「チクショウ!チクショウ!チクショウ!」
 雪の中を迫る竜から必至に逃げながら、なにが悪かったのかを考える。思えば今日は朝からツイていなかった。
とっておきのサイコロミートはカビていたし、来る途中ではメラルーに回復薬を盗まれた。さんざん追いかけた
挙句敵と勘違いしたガウシカが襲ってきたし踏んだキノコはチャチャブーだった。ここまでツイてないならもう
何が来ても怖くない。そのハズだった。だが現実はどうだ。足をとられる雪の中、見たこともない竜が追ってく
る。コイツはなんの冗談だ!
 そこまでを思い出しながら彼はポケットをまさぐった。確か閃光玉があった筈だ、うまく使えば時間は稼げる。
 「クソッ!なにが『稀にドドブランゴが来る程度』だ!」
 ギルドで見かけた広告を思い出す。住む場所も提供するし、それなりの店がまえもある。しばらくそこで金を
稼ぐのも悪くないなどと考えた自分を悔やみながら、彼は閃光玉を構えた。だが。
 「…いない?」
 さっきまでその異様な四肢で彼を追っていた竜がいない。あれほどの巨体だ、どこかに隠れることなどできは
しない。逃げ切ったのか…?だがその考えは日の光とともに遮られる。その巨体と姿故、彼が予想から外してし
まった事を竜はやってのけたのだ。

 空。

 「クソッタレが!!」
 毒づき、覚悟を決める。その小ぶりな楯が、彼の命を守ると信じて。

 目が覚めると、そこは見覚えのない家だった。とりあえず体を動かし、ついでに自分の足を確認して死んで
しまったわけではないことを確かめる。ベッドから降りる、どうやらなんとか生き残ったらしい。とするとこ
こは…。

 「ほ、気がついたようじゃの」

 村長たちの話を聞き、彼は目的の村に『叩き込まれた』ようだ、と理解する。
 そうなれば問題はこれからだ。村の護衛としてやってきた以上、最低限の仕事はこなさなくてはならないが
持ってきた荷物は竜から逃げた際にすべて失っている。ここに来る前に使っていた、ささやかながらも使い込
まれた防具もだ。
 「利口ぶって寒さ対策なんかするもんじゃねぇなぁ」
 道具箱を漁りながら一人ごちる。失ったものを嘆いても仕方ない、当面は現状の装備でなんとかするしかな
い。だが、それはあまりにも貧相なものであった。先日追われた竜はおろか、小型の肉食竜ですら脅威となる
うるだろう。
 「まぁ、コイツしかないわなぁ」
 そういって滑らかな曲線を持つ細身の大剣を背負う。
 『太刀』だ。
 東方から伝播したといわれるその武器はただ斬ることに特化し、その大きさに見合わぬ速さを使い手に与え
る。その代償として、大剣にはできた楯として防ぐことは失ったが、彼はこの武器を気に入っていた。それを
背にしたとき、知らず彼の目に光が灯る。
 その目は紛れも無く、『モンスターハンター』の目であった。

 『肉食竜ギアノスの群れを束ねるドスギアノスの狩猟』
 それが今回の依頼だ。未だ武器も防具も発展途上といった風情だが問題はない。生息しているという山頂へ
歩を進めながら、彼はかつての狩りを思い出していた。
 −『ドスランポス』−
 初めて出会ったそのとき、彼は絶望したものだ。その攻撃力、耐久力、そして常に群れを呼びよせるという
習性に。しかし『それ』に苦渋を舐めさせられた彼だけではなかった。彼と同じくハンターを目指す者たち、
彼らもまたその相手に苦戦をしていた。
 頭を突き合わせ対策を練る。武器防具の見直し、持ち込む道具、立ち回り。全ての情報を統合させ彼らは挑
んだ。遂に打ち倒したときは全員で酒場に繰り出したものだ。酒場の主人は笑っていた。『やっと半歩だな』
と。
 知らず彼の表情に笑みが生まれる。
『半歩』
 あのときは理解できなかったが今は分かる。いわゆる『上位』の仕事をしているハンターの話は同業であっ
ても信じがたいものがあるのだ。あのリオレウスでさえ霞むと言う飛竜など想像もしたくない。思わず辺りを
見回す。先日追われたあの異様な竜にも、いつか自分は挑むのだろうか。それまで生きていられるだろうか。
 光が差し込み、彼は思考を現実に戻す。群れを呼ぶ声が聞こえる。
「やっぱコイツも群れを呼びやがるか」
 苦笑。
 表情はそのままに走り出す。竜の叫びと白刃の煌きが交差する。
 今日も彼は『半歩』を踏み出すのだ。

