しあわせ日記 「思いやり」

8月21日(土)思いやりをもって幸せに暮らす
 くよくよしない方法(「小さいことにくよくよするな!」リチャード・カールソン/サンマーク出版)・その73は、「小さい思いやりを日常に組み入れる」。
 私が学んだ教師や哲学者たちは、まず「どうしたら人に尽くせるか?」と自問しなさいと私に提案した。これは、人のためになにかする方法は無数にある、そう自分に思い出させるために役立っている。実際に自問してみると、答えは無数に浮かびあがってくる。
 人の役に立つ方法は無数にあります。それを自分の喜び・幸せと考えられたら、自分の幸せになる方法も無数にあることになります。
 ところが最近、思いやりのない人が増えていると感じるのは、私だけでしょうか。

 自分としては、思いやりがない人と出会っても「ハオハオ」「こういう人もいる」「こんな人のためにイヤな気分になるのはソンだ」などと考え、軽く受け流せばいいと考えていますが、では果たして「自分は思いやりがあるか?」と自問してみると、必ずしも「ある」とは言い切れません。
 では、思いやりをもって幸せに暮らすためには、どうしたらいいのでしょうか?



8月22日(日)小さなこと
 くよくよしない方法・その81は、「親切は小さなことに絞る」。
 小さな親切をしたところでなにも変わらないのじゃないか、という思いにとらわれすぎると欲求不満になり、その無力感を口実にしてなにも行動しなくなってしまう。だが、細心の注意をはらってなんらかの親切――なんでもいい――を実践すれば、与える喜びを感じるとともにこの地球をちょっぴり明るくするのに役だつことができる。
 私が、人の思いやりを感じるのは、ちょっとしたことが多いように思います。たった一言や、ちょっとした配慮や、小さな親切などです。そこに相手が自分のことを考えてくれたんだなぁ、と思えることでとてもうれしくなります。
 結局、人のこと(人のため、人の幸せ)を考えるということが大切なのだと思います。心のない形だけの親切はそう感じるし、人の幸せを思う気もちは伝わるのではないでしょうか。

「私たちはこの世では大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもってするだけです」

 「小さいことにくよくよするな!」に紹介されていたマザーテレサの言葉です。することの大きさよりも、心の中の愛(その人を幸せにしたいという気もち)のほうが大きいのだと思います。



8月23日(月)まわりにいる人
 『説得力』(ロバート・コンクリン/PHP文庫)より、「まずあなたのまわりにいる人から始めよ」。
 多くの時間を幸せに過ごすためには、自分のそばにいる人を幸せにすることを考えよう。そうすれば人を幸せにするチャンスが多くなるのは当然のことです。
               (『幸せになる方法』より)
 とは言っても、なかなかやさしくできないのも、まわりにいる人です。
 親しいから、改まって何かするのはてれくさい。
 急にやさしくするのは、自分も相手もへんな気がする。
 いつもそばにいれば、いさかいや意地のようなものもある。
 世代が違えば、意見が合わないこともあり、それが大きなしこりになっていることもある。

 では、どうしたらまわりにいる人にやさしくできるでしょうか?



8月25日(水)感謝の気もち
 まわりにいる人にやさしくする方法の1つは、ほんの「小さなこと」でいいと思うことです。
 そして、もう1つは「気もち」だと思います。その方法としていいと思うのは「感謝」することです。

 まわりにいる人には感謝できることがきっとあると思います。1つだけでもいいのです。心から感謝できれば、きっとやさしくできることがあると思います。「ありがとう」のひと言だって心が伝わればうれしいものです。感謝の気もちが自然に出ればいいのです。

 まわりにいる人に感謝できない人は、感謝することより先に相手のイヤなところを考えているのではないでしょうか。
 どうしてもやさしくしたくない人がいたっても構わない、と私も思います。でも、まわりにいるほとんどの人がそうだとしたら、それはきっと自分に問題があると思います。

 世の中に幸せと不幸があるように、ひとりの人の中にもいい部分と悪い部分があります。不幸を数えて暮らすより幸せを数えて暮らしたほうがいいように、人の悪い部分を数えるよりいい部分を数えたほうがいいのです。

