インターネットを始める前後の出来事

HPを立ちあげる前後には、まあ色々あったので、誰かに聞いてもらいたいなぁってことで・・・。

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1998年の出来事

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その1はインターネットを始めてパソコンを買った事。

もう6年ぐらい以前にNECのPC-9801 DXを買って、1年ぐらい遊んで飽きてしまったことがある。
今回もそうなるんじゃないかと思ったりもしたのだけれど、買い物は買いたい時が買い時…
これは、その2の事件とも絡んでくるのだけれど、なにがなんでも欲しくなったのだからしょうがない。 私のモットーは「後悔しない」こと。(^^;
今回の目的はインターネットすること。もっとも自宅で購入する前、去年の暮れ(1997年)に、会社がどこやらの プロバイダと契約して、私もメールアドレスをもらったのがきっかけなんだけど…

ここまでは良くある話。ところが、会社でしてくれたのはそこまで。え?それで十分だって?
LANにもなってないし、電話回線にもつながってない仕事のPCでメールアドレスだけもらってもねぇ〜
すったもんだして、LAN(たった2台の(^^;)を組んだんだけど、なにせシロウト。相棒のPCがサーバ を兼ねているのだけど、留守がちの営業マン。使用していなさそうな機器の電源を切って歩くのが趣味 のじーさまも居るし。(;;)結局ルーターを購入して、さて、ネットにつながったのが12月29日(年末最終日) の午後4時30分!ともあれ、年が明ければ私のインターネット元年。

3ヶ月ほどは仕事も暇だし、会社でインターネット三昧♪(といいつつ、結構遠慮して使ってたつもりなんだけど…) しかし、ある日社長が背後に立って言うことにゃ、「不況で経費節減の折り、費用が心配なのでインターネットする のは控えてほしい」だとさ。従量制の契約なんかするなよ〜
ちなみに、ウチの社長(55歳)はアナログ人間である。
10年ほど前に「せっかくPCがあるんだから、在庫管理でもやりましょう」と提案したところ、 「機械に振り回されるのは嫌だ」との仰せ。5〜6年前に「ウィンドウズ買って下さいよ。」とお願いしたら、 「これ以上機械が増えてどうするんだ?」(キカイはいらないソフトが欲しい…)
今年になって、エクセルとワードに目覚めた社長。(決してPCに目覚めたわけではない。)エクセルを少々いじって、 自信が付いて、「ワードをインストールしてくれないか?」もちろんインストールなんて言葉を使った訳じゃない。 入れといてくれというから、入れてあげた。しこしこタイピング練習しているようであった。
と、ある日ワードのマニュアル本を買ってきて言うことにゃ、「本のイラストと画面が違う。」そりゃ違います。 私がインストールしたのは「マイクロソフトワード」だし、買ってきたマニュアルも「マイクロソフトワード」だけれど、 社長が立ちあげていた画面はWINDOWSのワードパッドなんだから。
こういうお方に従量制のプロバイダがどうの、接続速度がどうの、サーバがどうのと説明しても通じない。(;;) まあ、こういう背景の中、自宅にPCを購入する事を決意した次第。

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その2は入院、手術をした事。

生まれて初めてのことなのでした。基本的に人より丈夫な体をしている。運動ギライだし、幼稚園からずっと、 かけっこでビリ以外になったことはない(ーー;)のだけれど、持久力、握力、筋力、骨密度?には自信がある。 3日ぐらい食事をしなくても平気である。痛みにも強い。が…

その痛みは5年ほど前からあった。脇腹から背中にかけて鈍痛がある、疲れやすい。etc
痛み始めた当時、総合病院の内科にかかって、いろいろな検査をした。ちょうど母親が大腸がんの手術をしたばかり だったので、医者も大腸関係に重点をおいたらしい。(警告:腸管バリウムは、必要が無い限りやらないこと(^^;)
しんどいのに結果のでない検査に嫌気がさし、原因不明のまま病院がよいをやめてしまったのだけれど…

今年に入って体調不良が激しくなり、またまた医者へ…(5年経っても死なないんだからガンじゃないだろう(^^;) まーた、気のせいでしょうってな顔をしていた医者も、前回やらなかったMRI(磁力をつかった検査で、人間のどこで も好きなところを輪切り縦切りにできる)で、腹部に直径5cm大の腫瘍が写ったら手のひらを返した。(^^)
悪性でもないし、すぐにどうこう言うものでもないらしいが、小さくなる、あるいは消滅することはありえないと聞いて、 手術を決意したのが4月6日。5月末に手術、入院は10日間、その後自宅療養3週間という日取りも決まった。

