中国への旅を終えて、まえがきを書き始めたのが、たしか旅行から帰って半年後の冬だった。 それから3年あまり。 やっとあとがさを書くところまできた。 もともと無精者な上に、仕事の合間を見ての作業だから、忙しいとできないし、 気が乗らないと暇でもやらないから、とうとうこんなに時間が掛かってしまった。 それでも途中で投げ出さなかったのは、親しい友人たちに旅行記を作ると宣言してしまった手前、 やめる訳にはいかなかったのと、自分自身これはどうしても形にしておきたかったものだからだ。
時間は掛かっているけど、書くのは辛くなかった。 筆は遅いが書くのは大好きだし、本の構成を考えたり、イラストを描いたりするのも、 早く完成させるために手を抜けばいいのに、結構凝って楽しんでやっていた。 早くやってしまおうと思いつつも、いざ本ができるとなるとなんだか気恥ずかしいし、 作る楽しみがなくなってしまうのが嫌で、 気が乗らないと言いながら無意識に長引かせていたのかもしれない。
本文の内容は日記の中から印象に残ったものを、 ちゃんとした文章に書き直したのがほとんどで、 日記に書かなかったが覚えている出来事なども少し入っている。 ネパール・インド・パキスタンの分は、 前に中央大学の世界旅行研究会で出した渡航報告書に発表済(?)なのでごく簡単にまとめ、 その内容、文章もダブっているものが多い。 ただ古い内容なのに、自分であまり昔の出来事として捉えてないところがあって、 旅の内容とそれに対する昔の感想と今の感想がきちんとした時制で分けられてなく、 めちゃくちゃになっている。 もうちょっと上手く書ければよかったのだが、能力が足りないので仕方がない。 その辺はご理解の上、読んでいただくしかないと思う。
自分がどうしてシルクロードにこだわるのか、なぜそんなに好きなのか、自問することがよくある。 でもいつも的確な答えが見出せない。砂漠とか岩山の風景や、 オアシスだとかバザールの様子を思い浮かべたり考えたりすると、 訳もなくドキドキしたり涙ぐんだりする。 これはもう恋人を思う気持ちと同じで、好きに理由も理屈もいらない、 ただ好きなだけなのだ……。 結局答えはそこに落ち着く。
しかし、シルクロードが他の地域と異なった特色を持っていることは確かである。 砂漠といってもただの砂漠ではない。 所々に人が住み、道が通っている砂漠だ。 人が通い歴史ができ、それが積み重なっている砂漠なのだ。
砂漠だけではない。 雪山もある。 こんな所にと思うほど険しい所に道がある。 その道が村々を繋ぎ、文明を繋ぎ、文化を通わせている。 砂漠、雪山、草原、そこに住む人々、道、歴史、文化、繋がれた文明、 そのどれか一つでも欠けたらシルクロードとは言えなくなる。 そして私はシルクロードの要素の多分全てが理由もなく好きなのだ。
旅行は好きなものを求める純粋な気持ちで行ったのだが、その他にもう一つ理由があった。 高校の頃、少女マンガが大好きだった私は、 好きなマンガの一つからストーリーだけ借りてきて、シルクロードを舞台にした物語を考え始めた。 内容は亡国の王子様がいかに成長し、英雄となり、 国を取り戻すかというよくあるおとぎ話で、他愛のないものだ。 最初は実際のシルクロードを設定したが、お話と合わなくなってしまい、 結局、シルクロードや中央アジアの雰囲気だけ残して、 地理や歴史、宗教など全部お話に都合のいいよう作り替えた。
物語というのは、言ってみれば一つの小さな世界で、 その世界の一つ一つを作っていくのはとても楽しい作業だった。 登場人物たちがどんな所に住み、どんな生活をして、どんな所を歩き、 どんな景色を見ていたのか、それを描くために本や写真を随分集めたが、 私の貧しい想像力では、それだけで描くことはできなかった。 自分が実際にそれを見て、体験しなければ描くことはできなかったのだ。
そういう訳で、私はいつも心の中のもう一つの世界に住む主人公の王子様と一緒に旅をしてきた。 砂漠も草原も街も、目にしたものは、自分の見てみたいという純粋な欲求を満たすと同時に、 彼の世界のものにもなった。 彼の世界がなければ、こんなに旅行して実際に見たいと思わなかったかもしれないし、 また彼のお陰で普通とは違った見方ができたのかもしれない。
彼の物語は未だ書けていない。 形になっているのは、わらばん紙になぐり書きしたストーリーの一部やエピソード、イラストや地図ぐらい。 それらを元にノートに書き出した下書きは、彼の少年時代で止まっている。 もうこのまま、完全な形にならないまま消えていってしまうのかもしれない。 しかし、私とシルクロードの間に不可欠なものだったのだ。 だから、私がシルクロードの旅を書く上で、このことは明らかにしておくべきだと思った。
10代後半からの最も多感な時期に出会い、影響を受けたものは、一生のものとなってしまうのだろうか。 いつかは飽きるだろうと思いつつも、シルクロードとはもう10年以上の付き合いになってしまった。
今年の10月、今度はソ連領中央アジアヘ出掛けた。 8日間の小旅行だったが、その旅行は言わば今までの『シルクロードの旅』の終章であり、 いつ始まるかわからない『シルクロードの旅』第二部の序章だと思っている。 アフガニスタンへ行く夢もまだ捨ててない(半分諦めてはいるけれど)。 少年の夢を持ち続けている男性はよくいるが、少女の夢を持ち続けている女性はどれ位いるだろう。 先のことはわからないが、今のところ私はその一人でありたいと思っている。 まぁ結婚したら、あっさり夢を捨てちゃう可飴性も無きにしもあらずだが……。
前にもどこかに書いたけど、 小椋佳さんの『いつの日か旅する者よ』(1)という歌が大好きで、
「いつの日か旅する者よという歌詞が私の旅を象徴しているといつも思っていた。 他のシルクロードが大好きな人々と同じように、私もシルクロードを旅して、 先人たちの足跡を踏み、その夢を知った。
この足跡を見る時 あるいはそれを踏む時
その胸に伝わる夢を知るだろう」
連綿と時を越えて続く道、シルクロードはそういう道でもある。 いつの日か、誰かがまた、私の足跡を踏み、私の夢を知るのだろうか……。
最後に、私の旅を支えて下さった方々、旅行記を書くにあたって叱咤激励して下さった方々、 そして、この旅行記を読んで下さった方々に厚く御礼申し上げます。ありかとう。
いつの日か、また……。
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