。
 五節句のうち、人日以外は全て月と日の数が同じになっていますが、これは何もそのようにしていたものではありません。 ですから、人日だけ月と日が違うのはおかしいのではないかと思われるかもしれませんが、それは関係がありません。 節句の名前から推定されるように、上巳の節句は元は3月の最初の巳の日に行われました。 また、端午の節句は、5月の最初の午の日に行われました。 上巳と端午の日が選択されたのは、これらの日が陰の極まる日のため、災厄を取り除く必要があるとみなされたことによります。 (なお、重陽の節句のように月の数と同じ数の日に行なうようになったのは、重日思想によるものです。 またこのことは、節供という行事が婦女子の休息のために設けられたことにもより、農繁期の2ヶ月単位での休息日が、だいたい同じような間隔で並ぶからでもあるでしょう。つまり、上巳からの節句を全て重日の日とすれば、それらの間隔はだいたい同じくらいになるということからです。)
 しかし、節句が毎年日が変わるというのは、具合が悪かったのでしょう。 そこで、上巳や端午の節句、七夕や重陽の節句を真似て、月と同じ日に祝うようになったのではないかと考えられます。 また、それらは陽数である奇数が重なる日ということで縁起が良いと考えたのでしょう。 ただ、人日の節句については、元日と同じになってしまい具合が悪く、元と同じ7日ということになったのだと考えられます。

 それでは、五節句についてとりまとめた表を以下に示します。

 七夕についてはもう少し補足することにします。 地球が太陽を中心にして回っていることより、夜空というのは太陽とは反対側のことであり、したがって月毎に見える星座が少しずつ変ってくることになります。 さらに、夜のある時刻を基準として、星の位置は毎日変化することになります。
 旧暦は新暦とは平均して1ヶ月くらいずれていますから、七夕伝説が言われることになった月というのは、8月になります。 そこで8月の夜空ですが、この時期の深夜には頭上に天の川を挟んで明るく輝く2つの星が見えることになります。 それが牽牛星である鷲座の1等星アルタイルと織女星である琴座の1等星べガです。
 一年の特定の時期にそのように見えることから、この二つの星は、旧暦7月7日の夜にだけ再会することを許された夫婦だという伝説が作られることになりました。
 この伝説は、日本での、川辺で機(はた)を織って神様を迎える棚機津女(たなばたつめ)の伝説と混じり合い、七夕(これをたなばたと呼ぶのは、「たなばたつめ」に由来します)という節句行事になったということです。
 ということで、当初は棚機津女にあやかり、女性が手芸の上達を願って、美しい糸や金銀の針などを供える祭事でした。 そして、室町時代には、木に和歌を結び、硯や墨、筆などを季節の物と一緒に供えて技芸の上達を願うようになったということです。 また、七夕飾りは江戸時代に広まり、この当時には書道の上達を願うことも多かったとされます。 そしてこの七夕飾りが現在に至り、七夕の行事になっています。
 現在では、星に手芸や書道といった技芸の向上を願うということが拡大解釈されて、自分の願いを託すということになっています。 (元は手芸の向上を願っていたものが、時代の変遷と共にその意味が変ってきたということになります。)


13.行事日について

 旧暦には、二十四節気や雑節、五節句の他にも謂れのある暦日が記載されていて、それとしては以下のものが挙げられます。


14.縁日について

 縁日とは神仏と縁のある日のことで、縁日に参詣すると功徳があるという信仰が広く人々に信じられています。 このような神仏としては、観音、薬師、地蔵、閻魔、鬼子母、聖天、妙見、不動、金毘羅、愛宕、虚空蔵、水天、大師、元三大師、天神、毘沙門天、摩利支天、大黒天、弁財天、帝釈天などがおられ、これらの縁日は次のようになっています。


15.六曜について

 六曜(六輝とも呼ばれます)は日に対して比較的よく使われる占いになっていますが、この変遷を辿ると、意味や日取りの決め方が違っていて、この根拠はだいぶあやふやなようです。 現在のような決まりに定着したのは、安政の頃のようです。 それでも、仏滅については、物滅と記述されていました。 それ以外は、名称も日取りも同じになっています。
 さて、この六曜は旧暦の頃から人々に信じられてきたかというと、そうではありません。 明治の改暦に伴って、おそらく新暦において混乱を引起こすようなものは迷信事という名分で全て廃棄してしまおうという「粛正の嵐」によって、ほとんどの暦注が消え去ることになりました。 そこで、それに抵触しないようなものとして取り上げられたのが、六曜だったのです。 これは、新暦では日や曜日と関係なく不規則な変化をするように見えるために、何か不思議なもののように思われ、珍重されるようになったようです。 (仕組みが分かってしまうとがっかりするという例は多いですから。)
 現在ではこれが定着して、特に結婚式や葬式の日取りを決める際には、大安だから良いとか、仏滅だから悪いとか、友引の日に火葬するのは良くないなどとされることになりました。


 しかしながら、そのことはそうした観念規定の賜物と考えられます。 合理的に考えて、そうした物理的因果関係は生じようがないのです。 それは、個人もしくは集団での暗示効果であると考えられます。
 実際、人というのは何の根拠がなくても、ある事が規定されていると、それを容易に信じ、それを絶対的なものであると考えてしまうものなのです。 ですから、その根拠を要求される場合でも、「それは決まりでそうなっています」ということがよく言われることになるのです。 でも、そんなことを知らない人は、そんな説明では全く納得できず、それはお役所だから仕方がないなどと考えてしまうのですが、それを知っている人達から見れば、それは侵すべからざる「真理」となっているのです。 ということで、そうした事態はお役所に限らず方々で見られるものでしょう。 特にその根拠が希薄であったり、根拠が理解困難であったり、もともと根拠など何もない場合には、よく起こることだと考えられます。
 さて、六曜は吉凶が機械的に繰り返されるにすぎず、それによって何故吉凶といった因果関係が生じるのかということですが、これは次のように考えられます。 一般に想念作用というものは、それが発生した場合、それが成就するまで時空もしくは意識に残り続けるものと考えられます。 そして、それが成就する機会または成就すべき機会を捉えて、その作用が現われるのだと考えられます。 そうした機会を与えるのが、意識状態であるところの自己暗示であると考えられます。 つまり、ある事柄を覚えることによってこの自己暗示に陥り、この暗示に対応した想念作用が現われるのだと考えられます。 この意味では、そうした因がないかぎり、吉凶といったものは生じないと考えられます。
 そのように、ある規定による吉凶占いというのは、いわば人間が生み出している意識力学と考えることができます。この場合、この力学を明確に形成することになるものは周期性ということでしょう。ある作用が周期的に生じているということを仮定することによって、その意識的力学が成立するだろうということです。したがって、それは任意なものでも良いということになります。ある仮想的力を導入することによってそれが意識に深く刻み込まれ、この意識によって事象生起が影響を受けることになるのだと考えられます。そして、このことは実によく生じるもののようです。ギャンブルで負ける状況が続くとツキがないという心理が生じて(これは単に偶然性より生じたものにすぎないのですが)、この心理状態によってそれが継続するということは多いように思われます。
 また、その正当性は「再帰的」に為されるものであり(循環論法的やトートロジー的ということですが)、このためには全体としてその仮想的力の是認が求められることになります。もしそれに異を唱えるもの者があれば、その人は異端者として迫害を受けるようになるでしょう。特に宗教の場合には、その正当性を信に立脚することが多いため、それが起こりやすいのでしょう。証明が難しいことは、それが正しいと仮定することによってのみ正当化されるものだからです。
 それは科学においても為されてきたことです。ただ、数学だけはその弊害を蒙らないと考えたのですが、ゲーデルによる不完全性定理の発見によって、公理的に数学を構築することによって絶対的に正しいとすることにも無理が生じることになりました。したがって、正しいということも相対的な程度の違いにすぎないということになるのでしょう。一般的には、ある「公理系」は現実と一致していないということによってその不当性が立証されるか、その公理系に矛盾があることによって不当性が指摘されることとなります。もし公理系に矛盾がないのであれば、現実との食い違いがない限り公理系自身としては正等なものとして認識されることになります。その一つとしてニュートン力学がありました。
 一般的には、ある事象集合に対してこれと無矛盾な公理系は複数存在し得ますが、だからといってその(最簡な)一つの公理系を絶対的に正しいとすることはできないものです。事象集合を拡大すると、その公理系に反したものが生じることとなって、これに伴いそれに適合した別の公理系を定める必要があるということになります。ニュートン力学の場合には、相対論的力学や量子力学が該当しました。 なお、量子力学の場合には、この公理化には行列力学によるものと波動力学によるものとの二つの形式が生じて、これらは互いに相手を牽制していましたが、後にフォン・ノイマンによってこれらの数学的形式の同等性が証明されて、この仲違いは解消されることになりました。(これは物理学者のディラックによっても齎されましたが、これは数学的に正しさが証明されていない関数を用いていたことから、当初は不完全なものでした。なお、ノイマンによる「量子力学の数学的基礎」は大方の物理学者には理解困難なもののようでしたが、その正当性にお墨付きを与えるという点で確かに意味があったといえます。)
 物理学の場合、事象集合は物質のみに関係したものであったのですが、波動の収縮には人間による観測が必要ということになり、事象集合の拡大が余儀なくされることになったと思われます。そこで改めて物質とは何かが問われることになるでしょう。なぜなら意識の本質は認識であり、これは物理状態とは無関係といえるからです。例えば、ある波長の光が青や赤であると認識するのは意識の働きであり、物質的働きではないからです。それは意識的公理系による働きといえます。(おそらく脳のニューロン系に対する意識的写像がその認識を定めることになるのでしょう。例えば、あるニューロン群が視覚的認知に対応している場合、意識はその反応に対して視覚的認識を対応させるということになるのでしょう。このように考えれば、意識は脳の活動によって従属的に生じたものというよりは、意識による脳への憑依現象であると考えられます。通常、この対応性は一対一となるのですが、稀に一対多となることもあるようです。しかしながら、一般的には一対多(この一つが本体である自分で、他が一時的かつ認識が不完全な他人ということになります)が普通だろうと考えられます。それで、強制的に他人に対して自己への認知を図ろうとする人も少なくないのでしょう。例えば、小さな子供はその代表的なものといえますが、それは何も子供だけに限らず、(理性によって自己の言動が抑制されている筈の)大人でも一般的に認められるようです。したがって、それは単なる偶発的な感情発露からというよりは何らかの意図があるのだと推測されます。小さな子供は経験的にその効用を知り、そして何の躊躇いもなく行うということになるのでしょう。)

