列島横断 廃校廃村をめぐる旅(6)

列島横断 廃校廃村をめぐる旅(6) 長野県小谷村横川,戸土,___________
________________________新潟県糸魚川市大久保,梶山,上沢


廃村 戸土(とど)の分校跡に建つ小さな記念碑です。



2008/8/3 小谷村横川,戸土,糸魚川市大久保,梶山,上沢

# 31-1
「列島横断 廃校廃村をめぐる旅」も大詰めの第三陣になりました。目標は長野県塩尻市から日本海に面する新潟県糸魚川市までの間の廃校廃村,小谷村横川・戸土,糸魚川市大久保・梶山・上沢・虫川・菅沼,旧青海町橋立の8か所です。その前後にも,いくつかの廃村を訪ねる(再訪を含む)予定です。
日程は,梅雨明けとお盆休みの間の8月上旬,「廃村(3)」の旅の始まり(平成17年8月)と同じく,keikoとのバイク2台のツーリング,3泊4日です(年休の取得は2日)。途中,戸土あたりで,第二陣(飯田市松川入・大平)でご一緒した信州大学の佐合さんと合流する予定を立てました。
並行して進めてきた全国の「廃校廃村・高度過疎集落」リスト作成も、7月中旬にひと通りの見直しが終わり,まとまる見当がつきました。

# 31-2
旅の出発は平成20年8月2日(土),天気は晴れ。泊まりの信州・大町の民宿「ポッポのお宿」は,4年半ぶり(「廃村(3)」では初)の「とほの宿」です。
南浦和出発は朝8時。keikoの希望もあり,高速は関越道所沢IC〜本庄児玉ICのみで,R.462を通って群馬県上野村,ぶどう峠通行止のためR.299を通って十石峠,長野県旧八千穂村,麦草峠を経由して,諏訪湖に到着したのは午後3時40分。この日は廃村には立ち寄らない淡々とした走りです。
塩尻峠を越えて塩尻市街、R.19とR.20の交点(高出交差点)から先は第三陣の道になります。松本市街を避ける安曇広域農道は,ロードサイドショップがいっぱいです。大町市街を過ぎて,大町スキー場間近にある「ポッポのお宿」到着は夕方6時40分。この日の走行距離は327kmでした。


# 31-3
旅2日目(8月3日(日))の起床は朝5時頃。霧の中,単独でバイクで出かけたのは旧美麻村高地,廃村(3)の旅の最初に訪ねた廃村です。
3年前,ガケ崩れで通行止になっていた高地に向かう県道は,補修がなされて,無理なく通れるようになっていました。高地分校跡到着は6時20分。バイクで来れてひとまず満足。3年前は綺麗に光っていた離村記念碑は,泥で汚れてくすんでいました。荒い気象の中,碑を守るのはたいへんなことです。
気さくな宿主さんの見送りを受けて「ポッポのお宿」出発は朝8時40分。途中 白馬村では,青空をバックにした北アルプスの稜線が綺麗でしたが,反対車線から30台を超えるバイクの大軍が二度,三度とすれ違って驚くことしきり。同じ車線で巻き込まれなかったのは幸いでした。

# 31-4
小谷村に入ってすぐ,昨秋歩いて行った廃村 真木までの道の出発点 JR南小谷駅は素通り。南小谷から先のR.148はスノーシェッド(洞門)がたくさんで,雪の深い場所に来た実感が湧きます。一度新潟県に入って平岩駅で一服。ここから一度山に入り,横川(Yokokawa)という廃村を目指しました。
姫川を渡って長野県に戻り、2kmほど走ると大網という集落があります。この辺りには「塩の道 千国街道」という糸魚川から松本へ海産物を運ぶことで栄えた古道があり,大網には旅籠もあったとのこと。道沿いの大きな木造二階建ての校舎,旧北小谷小学校大網分校(へき地等級1級,児童数46名(S.34))は,平成5年まで存続しました。現在分校跡は,日本アウトワード・バウンド協会という団体が,冒険教育の拠点として活用しているとのことです。



