5.果てしなき大地 - 中国(2)

トルファン〜ウルムチ( '88 )
酒泉〜敦煌( '88 )
西安〜蘭州( '88 )

◇ 最終日的地・西安

 ウルムチ−蘭州間、2泊3日の列車の旅は偶然硬臥(二等寝台)の切符を売ってくれた人がいて、 ゆっくり寝ていくことができた。 ベッドは3段の一番上で、トイレに行くときは大変だが、 同席の人々との筆談に疲れたとき、ベッドに上がっていれば一人で静かに過ごせるのがよい。

 筆談も最初のうちは面白いのだが、段々面倒臭くなってしまい、 それに窓際に座れないので外の景色を見ることもできなくて、 結局、風邪で気分が悪いのをいいことに大部分の時間をベッドで過ごし、 飽きると下へ行って人々と少しおしゃべりをするということを繰り返していた。

 本当は新彊から河西回廊へと走る列車の車窓をつぶさに見たかった。 もしかしてもう来ることもないかも、と思うと余計見たかったが、それができない状態で、 ただひたすら走る列車の揺れに身を任せるだけというのはとても寂しかった。

 後ろも降り返らずにといった感じで列車は走っていき、3日目の昼頃、 黄河のほとりの町蘭州に着いた。 中国全体から見れば蘭州はまだまだ西の方だが、 もうここまで来ると新彊からは遠く離れてしまった感じだ。

 旅の目的は既にはとんど果たしてしまい、 後はひたすら日本を目指して帰っていくだけなんだと思うと、 何故かホームシックにかかってしまった。 日本人に全く会わず、話し相手がいないのも寂しさを一層増したようだ。

 この日は誕生日。異国で誕生日を迎えるのは初めてだったが、気分的に何とも寂しい誕生日だった。

 蘭州は真ん中に黄河が流れていて、街全体が何だか白茶けて見えた。 黄土高原のただ中にあるせいなのだろうか。 博物館は甘粛省の文物が集められていてなかなか面白かったが、 他に見るものは二つの大きな公園位で、一泊しただけで西安へ出発した。

 蘭州−西安間は列車で15時間位。 中国を列車で移動すればこのくらい時間が掛かるのは当たり前で、 ウルムチ−蘭州の2泊3日に比べればずっと近い。 日本なら東京−博多間が新幹線で6時間掛かるのだって、長すぎると敬遠されてしまうのに‥‥‥。

 列車に乗っているときは長いなあと思っても、着いてしまえばその長さなどすぐ忘れてしまう。 今回の旅ではウルムチから日本まで空を飛ばずに陸路、海路で帰ろうとしているが、 中間点の西安まで蘭州一泊も含めて5日掛かっている。 しかし距離の長さは一日一日の暮らし (列車の中で何もしなくてもやっぱり暮らしているのに変わりはない)の中に紛れてしまい、 あまり感じることはできない。 ただ時間の隔たりによって、旅してきた道程が遠く遥かなことを感じることができる。 旅とは元来こういったものなのだろう。

 西安では前に泊まったホテルにまた泊まる。 今回の旅はここから始まったようなものなので、帰ってきたなという思いで一杯になる。 それと同時にウルムチ−西安を旅して、カトマンドゥに始まった私のシルクロードの旅も、 途中まだ空白の部分(1)もあるけれど、一応完結できた。 やっと最終目的地に至ることができたのだ。

大茲恩寺・大雁塔

 旅の締めくくりは大雁塔でと決めていた。 大雁塔は玄奘三蔵がインドへの旅から帰ってきて、 持ち帰った経典を翻訳した寺に建てられたもので、翻訳された経典が納められたという。 玄奘さんの旅の終着駅だった場所で私の旅も締めたかった。 そして塔の上に登って夕日を眺めながら、今まで旅した国々を思い、 感慨にふけろうなどと考えていたのだった。

 残念ながら大雁塔に行った日は曇っていて、時間も夕方ではなかった。 塔のある大慈恩寺というお寺は大きくてよく整備されており、 境内に入ると奈良のお寺を思い出してしまって、また少しホームシックになってしまった。 奈良のお寺がとても恋しいのだ。

 塔の一番上まで上がって、窓から外を眺める。 雲が厚く垂れ込めていて視界がきかない。 けれど西の窓から眺めながら、今までの旅を思わずにはいられなかった。 最初に旅に出てから既に8年程経っている。ネパール、インド、パキスタン、 そして中国・新彊……、途切れ途切れではあったけれど、 一つの長い道を旅することができたのだ。 今はもう遠く離れてしまった国々のことをしばらく思い返していた。

 それから目を東の方へ転じると、今度は日本のことを思った。 日本へ帰り着くまでにはまだまだ時間が掛かる。 飛行機のように明日空港を発てばもう日本に帰れるという訳にはいかないのだ。 まだ遠いなぁとためいきをつきながら、ぼんやりと東の方を眺めていた。 玄奘さんは遠い遙かな旅から帰り着いて、ここで何を思っただろう。

