海辺の廃村をめざして その1

海辺の廃村をめざして その1 長崎県小値賀町野崎,野首,舟森

野首の野崎小中学校跡の「自然学塾村」と,野生のシカです。砂浜もある海がすぐそばにあります。



2000/8/11〜12 小値賀町野崎,野首,舟森

# 10-5
待望の夏休みの長崎・四国ツーリングは,長崎県内6泊7日,トータル11泊12日の予定で始まりました。
浦和から堺の実家に立ち寄り,バイクを連れて大阪南港のフェリー埠頭へ。フェリーで1泊して新門司へ上陸。新門司からは良い天気の中およそ九州北部の海岸伝いに佐世保まで行き,フェリーで小値賀島(笛吹港)へ。途中,ちょうど綺麗に夕陽が沈む野崎島に出会えました。
この夜は笛吹の民宿泊。翌2日目は暑いながらも良い天気で,午前中は小値賀島から橋で渡れる斑島(Madarashima)をバイクで散策。笛吹港からの野崎島行きの町営船「はまゆう」は1日2便で,午後2時5分発の便には,私の他に親子連れが3組乗っていました。


# 10-6
六島(Mushima)経由で35分後,船は野崎(Nozaki)の港に到着。どこにでもありそうな地味な港ですが,港を囲む家屋のほとんどは廃屋です。
島で一台という軽トラで迎えにきてくれた「自然学塾村」の管理人さんに荷物を預けて,家族連れの方は学塾村に歩いて行かれました。
ひとり残ってからもしばらくはピンと来なかった野崎の廃屋群ですが,込み入った狭い舗装道を歩いているうちに,まったく人気がないこと,崩れた家屋があること,草に埋もれて通れない道があることなど,確かに人がいなくなった寂しさに満たされていることを肌で感じるようになりました。午前中に回った斑島の活気のある集落と比べると,味わいもひとしおです。

# 10-7
1戸残った家はどこかなと考えていると,人なつっこいイヌ(チョコちゃん)に出会いました。チョコちゃんに誘われるようにして着いた家には,洗濯物が干してあるなど人の気配がありました。
この家に住まれるおじさん(岩坪元成さん)は,島北部にある神島(Koujima)神社の神主さんだそうです。岩坪さんの話によると,野崎から人が居なくなったいちばんの原因は,嫁の来てがなかったからとのこと。野崎を出た方は,お墓まで持っていってしまって,お盆といっても誰も戻らないとのこと(キリシタン集落の野首,舟森の話はわからないとのこと)。岩坪さんも近々越されて,野崎島は無人島になってしまうとのこと。

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# 10-8
町営船も住民がいない島には来ないでしょうから,そのときには野崎島にはチャーター船でないと行けなくなるかもしれません。
「ワイルドパーク」へ向かう道にはシカ除けの柵とゲートがあり,柵の外にも家はあるのですが,ほぼすべて見事に倒壊していました。炎天下に白い小便器が光っています。山に向かう斜面は石垣を積んだみごとな段々畑の跡で,そこにはシカの一群がいました。
私がある程度の距離まで近付くと,「キイッ」と鳴いて,一群で逃げていきました。このあたりは奈良公園のシカとは違う,確かにワイルドな匂いのするシカです。現在野崎島で大手を振って生きているのはシカで,人は小さくなっている感じです。


# 10-9
野崎から歩いて15分ほどで,「自然学塾村」のある野首(Nokubi)に到着。管理人さんに部屋を案内してもらうと,すでに午後5時。
片道1時間はかかると思われる島の南端の舟森(Funamori)に出かけるにはギリギリの時間だったのですが,管理人さんに所要時間を確認した結果,「夕方なら涼しくてよいでしょう」となり,ほとんど原生林という山道を舟森をめざして歩くことになりました。
何度か迷いそうになりながら,茂みをかき分けクモの巣をけちらして着いた舟森の集落跡には,段々畑の跡と教会があったらしい広い敷地が,意外にしっかり残っていました。狭い海峡(津和崎瀬戸)を挟んだ中通島は,集落の様子がわかるくらいの距離です。

# 10-10
その他舟森で見つけたのは,瀬戸物の破片や空きビンぐらいでしたが,廃村から34年も経ったこの地が草木に埋もれない理由もシカにあるようです。つまり畑の跡はシカが若い芽を食べるには絶好の地らしいのです。このあたりの事情は,野崎,野首も同じようです。
「自然学塾村」の宿泊棟は,1960年に建てられた小中学校の校舎跡をそのまま使ったもので,学校は1985年まで続いたそうです。そんな風情をそのまま伝える宿は,町営ということもあって1泊1800円と格安です。ひとり旅ということで,晩飯はカップメンの長崎チャンポンだけで済ましたのですが,自動販売機にはビールがあり,夜の校庭で月に照らされながら飲んだビールはとても美味しかったです。


# 10-11
翌日(長崎3日目)の朝は,学塾村のお膝元で往時の天主堂が残る野首を回りました。段々畑跡の合間に屋敷森が見られます。
野首天主堂は,1908年(明治41年)に建てられたレンガ造りの雰囲気満点の教会ですが,ミサに来る信者は誰もいません。天主堂に施錠はされておらず,扉を開けると朝陽を浴びたステンドグラスが綺麗に光って,廃村前の空気を凝縮したような空間がありました。
野首廃村は,1970年代にキリスト教徒のフランス人とイタリア人が移り住んできたことがあるとか,1980年代の映画「火宅の人」のロケで,緒方拳さんと松坂慶子さんが訪れているとか,話題も豊富です。映画では,整備される前の朽ちた教会が登場します。


# 10-12
自然豊かな野崎島なのですが,天主堂の裏手にはダムが建設されていました。何でも雨が少なく慢性的に水不足の小値賀島へ,海底の配管で水を送るためのダムだそうです。「自然豊かな」島にダムの建設は不似合いなのですが,仕方がないところなのでしょうか。それでも段々畑跡はダムサイトよりも高くまで広がっていて,天主堂やシカ,海とともに,雰囲気は最高です。
野崎の岩坪さんには「何も残っていない」といわれた野首の集落跡ですが,天主堂のそばを歩くと,建物の基礎の石垣,かまどの跡,割れずに残った水がめ,錆びたミシン,町章入りの水道のふたなど,集落があった痕跡はあちこちに散らばっていました。


# 10-13
「自然学塾村」には,水と自動販売機があるということで,集落跡に行っては戻り,浜に泳ぎに行っては戻りで,快適なひとときを過ごすにはこの施設が欠かせないことを実感しました。こんなにジュースを飲んだのは何年ぶりかです。
野崎島からは,前日と同じく午後の便で離れました。途中,津和崎瀬戸では原生林の中に舟森の段々畑の跡がはっきりと見えました。
小値賀島に戻ってから出向いた納島(Noujima)や斑島からも,野崎島の山ははっきり見えました。とにかく野崎島の存在感のある島です。
島の空気にもすっかりなじみ,この夜笛吹の民宿「ちとせ」で食べた鯛茶漬けは,おかみさんの笑顔もあって最高に美味しかったです。



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