5.果てしなき大地 - 中国(2)

トルファン〜ウルムチ( '88 )
酒泉〜敦煌( '88 )
西安〜蘭州( '88 )

◇ 更に東ヘ

 シルクロードの旅は西安で一応完結ということにしたが、今回の旅はまだ終わりではない。 西安から上海に出て更に船に乗って、東へ向かわねばならない。

 中国を通して、日本にも西域の文物が伝わっていることを考えれば、 西安から日本までの道も広義のシルクロードと言える。 奈良がシルクロードの終着点と言う人もいる。 だからまだシルクロードの旅は続いていると言えなくもないが、雰囲気がまるっきり違うので (シルクロードの旅というとやっぱりゴビ灘や砂漠を横切ってオアシスに辿り着くという感じでしょう)、 気分的にはもうシルクロードから離れている。

 西安を出てずっと続いていたとうもろこし畑は、徐州を過ぎる頃から水田に変わり、 池が多くなって水牛の姿も見えるようになった。 窓を開けると入ってくる風も湿った感じで、湿潤な地帯に入ってきたのが解る。

 夕方、南京の手前で長江(揚子江)を渡った。 蘭州で黄河を見ているので、これで中国の二大大河を見ることができたのだ。 回りの中国人たちも皆窓を開けて長江を見ていた。 特別の思い入れがあるのか、それともただ単に物珍しかったのか……。

 南京から上海まではとても長く感じられた。 もっと近いだろうと思っていたせいだろうか。 夜10時頃やっと上海に着く。 地図を買い忘れたので、どのバスに乗っていいのか解らず困ってしまったが、 列車の中で筆談をしていたおじさんが親切にホテル探しを手伝ってくれたので、とても助かった。 ほんとにこのおじさんがいなかったら、どうなっていたか解らない。 3元でホテルまで連れていってやると言う変な兄ちゃんに引っ掛かりそうになったし、 上海は今までの町と違って都会だからちょっと危なかったかもしれない。

 思えば旅の間中、いろんな人に助けられた。 困っているとき、それでも何とかしようと一人でウロウロしていると、 見知らぬ人が助けてくれる。 見ず知らずの私に親切にしてくれる。 私はたいしたお礼もできなくて、ただ謝々(シェシェ)と言うだけ。 でもみんな笑顔で去っていく。

 旅とは人の情けを知るものなのだなぁとつくづく思う。 或いは仏教の仏の存在とはそういうものなのだろうか (つまり仏様が人の姿を借りて助けてくれるという考え方)。 敦煌の莫高窟の壁画に描かれていた、旅人と観音様の功徳のお話が思い出される。

 上海は北京に次いで第2位の大都市だ。 でも街の雰囲気は北京とだいぶ違う。 目を惹くのは外灘(ワイタン)と呼ばれる黄浦江沿いの一角に立ち並ぶビル群だ。 清朝末期、ヨーロッパ列強諸国は中国に進出し、その玄関口だった上海にも、 外国人たちが租界(1)と呼ばれる居留区を作り暮らしていた。 租界が栄えたのは清朝末期から第2次大戦までの百年あまり。 その間に外国人たちが建てたビルが外灘に残っているのだ。

 どれも皆どっしりとした石積みやレンガ造りで、美しく立派なものばかり。 そのヨーロッパを思わせる古びた街並みの中を、現代の中国人たちが歩いている。 自分は一体どこにいるのだろうかと思ってしまうような不思議な街だ。

 もっと庶民的な街区を歩くと、長屋のような2階建て、3階建てのアパートが軒を連ねて続いていて、 そのアパートも結構古めかしく、解放前(共産革命前)とあまり変わってないんじゃないかと思える位である。 今まで新しく作られた街並みばかり見てきたので、 この上海の街のたたずまいはとても新鮮に見えて面白かった。

 上海で一番の見所は、やはり中国の典型的な下町的雰囲気のある豫園商場だろう。 旧城と呼ばれるダウンタウンの、狭い道に古びたアパートの続く街を抜けて、 豫園という小さな庭園に隣接する商場に入ると、人々はごった返し、 浅草のような賑やかさだ。 ここの雰囲気がとても気に入って、2回も出掛けてお土産を買ったり、 包子を食べたりしながら歩き回った。

 9月17日、ついに中国を離れる日を迎えた。 同じホテルにいた、同じ船で帰る日本人たちの呼んだタクシーに便乗させて貰い、波止場まで行く。 待合室には帰国する旅行者たちが続々と集まって来ていた。 その中に知っている顔も2,3人見かける。 そろそろ大学が始まるので、それに間に合うようこの便で帰る学生も多いのだろう。

 お昼過ぎ出航する。デッキに出て上海の街を見納める。 徐々に遠ざかっていく上海のシンボル外灘のビル群を眺めながら、 街を離れていくという感じが飛行機よりずっと良いなと思った。

 同じ中国でも上海と新彊では随分違う。 もう河西回廊や新彊の町々からも、そこを旅した日々からも遠く離れてしまい、 感傷的な気分はあまり湧かない。 飛行機でサッと帰った方が旅の印象などは鮮やかに残るけれど、 それでもこうして徐々にそこから離れていくのが本来あるべき姿なのだと思う。

鑑真和尚像

 船は鑑真さんにちなんで鑑真号という名前だ。 日本のフェリーを改造して使っているとのことで、 国際航路にはあまりふさわしくない小さくボロい船だ。 前日、黄浦江の遊覧船から停泊中の鑑真号を見たとき、隣の香港行きの船より小さいので、 こんなんで黄海(2)の荒波を乗り越えていくなんて大丈夫だろうかと思った位だ。