 さて六曜の吉凶ですが、これは次のようになっています。

 なお、先勝は「せんかち」、先負は「せんまけ」、赤口は「しゃっこう」とも呼ばれます。

 次に六曜がどのように決められるかについて説明することにします。
 まず旧暦の月初めの六曜が次のように定められます。

 月初めから旧暦の月の終わりまでは、次のように巡回します。
 このように意外にも単純に決定されるものなので、旧暦ではあまり人気が出なかったようです。 また、これは時刻と関係しているのですが、18世紀以前までは日の出、日の入りを基準にした不定時法を用いていたため、これを行なうことが難しいということが、この人気が出なかった理由のようです。
 とはいえ、複雑だから妥当性があるというものでもありませんが。 複雑な方が人々の信仰を集めやすいのは、物事が複雑あるいは不規則な場合にはその仕組みを苦労して覚えるより、そのまま覚えた方が楽だということと関係しているように思われます。 そして、それが多くの人に共有されるならば、人々の間での共通的信条となり、信仰形態を整えるようになるのでしょう。


16.十二直について

 旧暦では、暦の中段に十二直による占いが記載されていて、これが日の吉凶を見る上で非常に重視されていました。 このため、六曜による吉凶判断はほとんど考慮されなかったのでしょう。 なぜなら、その取り決め方が異なることより、互いに反するということが生じるからです。
 因みに、干支による日の配当によっても吉凶判断がされるのですが、これは選日による暦注として記載されます。 これまた、吉凶の取り決め方が異なることより、十二直とは相反する判断が生じたりします。


 こうしたことは規定の仕方が異なる占い同士一般に対して言えることであり、このため吉凶判断は何かを基準にして行なわざるを得ないか、各々に適したものを取捨選択して行なうか、あるいはそうしたことは全て迷信事であるとして何も信じないという態度をとるしかないでしょう。
 他には、折衷案として吉凶の総和的な判断をするということも考えられるのですが(これが比較的一般的な見方になっているようですが)、もともと体系が異なるものを総和するというのは、あまり意味がないとも思われます。 おそらくは、吉か凶かのいずれかであって、あるものは吉であり、あるものは凶であるという見方にするのが正しいと思われます。
 また、十二直のように全ての人に対して吉凶が同様に定まるのはおかしいと考えたりもするのですが、占いが適用されるのは個々の状況に対してであり、またそれに対する占いの選択に任意性がある、あるいは占いとの遭遇に偶然性があると考えれば、吉凶は同様には定まりません。 つまり、占う事柄が存在して初めて、ある占いが選択的に適用されることになると考えれば、それぞれの占いで吉凶が万人に対して適用されているとしても、吉凶は同様には定まらないのです。 この点が最も重要なことであると考えます。
 なお、占いとの偶然的遭遇は、これは単なる偶然ではなくて必然性があるものとみなすべきものですが。 つまり、もし全体が有機的な関連性を持つと考えれば、占いという的に「意図的」に当てられるようになるということが考えられるのです。 実際、こうした傾向が認められるように思います。 これは占いということの逆の見方となります。 つまり占いで予想するということではなくて、ある占いが選択されるという見方になり、占いの能動性は受動性に変わるということです。

 さて現在では、占いのようなものは非科学的であり、信に足るものではないという考え方が浸透していますが、しかしながら科学によって予見され得ることは限定されていたり、ほとんどの人にとっては理解されないままになっているか、理解されているとしても実際には計算できなかったりして、現実に対して適用できないということが多いといえます。 例えば、月の満ち欠けは各天体の軌道計算によって求められるといっても、実際にはこの計算を行なうことはかなり困難です。(このため、科学的知識のみによっては定性的に予見され得るものにしかならないのです。しかし定性的な予見というのは、必ずしも実際のことを予見し得るものにはなりません。そのためには、実際に計算しなければならないということが少なくないからです。)
 このような状況においては、人は(自分では判断できないときには)何かの指針をどうしても求めざるを得ないものであり、それとして活用されるのが占いということになるでしょう。 もちろん思考を巡らせて判断するということも可能ですが、このことはそれに関する情報を全て知っている場合に初めて可能になることであって、そうでない場合、知り得ないことについては全て推定あるいは直感によるしかないのです。 これは結果的に占いによる判断と大差ないものとなるでしょう。 違いは、前者は確率的であるのに対して後者は確定的であるという点のみでしょう。 (もっとも易占やカード占い等の場合には確率的になり、これは思考による確率性とだいたい似たようなものとなりますが。)
 あとは、判断における「責任」を外部に置くか、それとも自分に置くかという違いがあります。 それを自分に置いた場合には、その結果をだいたい受容できるものになりますが、外部に置いた場合、そしてそれが予想と反した場合には大概その結果を受容できなくなるでしょう。 実際、ある判断について誰かから助言を受けてその通りにした場合、その結果が望ましくなかった場合には、自分を責めるよりもその相手を責めることになるのが普通です。
 また、自分で判断して決める場合には、統制がとれるものになることが可能ですが、外部に依存して決めた場合には、統制を欠くことになるのが普通でしょう。 もしある判断を外部に依存して決めたとき、その結果が全く予想しなかった事態となった場合には、どうして良いか分からず狼狽してしまうことでしょう。 ということで、本当は全て占いなどには頼らず、(他人の意見を受入れる場合でも)自分の判断によって決めるのが最善であるといえます。 (ただし、このためには物事をよく知っている必要がありますが。)
 ということで、暦による吉凶判断はそれに全く依存してしまうのではなく、単に一つの指針として活用するに留めるべきでしょう。 あるいは、その因果関係を統計的に判断して、正しそうだという結論が出た場合に活用すべきものでしょう。 (占いにおける因果関係の存在性は、占いには一種の暗示効果があると考えられるからです。 さらには、神による「恩寵」が働くこともあるでしょうから。 こればかりはあまりにも深遠すぎて、人間には知りえないものでしょう。)


 さて古代中国では、北斗七星を神格化していて(これは北極星の回りを自律的に回転するように見えたことからでしょう)、七星のそれぞれに運命を支配する力があると考えていました。 毎月(節月)の節の暮れ六つ時に、斗柄(柄の先の部分)の指す十二支を月名としていますが(これは日付の月名と同じになりますが、このことはそうなるように斗柄の指す方向を見定める時刻を決めたからではないかと考えられます)、十二直は、その月の十二支の日に「建」を割り当て、巡回させたものということです。

 なお節月は、太陽の運行(逆にいえば地球の公転)にかっちりと定められたものであり、このことによって季節が明確に定まるという他に、星座の配置もきっちりと定まることになります。(ただし地軸の歳差運動ということを除外してですが。) このため、北斗七星の斗柄が指す方向は節月と関連してきっちりと定まることになります。 これは次のように説明できます。
 地球は地軸を軸として回転していますから、地軸の延長線上にある星は不変となります。 これが北極星と呼ばれるものです。 (星がある程度隙間なく分布するなら、必ず北極星なるものが存在することになります。 実際、都会ではスモッグや「光害」により星々はあまり見えませんが、空気の澄んだところでは、全天に星が輝いています。 その意味では、それは何ら特殊なものではないのです。ですから、北極星の側にある北斗七星も何ら特殊なものではありません。これらは見た目上だけの特殊な存在にすぎません。) さらに、夜空の星は北極星を中心にして、地球の自転とは逆回りとなる、時計回りに回転することになります。 これは地球が自転することによって生じる相対的なものです。 ところが、これは地球の回転と星の回転を同じ方向である上から見た場合のことです。 実際には、星は見上げて観察するわけですから、回転を見る方向が逆になって、時計回りの回転は反時計回りになります。
 なお、北極星は北斗七星の杓に当たる2つの星の長さを5倍すると見えるようになります。 したがって、その部分は常に北極星を指し示していますから、このことが北斗七星を神秘化させることになったのではないかと考えられます。
 古代では、地球が静止していて天の星々の方が動いていると考えていましたから、そうした運動は星の「自律的」なものと考えられることになりました。 そして、そうした自律的運動に対して何かの意味を含めたものと考えられます。
 さて話を元に戻して、地球の自転によって北斗七星が北極星の回りを一日で一周するということは、地球が公転する場合にも同じことがいえます。 つまり、ある場所から、特定の時刻として真夜中に夜空を見るということを考えた場合、その時刻にその場所が真夜中となる(つまりその場所が太陽の真裏になるとき)ためには、公転した角と同じ角だけ「自転」する必要があるからです。 この結果、北斗七星は、各月毎に北極星の回りを回転するということになります。

 つまり、次のように巡回させるものです。(子・丑・…は日の十二支です。)

 十二直の各意味は次の通りです。

 おそらく長く続ければ、上記のような効果が生じてくるのだと思われます。 また、集団的暗示効果も働いてくるように思われます。 これは、そうした概念に慣れ親しむことによって生じるようになるのだと考えられます。 (それを一度「真」であると確信したとき、その仕組みが働いてくるのでしょう。) これは相互的関連性がそのときに生じると考えることからですが。


