本州唯一のへき地5級校を訪ねる旅

本州唯一のへき地5級校を訪ねる旅 青森県佐井村牛滝,
__________________________________________岩手県川井村タイマグラ


下北半島の漁業集落 牛滝の真冬の夕暮れです。右側の灯かりが本州唯一のへき地5級校 牛滝小中学校です。



2004/1/29〜31 佐井村牛滝,川井村タイマグラ

# 26-1
皆さんは「へき地学校」ってご存知でしょうか? 全国のへき地学校の総数(平成15年,特別地・準へき地を除く,休校中の学校を含む)は4178校(小学校3016,中学校1162)で,全公立小中学校(33749校)のおよそ12%にあたります。
おおまかに「へき地(僻地)」の意味をいうと,「都から離れた不便な土地」となるようです。学校教育関係で使われることが多く,「へき地教育振興法」では,「へき地学校」を「交通条件及び自然的,経済的,文化的諸条件に恵まれない山間地,離島その他の地域に所在する公立の小学校及び中学校(中略)をいう。」と定義しています。

# 26-2
へき地学校の等級(1級〜5級)は,その数字が大きいほどへき地の度合いは高くなります。
この級数の判断は,「へき地教育振興法施行規則」により定められており,判断要素は「駅又は停留所,病院,診療所,高等学校,郵便局,教育委員会,市の中心地,県庁所在地又はこれに準ずる都市の中心地,船着場までの距離」などです。
この等級によって,教員にはへき地手当が支給されます。その値は本俸に対する付加額で示され,1級が+8%,2級が+12%,3級が+16%,4級が+20%,5級が+25%となります。また,児童・生徒に対しても,修学旅行費の補助などがあります。

# 26-3
廃村や過疎集落を巡る旅を続けている私が,「へき地5級校とはどんなところだろう?」と関心を持つのは自然な流れです。「へき地学校名簿」(教育設備助成会刊)を見つけて,最初にやってみようと思ったのが,当時の全国のへき地5級校のリストアップです。
調べによると,昭和34年に全国の山間地・離島にあったへき地5級校の数は386校(小学校231,中学校155)。この中には岐阜県旧徳山村門入,滋賀県永源寺町茨川,長崎県小値賀町野崎島,奈留町葛島といった,足を運んだ廃村の学校も含まれていました。
また,リストアップで,北海道中川町板谷,大和,山形県朝日村枡形,高知県本川村殿御舎といった廃村を見つけることができました。

# 26-4
「今のへき地5級校はどんな様子なんだろう?」と,「へき地学校便覧 2001年版」(全国へき地教育研究連盟刊)を調べてみたところ,平成12年現在,全国で181校(小学校106,中学校75)でした。
これを山間地(離島を除く,休校中の学校を除く)に限ると,昭和34年の194校(小学校114,中学校78)に対して,平成12年はわずか5校(小学校3,中学校2,平成15年も同じ)。山間地のへき地5級校が急減した理由は,合理化による小規模校の閉校,集落の廃村,交通手段の改善による級数の変更(5級→4級・3級)が挙げられ,平成2年にはすでに9校(小学校6,中学校3)にまで減少していたようです。

# 26-5
現存する5校とは,北海道新得町トムラウシの富村牛小中学校,青森県佐井村牛滝の牛滝小中学校,熊本県泉村樅木(五家荘)の泉第八小学校です。小中学校を1校とカウントすると,全国で3校,北海道,本州,九州で1校ずつ残っていることになります。
「一度現役のへき地5級校を訪ねてみよう!」とこの中から選んだのは,青森県下北半島の佐井村立牛滝小中学校です。「真冬のほうが,その様子がよくわかる」と考え,冬季分校巡りの流れで,1月末に訪ねることになりました。訪ねるにあたっては,1か月強前から小学校の教頭先生(西久保教頭先生)に手紙で「訪問したい」との旨を連絡して承諾を受け,日程の調整をしました。

# 26-6
牛滝は下北半島の西海岸沿いの漁業集落で,規模は54戸,164人(平成16年)。近くに仏ヶ浦という景勝地があり,夏は観光の方も訪ねられるようで,「まるた旅館」という宿があります。青森から定期船(夏季2往復,冬季1往復)があり,所要時間は1時間40分です。
この情報だけだと,それほど不便さは感じられないのですが,冬季(11月〜3月)は海がしけて,定期船は3日に一度ぐらいしか運行されないとのこと。陸路だと佐井村の最寄の集落 福浦までは13km。バスはもう一つ先の集落 長後までしか走っておらず,距離は21km。最寄のバス停は反対側の内陸部 川内町畑にあり,距離は18km。いずれも歩いて行ける距離ではありません。