実際、1ヶ月も会社を休める♪しかもそのうち3週間は自宅で静養♪♪
だが、ここで”その1”とリンクするのだけど、3週間の自宅療養中に何をするんだ?ってこと。逆に言うと3週間 インターネット出来なかったら困るぞ。何人でもないが、E-メールくれる人もいるし…もうPC買うっきゃない。
最初はさすがにノートでいいかな、と思っていたのに、何遍も秋葉原へ通う内にいつしかCOMPAQのミニタワーになってしまった。(^^; これが、自宅に届いたのが4月14日。その日の内にインターネットにつなげて…(会社で苦労したかいがあった(^^))
5月の連休は親兄弟に入院手術の事を告げ、その間の打ち合わせ、後は会社へ提出する書類等など…友人にはメールを出し、 1週間に1度は入院前検査にため医者へゆき、その他入院の準備(下着とかぁ、パジャマとかぁ、スリッパとか揃えたり、 入院中に読む本を1ダースくらい買い込んだり…)であれよという間に時は過ぎて、入院したのが5月25日。

この病院が実は結構有名な超高級病院で、全室個室しかない。エアコンはもちろんシャワー、トイレ、テレビ、冷蔵庫、 電話、タオルサービス(!?)付き。当然差額ベッド代も下手なホテルより高い。そして当然快適である。
医療はサービスではないと憤る医療関係者は多いけれど、病人(患者)に快適な環境を与えるのはけしからん、という人は どこにもいないだろう。甘やかすのは病人ではなくともいけないことだが、通常の生活レベルが向上している現在、 入院患者は6人部屋で、トイレ、洗面台は廊下の端にあり、風呂は週1回、窓際で日差しが暑かろうが、廊下側で隙間風が吹こうが、 エアコンが付いてるだけありがたく思え、隣の病人の愚痴やうめき声はがまんしろというのは、劣悪な環境じゃないのか?
そんなのは金のあるやつの与太だ、とうい声が聞こえてきそう(^^)
いやいや、PCを買ったり、高い入院費払ったりでもうすっからかん。鼻血もでない(^^;入院中の給料ももらえなかったし(;;) あたりをきょろきょろ見回してみんなとおんなじ仲良しこよしが出来ない性格なので、自分でコレと決めたらなりふりかまわず… ともあれ入院。翌日手術。手術まで1週間ぐらい入院させられてたら逃げ出してたかも…(^^)

入院した当日、翌日の手術に向けて入れ替わり立ち代わり、医者がインフォームドコンセントにやってくる。
その数々の「万一の場合」を聞いていると、インフォームドコンセントというより、PL法対応みたいだ。ま、両方なのかも。
手術は午後で、手術台の上で硬膜外麻酔されて仰向けにされたとき、左の壁のやけに大きな時計が2時だな、とういのが最後の記憶で 目が覚めたら別の場所にいる。終わったんだなと思って、大丈夫ですかと聞く医者の顔をにっこり見上げて「今何時ですか?」 と聞いたら、医者が一瞬絶句した。ふつうはなんて言うものなんだろう?ともあれ「4時半です。」ということで順調、順調。

母親が手術をしたときに見たりして、「お腹を切られる」ことにあるイメージを持っていた。
それはやっぱり、スプラッタ…。母親の手術直後の傷口は、へたくそな職人が縛ったばかりの焼きぶたのようだった。
同じ手術をした人の体験談でも、「傷跡は25cmくらいある」「痛くて動けない」「動くと傷がはじけるような恐怖感がある」etc. 覚悟していたのだが…。手術後触ってみると、お腹の一番下の端に、長さ20cm幅5cmくらいの特大バンドエイドみたいなものが 横に貼ってある。感覚はない。医者が「横に切りましょう」と言っていたから、横なのはいいけれど、ずいぶん下なのに驚いた。

驚きはその後も続く。このバンドエイドは5日後の抜糸のときまで剥がさないという。外科医は昔通りインターンの群れを引き連れて 回診に来るのだが、バンドエイドの上から見るだけ。消毒もしない。さらに、ガスも出ないのに水を飲んでいいという。飲んでもいい、 じゃなくて、どんどん水分をとってくださいとのこと。水分を沢山取っておしっこが正常だったら点滴をはずすという。
そして、ガンガン水を飲んだお陰なのか3日目午前中(!)に点滴がはずされた。他の人の体験談では1週間ぐらいは点滴すると言っ ていたのに。そしてそして、はずした点滴を持ったまま看護婦がいう。「シャワー浴びたらいかがですか?」え〜まだ3日目なのに。 いわれるままにシャワーを浴びたけれど、残りの5日間の入院生活が極楽状態だったのは言うまでもない。(^^)