17.二十八宿について

 二十八宿は、黄道に沿って月の後方に見える星座を28種(これは星宿と呼ばれます)定めたものとされます。 そして、各宿の基準となる星のことは距星といいます。
 これが二十八宿になる理由は、月の公転周期(これは恒星に対するもの)が27.322日になることによります。 つまり、この二十八宿は、月が(黄道面において)一周する時に、二十八の星座に一宿ずつ通過するものとされました。 この二十八宿が中国からインドに渡り、宗教上の理由から牛宿が除かれて二十七宿となり、唐の時代に宿曜経として中国に戻ってきたときには、本来の天文学的な二十八宿の意味はなくなり、日の方位や吉凶を占うための暦注になっていたということです。
 ということで、二十八宿は西洋占星術の黄道12星座と似たようなものと考えられます。 大きな違いは、西洋占星術の方が該当の星座が月毎に変化するのに対して、二十八宿の方は該当の宿星が日毎に異なるという点です。 (もっとも星とのそうした関係を保持しているのは、占いとして利用されている二十八宿ではなくて、二十七宿の方ですが。)
 西洋占星術でも各星座が人間に対してある感化力を与えると考えたのと同じように、星宿も人間に何らかの感化力を与えていると考えたようです。


 このように考えられることになったのは、地球が天の中心であると考えたことからでしょう。 つまり、地球が天の中心である以上、全てのものが地球と関連して物事が起っていると考えたでしょうから。 そして、特殊な動きをするように見えるものは、地球と何等かの関連性を強く持っていると考えることになったのでしょう。 (しかし、このことは何ら特別な理由によるものではなくて、単に必然的な事柄にすぎなかったのですが。)
 ところが、近世以降、地球は天の中心という座から転落することになりました。 しかも、太陽系は当銀河系のいわば片隅に存在していて、もはや天の中心とは全く関係がありません。 このようなわけで、太陽系からずっと離れた恒星がわざわざこの片隅にある地球に対して何かの作用を及ぼすということは全く考えられないことになります。 また、そうした星座というのは、単に地球の公転面上にある星々にすぎず、それらの星座の特殊性というのは、何もありません。 もし他の恒星が地球に対して何等かの感化力を及ぼすとしたら、黄道面以外の(恒)星もそうである必要がありますが、そうした星については何も言及されてはいないのです。
 このようなわけで、二十八宿による吉凶判断も、基本的には人間が作りだした「規則」(あるいは見いだした関連性)であるにすぎないということになります。
 ただ、太陽と月とによる引力の影響ということは考えられます。 これは月の位置によって異なってきますから、このことは疑似的に宿星による影響とみなすこともできるわけです。 しかしながら、そうした因果関係によって二十八宿の吉凶判断がなされているわけではないので、月の引力ということはほとんど関係がないようです。
 もし月の配置による影響を考えるならば、月の恒星に対する公転周期ではなくて、新月から新月までという一周期で考えるべきでしょう。
 それより、二十九宿というものが考えられるように思います。 (おそらくこの占星術を作り上げることは可能であると思われます。過去にはできなかったのですが、現在であればこの回転角を計算することが可能ですから。あとは、それぞれの宿内に生まれた人の特徴を調べあげて、その平均的特徴を抽出すれば良いのです。おそらく何等かの差異が生じることになって、それを宿と関係づけられるようになります。ただし、宿を決定する際は、日だけではなくて、時刻も含めて決定する必要があります。二十七宿の方は、日だけで決定していますが、これは月の黄道上の位置によって決定していることより、生まれた日が同じでも時刻が異なると、他の宿にずれてしまうことにもなり、正確性を欠いているといえます。)

 実際、植物や動物が新月や満月の日に活動が活発になるということが言われています。 たとえば植物の場合では、「地上に実をつける作物は月が満ちていくときに、地中に実ができる作物は月が欠けていく間に植えるとよく育つ」(参考文献[8]より)ということが指摘されています。 動物の場合では、新月や満月に身体活動や代謝活動、攻撃行動、性衝動が活発になるとされています。 満月の場合に(陸上の)動物が活発になるのは、簡単には夜が比較的明るくなるからということで説明できるかもしれませんが、新月の場合にはそうした説明ができません。 (海の生物の場合には、月および太陽の引力が潮汐を引起こすものになっていて、それに身体活動が同調したからと説明することも可能ですが。) しかも、そうしたことは月が見えない場合でも、起っているとされます。 また、そうであるならば、その傾向は新月または満月に近づくにつれて単調に増大していくということが予想されますが、実際には満月付近でピークを持っているのです。
 ということで、それは月が動植物に何等かの作用を及ぼしているからということが推定されます。 しかしながら、動物の体の向きは常に変化しているわけであり、月による影響を月の引力の作用とするには無理があるように思われます。 ということで、これは引力とは別の原因で生じているのだろうということが推測されます。 それとして挙げられているのが電磁場の変化です。
 生体の場合、外部の極めて微妙な電磁場の変化を検出していることが立証されているようです。 また、同種のもの同士には不思議な「交感現象」が生じているようです。 これは、乾燥豆の実験によって明らかにされました(このことについては参考文献[8]の第5章に書かれています)。

 しかし人間の場合には、高度な意識的働きによって行動が制御されることより、そうした影響は無視され得るだろうと考えられもするのですが、実際には意識的働きとは無関係な「周期的行動」がよく見られます。
 例えば、朝起きて決まって何かを行なうと、それが習慣化されてしまい、その行動を無意識のうちにとってしまうことになるものです。 一般に、それが肉体の欲求によらないものであっても、自己の欲求を満たす場合には、その傾向が必然的に現われてくると考えられます。 というのは、そうした習慣的行動を決定づけるものは、意識的働きをするものである脳だからです。
 こうした習慣的行動性はある程度持続性があるようで、その外部的要因が無くなっても、その行動が続くという傾向が生じるでしょう。 これは月齢サイクルの半分程度、つまり15日くらいになるのではないかと予想されます。 (そして、この意味において忍耐ということの真の重要性を理解することになるでしょう。 これは単に「それに耐えなさい」ということを言うものではなくて、その外部的要因を無くしてからも、しばらくはその状況を続けなさいということを言うものです。 しかしその外部的要因を解消しないで単に忍耐しただけでは、その状況は全く変わらず、しばしばそれが増長する結果にもなることでしょう。)

 因みに、星による影響についての統計的に信頼される調査としては、フランスの統計学者であったミシェル・ゴークラン(1928〜91)の研究が挙げられるようです。 この調査によると、恒星の感化力よりは惑星の感化力の方が強いという統計結果が出ているようです。 つまり、太陽宮占星術の方は統計的にあまり有意ではないが、「惑星遺伝」の方は有意性が認められるというものです。 惑星遺伝の有意性というのは、親の誕生図の星位(黄道12宮に対する各惑星の配置)が子供の誕生図の星位とほぼ一致する例が予想以上に多いということを示したものです。
 なお、それは従来の占星術の理論とは少し異なっていたことから、彼は占星術師との無益な論争に巻き込まれました。

 他には、ドイツの化学者リリー・コリスコによって確認された「コリスコ効果」も挙げられます。 これは天体(主に太陽系の惑星の配置や状態)が地上の物質に与える作用のことを言うものです。
 占星術では天体(太陽系の各惑星)とさまざまな物質との間には照応関係があるとされます。 例えば金属の照応関係では鉛は土星と関係づけられています。
 そこで、コリスコはそれを証明する実験を行ないました。 彼が溶液状にした鉛を結晶化する実験を行なってみたところ、土星が食(太陽や月が隠す状態のこと)になっているときには、結晶化に時間がかかるか、結晶化しないことが明らかになりました。
 コリスコ効果については他の科学者によっても追試されて、その効果があることが確認されました。

     それらの追試が全体として統計的に有意であるかどうかは分かりませんが、この効果は個々の意識あるいは集合的無意識における「自己暗示」が働いたためと考えるのが妥当のように思われます。というのは、何かの実験というように思念や情念が強く生じるほどに物質などに対する作用も強くなると考えられるからです。そして、そのようなことは意識的関連性により、他の人にも伝播していくものと考えられます。そして、この遮蔽は該当の理論を認知していない意識的集団において起こることになるのでしょう。
     なお、占星術で太陽系内の惑星が地球に対して作用を及ぼすという認識は、これは地球が静止していると考えていた中世以前の認識によるものであり、現在のように太陽系の惑星が太陽を中心として周っているという認識では、地球と各惑星との関係は間接的なものとなります。 つまり、この関係性を与えている本質は太陽であり地球ではないことから、それらの惑星が地球に何等かの物理的作用を与えていると考えるのは無理があります。 もちろんそれらの重力は働いていますが、それは微弱なものですから無視できますし、例えそうだとしても、特定の配置の場合だけ特別な作用をもたらすということにはなりません。 したがって、それは物理的作用である筈はなく、占星術というのは「意識的力学」によるものと考えられます。

 さて二十八宿の吉凶は次のようになっています。 (ただこの見解はあまり一致していないようであり、他と多少異なる場合があります。)  二十八宿の距星は次のようになっています。  ここで、番号01から07までは東方七宿で、番号08から14までは北方七宿、番号15から21までは西方七宿、番号22から28までは南方七宿になっています。

 そして、二十八宿は次のように巡回するとされます。

 宿は日の経過と共に「対角線上」に進みます。 (これは昇順になっていて、東・北・西・南というように反時計回りの進み方になっています。)
 この巡回からは、二十八宿の取り決めは月の位置とは無関係になります。 というのは、月の公転周期は27.3日ですから、28日毎に0.7日ずれていくことになるからです。
 もともと二十八宿は単に月の位置を知るために設けられたもので、占いのために設けられたものではなかったのです。 ですから、二十八宿を占いに使用しているのは、天地自然とはあまり関係がない、単に巡回性によるものに他ならず、これは干支などの場合と同じということになるでしょう。
 このため、(その関連性があるとして)その占いの因果性を与えるものは、天地自然ではなくて、人間側のその規定によるものと考えられます。 それが人間側の規定によるものである以上、その規定が変われば、占いの因果性も変わるということになります。
 明治の新暦への改暦に伴って、暦上の様々な迷信が捨て去られることになったのですが、おそらくこのことによってそれまでの占いの因果的生起性も消え去る結果になったのでしょう。 しかしながら、運的な物事の決定に際して、その判断を仰ぎたいという人々の欲求は依然として残ったのでしょう。 それがまた様々な占いを復興させる要因になったのだと考えられます。

