5.果てしなき大地 - 中国(2)

トルファン〜ウルムチ( '88 )
酒泉〜敦煌( '88 )
西安〜蘭州( '88 )

◇ ウルムチの思い出

 中国に入って14日目、とうとう今回の旅では一番西の目的地、ウルムチへやって来た。 ここまで来たら、後はもう東に向かって帰って行くだけなんだなぁとしみじみ思った。 ウルムチはトルファンよりはだいぶ過ごしやすく、真昼でも平気で街を歩ける。 体感温度は随分違うようだ。

 ウルムチでの目的は二つあって、一つは2年前見逃してしまった新彊第一のウルムチ博物館を見ること、 もう一つはボゴダ峰の麓にある美しい湖、天池を訪ねることだ。

 ウルムチは新彊ウイグル自治区の第一の都市だけあって、大きいし都会である。 もちろん中国の他の有名都市に比べるとまだまだだが、 今までずっと田舎町ばかり見て来たので、ウルムチは都会だなあと思ってしまう。 それでも裏通りの市場に行けば、シシカパブ屋やうどん屋の屋台、 ナンを売る店などが並び、充分シルクロード的な雰囲気が味わえる。

 着いた次の日、早速博物館へ行く。 ここには新彊で出土した数々の考古品が置かれているが、 これといって印象に残った物はなく、 それより新彊ウイグル自治区に住む各民族別の展示の方が面白かった。

 この博物館の一番の見物はミイラで、 別料金を払って別室に入るとガラスケースに入ったミイラが何体か置かれている。 既に展示物となっているミイラには、 アスターナ古墳の剥き出しのミイラを見たときのように、 可哀想という気持ちはあまり湧かない。 ここのミイラは楼蘭出土の物も且末(チェルチェン)出土の物も、 髪や皮膚がよく残っている。且末のミイラなど今死んだという位きれいだ。

 3日目の早朝、バスに乗って天池へ一泊の小旅行に出た。 あいにく天気は小雨である。 バスはウルムチから北へ、そして東へと向かい、ボゴダ峰の北側へ大きく回り込み、 阜康という町から南へ向かい、山へ入って行く。 道中よく寝て天池の麓で起こされた。 そこで入場券を買って、ゲートをくぐり、すごい山道を登って行くと天池の駐車場に着く。 バスを降りて湖に向かうと、観光用のパオ(1)の客引きや観光用の馬引きに囲まれる。 私も馬引きの兄ちゃんに捕まって、小天池と近くの山へ連れて行って貰うことになった。

 天池は山々に囲まれた静かな美しい湖で、 晴れていればボゴダ峰の白い峰も望めてスイスのように風光明媚な所だ。 小天池は近くにある小さな池で、そこから下の川に滝となって落ちている。 深い青緑の水面と、水の音の他には何も聞こえない静けさが風景を神秘的なものにしている。

 そこから天池の前に戻り、今度は丘を抜けて小高い山の上に登る。 湖の回りの丘には草原と針葉樹の林が混在し、草原には所々カザフ族のパオが置かれている。 この辺に住んでいる人達は大なり小なり観光に依存した生活をしているようで、 本物の遊牧民とは言えないかもしれないが、 それでもパオの置かれている草原を馬に乗って行くと、 なんとなく遊牧民の雰囲気を味わえて気分が良い。

 山の上から青い宝石のような湖を見下ろし、また元来た道を戻る。 雨は既に止み、雲が切れて青い空とお日様が出てきた。 日の光に照らされると、緑の草原と針葉樹林は目の覚めるような美しさだ。 トルファンの壮絶な美しさとはまた違う種顛の美しさ、人を和ませる優しい風景である。

 湖の手前側にある観光パオ群の中の一つに泊まることになり、夕方はすることもなく、 同じ所に泊まる中国人と話したり、夕映えのボゴダ峰を写真に撮ったりして過ごした。 もうすっかり雲が晴れて、山々の向こうにボゴダ峰の白い峰が姿を現している。 青い空、白い峰、緑の山と木々、そしてそれらを映す湖。 ガイドブックによく載っている天池の写真そのままの風景。 でも実物の方がずっときれいだ。

 夜、同室(?)の中国人や香港人たちと寝ようとしたら、 おじいさんと少年が来て何か言い出した。 事情はよく解らないが、どうやら外国人と中国人が一緒に泊まるのはまずいから移ってくれと言っているらしい。 言うとおりにした方がいいだろうと私は彼らのパオに移った。 そこは彼らが実際に生活しているパオで、 そこに泊まるのも結構問題あるんじゃないかなぁと思ったが、 ストープがついてて暖かかったし(観光用パオはストープなしで寒かった)、 実際にここに住んでいる人々の生活を見るのも面白かったのでそのまま泊まった。

