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 廃村の記憶 風化させず

           ◇全国180ヵ所の跡地を訪ね冊子などに記録◇   浅原 昭生

 日本は昨年,予想より早く「人口減少時代」に突入したが,すでにさまざまな理由で人が住まなくなった集落が全国に数多く点在している。私は25年前からそうした廃村に足を運び,写真を撮ったり地域の方に話を聞いたりして記録にとどめてきた。その数は,現在180カ所である。

●作業小屋とお墓のみ

 最初に訪ねた廃村は,大学生だった1981年3月に旅の途中で立ち寄った新潟県巻町(現新潟市)の角海浜(かくみはま)だった。村の名前を地図で確認しながら佐渡が見える海沿いを歩いたが,着いてみると,作業小屋とお墓しかなかった。気になって調べたら,角海浜は巻原発の建設計画の関係で生じた廃村だった。
 大阪の都市部で会社員の家庭に生まれ育った私は,もともと見知らぬ田舎の景色や暮らしに対する関心が強かった。その後,ツーリングを趣味として山奥にも気軽に出かけるようになり,廃村に巡り合う機会が増えた。
 87年から88年ごろにかけては,いずれも集落にとどまらず自治体規模の廃村となった福井県西谷村(にしたにむら;現大野市),岐阜県徳山村(とくやまむら;現揖斐川町)などを訪ねた。
 西谷村は65年の集中豪雨で家屋の9割強が流出したのをきっかけに翌年ダムの建設が決まり,廃村となった。2004年の新潟県中越地震で山古志村(現長岡市)が全村避難となった際,私は西谷村を思い出した。

●ダムに当時の写真

 西谷村から大野市街に移り住んだ吉田吉次さんは,当時の村の様子を写した写真などを張った手製の掲示板をダムのそばに立てている。何度かお会いして話を聞くと「今の暮らしに満足している」とおっしゃるが,記憶を風化させたくないとの思いが伝わってくる。
 徳山村は,完成すれば貯水量では日本一の規模となる徳山ダムの建設計画に伴い87年に廃村となった。66年に予備調査に着手し,紆余曲折を経てダム本体が着工したのは2000年。今秋に試験潅水が始まり,完成予定は08年春という。今も徳山村に残る小学校の鉄筋コンクリート造三階建て校舎の廃虚は,取り壊されることなく水没するのだろう(写真)
 廃村を訪ねて強く感じるのは,集落跡の風景の静けさや寂しさ,のどかさと,昔あった生活を頭に描くことの面白さである。宿泊可能な作業小屋のある集落跡,多くの廃虚が残る集落跡,離村記念碑のみが残る集落跡,痕跡がわからないほどになった集落跡……。その姿は実際に訪ねてみなければわからない。

●過去見直し未来へ

 98年2月には,自分のホームページ内に「廃村と過疎の風景」のページを作った。同じ年の秋,秋田県内の廃村についてまとめた「秋田・消えた村の記録」(無明舎出版)という本と出会い,著者の佐藤晃之輔さんとの交流を続けているうちに,事実を記録することの大切さを発見した。
 廃村への旅を続けていると,さまざまなことを考えさせられる。長崎県小値賀(おぢか)町野崎島の天主堂が残る廃村野首(のくび)では,村民が自給自足の生活を送っていたところに電気が通じ,現金収入が必要になって村の外に仕事を求めたことが離村のきっかけになったと言われている。離島で生活するには,むしろ自給自足の方が良かったのだろう。
 首都圏にも廃村はある。埼玉県名栗村(現飯能市)の廃村白岩(しらいわ)と,秩父市浦山の廃村冠岩(かんむりいわ)を結ぶ鳥首峠越えの道は,今は荒れたハイキング道。だがかつては日常的に村の人々が歩いていた生活道路だっただろうということが,両端の廃村跡地に残る建物から想像できる。
 一方,沖縄の集落史「字史(あざし)」づくりに携わっておられる名桜大学の中村誠司先生は「沖縄本島の伝統的集落は氏神(先祖)が御嶽に奉られているので,簡単には廃村にはならない」とおっしゃっていた。御嶽(うたき)というのは,沖縄の集落の聖地。このことは,沖縄の「長男は家を守る」という気質の強さとも結びついているように感じた。
 現在,私は東京で出版の仕事をしている。その業務での経験を生かして,全国の廃村や過疎の村を旅した記録を01年2月,自費出版の冊子「廃村と過疎の風景」にまとめ,このほど5年ぶりにその第2集を出した。
 国土庁(現総務省)過疎対策室のまとめによると,60年から98年までに全国の過疎地域で消滅した集落は1712にのぼる。過疎地域以外を含めるとその数は2000を超えると思われる。その多くは高度成長期に生じており,国や県による集落再編整備事業により移転した例も多い。
 また,同対策室の99年度の調査では,全国の過疎地域で今後十年以内に419の集落が,十年以降に1690の集落が,消滅する可能性があるという結果が出ている。
 人口減少時代が始まった現在,失われた過去の暮らしを見直し,今後の生き方を考える上でも,廃村を調べ続けたいという思いはますます強くなっている。(あさはら・あきお=団体職員)

        * 「日本経済新聞 朝刊」(2006年3月3日,日本経済新聞社発行)文化欄の記事より

        * 画像は岐阜県旧徳山村の徳山小学校跡(2000年5月2日撮影)