# 26-7
船はあてにならないので,陸路の手配を考え,「まるた旅館」の方に問い合わせたところ「送迎はやっていない」とのこと。レンタカーを借りる手もあるけれど,慣れない雪道は走りたくない。青森市街から畑までは141km,長後までは175km,どちらも鉄道とバスの乗継だと5時間ぐらい。下調べの時点で「船が動かなければ,牛滝まではヒッチハイクしかないかなぁ・・・」と覚悟を決めました。
冬季分校巡りを終えて,青森市街に着いたのは旅4日目の1月28日(水曜日)の午後6時。天候は弱い雪に弱い風と,比較的おだやか。気温は−1℃ぐらい。この夜は「体力を蓄えておこう」という気持ちから,お酒は少なめにして,11時には就寝していました。

青森港に停まる高速船「ほくと」

# 26-8
翌1月29日木曜日(旅5日目)の起床は6時半。朝食を食べにアウガの地下の魚市場に出かけると,空は青空で風もほとんどありません。下北汽船に電話をすると「佐井行きの船は出航する」とのこと。ラッキーなのですが,少々あっけなくもありました。
高速船「ほくと」は,青森港9時40分発で,運賃は3260円。お客さんは数少なく,観光らしき方は皆無です。途中脇野沢港を経由して,牛滝港に到着したのは11時20分。雪の積もった突堤に降り立つと,「ついに到着した」という感慨がありました。
後で伺った話では,この日の便は1週間ぶりに動いたとのこと。やはりこれは,運が良いと解釈すべきでしょう。

....

牛滝港・雪の積もった突堤                                 牛滝集落の真新しい商店

# 26-9
牛滝も風のない青空で,まぶしい雪景色はとても綺麗です。港には大きな漁協の施設があり,集落には商店や地区センターをはじめ,新しい建物が目立ち,ひなびた雰囲気はありません。後で伺った話では,牛滝に住む方の9割堅は漁業関係の仕事をしており,牛滝漁港の漁獲高は近辺の集落の中でも高いとのこと。「仕事があること」の重要さが強く感じられるところです。
「まるた旅館」に荷物を置いて,集落のいちばん山側に位置する牛滝小中学校に着いたのは12時ちょうど。入口で学校を出て行く子供たちの集団と遭遇したのですが,子供たちは全員昼食を食べに一度家に帰るそうです。

集落のいちばん山側に位置する牛滝小中学校

# 26-10
校長室に通されて,西久保教頭先生にお話を伺ったり,校内を案内してもらったりしました(校長先生は出張のため留守)。
牛滝小中学校は,教職員が11人で小学生9人,中学生11人(うち先生1人と中学2年生5人は校外学習のため留守)。校舎は昭和51年建立の鉄筋2階建て。家は昼食を食べに戻れるほど近く,校舎は広くて新しい。天気が良いこともあり,不便な感じはほとんどありません。
しかし,運動場や校門を出たところにある小さめの家は教員住宅で,通常先生方は,家から月曜日に出勤したら金曜日まで教員住宅に泊まられるとのこと。その辺りの不便さは,やはりへき地5級校です。

# 26-11
明日の朝の集会でお話と三線を弾くことになり,この日は校長室で調べものをしたり,集落を探索したりと,のんびりした時間を過ごしました。牛滝の集落は,漁協,港,学校,郵便局,地区センター,商店,診療所,お寺,神社など,ひと通りのものが揃っています。しかし,雪の積もった狭い集落の中でうろうろできる場所は限られており,国道(R.338)の分岐(学校から1km)までの道を2往復しました。
「まるた旅館」のご主人(竹内さん)も,本業は漁業関係とのこと。食事がてらTVを見たら,歌番組に森山良子さんが登場して,「若くして亡くなった3つ上の兄を思って作った」と語りながら「涙そうそう」を歌ったのが印象的でした。

# 26-12
明けて1月30日金曜日(旅6日目)の起床は7時少し前。天気は薄曇。「何を喋りましょう?」と考えながら,歩いて5分の牛滝小中学校に着いたのは朝8時ちょうど。校長先生にご挨拶をして,全職員と子供たちが集まった図書室へ。
学校の先生に戻ったような気分で,牛滝の印象などを話しながら「安里屋ユンタ」を,森山良子さんの話をしながら「涙そうそう」を弾いて歌ったのですが,朝だからか緊張感からか,我ながら下手っぴな三線でした。
それでも子供たちはつたない質問に合いの手を入れてくれて,静かに歌を聞いてくれました。どうもありがとう。

....