 西安ではもう一つ玄奘さんに縁のお寺を訪ねた。 町の南の郊外にある興教寺というお寺で、玄奘さんの塔墓がある。 たまたまホテルの同室だった女の子が知り合った、日本語の通訳をしていたという人が、 彼女が去った後電話をかけてきて、私が出てその旨伝えると、 じゃあ今度はあなたに街を案内してあげようと言い出したので、 彼に興教寺まで連れて行って貰った。

 西安郊外はとうもろこし畑の続く広々とした農村地帯で、 お寺はその田園風景を見下ろす丘の中腹にあった。 玄奘さんの塔墓は唐代の物だが、お堂と仏像は新しい。 けれど緑に囲まれた静かな良いお寺だ。u 苔むした古い塔墓はそれはど大きいものではなく、 緑の中にひっそりとたたずんでいる風情がとても良かった。

 街に戻って来てから、興慶公園に阿部仲麻呂の碑を見に行った。 阿部仲麻呂は奈良時代の人で、遣唐使(2)として唐に渡り、 学問を修め、唐の偉い役人にまでなったが、帰国を願って遣唐使船で帰国しようとする。 だが船は難破し、とうとう帰ることができず、唐に戻りそこで没した。 同じ遣唐使船で高僧鑑真(3)も日本へ向かっているが、 彼の乗った船は無事日本に着いている。 奈良と西安が友好都市になった記念に建てられたというこの碑を見ながら、 井上靖の小説『天平の甍』(4)を思い出した。 同じ遣唐使船で日本に向かいながら別の船に乗り、 明暗が分かれてしまった仲麻呂さんと鑑真さん。 歴史は時としてそういう紙一重の運命の上に成り立っているのだ。

 西安までの道程は仏教伝来と天竺を目指した求法僧、玄奘さんや法著さんたちの道だった。 ここから日本までの道は仏法を日本に伝えようとした鑑真さんや、 唐の政治や仏教を学び取ろうとやって来た遣唐使たちの道だ。 道はいろんな人の思いを残しながら繋がっている。 そして繋がった道によって、全く違った歴史がこの町で出会っている。 繋がった道と繋ぎ目としての町、そこにある人々の思い、そして歴史。 そんなことを考えながらのシルクロードの旅は、やはり興味尽きなく面白いと思う。

 その日の夕方、西安から上海に向かって発った。 ホームから、昨日大雁塔で見られなかった夕日が見れた。 オレンジ色の美しい夕日だった。


(1)空白の部分
中国・パキスタンの国境地帯。 パキスタンのフンザから中国のカシュガルまでが未踏の地です。

(2)遣唐使
奈良時代から平安初期にかけて唐に派遣された使節。 朝貢という目的だけでなく、唐の制度や文化を学ぶため使節の他に多くの留学生や留学憎が唐に渡り、 また帰国の便で来日した唐僧や唐使によって伝えられた文物も多い。 この頃の遣唐使船は4隻が定数で、1隻に120〜130人、総員500人前後で出航した。

(3)鑑真
唐の高僧。 遣唐使船で唐に渡った日本人留学僧の招聘を受け、 日本に仏教の戒律を伝えるため渡航を決意したが5回も渡航に失敗し、 そのために失明までしてしまったが諦めず、11年後6回目の渡航でやっと来日でき、 奈良で律の教えを広めた。 この鑑真さんの来日までのお話は、 半分フィクションであるが井上靖の『天平の甍』に詳しく載っている。

(4)『天平の甍』
奈良天平時代、遣唐使船で中国に留学した僧たちと、 彼らの要請で来日した高僧鑑真の来日までの過程を綴った歴史小説。 新潮文庫に入っている。

我触了熊猫在西安

 ホテルの同室の女の子が動物園で熊猫(シェンマオ=パンダ)に触ってきたと言う。 「え−、ほんと−?」「ほんと、ほんと。」

 そんなら私もと土砂降りの雨の中、閉園間近の動物園に行き、走り回ってパンダ舎を探した。 いたいたパンダ。何と見るのは初めて。 上野のパンダだってテレビでしか見たことなかったのだ。 そのうちパンダの係の人なのかよく解らないが、 若い男が出てきて「シェンマオなんとかかんとか!」と言いながら手招きしている。 「これだ!!」と思いつつ舎のl中に入る。

 奥の檻にいるパンダは機嫌が悪いらしく、柵をたたいて暴れている。 近寄らないように写真だけ撮って、手前の檻の中に入る。 こちらはおとなしい。 でも歯を剥き出したりすると熊そのもの。 目も結構こわい。 恐る恐る触ってみる。 ふさふさした毛並みでぬいぐるみみたいだった。

 これはなかなかできない経験だったと感動しつつ外に出ると、 さっきの男はチェンジマネーを要求。 やはりただという訳にはいかないのだ。 何とか言い逃れて動物園を後にした。

熊猫


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