人はなき村を見守る地蔵さん 京都府伊根町足谷,吉谷,福之内,
______________________________________________田坪,丹後町三山

〜丹後半島廃景色 その3〜



「人はなき 村を見守る 地蔵さん」 足谷集落跡に残っていた地蔵尊です。


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8/15/2002 伊根町足谷,吉谷,福之内,田坪,丹後町三山

# 14-1
伊根町筒川文化センター(旧筒川小学校)は,鉄筋三階建ての立派な建物で,運動場も広く,いわゆる山里の小規模校ではありません。
筒川は旧行政村の名称(与謝郡筒川村)で,昭和29年に合併で伊根町になりました。筒川本坂はその中心集落です。入口の脇にあった筒川小学校跡の碑によると,閉校は平成6年。平成になって少子化が進み,この規模の学校の閉校は増えていくのかもしれません。
泊まった部屋は三階にあり,広い部屋にベッドが3つ。階段や廊下は小学校の雰囲気そのもので,とてもなつかしい気分になりました。
この日は,地元のスポーツサークルの合宿や家族連れの海水浴などに使われていて,7つある部屋は満室だったようです。


# 14-2
3日目(8月15日 木曜日)の目標は,低位集落(標高110〜240m)の伊根町足谷,吉谷,福之内,田坪で,すべて筒川の支流にある行止まり集落です。それに前日,通り雨のため行けなかった丹後町三山(虎杖小学校校区の集落)を加えました。
伊根町の4つの廃村はすべて旧筒川村にあり,筒川小学校の校区にあったと思われるので,筒川文化センターから向かうのはちょうど好都合です。いちばん近い廃村の足谷までの距離は2km弱しかありません。広間には「足谷の廃屋」という萱葺き屋根の廃屋を描いた絵画が飾られていたり,階段の踊り場には各集落が載った生徒の作品らしい古くて大きな地図があったりで,雰囲気満点です。

# 14-3
足谷(Ashitani)への出発は午前6時35分。天気は薄い雲がかかりながらも晴れです。府道からの分岐道は整った舗装道で,電柱もあることから,手入れされた廃村であることが予想されます。バイクということで6分で到着しました。
足谷の標高は120m,明治5年頃の戸数は22戸,昭和55年に廃村化したとのこと。まず進行方向に手入れのなされた廃屋が一軒。廊下にはキリンビールの木のケースが見えました。振り返ると錆びた入母屋型の屋根が草に埋もれていましたが,近付けそうな雰囲気ではありません。
舗装が途切れた道を歩いてみると,お地蔵さんを発見。「人はなき 村を見守る 地蔵さん」はほほえましい詠歌です。


# 14-4
二つ目の廃村 吉谷(Kittani)は,筒川本坂から3kmほど。足谷と吉谷は直線距離だと500mほどですが,山越えの道は今はなく,府道に戻らないと行けません。府道からの分岐道は荒れた舗装道で,電柱はなく,道を間違えたのではないかと思うほどでした。
吉谷の標高は140m,明治5年頃の戸数は42戸,昭和52年に廃村化したとのこと。「もうすぐ集落跡かな?」というところで「一般車通行禁止」の看板があり,急に草が深くなりました。迷いながらバイクを走らせると,すぐに道は草に埋もれてたどることができなくなりました。
結局,吉谷集落の痕跡は,府道からの分岐のすぐそばの「吉谷橋」(昭和48年架橋)という橋の名称板だけしか見つかりませんでした。


# 14-5
吉谷からは一度筒川本坂の方向に戻って,反対方向の集落 滝根に向かいました。昨夜,滝根で酒が置いている雑貨屋(なぜか看板はなし)を見つけていたので,ここで朝食を摂り,その足で福之内に向かおうと計画したからです。
滝根到着は午前8時20分。幸いお店は開いていましたが,パンや牛乳といった鮮度が問われる商品はありません。しばし考え,カップやきそばを頼むことになりました。お湯を入れてもらい,店の前でビールケースに座って食べるやきそばは,なかなかに美味でした。しかし,ちょっとしたものでも町の中心までクルマで行かなければ買えないというのは,日常生活を送る上ではちょっと辛そうです。

# 14-6
三つ目の廃村 福之内(Fukunouchi)は,筒川本坂から5kmほど(滝根から3kmほど)。府道からの分岐道は綺麗な舗装道で,電柱もあり,途中には棚田が広がっていたりで,今回巡った丹後半島の廃村の中ではいちばん明るい雰囲気があったように思います。
福之内の標高は220m,明治5年頃の戸数は18戸,昭和44年に廃村化したとのこと。お地蔵さんに挨拶すると,ほどなく集落跡の碑がありました。碑の背後に手入れのなされた廃屋があり,ちょうど管理をされている方が駐車場にいたので,お話を伺うことができました。
現在福之内に残る家屋はこの一軒だけで,道は今年になってから補修されたとのこと。碑は昭和58年建立,14名の村人の名前がありました。