 次に、二十八宿と似たようなものである二十七宿についても述べておくことにします。 こちらは黄道を27分割して、次のように各宿を定めたものです。 (図で示した方が分かり易いですが。)

 二十七宿の方の巡回は月の位置によって決ります。 そして生まれた日の宿によって、宿の性格や宿同士の相性を占います。
 因みに二十七宿による性格占いを見たところ、頷けるところが多々ありました。 他に、九星による性格占いを見たところ、これも頷けるところが多いように感じました。 さらに、星座占いでも頷けるところが多かったように思います。 このことを総合すると、この妥当性というのは、性格の分類法にあるのではないかと思われます。 (この分類法というのは、性格的特徴の選択と仕分けのことです。) つまり、個々の性格について表わす場合、同じ性格でも分類法が異なれば、その決め方が異なるということになるのでしょう。
 もちろん、人によっては全く一致しないということも生じますが。 (人というのは、大概自分について良いことが書かれていると、それを信じるという傾向があり、この意味ではその妥当性は多分に主観的傾向を帯びるようになるものですが。 なおそのような傾向から、客観的には自分の方が不利になるような確率あるいは見返りのものであっても、それに投資するという行動性が現われることになるのです。 それは未来事象を自分にとって望ましいものに予測する傾向からですが。)


18.選日について

 日に対して干支が配当されるのですが、干支は十干と十二支との組合わせからなり、それぞれは五行の性質を持っています。 そして、五行の相性より、干支には吉凶が生じることになります。 そうした、主に日の干支に関する吉凶を述べたものが選日とよばれるもので、これは一般的には次のものを指しているようです。
 八専(はっせん)・十方暮(じっぽうくれ)・三隣亡(さんりんぼう)・天一天上(てんいちてんじょう)・一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)・不成就日(ふじょうじゅび)・犯土(つち)[大犯土(おおつち)・小犯土(こつち)]・三伏日(さんぷくぴ)・天赦日(てんしゃび)

 この中で、天赦日は暦注下段に含めることも多いのですが、高島易断所の暦(他のも同じかもしれません)ではこれを選日に入れていることより、これに順じました。

 ではまず干支の吉凶ですが、これは次のようになります。

 次に、干支には十干と十二支のそれぞれの五行の他に、納音と呼ばれるものもあり、これは干支の音値に分類して考え出されたもので、次のようになっています。 (これが選日で重要となるのは「土」とされるものです。なお、読みについては他と同様に一定していないようです。)

 それでは、以下に主な選日を示します。

 なお、天一神は方位神で、十二神将の主将とされるものです。 この神は地上に降臨し、悪い方角を塞いでこれを守ってくれる神とされます。
 神の滞在する方角のことは「塞(ふたがり)」といい、この方角を犯すのを忌むことは「物忌み」といわれます。
 なお、天一神が巡る期間と方位は、次のようになっています。
上記方位は、東・西・南・北は30度ずつ、他の方位は60度ずつ分割したものです。


19.方位神について

 方位に対する吉凶としては、九星によるものだけでなく、十干・十二支によるものもあり、その方災を司るものが方位神と呼ばれるものです。 (これは陰陽道に由来する、方位の吉凶を司る神々のことのようです。
 方位神による凶意のことは神殺、九星によるものは方殺と呼ばれます。 干支の場合には、十干と十二支それぞれでも吉凶が生じるために、方殺に比べてかなり複雑になっています。 このため干支によるものは、人為的なものと考えるしかない、神殺と考えられたのだと思われます。 しかしながら、それらは何等かの作用による現象を擬人化したものと考えられ、実際にそのような神々がいるというわけではないでしょう。 妙な神様がいるものだなと思うかもしれませんが、それは単に擬人化したものにすぎないと考えれば、その疑問は氷解するでしょう。


 神殺を司る方位神の存在の原因も、方殺の場合と同じく人々の意識的連合性及び認知から生じるものと考えられ、そうした神々が存在するとは考えられません。
 実際に、もしそうした作用があるとすれば、それは現在生きている人々の観念により生じているものと考えられます。 この意味では、そうした神とは、人々の集合的観念による作用を一つの神によって代弁したものということができます。
 といっても、究極的にはそれは絶対神の働きによるものと考えれ、方災はその幻影ということになるでしょう。 この意味では、何々神という表現が誤っているということにはならないのですが。 つまり、そうした意図的現象を生じさせている原因が人間側にあるとしても、それを実際に現出させているものが絶対神であると考えれば、それは何々神によると考えられるからです。
 さて、方位に吉凶があるという考えには、次のような事情も関係していると考えられます。 私が様々な事例について考察してみた結果、意識的な結合の仕方は様々となりますが、大きく分けて次の3つに分類できます。
    @認識的なもの。同一的認識によるものが一般的です。
    A接近的なもの。これはオーラ結合のようなものと考えられます。
      オーラの場合、広がり方に違いがあるようで眉間の前方と頭頂部および後頭部の方への指向性が認められ、これらの場合、推定半径2〜3mくらいまで広がっているように思われます。 というのは、例えば後頭部を向けた場合、確実にその方向の人物が意識的結合を目的としていると考えられる行動性を示すからです。(このことは他の行動によってそれを学習した場合に限られますが。それまではそうした行動性は認められません。しかし、それを学習した場合、それに対する執着性がかなり強いようであり、何度も繰り返すことがよく認められます。したがって、その行動は条件反射のように確実に起こるということになるのです。) 他の方向は半径1mくらいのようです。
    B注視した方向(眉間方向)によるもの。
      この距離は定かではありませんが、少なくとも3〜4メートルくらいはあり、これもまた一種のオーラ結合と考えることができるかもしれません。 なお、後方や頭頂方向も側方の場合のAの距離より少し広がるようです。
 意識的結合が生じた場合、その結合を継続ないし強化するように行動する傾向が一般的に認められます。 これは吉的となる場合もあれば、凶的となる場合もあります。
 また、それを形成しようとする衝動的行動性もよく見られます。 例えば、最接近時に突然大声で話したりするということがよく起こります。
     意識的結合は@の同一認識によることが多いようであり、これはしばしば災いを招くことがあります。 というのは、それによって想念的作用や活性的エネルギー作用を相手に与えることがあるからです。 その結果、相手はそのエネルギーを得ようとして積極的に意識的結合を求めてくるようになることが多いようです。 それは騒音や騒々しい会話によることが多く、それにより神経をすり減らしてしまうことにもなります。
     そこで、それを防止するには意識的結合の遮蔽が重要となるでしょう。 物質の場合、遮蔽は該当の通過物質または透過物質を通さないものを置くことで可能になりますが、情報の場合にはそれを物理的に通さないようにすることはできません。 つまり、何か硬い物体などを置いて「情報結合」を遮蔽することはできません。 距離もあまり関係がないでしょう。
     情報結合を遮断するには、同一的情報を取り去るか、それを覆い隠すか、あるいは情報伝達を行う媒体の透過阻止が有効な手段となります。 この中で、結合的情報に対する情報的覆いことは、情報遮蔽と呼ぶことができます。
     実は、そうした情報遮蔽は一般的によく為され、壁などに絵画などをかけたりすることは、それに該当するでしょう。 情報遮蔽で注意しなければならないのは、それを当の相手に知られないようにすることです。 もし、それを知られたならば、遮蔽効果が減退することになるでしょう。
     なお、意識的結合が生じた場合、想念的操作はこの結合系全体に及ぶのではないかと考えられます。例えば、ある欲求思念が生じた場合、それは意識的に結合している対象に対して直接的に作用するのではないかと考えられます。(これは当人の意識的操作の空白に対して為されるだろうと考えられ、この作用は二次的なものとなるでしょう。) このことは、自己というものがこの肉体に限定されるものではなく、認識等を介在にして拡大するだろうと考えられるからです。 そのように本来、自己と他人の区別は曖昧なものではないかと考えられます。 精密な制御は自己に限定されますが、そうでないものはよく拡大し得るだろうということです。 そのように「憑依」は一般的現象と言えるかもしれません。

 意識的結合の効果は、波動同士の重なりと似ています。 相手または自己の意識が静止的であれば、意識を活性化する方向に働くと考えることができます。 しかし、自己の意識が活動的であれば、他者との意識的結合は、意識や認識の混濁やエネルギー伝達性を引起こすことになり、意識の明晰性や活動性を妨げることになります。 もちろん、似た意識的認識を持つ人同士の場合には、意識的活動性の相乗効果もあるでしょう。
 なお、意識的結合の負的側面として運気の低下ということも挙げられます。 意識的状態としてはそれほど大きな変化がなくても、この結合が生じた場合、運気が低下するか相手に流れるという傾向があるようです。 このことは運気なるものは意識的状態と関係したもので、意識的活動状態が低下したり意識的認識が変化すると、運気もまた低下あるいは変革することになるからでしょう。

 さて、一般に意識状態というのは受動的であることが多く、意識的結合は意識を活性化させる方向に働くと考えることができます。 (このことは、その人の知性とだいたい相関するようです。)
 この状態は一種の酩酊に似たものといえます。 飲酒が好きな人はこの状態を特に好むでしょう。 このため、この状態が得られることが分かったならば、この状態を得ようとする行動が一般的に認められるようです。 (この行動性は、酔った人が自己に降りかかる災難も省みずに他人に絡んでいくのとよく似ています。酔った場合には、その行動は正常な理性が麻痺しているためだという説明が可能なのですが、実は理性の麻痺とは関係なく起こるもので、これは意識における快楽といった嗜好的感情によるものと考えられます。しばしばこの行動における愚かさは飲酒の場合と全く同様で、その原因を考えることやそれに関ることは全く無意味で、できるだけ回避することが最善といえます。ただし、この絡め手もしくは因果的関連性は強く、小手先の回避では無理となることも多いものです。)
 そのことは、意識的結合性が弱くなった時に起こることが多いようです。 これは意識的結合を弱める要因になると考えられる、意識的活動があることに向かった場合となることが多いものです。
 意識的結合性は睡眠によって切れることが多いのですが(ただし記憶が残ることから完全ではありません)、これと同様なことは禅についてもいえます。 禅は目を閉じて意識的活動性を全く消去することによって意識の明晰性を高めることが目的と考えれますが、これは意識的結合性の解消に役立つからと考えられます。 (しばしば禅のその行為に対して何の意味があるのだろうかという疑問が生じるのですが、そのように考えることで解決されます。これは、言わば「無為の有意」ということになります。)