 船の中は日本円を使い、時間も夜には日本時間に戻り、トイレやら自動販売機やら、みな日本の物ばかり。 もうすっかり日本に戻ったようだが、乗務員は中国人だ。 でもサービスが良い。 今まで中国の服務員のどうしようもなく悪い態度を見てきたので余計そう思える。

 2日目、外洋に出てから少し船が揺れるようになり、 酔わないようにデッキに上がったり、部屋で寝ていたりしていた。 揺れるといっても全然たいしたことはなく、ホントにこの程度で良かったと思う。

 することもなく部屋でゴロゴロしてたり、 周りの人と話に興じたりしているうちに夕方になり、夕日を見るためデッキに上がると、 もう九州の島影が見えている。 あんなに遠いと思っていたのに、もう九州まで来たのか……。 全く時間なんて過ぎてみればあっという間だ。

 それにしても船の2日間は揺れるということを除けば、列車の2日間よりずっと楽だ。 それで余計時間の経つのが早く感じられるのかもしれない。

 9月19日お昼頃、街が近づくのが見え、デッキに上がる。 神戸の街だ。 手前にポートアイランドのビル群が見える。 上海の前近代的なビル群を離れ、海を渡ってポートアイランドの現代的なビル群を見ると、 まるでタイムトリップをして未来都市にやって来たように思える。

 1時頃接岸し、上陸する。 遠い所からやっと日本に帰って来たのだ。 六甲の山並みが確かに日本の山だと思った。 中国では見られなかった、こんもりと木の生い茂った山だ。

 電車に乗り、母の田舎である大津に行く。 そこで1泊して、奈良へ寄ってから帰宅するつもりだった。 電車から見える街々は紛れもなく日本のもので、中国との差をまざまざと感じた。

 中国は様々な支配に苦しめられ、社会主義の道を選んだ。 皆が平等に豊かになるようにと選んだはずの道だった。 けれど旅行中いろんなことを見て、中国にもいろいろ問題があるのだということが解った。 それは、これで社会主義国の人なのかと思う位のお金への関心、物欲、旅行者に群がるチェンマネ屋(両替屋)、 それにサービスの欠如と多分そのせいだろうと思える街の殺伐とした雰囲気、 そして親方日の丸的な官僚主義の横行、あらゆる所でまかり通るエライ人の顔パスとコネなど、 小さなことだがどれもちょっと哀しく感じてしまう問題だった。

 中国には中国の哀しさがある。 でも日本にも日本の哀しさがあるなと通り過ぎる街を見ながら思った。 中国に比べると日本の街はとても進んでいる。 10年も20年も先を行っているようだ。 しかし何もかもゆったりとした中国から帰って来てみると、 日本の街はゴミゴミとせせこましく、みみっちく見え、しかも退廃的な感じがして、物哀しく思えた。 そして確かに日本だって日本の哀しい問題を抱えているのだ。

 次の日奈良へ行った。 願かけしていた仏様に満願果たしたお礼を言い、 蘭州や西安で恋しく思った奈良の寺々の大屋根を見るためだった。 しかし奈良のお寺を見てもそれはど感激しない。 もうすっかり日本の生活に戻っている自分が不思議だった。 やはり時間を掛けてシルクロードから遠ざかって行き、時間を掛けて日本に近づいて来たせいだろうか。

 時間の感覚と空間の感覚は本当に密接に結び付いている。 時間は過ぎてしまえばあっという間だが、時間の隔たっていることは感覚に残っている。 そしてこうした旅の場合は、その感覚が空間の隔たりとして感じることにもなるのだ。

 酒泉や敦煌やトルファンやウルムチ、もう遠い遠いこれらの町で過ごした日々が、 もはや遠い昔の日々のように思えた。でもこういう旅、やってみてほんとに良かった。 本当の旅の姿がまた一つ見えたみたいだ。

 一つの旅が終わった。今度はいつまた旅立つことができるだろう。


(1)租界
租界はただ単に外国人が国ごとに固まって暮らしている居留区なのではなく、 正式に中国政府から外国政府に借与されたか、免許された地域で、 植民地のように中国の法が及ばない外国の行政権に支配された区域である。 したがって列強諸国はこの租界を足場にして中国進出を進めていったのだ。

(2)黄海
地図を見るとこの辺の海は黄海ではなく、東中国海 (昔は東シナ海と言ったが、シナが差別用語なので)と言うらしい。

★ 昔、見ていた夢 ★★

まだ高校生の頃、
本に載っていた一枚の写真に心惹かれ、
いつかそこへ行こうと夢見た。
アジアの真ん中の国アフガニスタンのそのまた真ん中あたり、
バンディ・アミールという名の七つの小さな湖、
荒涼とした黄土色の山や丘の合間に、
ぽっかりと現れる瑠璃色の湖、
そして瑠璃色の空。
私はまだ見ぬ誰かと二人きりで湖の岸に立ち、
瑠璃の湖面を見下ろしている姿を夢に見ていた。
それから、
10年以上の月日が経ち……
今でも私は夢見ている。
瑠璃色の湖を見下ろしている自分の姿を……
ただもう、
隣に立ってくれる人の影は、
とうの昔に消えてしまったけれど……

★★★
Band-i-Amir


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