『幻影の追跡者』                

 日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしてから、一週間が過ぎようとし
ていた。戦争の後遺症はまだ深かったが、人々は復興に向けて活気立ち始めてい
た。                                  
 日が落ちた頃、一人の少年が貧民くつの薄暗い路地で誰かを捜していた。生き
別れになったままになっている肉親だろうか。いや、汚れてはいるものの、少年
の身なりは良く、戦争孤児には見えない。それどころか、とても場違いだ。それ
に、両手でしっかりと拳銃を握っていた。少年は出来ればこんな物は使いたくな
いと思っていた。しかし、自分が捜している相手に向けて、その引き金を引くこ
とになるだろうということも、同時に感じ取っていた。自分と同じ顔をした兄弟
に。                                  
 一九一八年十一月、欧州大戦休戦後、日本陸軍上層部は、肉体的、精神的にも
強く、死を恐れることなく命令を忠実に実行することが出来る兵士の必要性を感
じ、人工的に作り出そうとした。幾度の失敗の後、同時期に七人の代理母が子供
を産んだ。同じ遺伝子から培養された七人の兄弟たち。           
 しかし、しばらくして、軍上層部は、成功したかに見え、優秀な兵士となるは
ずだった子供たちが、完全な失敗作であったことに気付いた。体が弱く、その上
知能が高すぎるため、死を恐れずに命令だけを忠実に実行するロボットにはなり
えなかったのである。                          
 軍上層部から見れば完全な失敗作ではあったが、研究者から見れば遺伝学上、
完全な成功であった。しかし、成功例はこの七人だけ、二度目の大戦の開始、激
化により、計画は中断ののち正式に中止され、研究班は解散、資料は全て破棄せ
よとの命令が下った。計画の存在は抹殺され、子供達も含め、すべてが処分され
るはずだった。                             

 二度目の大戦は敗戦、それも無条件降伏という形で終えた。子供達は計画に関
わっていた科学者、軍人の家に養子として引き取られていった。書類が先に処分
され、計画自体が存在しないのだから、存在しない計画のサンプルがあるはずが
ない。だから、目の前にいる、この子供達はそんな存在しない計画とは無関係だ
という理屈である。そして、戦争も終わり、子供達は普通の子供として生活をお
くれるはずだった。                           
 だが、兄弟の一人が死んだ。殺されたのだ。抵抗した形跡が無く、顔見知りの
犯行だと思われたが、結局、犯人は分からなかった。そして、二人目が同じよう
に殺され、三人目の犠牲者も出た。この時、偶然だと思われていたことが、犯人
が三人に共通した、それも自分たちの知っている顔見知りであるだろうというこ
とに兄弟たちは気付いた。自分達の、兄弟の中の一人が犯人であるということに。
 米国軍による東京空襲で、兄弟の一人が負傷した。外傷は大したことはなかっ
たのだが、ショックが大きく、精神を病み、徐々に妄想に取り付かれ始めた。そ
して、心配して見舞いに来た自分と同じ顔をした兄弟を見たことで妄想は彼の中
では現実となった。                           
 自分と同じ顔をした人間を見た者は必ず死ぬと。そして、自分と同じ顔をした
兄弟たちを、自分に取って代わろうとしている幻影だと思い始め、それを阻止す
るため、自分が生き残るためにと、兄弟たちを捜しだし殺し始めたのである。 
 少年は、今や妄想に取り付かれた殺人鬼と化した兄弟のことを思い浮かべてい
た。十日違いのお兄さんで、自分と一番仲が良く、よく面倒を見てくれていた兄
のことを。                               
 僕が止めなくちゃ!少年はそう思い、逆に捜しに東京まで来た。そして、この
貧民くつにたどり着いた。逃げ込んだんじゃない。撒くのではなく、誘い込んだ
んだ。追ってきたのだが、実際には自分がここに誘い込まれたということに気が
付いていた。ここなら、子供が一人ぐらい死んでいたところで誰も気にはしない
だろう。兄弟なのに、あんなに仲が良かったっていうのに、僕のことを殺すって
いうの?自分も殺されるかもしれない。そう感じたが、逃げるわけにはいかなかっ
た。                                  
 出来れば話し合いで決着を付けたかった。もう誰も殺さないでと説得したかっ
た。自分なら正気に戻せるかもしれないと思っていたのに。その余地はないって
言うことなの?少年は銃を強く握りしめた。正気に戻って欲しかったのに。  
 人の気配?!少年は振り向いた。その表情は複雑だ。喜び、不安、恐れが入り交
じる。そして、銃声。                          
 撃たれた少年を、もう一人の同じ顔をした少年が抱きかかえている。撃たれた
少年は、まだ息があった。撃たれているのにも関わらず、その表情は穏やかで、
自分を抱きかかえている少年を懐かしそうに見つめていた。抱きかかえている少
年の表情は影になって見えない。頬をつたっているものが、涙なのか汗なのかは
分からない。                              
 どちらの少年が生き残ったのだろうか?                 


解説                      
 この作品は、「1945年8月末、一人の登場人物が、ある理由があって
スラムにいる人物を捜していて、身に危険が迫っているが決して引こうとは
しない」という設定で短編を書けという課題のために書いた物をホームペー
ジに載せるために、設定はそのままで大幅に改稿しました。       
 ストーリーの基本は、映画学校時代に5分という尺数で一本撮りなさいと
いう課題のために撮った自主映画で、その後、同人誌で何故か猫耳少女漫画
としてリメイク。「映画」「漫画」「小説」と10年近くかけて一人で密か
にメディアミックスしてました。自主映画版と漫画は恥ずかしいので封印で
す。でも、機会があれば両方ともリメイクしたいです。         


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