 同一情報によるリンクの重要な例としては、騒音や大声の他には、テレビ番組や流行歌、新聞が挙げられるでしょう。 前者は認知者同士の局所的連結性を目的としたものですが、後者は広範な同時的情報性を有するため、全体的連結性という性質を持ちます。 また、後者は不特定多数への支持を求めるため、それには前者のような悪意性はあまりありません。 ただ、悪意性はないものの結合性をより有効にしようという志向性はあるでしょう。
 それは流行歌によく見られ、そうした音楽はいわば「憑依的音楽」と形容できるでしょう。 つまり、幽霊が特定の者に取り憑くというような表現が妥当と思われる音楽というものがあります。 その意図が「憑依的」であることから、その表現には求心性があまりありません。 (これは日本語の特徴なのかもしれません。日本語では主語が自分の場合、これを省略する傾向が強いからです。 一般に、「私は」ということを敢えて何度も書く場合には、自己主張の強い人間と思われ、相手に疎んじられる傾向にあり、できるだけ避けるようになるものです。また、その方が文章的に洗練されているとみなされます。そのような訳で、主体である自分が省略され、その結果、自己に対する求心性が弱くなり、他者への指向性が強くなるのでしょう。) 一般的には音楽は自己の心情を歌などにすることが多く、多くの場合その音楽への求心性を持つものですが、憑依的音楽にはそうした求心性はなく、他者への指向性や同化性、浮遊感(これは言動に明確性がなく、当てもなくふらつくような感覚のこと。これは不明確なものに対する探り感から生じたものと考えられます)を持つといえます。 そうした音楽は特に特徴のない凡歌のように思われることが多いのですが、妙に記憶に残留する性質があります。 そして、そのために結合性が有効に働くようです。 多くの人はその状態を好意的に捉えるのかもしれませんが、しばしばそのために邪魔的事象もよく発生することになり、煩わしく思う人もいると思われます。 そうした場合には、そのような音楽を聴いているかどうかを反省してみると良いでしょう。

 さて、方災とは一体何が原因で生じるのかということになりますが、これは人が利己的想いのみによって他人と関ろうとすることから生じるものと考えられます。 したがって、これは人災ということになります(犬などの動物が関与することも多いのですが、この多くは人との関連で生じることが多いようです)。
 各人の関り(これは意識的結合性を意味するものですが)がどのようにして生じるかということでは、これは認知により生じるもののようです。 つまり、ある共通的認知を持つことによって、全くの他人同士において相互的作用が生じるのだと推定されます。 (なお、認知性は動的であり、ある情報の記憶度は刻々と変化していきますが、これは一般に日数によって考えればよいでしょう。 したがって、これは同日性ということが重要となるでしょう。 また、広範性ということも重要になるようです。 そのような広範な情報としては、日々の重大ニュースが挙げられます。 そのような意味では、意識的結合というのはある特定の情報によることが多く、このためこれは同一情報によるリンクのような情報接続と言う方が正しいかもしれません。)
 特に、その認知はその方位への移動によって生じることになります。 つまり、方位移動はその場所への認知が生じ、これによってそこに住む人々と暗黙的な結合性が生じるということになります。
 そうした結合性が生じた場合、多くの場合、それを強めようとすることになるようです。 (個々の意識は全一的意識の各部分のようであり、これを含む各部分において関係性が強くなったり弱くなったりするのだと考えられます。) しかし、何の関係もない人に対してそれを行なうのは容易ではないため、しばしば悪意的な関係付け(因縁等)が行われるようになります。 あるいは、偶発的な会合性(これは、何かとの衝突のようにしばしば危険を伴うことにもなります)によって行われるようになります。 そのようなことが方災の実態であると考えられます。


 昔は、方位移動によって吉凶が生じると考えられたのですが、当時の人々はその原因を近世以前での森羅万象を説明する陰陽五行説に求めたのだと思われます。 それが方位に配置された十干・十二支だったということになります。 もっとも、方位には干支だけでなく九星も配置されたのですが、こちらの方の影響力については、明治以降隆盛となった気学が人々に浸透するまでは、あまり省みられなかったようです。 現在では、それとは逆の状況になっていて、気学による方が方位判断の拠り所になっているように思われます。


 現代では科学が発達しましたから、物事の因果関係を定めるものとして陰陽五行説を採るというのは全く時代遅れとなってしまいましたが、この現代科学というのは物質の働きについてのみ言及するものに他ならず、人の精神的作用については何も言及されてはいません。 そもそも精神的現れというのは、単に脳内での物質の活動にすぎないと考えているわけですから、それが大元である物質に影響を与えると考えるのは本末転倒なことということになります。 ただし、量子の不確定状態を決定するのに人間の観測が有効であるということが言われるわけですが、このことは量子における波動性・粒子性という二重性の哲学的問題を解決するための方便として利用されているにすぎないように思われます。
 ちなみに、マクロな物体でもその状態にあるのですが、物質が巨視的になると波動性は著しく減退してしまい、もはや粒子的存在(存在性がある場所に確定しているということ)に他ならないと看做されます。 一方、光子のようにほとんど波動と思われているものでも、原子や分子などの物質に作用する場合には粒子的なものと看做されています。 つまり、物質に作用する場合には、そのエネルギーは一点に凝縮すると看做されています。

 さて、方位神が十干・十二支と関係づけられるということから、方位分割は気学の場合より細かくなります。 これは、方位をまず8分割し、さらにそれぞれを3分割して、最終的に24分割(各々15度)にするものです。 十干については、中央を表す戊・己を外して、東西南北に配置させます。 十二支についてはそれぞれを配置させますから、これで20方位が埋り、残り4隅の4方位については、易による方位配置であるところの坤(こん・ひつじさる)、乾(けん・いぬい)、艮(ごん・うしとら)、巽(そん・たつみ)を割り当てます。
 これは二十四山と称され、次のようになります。

二十四山
  
  
辰  
丙  丁


 坤
  申
乙 

卯 

甲 
戊・己   庚

西 酉

  辛
寅  
  
  丑


癸  壬
  戌
  
亥  

 これに九星を加える場合には、気学の場合と異なり、それぞれは45度の区分となります。


 しかし、これにおいても五黄殺などの方殺が言われるわけであり、したがってそれらは気学の場合と方位矛盾が生じることになります。 このような結果となったのは、気学を民間に広めようとしたときに、八方の方位分割をそれぞれ45度にしないで、四正30度と四隅60度に分けたことによります。 (これは、おそらく方位作用として歳破などを無視できないため、必然的に十二支を必要としますから、方位分割は30度区切りにする必要があったからでしょう。 一方、九星による分割は8方位による分割となり、それぞれに30度ずつ振り分けると4方位分余りますから、それらは四正か四隅に振り分ける必要が生じたのだと思われます。 もちろん、九星のものは45度分割にしても良いわけですが、それではその方位分割は十二支のものと比較してどういう意味を為すのかの説明が難しくなります。)
 結局のところ、それはどういう規定によるかという信仰の問題となるように思われます。 もし気学を信じているとすれば、方殺については気学による方位分割が正しいということになるでしょうし(これは、方位神には方殺を押え込む力がないとされ、一方気学の場合には神殺には何も言及されていないからですが。つまり、このことによって方殺と神殺とは独立なものと考えることができるからです)、それを信じていない場合には、二十四山による方位分割が正しいということになるでしょう。  

 それでは主な方位神について述べることにしますが、天道、天徳、天徳合、月徳、月徳合には月別のものもありますが、これらは吉神なので、旧暦の方位神の表示では月別のものについては省略しています(凶方位かどうかが重要と思われますので)。 また、以下の説明で二十四山での回り方は時計回りとなります。
 ただし、各方位神の回座については諸説あるものがあり、方位吉凶全体が何かの暦(例えば神宮館発行のもの)と完全に一致する状況にはなっていません。
 

方位神
神名吉凶基準在座方位補足説明
としとくじん
歳徳神
大吉十干 甲・己年…甲
乙・庚年…庚
丙・辛年…丙
丁・壬年…壬
戊・癸年…丙

歳徳神は代表的な吉神で、「明(あき)の方」や「恵方」とも呼ばれ、全てのことに大吉となります。ただし、金神などの凶神と重なる場合には凶方となります。
たいさいじん
太歳神
吉・凶十二支 当年の十二支の方位 八将神の一つ。木星の精で、万物の成長を司る神とされます。建設的事柄は吉ですが、不義・不正や破壊、樹木の伐採、訴訟などは凶となります。
 なお、木星の公転周期は約12年なので、この動きと関係づけられたようです。
だいしょうぐん
大将軍
大凶十二支 亥・子・丑年…酉
寅・卯・辰年…子
巳・午・未年…卯
申・酉・戌年…午
八将神の一つ。金星の精で、破壊・殺伐を意味する軍神とされます。
在座方位は四正で、十二支を東西南北の4方位に分けると、一つ前(北なら西)の四正の方位(当該十二支の方位の左右4方位も含む)。したがって3年毎に替ります。

しかし、次のように遊行日が定められるので、その間は回避できます。
春(立春〜立夏)の甲子〜戊辰の5日間…卯(東)
夏(立夏〜立秋)の丙子〜庚辰の5日間…午(南)
秋(立秋〜立冬)の庚子〜甲辰の5日間…酉(西)
冬(立冬〜立春)の壬子〜丙辰の5日間…子(北)
土用の戊子〜壬辰の5日間…中央

