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 ホハレ峠越え 門入キャンプ(1)
                     − 旧徳山村 ホハレ峠 眠りから目覚めた里道

 日本一の貯水量(6億6000万立方m)を誇る徳山ダム(岐阜県揖斐川町)が試験湛水をはじめたのは2006年9月25日のこと。それから約1年、私はネット仲間4人でホハレ峠を越えて旧徳山村の8集落の中で唯一水没しない廃村 門入(かどにゅう)まで歩き、さらに水没してしまった廃村 戸入(とにゅう)の船着場まで歩く1泊2日の旅に出かけた。
 これまで揖斐川町の中心から門入に通じていた町道はダム湖に水没し、現在門入に行くためには永年廃道状態だった旧坂内村川上から延びるホハレ峠越えの山道を歩く道と、ダム湖を船で戸入の船着場まで渡るルートの2つしかない。しかし旅人が門入に行く場合、船を使うのはほぼ不可能であり、ホハレ峠越えが唯一のルートと言える。
 私は2006年8月5日〜6日、ネット仲間5人と水没直前の旧徳山村をクルマで訪ねる旅をした。その時は戸入でテントを張って1泊し、翌日の午前中に門入へ向かった。町道の終点付近ではホハレ峠へ向かうダートの林道が分岐していたが、ネット上の峠越えレポートを読む限りでは、ここからホハレ峠に向かうのはとても難しいように思えた。

 2007年10月6日(土曜日)の天気は快晴。旧徳山村は8度目だがホハレ峠は初めて。川上から林道をクルマで登り、峠のお地蔵さん近くに到着したのは午前10時頃。地域の方のクルマが5台停まっていたが、ここまでクルマで来れるようになったのはこの夏のことだという。道中の無事を祈願したお地蔵さんの前には、数本の杖が置かれていた。
 標高790mの峠から440mの門入までの距離はおよそ6km。ほぼ中間点の黒谷第一砂防ダムまでは沢沿いを下る山道で、その先はクルマも通れる林道。私がリュック二つに振り分けた荷物は約10kg。重い荷物を背負った山道歩きは初体験だが、同行の3人は下見を済ませていることもあり、心配よりも「どんな道だろう」という期待感が強い。
 先導は山歩きの経験が深いMさん。私は2番手で杖はなし。後ろには昨年の戸入キャンプでもご一緒したIさん夫妻。所々に崩落箇所や渡渉箇所がある山道は、しっかりとした踏み跡があり、崩落箇所には握りながら歩けるロープが張られている。季節の花が咲くブナ林は歩いていて楽しいが、ぬかるみの箇所ではすべるので注意が必要だ。
 広々とした砂防ダムの河原を歩き切ると、続くのはクルマも走れるダートの林道。脱いだ上着を腰に巻いて、Tシャツ1枚の歩きが心地よい。スギの並木を通り抜け、無事門入に到着したのは午後12時頃(所要約2時間)。町道を上ってきた足跡と、山道を下ってきた足跡が重なった喜びは格別だ。夜は八幡神社跡の四阿でテントを張って1泊した。

 翌10月7日(日曜日)の天気はうす曇。ホハレ峠を目指して複路を歩き始めたのは午前11時半頃で、隊列はほぼ往路と同じ。昼食は砂防ダムの河原でとるなど、ゆっくりしたペースで林道、山道を歩く。復路では持っていった杖は、崩落箇所では第三の足としてとても役に立った。峠の近くでは、往路では気付かなかった滝を見ることができた。
 ホハレ峠に戻り着いたのは午後2時半頃(所要約3時間)。お地蔵さんに無事を報告して、クルマに戻る途中で、地下足袋を履いたおじさんと出会ってご挨拶。おじさんはマイタケなどを採るため、門入の山小舎に泊まって山に入っていたという。徳山村に生まれ育ち、「ここはいちばんの遊び場」と言うおじさんの表情はとても明るかった。

 「徳山村史」(1973年)では、ホハレ峠は「江州への道」と記されている。歴史的には、門入は揖斐川下流域(旧藤橋村、揖斐川町など)よりも、峠を2つ越えた滋賀県木之本町などと強く係わっていた。しかし、1953年、下流域から徳山本郷と経て門入へ続く車道が開通し、ホハレ峠は生活道の役割を終え、やがて山道は地形図からも消えていった。
 ランプの暮らしが山にあった頃(1960年代頃)は、生活道としての山道(里道)が数多く存在した。時は流れてクルマ社会の現在、昔ながらの里道は皆無になったと言ってよい。しかし、徳山村の自治体規模での廃村(1987年3月)、ダムの堪水による町道の廃道(2006年9月)を経て、ホハレ峠越えの山道は一種の生活道として復活したのである。
 ホハレ峠越え門入までの山道を往復して、この道が復活したのは、ダムからの新道が容易にはできない事情に加えて、かつて門入をはじめ徳山村に暮らした方が村を想う気持ちがあることがよくわかった。「村に行くためには歩くしかない」という、昔ながらの里道の匂いがそこにはあった。水没後の戸入、門入の現況は、(2)、(3)でまとめたいと思う。

    (注) 門入−川上間は、王子製紙の作業道によりクルマが通じた時期があった(1963年事業所開設、65年開通、74年事業所撤退)が、生活道ではなかったので本稿からは割愛した。現在最新版の地形図のホハレ峠はこの作業道上の峠(新ホハレ峠)で、本稿のホハレ峠(旧ホハレ峠)とは異なる。

    * 画像はホハレ峠−門入(黒谷第一砂防ダム)間の山道
     (左:往路の渡渉箇所、右:復路の崩落箇所=Mさん提供)