# 31-5
大網を過ぎて 笹野から先の道には人気がまったくありません。林道から分かれた横川へ向かう道は,急な下りのダート。keikoに「待っているか」と問いかけると,「行かなきゃしょうがないでしょ」との返事。慎重にダートを1kmほど下ると,橋の手前に「塩の道」の道標が見つかりました。
道標には「横川集落跡 0.4km」と記されており,橋から集落跡までは歩いて行きました。荒れた山道を上り,一軒の作業小屋が建つあたりが横川の集落跡(標高580m)で,道標も立っていました。北小谷小学校横川冬季分校は,へき地等級3級,児童数6名(S.34),昭和43年閉校。作業小屋の近くを探索すると,小さなお地蔵さんがいてホッと一息。横川から先,鳥越峠を越えて戸土(Todo)までは約4km。歩いてならば行くこともできそうです。

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# 31-6
バイクで横川から戸土へ行くには,新潟県平岩,根知を経由しなければならず,約20kmあります。根知谷のシーサイドバレースキー場に食事処があったので,ここで一休止。佐合さんの携帯に電話をすると,「近くにいます」とのことで,食事処で待ち合わせて一緒に昼食をとることになりました。
今回は佐合さんも二人連れ(山梨の中山さん)。戸土から先の廃村には4人組で出かけることになりました。手前の集落 別所から戸土までは約4km。途中にある大久保(Ookubo)集落跡は通過して,狭い舗装道を上っていくと,「山菜・栽培類の採取をおことわり致します 戸土部落」という看板が立った三差路に到着。右の砂利道をしばらく進んだところ,左手には大きな個人の頌徳碑が,右手には草に埋もれそうな分校跡の碑がありました。

# 31-7
北小谷小学校戸土分校は,へき地等級3級,児童数31名(S.34),昭和46年休校,昭和49年閉校。小さな碑が立つのみの分校跡は,車道の終点の駐車スペースを兼ねている感じです。バイクとクルマを分校跡に停めて探索すると、2戸の家屋が見つかりましたが,地域の方の姿はありませんでした。
作業家屋のそばに「薙鎌の境の宮 参道入口」という道標があったので,山道を上っていくと,ほどなく宮社が視界に入りました。
薙鎌(なぎかま)とは20cmほどの小さな鎌で,境の宮では信州 諏訪大社の御柱祭と連動して薙鎌打ちの神事が行われるとのこと。境内は根知谷を見下ろす高台にあり,この日は霞んでいて見えませんでしたが,「戸土は信州で唯一 海が見える集落」ということが実感できました。


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# 31-8
戸土入口の三差路の左側の砂利道(押廻,中股方面)にも行ってみましたが,急な坂はバイクが下りるのがやっとで,佐合さんはクルマを置いて歩くことになりました。「無理はやめよう」となり,それほど進まない場所を探索すると,大きな往時からの建物を見つけることができました。
急坂の上り下り、keikoは「すごくこわかった」そうで,行止まりの戸土は「とどのつまり」として記憶に残ったとのこと。
大久保まで戻って,「しろ池の森」の看板がある三差路で小休止。上根知小学校大久保冬季分校はへき地等級2級,児童数12名(S.34),昭和40年閉校。大久保でも地域の方には出会わずです。新しい家屋が建ち,昔ながらの雰囲気が薄い様子に,三差路の周囲を見回るだけとなりました。


# 31-9
次に目指したのは,梶山(Kajiyama)集落跡ではなく,梶山新湯 雨飾温泉でした。この日はとても暑く,メンバーを考えても「廃村探索を続けるよりは温泉でのんびりするほうが得策」と思ったからです。雨飾温泉の宿は,温泉宿というよりも山荘という雰囲気。ほとんど相談なしで決めた温泉行きですが,温泉に入った後もオレンジジュースなどを飲みながら,温泉宿の休憩室の畳に座ってぼんやりするひとときは,みんな心地よい様子でした。
宿の方に梶山集落跡のことを訪ねると,「木戸橋を渡ったところから道を入ったところに,廃屋が残っている」と教えていただきました。また,根知谷では大久保・梶山・西山・蒲池など6つの集落が無人となり,大学の研究者が廃村につながった理由を調査に来たこともあるとのこと。