だいおんじん
太陰神
十二支 当年の十二支より2年遅れの
十二支の方位
八将神の一つ。土星の精で、太歳神の后とされます。女性に関することは凶ですが、学問・芸術については吉とされます。
 なお、方位規定については諸説あるようです。
さいぎょうしん
歳刑神
十二支 子年…卯、丑年…戌
寅年…巳、卯年…子
辰年…辰、巳年…申
午年…午、未年…丑
申年…寅、酉年…酉
戌年…未、亥年…亥
八将神の一つ。水星の精で、刑罰を司る神とされます。特に、水と相克の関係にある土に関する事柄に対する凶意が強いとされます。
さいはしん
歳破神
十二支 当年の十二支と反対の方位 八将神の一つ。土星の精で、死と盗賊を司る凶神とされます。大歳神の反対側の方位で、大歳神に衝破されることから歳破神といわれます。
 特に、移転、結婚、建築、動土などの凶意が強いとされます。
さいせつしん
歳殺神
大凶十二支 子・辰・申年…未
丑・巳・酉年…辰
寅・午・戌年…丑
卯・未・亥年…戌
八将神の一つ。金星の精で、殺伐を司る神とされます。特に結婚や争い事の凶意が強いとされます。
 歳殺神の方位は土性の4方位(未・辰・丑・戌)を順に回座するとして決定されます。
おうばんしん
黄幡神
十二支 子・辰・申年…辰
丑・巳・酉年…丑
寅・午・戌年…戌
卯・未・亥年…未
八将神の一つ。日食や月食の原因と考えられた羅ごう(目偏に候の字)星の精で、土を司る神とされます。また、これは死を象徴するものとされます。
 黄幡神の方位も土性の4方位を順に回座するとして決定されます。
ひょうびしん
豹尾神
十二支 子・辰・申年…戌
丑・巳・酉年…未
寅・午・戌年…辰
卯・未・亥年…丑
八将神の一つ。計都星(彗星)の精とされ、不浄を忌みます。また、猫などの家畜を得ることも凶とされます。
 豹尾神の方位も土性の4方位を順に回座するとして決定されます。これはちょうど黄幡神の反対側の方位となります。
こんじん
金神
大凶十干
十二支
・巡金神
甲・己年…午・未・申・酉
乙・庚年…辰・巳
丙・辛年…寅・子・卯・丑
     午・未
丁・壬年…寅・卯・戌・亥
戊・癸年…申・酉・子・丑

・大金神
当年の十二支より3年遅れの
十二支の方位
例.子年…酉

・姫金神
大金神と反対の方位

金神には、巡金神、大金神、姫金神などがあります。これらは近隣を巻き込む殺気作用があることから(俗に金神七殺と言われます)、非常に忌み嫌われました。
 ただし、天道、天徳、月徳が同座する場合には、この凶意は封じられるとされます。また、金性を相克するものである火性の九紫火星が回座する場合も凶意は封じられるとされます。

 巡金神については方位が多く、長く塞がるためのようですが、次のように遊行日が設けられています。
春(春の土用を除く)の甲寅から5日間…午
夏(夏の土用を除く)の丙寅から5日間…酉
秋(秋の土用を除く)の庚寅から5日間…子
冬(冬の土用を除く)の壬寅から5日間…卯
各土用の戊寅から5日間…丑・辰・未・戌

ただし、巡金神の遊行日については諸説あるようです。

てんどう
天道
大吉十二支 当年の十二支より3方位進んだ
方位とこの反対側の方位
例.子年…艮・坤
一切の願望が成就する吉神とされます。天道神とも称されます。

なお、月別のものは以下のようになります。

節月101112
方位

にんどう
人道
十二支 当年の十二支より3方位遅れた
方位とこの反対側の方位
例.子年…乾・巽
天道に準じる吉方位とされます。
ふくとく
福徳
十二支 当年の十二支より3年遅れた
十二支の方位
例.子年…酉
建築工事一般が吉となります。
たいさいごう
太歳合
十二支 子午線(癸と丁を結ぶ線)を
中心線として相対する十二支
の方位
例.子年…丑、寅年…亥
太歳神と相喜ぶ吉神とされます。
としとくごう
歳徳合
十干 甲・己年…丁
乙・庚年…乙
丙・辛年…辛
丁・壬年…丁
戊・癸年…癸
歳徳神と並ぶ吉神で、歳徳神は陽(剛)であるのに対して、歳徳合は陰(柔)とされます。万事に吉。
 方位規定については諸説あるようです。
さいろくしん
歳禄神
大吉十干 当年の十干より一つ前の方位
ただし、戊は巳、己は午
例.甲の年…卯
歳徳神、太歳神と並ぶ吉神で、その一年の福禄を司どるとされます。
さいしとく
歳枝徳
十二支 5年先の十二支の方位
例.子年…巳
災いを祓い、弱きを助ける神とされます。
てんとく
天徳
大吉十二支 子年…巽、丑年…庚
寅年…丁、卯年…坤
辰年…壬、巳年…辛
午年…乾、未年…甲
申年…葵、酉年…艮
戌年…丙、亥年…乙
火性の陽神で、福運を招いたり、万物の育成などに吉とされます。

なお、月別のものは以下のようになります。

節月101112
方位

てんとくごう
天徳号
十二支 子年…空、丑年…乙
寅年…壬、卯年…空
辰年…丁、巳年…丙
午年…空、未年…丙
申年…丁、酉年…空
戌年…辛、亥年…庚
天徳と相喜ぶ吉神ですが、天徳よりは一つ格下とされます。

なお、月別のものは以下のようになります。

節月101112
方位

げっとく
月徳
大吉十二支 子年…壬、丑年…庚
寅年…丙、卯年…甲
辰年…壬、巳年…庚
午年…丙、未年…甲
申年…壬、酉年…庚
戌年…丙、亥年…甲
天徳に準じる吉神とされます。

なお、月別のものは以下のようになります。

節月101112
方位

げっとくごう
月徳合
十二支 子年…丁、丑年…乙
寅年…辛、卯年…丁
辰年…丁、巳年…乙
午年…辛、未年…丁
申年…丁、酉年…乙
戌年…辛、亥年…丁
月徳と相喜ぶ吉神ですが、月徳よりは一つ格下とされます。

なお、月別のものは以下のようになります。

節月101112
方位

せいきかた
生気方
十二支 子年…戌、丑年…卯
寅年…子、卯年…巳
辰年…寅、巳年…未
午年…辰、未年…酉
申年…午、酉年…亥
戌年…申、亥年…丑
これは十二支における生気方で、九星によるものとは異なります。象意としては、無病息災や他からの援助が期待できるとされます。
さいば
歳馬
十二支 子・辰・申年…寅
丑・巳・酉年…亥
寅・午・戌年…申
卯・未・亥年…巳
道路や交通を司るとされ、これらについて吉となります。
そうしょ
奏書
十二支 亥・子・丑年…乾
寅・卯・辰年…艮
巳・午・未年…巽
申・酉・戌年…坤
太歳神への奏議などを司る吉神で、善事一般が吉とされます。太歳神にしたがって3年毎に四隅を移動します。
はかせ
博士
十二支 亥・子・丑年…巽
寅・卯・辰年…坤
巳・午・未年…乾
申・酉・戌年…艮
太歳神の参謀役などと言われ、奏書とは相対する方位となります。動土、植林は凶となります。
たいよう
太陽
十二支 一年先の十二支の方位 金神と方殺(6大凶殺)を除く、凶神の凶意を消すとされます。
りゅうとく
龍徳
十二支 子午線(癸と丁を結ぶ線)方向
で南北で対になる十二支の方位
例.丑年…午、卯年…辰
建築工事や商売の吉意が強いとされます。
とてんさつ
都天殺
大凶十干 甲・己年…辰
乙・庚年…子・丑・寅・卯
丙・辛年…戌・亥
丁・壬年…申・酉
戊・葵年…午・未
都天とは、全天・全世界のことです。五黄殺に匹敵する大凶方とされます。
さいさつ
災殺
大凶十二支 子・辰・申年…午
丑・巳・酉年…卯
寅・午・戌年…子
卯・未・亥年…酉
災殺は盗難、病災・事故などをもたらすとされます。
ごうさつ
劫殺
大凶十二支 子・辰・申年…巳
丑・巳・酉年…寅
寅・午・戌年…亥
卯・未・亥年…申
劫殺は災殺と似たような作用を及ぼし、これと劫殺、歳殺(神)は共にほぼ同格の大凶で、これらは三殺と言われます。
 劫殺は災殺より一つ前の十二支の方位となっています。
しふ
死符
十二支 一年遅れの十二支の反対側
例.子年…巳
死符は歳破神の余気とされ、一年遅れでのその凶意が生じるとされます。特に動土や建築関係の凶意が強いとされます。
びょうふ
病符
十二支 一年遅れの十二支の方位 病符は太歳神の余気から生じる凶意とされます。これは死符とは反対側の方位となり、死符と同様な凶作用を及ぼしますが、死符よりは弱いとされます。
びゃっこ
白虎
十二支 当年の十二支より4年遅れの
十二支の方位
例.子年…申
金星の精で、姫金神と同格の凶神とされます。これは大金神より一年遅れの十二支の方位に座します。
さんしつ
蚕室
十二支 亥・子・丑年…坤
寅・卯・辰年…乾
巳・午・未年…艮
申・酉・戌年…巽
大将軍の后とされる凶神で、動土や収穫(特に桑の葉)を忌むとされます。
りきし
力士
十二支 亥・子・丑年…艮
寅・卯・辰年…巽
巳・午・未年…坤
申・酉・戌年…乾
力士は太歳神に使える武官とされますが、これは奏書・博士とは異なり、凶神となっていて、病災などを招くとされます。
 力士は蚕室の反対側の方位となっています。
ひれん
飛簾
十二支 子年…申、丑年…酉
寅年…戌、卯年…巳
辰年…午、巳年…未
午年…寅、未年…卯
申年…辰、酉年…亥
戌年…子、亥年…丑
歳の陰神で大殺とも呼ばれ、公事に凶となります。
たいいたいちゅう
定位対冲
十二支 九星が定位の反対側に位置
する方位
例.一白の年…西(酉)
歳破などと同じ作用を示すとされますが、凶意は幾分弱まります。



20.下段について

 暦には、下段と呼ばれる暦注(ただし選日の分類と区別がつかないようなものもあります)が書かれているのですが、これについては現在ではあまり馴染みもなく、活用もされていないと思われますので省略しました。