 『大怪鳥イャンクック』
 彼が以前拠点としていた村の周辺では一般的な飛竜であり、これを倒せるかどうかでそのハンターが最低限
の実力を有しているかを確認できると言われていた。言い換えれば、『入門用』飛竜というわけだ。
 無論彼は狩ることが出来た。仮にも村の護衛役に雇われるのだ、それくらいができないのでは話にならない。
 だが、もしも。もしもだ。世界で最強のハンターにこう質問したら、どう応えるだろう。

「あなたは『素手で』飛竜(この際イャンクックでもリオレウスでも構わない)を狩る事ができますか?」と。

答えは『NO』だ。例え世界一の膂力を誇ったとしても、たかが人間の力では彼らを止めることなどできはし
ないのだ。…前置きが長すぎただろうか?話を彼に戻そう。

「得物はコイツどまりか…」

以前の彼ならいざ知らず、今の彼には選択肢が無さ過ぎた。手元にあるのはなまくらと言って差し支えない程
度の代物。いささか頼りないと思うのは仕方が無いだろう。しかし今の彼に断る権利はなかった。より正確に
言うならば、断ったら生活が立ち行かないのだ。村で気付いたときには無一文。そのなまくらですら村長の好
意で頂戴したものだ。これ以上ギアノスだけを狩る生活を続けていれば解雇されるのも時間の問題だろう。彼
は出発した。覚悟と、ほんの少しの後悔と、荷袋いっぱいのピッケルを持って。

『珍獣』ババコンガ。
 牙獣種に属するモンスター。食欲が非常に強く、そのために人里に降りてきて小競り合いになる事も多く、
今回もそんな事情から来た依頼だ。モンスターとしては下の上、といったレベルだ。いくつもの石ころを集め
た日々のおかげで得物も少しはまともなものになっている。まぁ油断しなければ問題ないだろう。と、準備を
終えた彼の元に先代のハンターがやってきた。手には色とりどりの、およそ人間なら絶対に口にしないだろう
肉を持っている。訝る彼に先代が告げる。
「ババコンガと闘うなら、これを持って行け。面白いものが見られる筈だ」
 彼はとまどいながらもそれを受け取る(勿論ピッケルを入れるスペースは残して)。先代も引退したとはい
えかつては村を守っていた男だ、狩りの邪魔になるようなことはすまい。そう考え彼は出発した。そして。

「マジか…」

 彼は信じられない状況に直面していた。体勢を崩し、荷物袋から色きらびやかな肉がこぼれる。
 舌打ちをひとつ。右か左、そのどちらに来られてもかわせるように相手を探す。
 だが。
 その目の前で。

 ババコンガは痺れ生肉を食べ始めたのだ。 
 
 当然麻痺するババコンガ。思わず練っていた気が霧散する。先代が笑っていた理由がやっと分かった。なる
ほど、これはもう笑う以外にできることが無い。
 結局その後掘れる場所は掘り尽くし、また痺れ生肉を使ってババコンガを倒し、村に戻ったのだった。

『砂に潜む巨大蟹!』
 巨大蟹、盾蟹とも呼ばれるそのモンスター、『ダイミョウザザミ』。普通の蟹達とは違い、竜の頭蓋骨を殻
に使う習性を持った蟹である。基本的に人間に害を成す訳ではないのだが、砂漠をテリトリーとしているため
往々にして商隊が遭遇し、被害が出るケースが多々ある。そのためにハンターが『狩りだされる』のだ。
 そういったわけで、彼もまた砂漠へと現れたのだ。が。
 「暑ぃ!」
 実に的を得た言葉である。昼夜の寒暖の差を以って数多の岩石を砕いたものが砂漠となるのだ。いかな歴戦
のハンターをもってしても、その熱は容赦なく体力を奪い去ってゆく。早く仕事を終わらせんと彼が動く。そ
して…。
 『それ』は現れた。
 予告はなく、予兆もなく。突如として足元からの衝撃を受け、彼の体は易々と宙を舞った。瞳無き竜が彼を
見据え迫る。すんでのところで避け、太刀に手をかける。だが、まだ抜かない。今の衝撃でやられた箇所を数
えながら隙を伺う。行ける。運良くいくつかの打撲を受けただけだ。いくつかの攻撃を避け、すれ違いざまに
斬り、また刃を収める。そして幾度目かの交錯の後、盾蟹の固さに綻びを見せる筈の刃は、薄赤い光に包まれ、
なお切れ味を深め、切り裂く。その鋏を、その背の竜を、そしてその身を。
 太刀と共に伝播した剣技、『気刃』だ。
 深く練った気を刃に乗せることで刃の限界を超えた切れ味を生み出すその技は、獲物の血を浴びれば浴びる
ほどに輝きを増し、竜の持つ堅牢な鱗さえ易々と貫くのだ!
 戦いは続いたが最早決着は付いていた、彼の刃は的確に盾蟹を切り裂いていった。そして彼はこの程度で油
断するほど馬鹿ではない…。
 やがて戦いは彼の勝利に終わった。背負った竜を墓標にして、盾蟹はその巨大な体躯を崩し倒れたのだ。
 こうして砂漠の戦いは幕を閉じた。しかし殴り書きされたメモを見ながら村に帰る彼の足取りは重かった。
メモの内容はこうだ。
 『−とりあえずアンタをキャンプに運んでやったニャ。仕事は終わったようだから、キチンとオイラ達の運
搬料は貰っておいたニャ、感謝しろニャ。……追伸:これに懲りたら、キチンとクーラードリンクは持ってく
るニャ。−』……。

