中国の歴代王朝


 易の成立及び発展について知るためには、中国の歴代王朝の年代やその概略について知っておく必要がありますが、これは大凡以下のようになります。

年代王朝名備考
古代三皇五帝時代三皇とは、伏犠(犠は義とも)、神農、女カのこと。この後、皇帝、センギョク、帝コク、尭、舜の五帝時代が続いたとされる。
紀元前21世紀
〜前16世紀頃
伝説上の最古の王朝。開祖は禹。
〜前1050頃実在が確認されている最古の王朝。開祖は湯王。30代紂王の時、周の武王に滅ぼされた。
前1100〜前256開祖は武王。武王は文王の長男。周成立後まもなく死亡し、その後は武王の弟の周公によって政権が維持された。
前771年、犬戎の侵略に遭い、都を鎬京(長安)から成周(洛陽)に遷都した。 これは東周と呼ばれ、それまでのものは西周と呼ばれることになった。 この侵略を境にして周王室の力が弱くなり、春秋戦国時代となる。 また、東周時代から晋が韓・魏・趙の三国に分裂するまでの前403年までを春秋時代と呼び、これ以後は戦国時代と呼ばれる。
前771〜前206前221年、秦が他の諸国を滅ぼして中国最初の統一王朝を建国した。
前202〜後8前202年、劉邦(漢の高祖)が漢を建国した。都は長安。
後に外戚である王莽が国を奪い、を建国するが、短命に終わり、その後まもなく漢朝が再興されたことより、これは前漢とも呼ばれる。
25〜220後漢25年、劉秀(光武帝)が漢朝を再興した。都は洛陽。
220〜420三国時代黄巾の乱以後の魏、呉、蜀、晋の時代。 なお、晋は司馬氏が魏を継いだものだが、これは316年五胡の乱により西晋東晋に分裂した。
西晋の滅亡により、華北は混乱し、様々な国が起こった。華北のこの時代は五胡十六国時代と呼ばれる。
南北朝時代中国が北朝、南朝に分裂していた時代
398〜581北朝時代 396年、拓跋珪(道武帝)が北魏(398〜534)を建国した。439年、華北を統一した。494年、洛陽に遷都した。
534年、内乱が起こり北魏は東魏(534〜550)と西魏(534〜556)に分裂した。
550年、東魏の高洋が帝位につき、東魏の国号を北斉とした。
557年、西魏の宇文覚が帝位につき、西魏の国号を北周(557〜581)とした。
420〜479南朝時代 420年、東晋の劉裕(武帝)が帝位につき、国号を(420〜479)とした。都は建康(南京)。
479年、斉王の蕭道成が帝位につき、国号を(479〜502)とした。都は建康。後に、北朝にも斉という国が起こったことより、これは南斉とも呼ばれる。
502年、蕭衍が斉の帝位につき、国号を(502〜557)とした。
557年、陳覇先(武帝)が梁の帝位につき、国号を(557〜589)とした。都は建康(南京)。

華中では、三国時代の呉から、東晋→宋→斉→梁→陳と変遷を繰り返したことより、三国時代から南朝時代までは六朝時代と呼ばれる。 なお、この時代の文物が朝鮮の百済を通じて日本にもたらされた。
581〜618581年、随国の楊堅(高祖文帝)が北周の国を奪って帝位につき、国号を隋とした。都は大興(長安)。
589年、南朝の陳を滅ぼして中国を統一した。
618〜907618年、李淵(高祖)が随の帝位につき、国号を唐とした。
623年に中国を統一。
907年、朱全忠により国を奪われる。
907〜960五代十国唐滅亡後、979年に宋によって統一されるまで混乱が続く。
この間、華北には後梁→後唐→後晋→後漢→後周の5王朝が興亡を繰り返した。
960〜1279960年、後周の趙匡胤が帝位につき、国号を宋とした。
979年、中国を統一。
1127年、金が国都を奪い、(華北の)国号はとなった。
一方、国都を奪われた側は、江南に逃れて臨安(杭州)を国都とした。
宋を受け継いだ華中は南宋と呼ばれ、これ以前のものは北宋と呼ばれることになった。
1271〜1368モンゴル帝国のフビライが中国に侵攻して、大都(北京)に都を構え、中国を支配した。
1271年、国号を元とした。
1279年、南宋を滅ぼして、中国全土をその支配下に収めた。
1368〜1644朱元璋(洪武帝)が元を倒し建国した。
1644年、李自成に北京を占領され滅亡した。
1616〜1912満州に起こった清(もとの国名は後金で1636年に清と改称した)が、明の滅亡に乗じて、北京に遷都した。
1911年、辛亥革命が起り、中華民国が建てられた。
1912年、12世宣統帝(溥儀)が退位して滅んだ。
1912〜1921中華民国清の滅亡により中華民国が起こった。
1921〜中華人民
共和国
第二次世界大戦の混乱により、国が内部分裂し、共産主義である中華人民共和国が起こった。