21.補遺

(1)意識による物質への作用について

 中国や日本などで発展してきた旧暦というのは、神秘的な力を認めないとこの様々な占い的事柄を認めることができないものといえます。 そうした力は物質ではなく人間本来の力によるものであり、これは物理的作用ではない意識作用であると言えます。
 意識作用が意識同士に働く場合には、意識作用内部のことであるため物理的説明は不要ですが、しかし人間は物理的存在でもあるため、物体に対する意識作用についても言及する必要があります。
 さて、古典物理学の正しさは天体運動などで広く認められています。 この古典力学は因果論的であって、ある物理状態が定まるならば、未来は確定されます。 この意味では、意識作用なるものは介在する余地はありません。
 しかし、絶対確実と思われた古典力学は、原子のようなミクロな物質現象をうまく説明することができませんでした。 この意味では、古典力学の正当性は真実のものではなく仮設的なものでした。 つまり、それは統計的な真実であって、多数のミクロな事象の統計を取れば、あるマクロな事象が確定されるというものでした。
 20世紀に入り、物質の本当の挙動は古典力学ではなく量子力学によって説明されることになりました。 これは既に確立されたもので、この正しさについては多くの科学者が認めるところです。 しかしながら、多くの人にはこの物理学が認知されていないのが実情です。 これは、この物理学が高度な数学を必要とすること、及び多くの人にとっては原子といったミクロな事象にはあまり関知しないということが理由であろうと思われます。

 この量子力学ですが、これは非常に奇妙であって、物質の状態は確定されたものではなくて、この状態は観測されることによって確定されるという性質を持ちます。 この意味では、量子力学というのは完全に因果的ではなく、未来は曖昧にしか定まりません。
 したがって、そこに意識作用が入り込む余地があり得ることになり、私としては物質の不確定状態を決定するのは「観測」というよりは、意識作用であるところの人間(や生物)の認識であると考えます。 人間の認識の一つである「見る」という行為が物理状態を決定するのだと考えます。
 ところが、「見る」という行為は、物理的状態(外界の視覚的認識)に即して発達するため、それは現実を反映したものとなります。 この意味では、「見る」という行為は物理的状態と独立的ではなく、この状態に依存したものとなります。 (そうでなければ人は外界を見ることができません。) つまり、その意識作用は物理的状態に従属するものとなります。 このことが意識作用が物理的状態と無関係なものでないと考えること、つまり意識作用なるものは虚構的なものであると考える理由でしょう。
 そこで、認識が外界の状況に依存しないならば、本来の意識的認識ができることになり、この作用は物理的状態と切り離すことができます。
 その場合として、身近な例では道を曲る場合が挙げられます。 道角では、視覚外の角の状況を知ることができず、未来を予測することができません。 このため、意識的未来認識は物理的状態とは独立的となります。 このため、意識は何でも想像することができるようになり、この作用によって物理的状態が決定されると考えられます。
 特に、意識というのは記憶することができ、一度起こったことをよく覚えます。 したがって、一度起こったことは何度も起こるようになります。 そうした意識の認知傾向によって、物理的状態も一度起こったことは何度も起こるようになるものです。 これは私の場合にはよく認められて、一般的傾向を持つものです。
 例えば、その作用を利用するならば、賭け事の事象を操作することができます。 つまり、ある事柄が起こるのが自然であると考えたならば、その通りのことが起りやすくなります。 ただし、それが起こることには一片の疑念も持ってはなりませんが、これが実に難しいことなのです。 顕在意識としてそれを肯定していても、潜在意識としてそれを否定しているならば、疑念を持っていることに変りがないのですから。 そうしたことを全く信じることができるためには、合理的に納得できることの他に、実体験として納得し得ることが必要です。
 イエス・キリストが言ったように、本当に信じるならば山をも動かすことができるというのは真実であると考えられます。 もちろん、それはあまりにも確定性が高く、また山が動くということを信じるのはかなり困難であるため、それはほとんど不可能ですが、原理的にはそうであると考えられます。

 以上のように、意識による物質への作用というのは、意識による物質の不確定的状態に対する決定作用のようなものと考えられ、この意味では意識が物質に対して何等かの物理的作用を与えているものではありません。
 また、それが意識による状態決定作用であることより、エネルギーは何ら必要としないのですが(したがってこれは物理的因果律を定める一つの法則であるエネルギー保存則を破るものではありません)、物理的状態の分布に偏りが生じる場合には、エントロピーの相異が生じて、それが一種の力にもなり得ます。
 例えば、管で結合してある2つのビンに蒸気が充満していて、一方のビンの方に多くの蒸気が集ることになれば、蒸気が多い方から少ない方へ流れることになりますが、これはエントロピーの増大現象として説明できます。 そのようなことは流体全般に対して言えることであり、また電子が流体のように移動する金属についてもいえます。
 また、意識による物理的状態の決定作用は、遺伝子同士の交配や脳の励起性といった現象についても言えると考えられ、ここから様々なことが言われるようになるのでしょう。 旧暦が極めて雑然としてきたのも、意識作用の複雑さによるものと考えられます。 つまり、あらゆることが「法則」となり得ること、言い換えればこれは無法則性の現われでもあります。 このため、何が正しく何が正しくないのかということを各自によって定める必要が生じてきます。


(2) 占いの正当性
 占いの結果というものは、必然的な結果によってもたらされるよりは偶然的にもたらされ、この正当性はその出現の仕方にこそあるのであって、その占いの内容自身にあるのではないと考えられます。 こうした見方からすれば、占いにおける吉凶といったものは任意で良く、しかもそれにはある正当性が存在し得るということになります。 事実、ほとんどの占いはそのようです。
 ただし、占いの吉凶定義といったものは任意な規定であって良いとしたものの、その内部では整合性を保つ必要性はあります。


(3) 潮汐について

 恒星や衛星による潮汐について言う前に、まず地球だけの場合を考え、この自転による海水の運動を述べることにします。
 地球の表面上に働く力としては、地球による中心引力と自転による遠心力(これは本質的には慣性によるものですが)とがあります。 もし地球が球体であるとすれば、中心引力は表面上のどの位置でも同じになりますから、海水の移動は起らないということになります。
 自転による遠心力の場合では、この力Fは次のように表わされます。

ここで、mは質量、rは自転軸からの垂直距離、ωは(回転の速さを表す)角速度です。
rは緯度θによって次のように表わされます。
ここで Rは地球の半径です。
 この力は鉛直方向と水平方向とに分解することができて、鉛直方向の成分Fvは、Fにcosθを掛けて となります。 また、水平方向の成分Fhは、Fにsinθを掛けて となります。 これより、水平成分の力が最大になるのは、緯度45度ということになりますが、地球は楕円体であることより半径が変化するため、少し緯度がずれると考えられます。

 海水の移動にとって重要なのは水平方向の力ですから、この具体的値を求めることにします。 まず、赤道の場合の単位質量(1kg)の物体に働く遠心力の強さを求めることにします。 (なお、これに質量を掛ければ実際の力となり、また物体に働く力は物体の質量に加速度を掛けたものに等しいことより、これは加速度ということになります。しかし加速度という名称を用いるのはあまり直感的でないことから、以下では単位質量の物体に働く力と表現することにします。一般的には受ける力は質量に比例するとはかぎらないのですが、引力や遠心力は質量に比例することより、単位質量に働く力は加速度に等しいという結果になります。力が質量に比例しない代表的なものとしては静電気力があります。)
 自転の角速度ωは、地球の自転が23時間56分4.1秒(86164.1秒)で一回転することより、次のようになります。

また
赤道半径は6378.14kmであることより、この地点の単位質量の物体に対する遠心力の強さFは、 となります。

 一方、赤道での重力gは、万有引力定数G=6.67259×10-11に地球の質量M=5.974×1024[kg]を掛けたものを赤道半径Rの2乗で割った値となりますから、これは次の値となります。

この値を先の遠心力の値で割れば、288.9倍となります。
 したがって、赤道地点での遠心力というのは地球の表面重力の289分の1の強さということになります。

 次に、地球を理想的な回転楕円体であるとみなせば、緯度によって半径がどのようになるかということが求められます。 これは次の2式から求められます。

ここで、aは長軸の長さである赤道半径で、bは短軸の長さである極半径です。
 極半径は6356.755kmですから、tan(35度)=0.7002075382を代入して、上記2式の交点の位置(x, y)を求めると、次の値になります。
したがって北緯35度の半径は 6371.08kmとなります。 なお、この値は平均半径6371.012kmとかなり近い値となっています。
 この場合の遠心力を考慮しない重力加速度gは9.8205[m/s2]となり、また遠心力の垂直成分は
となります。
 したがって、この遠心力を引いた重力加速度は9.7978[m/s2]となり、これはこの定数値g35=9.7975[m/s2]とほとんど一致します。 このように北緯35度の地表面上の位置の妥当性が確認できたことより、北緯35°の遠心力の水平成分の値ですが、これは
となり、これは重力加速度g35の616分の1の値になります。
 したがって、自転による遠心力の海水への移動作用というのはそれほど大きいものではありませんが、これは北極または南極から赤道に向かう力を与えるものとなります。 しかしながら、このことは地球が球である場合に常に正しいと言えることであって、地球が赤道部が膨らんだ楕円体である場合には、緯度が低下するほど半径が大きくなり、したがって海水は高い位置に移動するということになるのですが、これは水が高い場所から低い場所に流れるということに相反することになり、その通りに解釈することはできません。
 しかし海水が自転によってどのように流れるにしても、結局はある平衡状態に達し、したがって各地点の潮位は不変になると考えられますから、これによる力が潮汐を直接的に引起こすものではないといえるでしょう。