『激突!雪獅子ドドブランゴ』
 何度目になるか、咆哮に答えまた群れが現れる。舌打ちをひとつして閃光玉を投げ、隣の峰に移動する。こ
れで多少は時間を稼げるだろう。刃についた血糊を拭いながら頭をフル回転させる。この移動でまたヤツの群
れは離れる筈だ、
 「ここで決めねぇと厳しいか…」
 雪獅子ドドブランゴ、単体でもその素早くトリッキーな動きが脅威であるというのに、さらに群れを呼ぶと
いう厄介な特性を持ったモンスターだ。初めて存在が確認された際には、今までの常識を覆す戦闘スタイルに
何人ものハンターが辛酸をなめることとなった。今でこそある程度の生態が分かっているとはいえ、脅威であ
ることに変わりはない。容赦なく吹きすさぶ吹雪の中に響く咆哮はハンターに対する宣戦布告であるかのよう
に響き渡る。
 覚悟を決め、走る。もはや手持ちのアイテムのほとんどを使い果たしている上、寒さによる体力の低下も加
わっている。かなりの手傷を負わせたとはいえ、未だ五分。否、地の利がある分雪獅子が上か。最小限の動き
で攻撃を避け、間合いを詰め、また離れる。何度目かの交錯の後、鞘の内から薄い光が漏れる。独特の呼吸を
もってその光を維持しながら、また幾度かの交錯。そして、
 「見えたッ!」
 雪獅子の息吹きに薄く浮かんだ笑みを隠すことなく踏み込む。半歩の間合いをもって息吹きを急所から外し、
刃を開放。厚い鱗をもってしても防げぬ刃は易々とその毛皮を貫き、切り裂く。長き戦いはここに終わったの
だ。
 が。
 「ぬがっ!?」
 まさしく最期のあがきであったであろう身じろぎが偶然にもハンターの腹を捕らえ、聞きなじんだ音と声が
聞こえる。意識を取り戻せばそこはベースキャンプ。先刻まで死闘を繰り広げていた山頂まではどの位かかる
のだろうか。彼は最早走ることもなく頭をかかえるのであった。

 『巨大昆虫、大発生!』
 「ったく…、こんなもん自分らでやれってんだ…」
 何度目だろうか、刃に付いた体液を拭いながらひとりごちる。しかし昆虫とはいえその力は生半なもので
はない。子供は勿論、大人でさえ危険な生き物であることに代わりはないのだ。他に野生のモンスターがい
るとなれば、当然そのお鉢はハンターに回ってくる。それは当然なのだが、草むらの中に潜む虫を一匹ずつ
殺していくなどという作業は、彼でなくとも嫌気が差すのは当然だろう。しかも殺すたびに体液を撒き散ら
す。鎧を拭うのは3回ほど緑に染まった時点で諦めた。最早彼の身で緑に染まっていないのはその刃だけだ。
 と、そのときだった。
 草むらが揺れる。咄嗟にかわせたのはさすがハンターというべきだろう。もし油断したままだったなら、
恐らく大きな傷を負わされていたことは間違いない。その体躯は通常のものと比べひとまわりか、ふたまわ
りか大きい。そしてその最大の特徴たる角は革靴程度ならば軽く貫通するであろうことが予想された。
 「なるほどな…」
 たかが虫退治に遠方からハンターを呼ぶわけだ。虫の持つ体躯に釣り合わなぬ強力と、鎧の隙間を縫う角。
カタナの素材収集も兼ねて来たのだが、まさかこんな生き物がいるとは…。
 とはいえ、さすがに完全装備のハンターの敵ではない。「それ」を砕き散らし彼は仕事を終える。
 今回の収穫はふたつ。ひとつは世界にはまだ見ぬ生き物が大量にいること。そしてもうひとつは、
 「カンタロスの頭の一つや二つ持ち帰れると思ったんだがなぁ…」
ハンターにとって、素材集めがどれだけ大変なのか…、であった。

