小谷村・「暮らし」が続く萱葺き屋根の廃村へ 長野県小谷村真木




廃村 真木(Maki)の萱葺き屋根の大きな家屋(真木共働学舎)です。


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11/25/2007 長野県小谷村真木

# 23-1
平成19年9月,京都の大学(京都精華大学)の教授(山田國廣先生)から「廃村をテーマとした講義」の依頼があり,検討の結果,月末にはその概要と日程が決まりました。タイトルは「日本の廃村の現状とこれから」,時期は平成20年1月中旬です。
講座(総合講座U)は,連続講演会形式(半期,全15回)で,対象は人文学部(文化表現学科,社会メディア学科,環境社会学科)の1回生とのこと。
「現状」は,北海道から東北,関東,甲信越,東海,北陸,関西,中国,四国,九州,沖縄と,地方別にひと通りの様子をまとめ,同時に鉱山,炭鉱,ダム関係,離島,戦後の開拓集落,林業集落,冬季分校,へき地5級校など,テーマ別の紹介を行うということで,素案を作りました。

# 23-2
もうひとつの「これから」は,「かつて村があった地が,現在どのような形で活用されているだろうか」を考えることにしました。宿泊施設,新しい住民の居住地,観光施設,別荘地などが考えられますが,私が魅力を感じるのは,その土地の風土になじんだ,往時の雰囲気を生かした活用例です。
思い浮かんだのは,宿泊施設では岩手県川井村のタイマグラ,長野県飯田市の大平宿,豊丘村の野田平,長崎県小値賀町の野崎島,新しい住民の居住地では長野県伊那市(旧高遠町)の芝平,小谷村の真木,観光施設では福井県南越前町(旧今庄町)の板取,沖縄県竹富町の由布島,別荘地では秋田県鹿角市の切留平,山梨県甲斐市(旧敷島町)の大明神などです。足を運んだところはその雰囲気がわかるので,講義にも積極的に使うことができます。





# 23-3
かつて北国街道の関所・宿場が置かれた板取(Itadori)は,雪深い不便さのため昭和57年頃廃村となりました。しかし,往時の茅葺き屋根の民家が保存されており,そこに行政が募った新しい住民が暮らされているとのこと。「これは是非見ておこう」と,11月10日(土),関西出張の機会を生かして足を運びました。観光の方が歩く石畳の舗道,洗濯物が干される萱葺き屋根の家屋には,往時の雰囲気をうまく残した観光施設のように感じられました。
由布島(Yubushima)は,西表島から水牛車で訪ねる熱帯植物園がある観光地です。西表島には二度足を運んだことがあるのですが,昭和40年代の由布島に高潮の被害にかかわる集団離村の歴史があることを最近まで意識しませんでした。思いつきで行ける場所でないだけに,残念なところです。

# 23-4
もうひとつ,思い浮かんだけれど足を運んでいなかったのが小谷村の真木(Maki)です。大きな萱葺き屋根の家屋があり,映画「楢山節考」のロケ地になったという山間の小集落 真木(標高1030m)は,昭和47年に全戸転出となりました(「小谷村誌」より)。しかし,昭和53年,共同生活を行う団体(共働学舎)の方々が移り住み,以来,自給自足の暮らし(夏は主に農耕,冬は機織りや木工製品の製作など)の生活を営まれているとのこと。
今も真木に通じる車道はなく,たどり着くためには1時間半の山道を歩かなければならないとのことで,ここも講義の前に見ておきたくなりました。調べたところ,浦和から日帰りで行くことも可能のようです。すでに白馬・栂池のスキー場は開業しており,雪景色を楽しむこともできそうです。

# 23-5
日帰りの真木への旅は11月25日(日)に実行しました。JR新宿駅発朝7時の特急「あずさ」に乗って,松本で大糸線のローカル電車に乗り継いで南小谷駅に到着したのは11時17分。長い道のりですが,景色を楽しみながら過ごす時間は,講義内容を整理するにはちょうどよいひとときです。
天気はすこぶる良く,北アルプスの山々もすっきりと見えます。雪は,青木湖を過ぎた辺りからちらほら見られるようになりました。
南小谷駅から真木までは約4km。南小谷小学校を過ぎて,共働学舎のポストが置かれた三差路が真木への山道の入口です。坂を上がっていくと雪の量も多くなってきましたが,雪はよく踏まれておりスニーカーでも歩ける程度です。峠では視界が広がり,日差しも暖かくてとてもよい気分です。



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# 23-6
峠から先はクルマが入れない山道です。川に沿った谷間は日影になっていて,ずいぶん寒い感じがします。「峠を越えて,橋を渡り」を二度繰り返し,日当たりが良い丘の上に広がる真木に到着したのは12時50分。往路では,途中誰とも出会いませんでした。
真木に残る往時からの萱葺き屋根の家屋は5棟ほど。真ん中の大きな家屋には,真木共働学舎の表札があり,声をかけてみたのですが留守の様子です。
集落は整然としており,家屋の周りにはバスケットボールのゴールやブランコがあり,いわゆる廃村の雰囲気ではありません。往時の雰囲気は色濃く残っているのに,人気がないのがアンバランスです。昼食を買い忘れたので,何となく落ち着かない中,アメをなめてひとときの休憩となりました。

# 23-7
分校跡を探そうと周囲を探索してみましたが,少ないとはいえ積雪の中,歩くことができる場所は限られています。いちばん奥の家屋を過ぎて少し行くと踏み跡はなくなり,戻らざるを得ません。振り返ると,目の前に北アルプスの稜線が広がっており,景色の良さも特筆ものです。
大きな萱葺き屋根の家屋に戻ると,ちょうど共働学舎の方が二人戻られていたので,挨拶をして分校跡の場所を尋ねると,山羊が飼われている小屋のほうに少し歩いた場所にあるとのこと。また,真木の冬は2m以上の雪が積もることもあるが,通年ここを離れることなく暮らされているとのこと。
お礼をいって分校跡への道をたどると,小さく広がった敷地の中に「真木分校跡地」の標柱と建物の土台を見い出すことできました。

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# 23-8
南小谷小学校真木分校はへき地等級2級,児童数6名(S.34),昭和43年閉校。古い地形図を見ると真木に通じる道は3つあり,真木の北側には祖子山,屋太郎,南側には穴ノ当,松ヶ尾という小集落が記されているのですが(南小谷は真木の西側),これら小集落はすべて廃村になっています。
往時の雰囲気が色濃く残るのは,クルマが入ることができない不便さだからこそなのでしょう。冬の真木の暮らしは厳しいことが想像されますが,不便さならではの楽しみがあるように思えてなりません。またそれは,共同生活だから成し得ることのようにも思えます。
お地蔵さんに挨拶をして,真木を後にしたのは午後2時半頃。復路では,それぞれ単独で,4人の共働学舎の方と出会いました。



# 23-9
4時頃には南小谷駅に帰り着き,白馬駅から長野駅を急行バスでショートカットすると,夜7時20分には大宮駅に到着していました。
途中,白馬駅前のマクドナルドで,ハンバーガーをかじったとき,「田舎暮らしは憧れても,なじめるものではないだろうなあ」と感じました。
「日本の廃村の現状とこれから」の講義は,平成20年1月16日(水)に行われました。学生には「廃村の活用策について,2つ以上提案してください」という課題が出されました。「映画のロケ地とする」,「自然を体験できる場所にする」,「田舎暮らしがしたい方に提供する」など,いろいろな活用例が提案されましたが,「現存の家屋はなるべくそのまま残す」,「その土地の伝統を大切にする」という声が多く見られたのが印象的でした。



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