 ここで、「いい」というのは、自分の心の中が平和・ラク・幸せということです。人に感謝することも、やさしくすることも、人のためではなく、自分の幸せのためだと私は考えます。
 あなたがもし、幸せの暮らしたいと思うのなら、人に対してやさしい気もちで接したほうがいい、と私は思います。



8月25日(水)やさしさがわかる
 人にやさしくしようと思っても、現実にはなかなかできないことがわかります。自然に人にやさしくできる人は少ないように思います。多くの人にとっては、人にやさしくすることは易しいことではありません。

 人にやさしくしようと心がけていると、人のやさしさがよくわかるようになります。相手が自分より先回りしたことに気づきます。相手が自分のことを思ってくれていることがとてもうれしく感じます。人にやさしくすることが難しいことだと知っているから、その人のやさしさが大きく感じられます。

 私はきょう、とてもいいお話をいただきました。でも、その内容よりも私のためを考えてくれていることがとてもうれしかったのです。(抽象的ですみません)

 私は最近、人のやさしさに敏感になっていると感じます。人のやさしさがよくわかるようになっているのだと思います。それは、私が自分のやさしい気もちを大切にしているからだと思います。



8月26日(木)やさしくないのもわかる
 人にやさしくしたいと思ったことのない人、ほとんど思うことがない人は、わかると思います。自分にやさしくない人がいることに。
 人にやさしくしたいと思ってもなかなか思うようにできない人は、わかると思います。人が自分にやさしくできない理由が。
 人にやさしくできる人は、自分にやさしくない人にもやさしくできるでしょう。

 人にやさしくすることを心がけている人は、なかなか人にやさしくできないことがわかります。やさしくない人がいてもたいしてイヤな気もちにはなりません。自分にやさしくない人にもやさしくできるかもしれません。

 やさしくない人の中には、単に無神経な人や大ざっぱな人が多いように思います。また、やさしくしたい気もちは心のどこかにあっても、それが実行できない不器用な人もたくさんいます。
 もちろん中には意地悪な人もいます。でもきっと、その人にはその人なりの理由や事情があるのだと思います。たまたま気分が悪かったのかもしれないし、家庭や職場でうまくいっていないことがあるのかもしれません。もしかしたら、過去にすごくつらいことがあったのかもしれません。そういう人でも、自分がやさしく接していれば、意地悪されることはめったにないと思います。

 あなたのまわりにやさしい人が少ないとしても、それはふつうのことです。「人が自分にやさしくしてくれない」と嘆くのは不幸になる方法です。
 あなたのまわりにやさしい人がいるとしたら、それはとても幸せなことです。その人を大切にしましょう。自分もその人にやさしくしましょう。



8月27日(金)人の好意は喜んで受ける

 「人の好意(親切/助け)は、できれば喜んで受けよう」

 “遠慮”というのが、つつましく思われることがあります。また、無遠慮は嫌われます。
 でも、人の好意はできれば受けたほうがいい、と思います。
 もし、自分が人にやさしくしようと思った時に、相手が遠慮するよりも喜んで受けてくれたほうがうれしいと思います。喜び方のうまい人、「ありがとう」の言い方が上手な人だと、こちらのほうがもっとうれしくなります。そういう人に共通するのは“素直”ではないかと思います。素直に喜び、素直にお礼を言う、それが逆に人をよろこばすことになります。

 “借りができる”のように思う人がいるかもしれません。それは悪いことでしょうか?
 私は、幸せにしたい人からだったら、喜んで借りをつくりたいと思います。そうすれば、堂々と相手を幸せにすることができます。これをしていただいたから、と言い訳ができます。恥ずかしがりな人間には返って好都合です。

 お返しをしてやろうと考えていれば、人の好意は喜んで受けることができます。人を幸せにするチャンスをもらったようなものです。
 遠慮をして何もないよりも、互いに幸せにし合うほうがずっといいと思います。



8月28日(土)心のぬくもり
 くよくよしない方法・その74は、「親切のお返しは心のぬくもり」。
 人のためになにかするときには、それをするだけで穏やかでやさしい気持ちが生まれるのに気づくはず。
 なにも見返りを期待せずに何かいいことをしたとき、心の中がほっとぬくもるかどうか確認しよう。
 「見返りを期待しない」というのはよく言われることです。「ありがとうのひと言もない」などとイヤな気もちになるのでは、なんのために親切にしたのかわかりません。