『見えざる飛竜、バサルモス!』
 「クソッタレ!」
 走り来る岩の塊−バサルモス−をかわしざまに刃を一閃、今日何度目かの舌打ちをうつ。脚、翼、頭。い
ずれの箇所にも刃が通る気配すらない。下手に手を出してもこちらが隙を見せるだけだ、後試していないの
は腹だがあの甲殻を見るにそれすら無駄に思える。ならば…。
 「オォラこっちだ!走って来い!」
 火山ならではの戦法、たっぷりと火薬の詰まった天然の大タル爆弾だ。さすがの岩竜もコイツを数発も喰
らえば…。
 思った通り、ヤツの岩のような装甲も吹っ飛んだ。ご自慢の鎧も自然の力の前には無力だったってわけだ。
後は剥き出しの腹をぶった切ればこの追いかけっこもお終い…だ!
 一気に腹の下に滑り込み、抜刀。そして来る…弾かれる衝撃。混乱する俺に追撃をかけるかのように繰り
出された体当たりが無防備な俺を襲う。馬鹿な、確かに俺はあの隙間に…。まとまらない思考をさらにかき
混ぜるように止まない攻撃をなんとか避けながら考える。手持ちの爆弾は使い果たした。火山岩ももうない。
そして…肝心の刃が通らない。まさかむき出しの腹にここまで強度があるとは思わなかった。どうする…。
 …退くか?否、ここで退けば依頼主の調査隊がいられる季節を過ぎてしまう。
 …他の火山岩を探す?それも否。あれほど傷ついているのだ、目の前の敵が消えればヤツは巣に戻り傷を
癒すだろう、そうなっては全てが水の泡だ。ならばどうする。どうすればヤツを殺すことができる…。
 ……静かに息を吐き、鞘を捨てる。走り来るバサルモスを正面に捕らえる。一つ…二つ…三つ…。回避ま
でのカウントを増やし、髪と頬を、疾走するバサルモスの纏う風に触れるほどのギリギリの間合いでかわす。
次にバサルモスが振り向く瞬間にはすでにその腹の下に。
 刃全体で攻撃する斬撃に対し、刃の先、唯一点に力を集中する突きによる攻撃。
 読みどおり。この攻撃ならば頑強なバサルモスの筋肉にも傷を与えることができる。…尤も、常に抜刀し
たままでいなければならない分回避力は落ちるため、危険は増すのだがこの際そんなことは言っていられな
い。その程度のリスクで済むのなら十分だ。傷つくたびに集中は増していく。まるでどう動くのかが決めら
れているかのような優雅ささえ感じられる戦い。最早決着はついた。火山を舞台にした戯曲は、太刀持つハ
ンターの勝利で幕を閉じたのだ。
『孤高の黒狼鳥』
 「黒狼鳥」と仇名される竜、イャンガルルガ。その好戦的な性格から各地で手配されているその竜が、こ
の地方に現れたらしい。一応はイャンクックと同じ種らしいが、容貌も行動もそれとは大きく異なっている。
また通常のイャンクックが群れをなすのに対し、この竜は常に一匹で行動しているらしい。
 いわゆる、『鬼子』なのだろう。
 ハンターの罠を察知し回避するその知能は、生れ落ちたその日から同属からすら攻撃されてきた故の警戒
心の表れであり、イャンクックにはない毒も、およそ餌にはならないであろうものを啜ってきたからに他な
らない。
 だが、それもまた自然の摂理なのだろう。
 同属から追われた竜が人を襲い、人は人という『群れ』を守るために戦う。
 そこにあるのはまさしく弱肉強食の掟だ。強い者は生き、弱い者は死ぬ。例え人が虚栄心のために戦おう
ともその掟に変わりはない。弱きものはただ死んでいく。
 雨が降り続いている。己の血と、返り血を洗い流す。竜にして鬼子だったものと、圧倒的な生命力の差に、
世界の摂理に抗うヒトの鬼子の血を。

『絶対強者 〜始まり〜』
 あの時は、ただの偶然だった。出会ったことも、戦ったことも。
 …生き残ったことも。
 たまたま暴君が自分より他の肉を狙っただけだ。その気であったならば、自分はとうにヤツの餌になって
いただろう。
 だが。
 今回は違う。
 彼はその刃を、己の意思で暴君に向けるのだ。ヒトという、竜と比べ物にさえならぬ脆弱な器で、なお挑
むのだ。
 それは生きるものの本能か。ヒトの愚かさか。
 彼の足に躊躇いは無い。

