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 「日本廃村百選」を読んで思う


_________________________________________________________________佐藤 晃之輔

 「働く場」の機会均等こそ

 さいたま市在住の浅原昭生さんが「日本廃村百選−ムラはどうなったのか」を刊行した。廃村という共通テーマを追い続ける友人という縁で、私は同書の「むすび」の文を依頼された。
 そこで「(浅原さんの紹介した)状態を放置すれば、農村地域の広範囲が崩壊し、廃村だらけになってしまう。浅原さんの書から政治家は危機を感じ取り、有効な対策を講じる必要がある」と書いた。こう書きながら、県内の実情を詳しく知りたいと思い、私なりに調べてみた。
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 昭和30(1955)年前後のいわゆる「昭和の合併」で、秋田県内の市町村は4市220町村から8市64町村に集約された。「秋田県町村合併誌」(秋田県町村会編、1960年)などによれば、農村部の人口が最も多かったのはこの時期のようである。合併後、高度経済成長が始まり、農村部から都市部へ、また県外へと人口が流出した。それは年を追うごとに加速し、中山間地域は深刻な過疎化に直面する。
 合併前の「町村」をそれぞれ「地区」と読み替え、昭和の合併時と現在の人口を比べてみると、減少率65%以上の地区は全体(220地区)のほぼ5分の1に当たる39地区だった。さらに減少率80%台が2地区、70%台が17地区だった。
 減少率83%の上岩川地区(三種町)を訪ねた。同地区は三種川とその支流の小又川が流れ、それぞれの川に沿って平地が細長く延び、15の集落(行政区)が散在している。昭和20年代には村役場や農協、小・中学校があったが、昭和の合併で琴丘町となって村役場が廃止され、その後、中学校や農協がなくなり、平成21(2009)年3月には小学校が統合により閉校した。
 合併時2805人だった人口は463人と約6分の1に減少した。小学生の数をみると、旧上岩川小学校の在校生はピーク時の昭和34(1959)年度に473人を数えたが、2019年度はわずかに2人、新年度はセロとなる。
 たまたま出会った60代の男性は「長男は首都圏で生活している。地元に仕事がないので、帰ってきて後を継いでくれとは言えない。近い将来、誰もいなくなるのではないか」と深刻な表情で語った。
 人口減少率65%以上の地区は、多少の違いはあっても上岩川と似た状況にあるのではないか。このまま進むと多くの集落や地区は無人となってしまうだろう。
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 この危機的な状況を脱する策は、働く場を創出することに尽きる。
 鉱業が盛んだったころの県内には多くの鉱山町があった。ほとんどは町の中心部から遠く離れた山間地にあった。昭和30年代の大葛金山(大館市)、宮田又鉱山(大仙市)、湯ノ又地区(北秋田市)の炭鉱などは狭い谷間にびっしりと住宅が立ち並び、都会並みの活気があったという。
 鉱山という資源があったからこそではあるが、その姿は安定した職場があればどんな地域でも反映できるという証しである。中山間地の再生は働く場の創出にかかっている。
 「日本廃村百選」を読むと、どんな奥地の小集落でも全国の至る所に学校(または分校)があったことが分かる。明治以来、日本は教育に力を注いできた。戦後になると「教育機会の均等」が叫ばれ、実行に移された。その結果、どの農山村にも鉄筋コンクリート造りの立派な校舎が建ち、設備や教材は都市部と同じように充実し、教員の数も大幅に増えた。
 この「教育機会の均等」の精神と実践を、次は「働く場の機会均等」に転換して取り組むべきではないだろうか。小学校区には住民のまとまりがあり、生活圏の基礎である。校区にかつての小学校の校舎のように建物を用意し、企業を誘致して働く場を創出するのである。併せて地域おこし協力隊をかつての教員並みに増員して配置してはどうだろうか。
 政府の地域創生や掛け声ばかりで、目に見える成果があがっていない。教育関係者が全国的な運動を展開して教育機会の均等を実現させたように、働く場の均等実現に向けて誰かが行動を起こさなくてはならない。
 その役目を負うのは市町村議や県議などの地方議員ではないか。全国の地方議員が連携して政策の大転換を求めるのである。今やらなければ手遅れになる。


 さとう・こうのすけ 1942年由利本荘市生まれ。由利郡内の小学校冬季分校で助教諭の後、大潟村4次入植。農業。著書に「秋田・消えゆく集落180」ほか。

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 廃村調査20年 浅原昭生さんの新著  村落の多様な姿を記録 

 「日本廃村百選−ムラはどうなったのか」は、廃村調査に取り組んで20年の浅原昭生さん(58)=団体職員、さいたま市=が全国の廃校廃村(学校跡を有する無住集落)百カ所を自選、それぞれの歩みや現状を紹介している。
 廃校廃村は全国に1050カ所あり、浅原さんはこのうち710カ所に直接足を運んだ。百カ所はいずれも自身が強く印象に残った廃村で、全都道府県から1〜4カ所を選んだ。すべてに記念碑、学校跡、神社、墓地などの有無を載せ、現地までの交通手段を添えた。
 本県で取り上げたのは合津(大館市十二所)、東由利原(由利本荘市黒沢)、湯田(美郷町六郷東根)、泥湯(湯沢市高松)の4カ所。合津の項では、成章小学校合津冬季分校の木造校舎が時の経過とともに朽ちてゆく過程を写真でたどっている。
 無住でも田畑が耕され、道路や神社の周辺がきれいに手入れされている廃村も多く、住む人がいなくなっても現地に通い続ける住民が確かにいることが分かる。浅原さんは、「社会全体が縮小していく中で、廃村には将来の社会を考える上でのさまざまなアイデアは埋まっているのではないか」と話す。
 <秋田文化出版・2200円>

        * 「秋田魁新報」朝刊 文化欄(2020年3月23日)より

        * 表紙画像:「日本廃村百選−ムラはどうなったのか」(秋田文化出版、2020年2月20日発行)
        * 現地画像:秋田県三種町上岩川地区 過疎農道の案内板(2015年10月12日(月祝)撮影)