   朝礼で,先生と子供たちにご挨拶                        「安里屋ユンタ」と「涙そうそう」を弾いて歌う

# 26-13
「川内町の病院に行く」という竹内さんのクルマの迎えに便乗して,牛滝小中学校を出発したのは9時15分。畑までの18kmの道は対向車はなく,ちょうど30分かかりました。川内町では大湊駅行きのバスが出た後だったので,川内−大湊間の海辺の温泉(城ヶ沢温泉)までタクシーを飛ばして,へき地5級校巡りを無事に終えた後のくつろぎのひとときを味わいました。
この日の宿泊は,岩手県川井村タイマグラの早池峰山の麓の民宿「フィールドノート」。宿主の奥畑充幸さんは大学時代の友人の友達で,大阪は堺出身の同い年。平成15年12月に東京の沖縄居酒屋でご一緒した縁もあり,旅の終わりにはちょうどいい宿です。

# 26-14
大湊駅からは,ローカル線で野辺地,東北線の特急で八戸,東北新幹線「はやて」で盛岡(八戸−盛岡間(平成14年開業)の29分は早過ぎ),バスで川井と乗り継ぎ,「フィールドノート」到着は午後7時頃。月は半月なのに,周囲の雪の白さのせいで驚くほどの明るさでした。
タイマグラは昭和26年入植の開拓集落(当時5戸)で,その当時からの方は平成12年のおばあさんの下山によりいなくなり,現在住まれている方(5戸,17人)は,昭和60年代以降に町から来られた方です。その経緯は沖縄・名護市のオーシッタイとよく似ています。
最寄の集落 江繋までは9kmの山の中。もしも学校があったら,そのへき地等級は相当に高そうです。

# 26-15
「フィールドノート」の母屋は,開拓農家を補修したもので,扉をくぐるととてもなつかしい匂いがしました。
薪ストーブにあたりながら,親子5人+私で食べる食事はとても美味しかったです。子供たちは8歳,5歳,3歳でみんな男の子。わいわい賑やかな様子に「冬季分校みたいだなあ」と思ったのですが,もといここは家庭で,「冬季分校が家庭的」というのが正しいようです。
タイマグラの子供たちは,8歳から3歳まで全部で7人。小学生は江繋の小学校まで,村が用意したタクシーで通います。タイマグラに山奥とは思えない活気があるのは,子供たちの賑やかな声があるからに違いありません。

....

 開拓農家を改修した民宿「フィールドノート」                     分校になったかもしれない倉庫が残る   .

# 26-16
1月31日土曜日(旅7日目,最終日)の起床は7時半頃。天気は青空が清々しい雪晴れ。「フィールドノート」には三線があって驚いたのですが,案内していただいた樽職人の奥畑さんの弟さん宅にも三線があり,縁の重なりを感じました。最後まで残ったおばあさんの家の横の倉庫は,往時「分校として提供したい」という声があったそうですが,教員の確保ができないなどの理由で,実現しなかったとのこと。
奥畑さんに見送られて,日に4本しかないJR山田線盛岡行きで,陸中川井駅を後にしたのは午後4時28分(陸中川井−盛岡間は1時間32分)。盛岡から大宮へ向かう東北新幹線は,先発の「やまびこ」を選んだのですが,北上であっさりと「はやて」に抜かれました。

(注) 「タイマグラばあちゃん」というこのおばあさん(向田マサヨさん)を主役としたドキュメンタリー映画の試写会が平成16年5月に東京でありました。映画では,タイマグラは日本でいちばん遅く(昭和63年)に電気が通じた村と紹介されていました。

(追記) 牛滝小学校は,泉第八小学校は,平成20年の級数変更でへき地4級校になりました。



「廃村と過疎の風景(2)」ホーム