 準備はできた。現状で最高の業物、彼を幾度と無く守った鎧、聴覚を護る場を形成する珠、傷薬に罠。足
りないものを数えようとして彼は苦笑する。もとより足りる筈などないのだ。人々より『暴君』と仇名され
るほどの竜だ、この村に戻ることさえ危ういかもしれない。
 だが。
 彼はこの村を気に入っていた。始めはただの仕事場だった。やがて愛着ある場所に変わり、今は、もう一
つの故郷とさえ言える。
 その愛すべき村が暴君に襲われんとしている。彼が立ち上がるのは必然であった。あらゆる生き物がそう
するように、牙も爪も持たぬ身で彼は立ち上がるのだ。
 その雄雄しき瞳は、かつて彼の命を落としかけた雪山に向けられる。
 迷いはなく、恐れはなく、驕りもなく。
 彼は挑む。遥か大きな敵に。

 彼は、この村を護る竜なのだから。

『絶対強者 〜激突〜』
 彼らは出会う。
 あのときは偶然に。今は必然に。
 純白の舞台に立つは暴君と英雄。
 最早舞台に上がろうとするものは誰一人として無く、その凶刃と白刃は火花を散らす。
 知恵を振り絞り、力を振り絞り彼は戦う。
 恐れることなどあるはずもない。彼は骨の髄までハンターであった。己の何倍もの、何十倍もの、何百倍も
の竜すら『獲物』として見る者達。そこには己の保身など介在しえない。いかにして獲物を倒すか。ただそれ
のみをハンターは重視する。
 紙一重で避け、罠を仕掛け、時には退く。
 それらを絶妙のタイミングで行いながら、なおも彼の身には無数の傷が刻まれていた。ヒトの身にあって、
かの暴君はそれだけの差を有するのだ。
 だが彼はそれらを厭いはしない。氷の壁を背に、刃の血糊を拭い去って彼は走る。
 彼は疾走する鬼神であった。彼は閃く刃であった。彼は一条の雷光であった。彼は一陣の神風であった。
 
 しかし竜も、ただやられてはいなかった。尾を失い、右の爪を砕かれながらも竜は意気軒昂であった。
 この程度の手傷ならば問題ない。あの小さな獲物を殺して、たらふくに肉を喰らって眠ればいい。小さな奴
らの群れはその後だ。
 そら、小賢しくも影に隠れていた獲物が自分から向かってきた。殺してやれ。そして喰らってやれ!
 竜は質量すら伴う咆声をあげた。だが、竜は気づいていなかった。竜の中に、かつて彼が感じたことのない
感情が混ざっていたことに。
 恐怖。
 竜はその生涯の最期まで、それを理解することはなかった。
 白刃が、そして巨大な牙が交錯する。
 そして『小さな竜』は。
 『彼』の心の臓に。
 その牙を、深く深く突き立てたのだった。
『絶対強者 〜終焉〜』
 血で染まった舞台に彼は佇んでいた。足元にはもはや動くことのない、暴君と呼ばれた竜が、静かにとこしえ
の眠りについている。彼は刃に付いた血を拭い、静かに息をつく。幕は下りた。だが彼はそこから去る気になれ
なかった。かつて彼を死の間際に追い込んだ竜との死闘。その終焉を見たとき、彼の心に去来したものはなんだ
ったのか。
 達成感?…違う。
 歓喜?…それも違う。
 それは彼にしか理解しえない、複雑な感情であった。
 
 村に戻った彼を村人達は大いに喜んだ。それは彼にとっても喜ばしいことだった。その晩は遅くまで彼の快挙
に沸く村人達で騒ぎに騒いだ。
 そして。
 夜が明けるのと同時に、彼は村長の元へと足を運んだ。
 この村を離れる気はない。だが、外の世界を見てみたいのだ、と。
 村長は静かに答えた。
 ならば、街との連絡所を設けよう、と。
 そうすればこの村にいながら、他の地方の依頼も受けられるのだと。
 彼は礼を言うと家に戻った。
 育った竜が羽ばたくように、小さな竜も、世界に向けて羽ばたきはじめたのだ。
 かの暴君のように、どこかで命を落とすかもしれない。だがそれでも。
 彼は羽ばたく。
 この後も彼は幾多もの竜とその刃を交わし、数多の人々と出会っていく。
 そして。
 彼の背を見た子供達も英雄という竜に憧れ、また伝説のひとつとなるのだ。