# 31-10
雨飾温泉を出てからは佐合さんのクルマが先導となり,梶山集落跡の探索も佐合さんが先導する形となりました。狭い舗装道には急坂もあり「大丈夫かなあ」と思いながらでしたが,舗装が終わる場所までクルマ,バイクとも到達することができました。
keiko,中山さんには駐車スペースで待ってもらい,その先の山道は佐合さんと私のふたりで歩きました。「どこに続いているのかな」と思うと,行止まりの場所には神社の跡と2つの石碑があり,「大瀧用水紀念碑」と刻まれた石碑には天保の年号がありました。上根知小学校梶山冬季分校はへき地等級2級,児童数16名(S.34),昭和40年閉校。梶山でも地域の方には出会わず,分校跡がどこなのか見当がつきませんでした。

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# 31-11
木戸橋は予想よりも下手にあり,橋から道を入ってすぐの場所にあったトタンが打ちつけられた家屋が,雨飾温泉の方が教えてくれた廃屋の様子です。
最後に目指した上沢(Kamizawa)は,住宅地図では2戸記されていて,人気があることが推測されます。この日は人気がない「いかにも廃村」という場所ばかり回っていたこともあり,たどり着いた上沢に畑や植えられた花があり,集落の雰囲気を感じたとき,4人ともホッとした様子でした。
農作業をされている年配の女性(Kさん)がいたのですが,先導の佐合さんは私に声をかけてほしい様子です。少し緊張気味の私の挨拶に,Kさんはほがらかに応えてくれました。「分校跡を探しに来ました」と話すと,「少し下手の赤い屋根の建物が冬季分校の跡ですよ」と教えていただきました。



# 31-12
上根知小学校上沢冬季分校はへき地等級2級,児童数8名(S.34),昭和40年閉校。学校跡の雰囲気は薄かったのですが,建物が残っているとは思わなかったので,喜んだことしきりです。Kさんに集落の様子を尋ねると「昨秋,最後の方が引っ越されて,通年過ごす方はいなくなった」とのこと。
上沢を後にして,鄙びた酒屋の店先で缶ジュースで乾杯して,中山さんに廃村めぐりで印象に残ったことを尋ねると,「浅原さん,佐合さんが楽しそうに探索していたこと」とのお返事。佐合さん達のクルマと分かれたR.148の根知谷入口交差点から糸魚川市街はほど近く、6時半頃には夕陽が落ちる日本海にたどり着くことができました。私は目標の太平洋からの列島横断達成に、keikoはバイクで初めての日本海に,満足できたひとときでした。


# 31-13
この日の走行距離は150km。延べ日数6泊7日で走った太平洋(静岡県磐田市 天竜川河口)から日本海(新潟県糸魚川市 姫川河口)までの全走行距離は636km(直線距離は270km,中間点は長野県大鹿村鹿塩あたり)。訪ねた廃校廃村は18か所。旅を振り返ると,日本列島がずいぶん大きく感じられます。
もうひとつの目標,長野県の「廃校廃村・高度過疎集落」24か所(当時)全訪も,戸土を訪ねることで達成できました。
泊まった糸魚川駅前の「かざま旅館」は,昔ながらの商人宿。この夜,糸魚川では「おまんた祭り」の花火大会があったのですが,旅の疲れからかふたりの動きは鈍く,花火は駅前通りからちらっと見るぐらいに留まりました。keikoとビールで乾杯をして食べた焼き肉は,とても美味でした。

(追記1) 旅出発2日前の7月31日(木),TBS「徳光和夫の感動再会“逢いたい”」に「廃村で出会ったおばあさんに逢いたい」というテーマで出演しました。取り上げた廃村は,平成11年10月に出かけた秋田県旧鳥海町の袖川です。旅1日目,上野村の道の駅で昼食をとっていると,食堂の方から「今日はどこへ行くんですか」と声がかかり,照れることしきりでした。

(追記2) 各冬季分校の閉校年は,小谷村教育委員会,糸魚川市教育委員会の方に教えていただきました。



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