 次に、地球と太陽による地球の回転運動を考えることにします。 言うまでもなくこの場合、地球はこれと太陽との重心位置を中心にして回転運動を行ないます。 しかし、太陽の質量は地球の約33万倍にもなり、この質量比は極めて大きいため、重心位置は太陽の位置とみなすことができます。 もっとも太陽系で最大質量をもつ惑星の木星の場合には、約1000倍程度となり、木星に対しては重心位置が少しずれることになりますが、木星の公転周期は地球の約12倍であることより、木星の公転による太陽の回転の変化はほぼ無視して考えることができるでしょう。 つまり、太陽の回転による地球の公転運動の変化は無視して考えることができるでしょう。
 また、公転運動の軌跡は一般に楕円軌道となりますが、地球の場合はほぼ円軌道とみなすことができ、太陽からの引力は地球の公転運動による遠心力と釣り合うと考えることができます。

 したがって、地球と太陽を結ぶ線上で、地球の中心からほぼ垂直に伸ばした地表面上の位置(正確には太陽から引いた線が地表面の接線となる位置)では太陽による引力と公転による遠心力が釣り合い、これらの力は全く相殺することになります。 しかし、太陽に近くなる地点では太陽の引力が増し、一方、この反対側の地点では引力が弱まることより相対的に遠心力が増すということになります。 つまり、以下のような状態となります。

このように、海水に対してそれぞれの方向に流れる力が働いて、これらの点での潮位が最も高くなるということになります。 そのように地球の両端で海水が膨らむことより、潮位はだいたい1日2回の満潮と干潮を繰り返すということになります。
 しかし、双方のその位置の海水は地球が自転していることより、時間と共に推移していくということになりますから、この海水の移動が潮汐の直接の原因となるのではありません。 また、満潮の時間が真昼(太陽の南中に当ります)や真夜中になるということでもありません。 これらのことについては後述することにしますが、地球の両側の海水が膨らむということには変りがありません。


 次に、地球は太陽の周りを回転運動しているだけでなく、月と地球の重心(これは地球内部の位置となりますが)を中心にして回転運動を行なっていて、これは太陽の場合とだいたい同じことになります。 (大きな違いは、太陽に対する場合、公転の中心点までの距離と引力を及ぼす太陽までの距離がほとんど等しいのに対して、月との場合では回転の中心点までの距離と引力を及ぼしている月までの距離とは全く異なるという点です。)

 結局、太陽による満潮と月による満潮がぴったり重なるのは、太陽と地球、月(地球の公転面への射影上の位置)が一直線上に並ぶときであり、これは朔と望の場合ということになります。

 一方、太陽と月による満潮が相殺することになる最大の配置は、地球と太陽を結ぶ直線に対して、地球と月を結ぶ直線が垂直となる場合で、即ちこれは上弦の月と下弦の月の場合ということになります。

 このことを定量的に述べるために、まず太陽が地球に及ぼす引力と月が地球に及ぼす引力の大きさの違いを調べることにします。 引力は質量に比例し、距離の逆二乗に反比例することより、この比例定数をkと表わして、次の値を比較すれば良いことになります。 (他の値は共に同じ値であることから、比をとれば約されて消えます。)

ここでrは地球から太陽または月までの平均距離です。 太陽の場合、質量は1.9891×1030kg、太陽との平均距離は1.496×108kmであることより、ks=8.89×1013kg/km2となります。 月の場合、質量は7.3480×1022kg、月との平均距離は3.8440×105kmであることより、km=4.97×1011kg/km2となります。 したがって、月の引力は太陽の約0.0056倍となります。
 これより潮汐力は圧倒的に太陽の方が強いと考えるかもしれませんが、実は潮汐力は月の方が強いのです。 これは何故かといえば、引力の強さは距離の二乗に反比例するといっても、その増減の程度は2体間の距離に対する地球半径の比を考慮する必要があるからです。 (つまり距離の変位に対する引力の変化率を考慮する必要があり、これはy=a/r2の変化率ですから、2体間の距離が短いほど引力は大きく変化します。)

 そこで、そのことについて具体的に述べることにして、以下の簡略図を考えます。

ここで、Aは地表の太陽に最も近い地点、Oは地球の中心、Bは地表の太陽に最も遠い地点です。 また、rは地球の赤道半径で、太陽と地球の中心までの距離をRとします。
 まず、Oの地点では引力と遠心力とが釣り合うことより、以下の関係が成立します。
ここで、Kは太陽までの距離Rに対する太陽の引力の比例係数、K’は地球の公転中心からの距離Rに対する遠心力の比例係数です。
 Aの地点の引力F1は次のようになります。
r/Rは1に比べてかなり小さいことより、以下の関係式が成立します。
したがって、F1は次のように近似できます。
また、Aの地点の遠心力F2 となります。
 遠心力は引力と逆向きですから、引力と遠心力の引力方向への合力FAは次のようになります。

同様な計算で、Bの地点の引力方向への合力FBは、

となります。
 ここで、K/R2というのは単位質量に対する引力の大きさであり、月のこの大きさは太陽の179分の1ですが、それよりはr/Rの値の方が大きく異なり、この値を求めた結果は次のようになります。
したがって、r/Rの値については、月は太陽の390倍となり、これを179で割れば約2.2となります。 つまり、月の潮汐力の方が太陽よりも2倍くらい強いという結果になります。
 上記は、遠心力の相異も考慮に入れたものですが、この相異を入れなくても大きさの比は同じになります。 また、遠心力の計算は太陽の場合と月の場合では異なることより上記比較は成立しないため、通常は(話が面倒になるためか)引力の変化についてだけ比較するようです。


 なお、月による地球の回転の遠心力については太陽の場合とは同様ではないため(特に月に最も近い点の遠心力は月の引力の逆方向ではなく同方向となります)、この点を明確にするために以下では月との場合における遠心力について計算します。

 月と地球の重心は地球内部となることより、以下の簡略図を考えます。

 ここで、Aは月と最も近い地点、●は月と地球の重心、Oは地球の中心、Bは月と最も遠い地点です。 地球は重心●を中心にして回転することより、地球の中心から月までの距離をRとすると、以下の関係が成立します。
 また、重心の位置は月と地球の距離を質量の逆比で内分する点であることより、月の質量をM、地球の質量をmとして、次の関係が成立します。 これより、lは次のようになります。
上式に各値を代入すると、l=4670.67kmとなります。 また、地球の半径rをこれで割った値は となります。
 そこで、Bの地点の遠心力F2ですが、これは となります。 (上式の意味を簡単に述べるために、例えばl=rとすれば、遠心力は月の引力の2倍ということになって、これから月の引力分を引けば、B地点の力の大きさは月の引力に等しいという結果になります。 一方、Aの地点では回転の中心に当るわけですから、遠心力は0となり、したがってAの地点の力は月の引力に等しくなります。)
 そこで、遠心力の増分値における、本来の遠心力 K'l(=月の引力K/R2)に対する係数r/l1.37を先に求めた月との場合のr/R=0.0166の値と比較すると、これは約83倍となり、かなり大きな値となります。
 となると、おおよそ潮汐は月のみが関係し太陽は無関係ということになりますが、実際には太陽も関係しますから、上記のことは正しくありません。
 確かに遠心力は大きくなるのですが、この遠心力は地球が自転するのと似たように生じることより、月と地球を結ぶ方向のみならず、側方も膨らむということが関係するように考えられます。
 太陽との場合では遠心力は公転によるものであるため、その方向は太陽と地球を結ぶ方向のみとなることより、膨らむのは両側だけという結果になっていました。


 以上のように、海水が太陽及び月によって海水が膨らむということは、地球が自転しないと考えた場合の海水の変化をいうものであって、実際には地球の自転による海水の変化を考える必要があります。
 そこで、仮に海水が常に太陽もしくは月の方向に膨らむと考えた場合、海水の流れはどれくらいになる必要があるかということを述べると、地表面上の速度は自転の角速度に距離を掛けたものですから、赤道の場合では次の値になります。

つまり、赤道上の物体の速度は時速1674kmに達し、この速度で自転とは逆向きに進む必要があります。 当然のことながら、海水の流れはこれほど速くありません。 仮に(自転に対する)海水の相対速度を時速20kmとしても、一日で移動できるのは480kmにすぎません。 これでは干満が生じるのに何日もかかってしまうことになります。 しかし、干満は毎日だいたい2回生じています。
 したがって、何が干満を引起こすのかということになりますが、これは海水の移動によるものではなくて、海水の上下運動の横波が伝わることによるものです。 この波は、地球と月との会合周期である27.32日で地球を1回転するとされます。 このように干満の位置は自転に対してほぼ不変となることより、だいたい1日に2回の干満が起こるということになります。 (この波は、異なる振動数の波を重ね合わせたときに生じる唸りの波形と似ていて、これは異なる波を重ね合わせたものと考えられます。)
 ただし、干満の時間は毎日少しずつ遅れていくことになります。 これは平均して1日当り24時間/2753分遅れることになります。 正確には50分になるようです。
 なお、この潮汐の波は自転と反対方向に進むことより、これは地球の自転にブレーキをかけることになります。

 さて、実際にどれくらいの潮位差があるかということですが、計算値では大潮の場合で53.4cm、小潮のときで28.8cmになるとされます。 しかし、これは湾の形状などが関係することより、各地での潮位差は異なります。 例えば、外洋と比べて狭くなっている瀬戸内海では3mに達します。 また関東以北の太平洋側では1.0m〜1.5mとなりますが、日本海側では20cm〜50cmに留まるとされます。 日本海側が比較的小さくなるのは、外洋の開口部に比較して内部が広くなっているためではないかと考えられます。


22.参考文献

 旧暦を解説するに当たって、参考にした書籍を以下に示します。

 なお、文献[16]は量子力学がどのようにしてできたのかが、歴史的背景とともに詳細に語られています。 また、文献[16]は物質の不確定性に関する一つの現代的解釈となっています。 (ちなみに正確な読みが分からないと気持ちが悪いという人がいるかもしれないので補足すると、この本の出版社名の"Springer-Verlag"というのはドイツ語の単語で、シュプリンガー・フェアラークと読みます。数学や物理学などの書籍では有名な出版社です。)
 量子力学の出現によって、現代は再び曖昧模糊とした世界認識に逆戻りしたのですが、これは陰陽五行説のようなものをも包蔵し得るということではないかと思われます。