「廃村 千選」 〜 京都府



京都府宮津市の廃村 駒倉(Komakura)の離村記念碑です(平成14年8月)。




・編者が確認した京都府の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は6ヶ所です(廃村3ヶ所,高度過疎集落3ヶ所)。

・京都府には,丹後半島に多くの廃村が発生していることが,京都教育大学の坂口慶治教授により発表されています。そのうち「廃校廃村」は5ヶ所(宮津市木子・駒倉,弥栄町味土野,丹後町力石・小脇)です。

・京都府内にはへき地4級校が4つありました(京都市左京区大原大見・久多,美山町佐々里・芦生)。これらの地域は,京都府内では特に積雪が多い地域です。大原大見は高度過疎集落として,その他は過疎集落として存続していますが,学校はすべて閉校となっています。なお,大原大見の分校(大原小学校尾見分校)は昭和47年冬から38年間,休校を続けています(H.22)。
・児童数から見た最大規模の廃校は,丹後町の上宇川小学校虎杖分校です。この分校の校区のうち,小脇(所在地)・三山・竹久僧は廃村となりました。また,丹後町の豊栄小学校力石分校は,昭和39年,力石から神主に移転しました(ともに廃村)。
・京都府の代表的な鉱山として大江町の河守鉱山がありますが,鉱山関係の廃校廃村は見当たりません。
・京都府内で最大規模のダムは日吉町の日吉ダムですが,ダム関係の廃校廃村は見当たりません。
・京都府で最も歴史が古い廃村の学校は,宮津市の世屋上小学校駒倉分校で,明治7年開校,昭和41年閉校,開校期間は92年です。



  集落名 学校名 自治体名 へき地
等級
児童数 閉校年 (特記)
産業・離村時期
*1 (Oohara-oomi)☆
大原大見
大原小学校尾見分校 京都市左京区 4級 27名 (休校中)
昭和47年*
(文 尾越−大見間)
農山村・−

*2
(Kigo)
木子
(世屋上小学校木子分校)
木子小学校
宮津市 3級 26名 昭和47年 農山村・−

3
(Komakura)
駒倉
世屋上小学校駒倉分校 宮津市 3級 23名 昭和41年 農山村・S.47年

*4
(Midono)
味土野
野間小学校味土野分校 (京丹後市)
竹野郡弥栄町
2級 3名 昭和46年 農山村・−

5
(Kowaki)
小脇
(虎杖小学校)
上宇川小学校虎杖分校
(京丹後市)
竹野郡丹後町
1級 74名 平成 3年 (文 鞍内−小脇間)
農山村・S.55年

6
(Kounushi)
神主
豊栄小学校力石分校 (京丹後市)
竹野郡丹後町
1級 16名 昭和51年 (S.39 文 力石より)
農山村・S.53年

(注1) 「廃村 千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」1000ヶ所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 「廃村 千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落(番号欄*印付き)です。また,「へき地学校名簿」には京都府の冬季分校が掲載されていないため,ここでは取り上げられていません。

(注3) 「廃村 千選」における学校は,昭和34年4月以降の小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注4) ◎は編者が訪ねたことがある廃校廃村です。

(注5) ☆は中学校が集落内にあった廃校廃村です(併設校,分校,冬季分校を含む。昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注6) 学校名,へき地等級,児童数のデータは,昭和34年4月現在のものです。( )書きは閉校当時の名称です。

(注7) 閉校年は,原則「全国学校総覧」により1年ごとの所在を比較して調べたものです。再開されなかった休校は閉校と同一に扱っています。

(注8) 市町村名は,説明文が平成15年3月現在,リストが昭和34年4月現在,リスト内( )書きが平成21年8月現在です。

(注9) お気付きの点があれば,お知らせいただけると幸いです。