# 14-7
福之内からは再び筒川本坂に戻って,筒川文化センターの部屋で荷造りしました。のんびりしてしまい,出発は10時半を過ぎていました。
四つ目の廃村 田坪(Tatsubo)は,筒川本坂から5.5kmほど(手前の集落 寺領から1.5kmほど)。寺領から田坪に向かう分岐道の始まりのすぐ右手に,真新しいお地蔵さんが入った建屋があり,バイクを降りて挨拶すると,建屋には「たらちねへ 祟る百々代の 地蔵尊」という詠歌に合わせて「平成13年 田坪の地より移転」と記されていました。
田坪のお地蔵さんは,ついに無人の村を見守ることをあきらめて,里まで降りてきた様子です。


# 14-8
田坪の標高は240m,明治5年頃の戸数は14戸,昭和42年に廃村化したとのこと。坂口先生の論文によると,離村の直接のきっかけは豪雪と大火の二重の災害とのこと。
道は途中からダートになり,電柱も見当たりません。お地蔵さんまで降りてきているということで,集落の痕跡探しにも力が入りません。
集落の中心だったらしい橋がかかった箇所には,小さな滝と滝壷がありました。「滝壷があるから田坪なのかな?」などと思いながら探索して見つけたものは,滝壷の近くの上りの脇道に敷かれたコンクリートの舗装だけでした。

# 14-9
田坪からは山を登って,標高400mの丹後町 碇高原総合牧場へ。「亡び村」によると,碇高原には虎杖小学校校区の集落(三山,乗田原など)の田畑があり,村人達は長い坂道を登って耕作に足を運んでいたとのこと。そして京都府や丹後町が進める観光化(丹後半島縦貫林道の建設と総合牧場の建設)のための土地買収の話が,三山の集団移転を決定付けたとのこと。
また,坂口先生の論文の廃村のリストには碇開拓という名前があり,戦後の短い期間,この地に開拓集落があったことがわかります。
総合牧場は観光地として定着しているらしく,旧筒川村とは別世界の賑わいがあり,牧場の中心にあるステーキハウスは満員でした。

# 14-10
ステーキハウスのある建物でアイスクリームを食べながら休憩していると,またもや強い通り雨がありました。困ったものなのですが,「いつも雨宿りできる場所があるのはラッキー!」などと思いながら30分ほど雨宿りをしました。しかし,碇高原から三山に向かう細い舗装道を下っていく途中,ちょうど廃村 乗田原(Notagahara)のあたりの雨宿りできない場所で,ついに通り雨に捕まってしまいました。
五つ目の廃村 三山(Miyama)に到着したのは午後12時45分。碇高原からは4kmほど(虎杖小学校からは2kmほど)。雨は三山到着とともに小降りになったのですが,ずぶぬれになってしまい,ズボンを脱いで絞るなど身づくろいで精一杯という状態です。


# 14-11
三山の標高は110m,明治5年頃の戸数は35戸。昭和50年,池井さんが虎杖小学校から離任して3年目に廃村化したのですが,「亡び村」には「他の集落とは異なり集団移転できたことは,村人達が集結して過疎問題に取り組んだ成果」との旨が綴られています。
現在,三山には川沿いに山の家という雰囲気の家屋が5軒ほどあり,「三山之跡」という石碑が「三山荘」という山荘の前に建っています。
ほど近い虎杖小学校跡は,昨日も通った宇川に沿った府道沿いの高台にあり,現在は鞍内キャンプ場として整備されています。鉄筋二階建ての校舎は,往時の雰囲気そのままに残っており,中にも入れるようでした。ゆっくりする時間がなかったのは残念なところです。



# 14-12
虎杖小学校跡から先は幸い通り雨もなく,経ヶ岬,新井の海沿いの棚田,伊根の舟屋といった一般的な観光スポットにも足を運びました。
2泊3日で16ヶ所の廃村と過疎集落を回るというのは,やはり慌しかったかもしれません。しかし,そこに廃村があると思えばできるだけたくさん回ってみたくなるものなのです。結果,丹後半島の廃村群のおよその様子はわかったので,十分満足することができました。
堺の実家着は午後8時20分(伊根からちょうど4時間)。ルートはR.178からR.176,R.9,福知山ICから舞鶴道,中国道,そして阪神高速。お盆の中日のためか阪神高速は空いていて,池田ICから堺ICまでの32kmが20分で走れてしまいました。




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