体も楽で痛みもあまりなく、ベッドに横にならずに窓際の椅子に腰掛けて読書していて、「高ーい差額ベッド料を払ってるのに ベッドを使わないのはもったいないかな?」なんて洒落にもならないことを考えつつ。
12冊用意した本は入院前に我慢できずに2冊読んでしまったので、10冊持って行った。
一日2冊読む人間だから、入院日、退院日、手術日とその翌日の4日間を引いて6日間。12冊あれば足りる筈だったのだが、 2冊へってしまったので、極力テレビを見るようにして節約。(^^)全部読み切って、退院日に病院のボランティア文庫に寄付してきた。 看護婦さんに感謝されたけど、本音は荷物が重かったから…車で迎えに来てくれる人がいるわけじゃない。
高級病院は高級病院なりの暗黙のルールがあるようだ。私みたいに見舞い客も迎えもこない、荷物も少ないのは不思議だったようだ。 でも一応私としては予定通り。手術が思ったより軽かったことを除けば。退院直後に傷口を物指しで計ってみたら、11cmだった。 手術から1ヶ月と少したった今、傷はもう見えないくらいになっている。

ところが、物事はそうそう予定通りには進まない。「軽かった、楽だっだ」バチが当たった?

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その3はバチがあたった事。

手術が軽く済んだのは、医者の腕もさりながら、やっぱり私の体が丈夫なお陰だと自己確認。うぬぼれというより、一応親に感謝 かな?世の中には1食抜くと目が回るという人がいる。見ていると、小鳥のえさ程のものしか食べていない。エネルギー効率は いいのかもしれないが、持久力はゼロに近そうだ、と思う。医者の検査で絶食させられたり、下剤を飲まされるのが一番辛い、 というのがこういう人たちだ。やせていてうらやましい反面、いざというときどうするんだろうと、思ってしまう。

というわけで、手術日から1ヶ月経ったある日、医者の検診で全面OKのお墨付きをもらい、町へでかけた。

私には友人がいる。(あたり前か?(^^;)20代の頃友人の友人で知り合った。そして、彼は友人の友人と結婚して、それから 疎遠になった。疎遠になったが細く長く付き合いは続いている。年賀状が来る。電話をする。最後に飲んだのは3〜4年前だったか… 長く続く理由はなんだろう?趣味が同じ?気が合う???なんだか良く分からないが、彼はもともとコンピュータ関係の仕事についていて、 今年私がインターネットを始めたのをキッカケに、頻繁にメールのやり取りをするようになった。病気の話などもメールにしたが、 私の感覚に一番合う形で心配してくれたのが彼だった。的確な関連情報は流してくれるが、過剰な情緒反応はしない。お見舞いだなんだと 騒がない。そしていよいよ退院して大丈夫となったら、快気祝で飲みに行こうということになった。おごってくれるという。
場所は一任した。そして、手術から1ヶ月目、医者の検診のかえり、待ち合わせてビヤホールへ…

退院してから全然飲んでなかったわけじゃない。私は根っからの酒好き。(^^;分類では大酒のみ(^^;;;;
だけど、気の合う奴ととことん飲めるなんてことはそうそうあるものじゃない。ビールのサイドで飲むスピリッツも何杯飲んだかな(^^; 店を出たところで転んだ。(^^;
泥酔状態だもの無理はない。異常に痛かった。通常泥酔状態では少々の事では痛まないもんだ。(本当か?)

足首が痛くてしばらく歩けない。通りがかりにちょうど見ていたらしい女性が「大丈夫ですか!」と金切り声をあげたのを覚えている。 何とか歩き出して、彼が止めてくれたタクシーに乗って帰宅…したんだと思う。(^^;
家に帰っても足か痛くて、おでこに着けるバンドが付いたアイスノンを足首に巻いて眠ってしまった。(ようだ(^^;)
ちなみに、後日彼からのメールでは、彼も泥酔状態だったらしい。(^^)私が転んだのは覚えていないし、私をタクシーに乗せたような 気がするが確かではいないそうな。彼のその日のその後は…まあやめておこう。(^^)
翌日は土曜日で仕事ははなからやすむつもりだったのだけれど、朝、起きて何か変だ。足がはれていて、痛くて歩けない。 たぶん捻挫だろうとは思ったが、念のため近所の整形外科へ。運動、スポーツ系が大嫌いなので、今まで捻挫をしたことがない。 捻挫だと思っていたら骨折していたなんて話をよく聞くので、レントゲンをとれば安心だと思ったのだが…

2枚撮ったフィルムを見ながら、「骨折はしていないけれど、もう一枚撮らせてください」と医者がいう。
結果は「靭帯が切れてると思うので、脹れがひいたらギプスしましょう」!!!!!「どれくらいの間?」「3週間」
バチがあたったのである。手術から1ヶ月目に大酒飲んだ事もそうだが、全体にお気楽すぎた経緯を見て、神様がお灸の追加を決定した のだと思う。つくづく骨折じゃなくてよかった。生まれて初めてしたギプスを見ながらビールを飲む毎日である。(ーー;)オイオイ

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