 親切は誰のためにするのか?
 相手のためを考えて自分のためにするのだと、私は考えます。
 やさしさや思いやりがあれば、人間関係はよくなります。人間関係がよくなれば、幸せに暮らしやすくなります。

 人を幸せにすることが自分の幸せと思えるかどうかが大きいのです。
 人に親切にすることが気もちのよいことだと思えることが大切です。
 私は自分のやさしい気もちが好きです。幸せな気もちだと思います。



8月29日(日)いい子ぶりっこ?
 人にやさしくするとか、人を幸せにするとか言うと(私も口に出して言うことはありませんが)、「偽善者」などと言う人がいるかもしれませんが、そんなのはハオハオと受け流すとして、問題なのは自分の中の人の目に対する恐れです。
 「いい子ぶりっこと思われたくない」というような気もちです。

 世の中には最近、「いい子ぶりっこ」を仲間はずれにしたり、いじめたりする人が増えているような気がしないでもありません。「ぶりっこ」の度を越えてしまえばいいのですが、現実にそれを恐れるのならそういう人の目につかないようにする配慮もいるかもしれません。

 人にやさしくすることを、恥ずかしいとか、いい子だと思われたくないのような理由でできないというのなら、もう一度考え直してみるといい。「なんのために人にやさしくするのか?」と。



8月30日(月)誰のため?
 「自分が不幸のままでは、人を幸せにすることはできない」という言葉を、何度か、本の中で見たことがあります。
 私は、「人を幸せにすることで自分が幸せになれる」と考えています。自分が不幸な時でも、人を幸せにすることを考えれば少なくとも不幸な気もちは小さくなると思っています。

 人がイヤな気分や不幸な気もちになるのは、ほとんどの場合、自分のことを考えていると思います。自分のため(例えば、自分を正当化するため、自分をよく見せたいため、自分を守るため、自分の欲求を満たすため、などのため)に人のことを考えている場合もあります。その場合、「自分のため」は無意識のことが多いと思います。

 「人のため」を一生懸命に考えたら、自分のことは頭から離れます。それで一時的でも、イヤなことを忘れることができます。つらいことをずっと続けたら、体や心のダメージや疲れは大きくなるばかりです。でも、つらいことも休み休みなら続けることができます。生活の中で「人のため」を考える時間をもてば、自分の不幸とも休み休みつきあうことができます。もしかしたら、人を喜ばすことで幸せを感じられるかもしれません。少なくとも人のことをやさしい気もちで考える時間をもつことができます。

 自分のためばかり考えているから不幸から抜け出せない。人のためを真剣に考えれば不幸から離れられる。人のためを考えるのは自分のため。
 「自分のため」から「自分のため」に戻りましたが、わかりますよね。
 そのために何をするかと言えば、「人のため」を考えればいいわけです。わかりますか?



8月31日(火)本当のやさしさ?
 私は最近、“やさしい気もち”という幸せにいちばんこだわっています。
 そこで、よく考えるのが「本当のやさしさは?」ということです。

 相手の気もちを本気で考えられること、相手の将来も考えられること、時にはきびしさが必要なこと、心がこもっていること、心が伝わること、・・・。

 そんな私がまた考えてしまうことに、「中途半端なやさしさはいけない」「その場だけのやさしさではいけないんじゃないか」「自分がやさしくしたい人にだけ、したい時だけすればいい」など。そんなふうに考えるから、私のやさしさはいつも外に出ているわけではありません。それがいいのか悪いのかは、今はわかりません。

 私が考える自分としての“本当のやさしさ”とは、「自分の心がやさしくなっている」ことです。自分が相手のことを、やさしい気もちで考えられ、やさしい気もちで実行できるかが基準です。もし、自分がポーズやムリをしてやっているとしたら、やさしい気もちを続けることはできません。
 自分のやさしい気もちこそが、私が求めるもの(幸せ)なのです。それが得られないとしたら、私にとっては“本当のやさしさ”ではありません。


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