 彼らの家族は4人。 少年と小さな妹、それにお父さんとお母さん。 どう見てもおじいさんとおばあさんにしか見えないのだが、 少年はバーバ、マーマ(パパ、ママ)と呼んでいた。 パオの中はろうそくが灯り、そのささやかな明かりの中に家族の生活があった。 暖かいお茶とつつましやかな食事、家族の会話、 静かな暖かい風景……まるでセピア色の古い絵か映画を見ているようだった。 きっとずっとずっと昔から、ここの人々の生活はこんなふうだったのだろう。

 山の中の天池は夜から朝方にかけてずっと冷え込んでとても寒かった。 風邪を引いたようで、朝起きたら咳がひどく、気分も悪かった。 朝からまた馬に乗って出掛ける予定だったが、取り止めてそのままパオの中で寝ていた。 床に敷かれたフェルトやカーペット、壁に掛けられた布や積み上げられたトランク、 回りに置かれた様々な生活の道具…そんな生活の匂いがするパオの中で、 天井の煙り出しの穴から見える空を眺めながら寝ている自分が不思議だった。 今自分が生きている時間、空間から遠く隔たった、 まるで違う世界へ来てしまったような、そんな気持ちだった。

 午後バスに乗ってウルムチへ戻る。 天池は本当にきれいな所だった。 そしてそこで、少しでも遊牧民の世界に触れられて嬉しかった。 パオで過ごした一夜は忘れられない思い出になりそうだ。

 ウルムチには天池への旅行を挟んで6日間居た。 切符の手配などで動いている時間が多くて天池以外はあまり観光もしてないが、 その代わりここでは食事に恵まれて、おいしい物がいろいろと食べられた。

 代表的なのは新彊名物のシシカパブ。 羊の肉の串焼きで程よく香辛料が利いてて美味。 同様の料理はここら辺から中央アジア、中近東、トルコあたりまであって、 パキスタンでも似たようなものを食べたが、こっちの方がおいしい。 市場の屋台で、焼きたてのナンと共に食べると何串でも食べられそうだ。 ナンはイーストの入ってない平べったい丸いパンで、 冷めて固くなるとおいしくも何ともないが、 焼きたては香ばしくてそれだけでも食べられる。

 中国はどこの町でも屋台の店が多いが、ウルムチもそうで、 大体決まった所に固まって店を出しているようだ。 同室の日本人の学生や留学生の旅行者たちと食事に出掛けて、 たまたま見つけた屋台街は狭い道の両側にシシカバプ屋、うどん屋、おでん屋 (食べてないのでよく解らないけどおでんのような食べ物だった)などが立ち並び、 その奥には小さな食堂が何軒も続いていて、夜遅くまで明るく賑やかな所だった。 中程にあった四川料理屋に入って担々麺と火鍋(2)を食べたが、 これが辛いんだけどこたえられないおいしさ。 男の子たちは感涙にむせびつつ、ご飯をお代わりしていた。 あまりおいしかったので、次の日もわざわざ出掛けて行った位だ。

 次の日は火鍋に近くの店で買ったシシカパブを持ち込んで、 焼き鳥に寄せ鍋といったノリでビールを飲んだ。 ぬるいビ−ルがやたらおいしかった。 この取り合わせはここでしか食べられないのだと思うとホントに残念で仕方なかった。 ホテルの食事もおいしかったし、幸せなウルムチ滞在だった。

 ウルムチで最後の夜、ドミトリーの私の部屋で日本人の宴会が始まった。 このホテルのドミトリーは日本人が多く、私の部屋(5人部屋)は全員日本人、 向かいの部屋も全員日本人で、しかもAさんはBさんとどこそこで会い、 BさんはCさんとどこかで会ったことがあるといった具合で、 「どこかで会いませんでした? とか「久し振り!」なんて会話があちこちで聞ける。 私も途中で会った人何人かにここで再会した。 西安から西は旅行できるルートが決まっているので、皆似たようなルート、 日程で動き回っているせいなのだが、まあそんなこんなで、 私の部屋の住人にそれぞれの顔見知りが何人か加わって、互いに旅行の話をしたり、 様々なよもやま話で盛り上がり、思いがけなく楽しい最後の夜となった。

 9月7日予定通り、蘭州行きの列車でウルムチを離れる。 もう後は東へ向かって帰って行くだけである。 列車に乗ってしばらくすると、急に惜別の情が込み上げてきた。 もう二度とここへは来れないかもしれない、なんて思うと切なくて涙が出そうになる。 この思い、シルクロードへの思いは一体何なのだろう。 なぜ切ないのだろう。

 やがて列車はトルファン盆地へ入っていき、ひたすら東を目指しながら走って行った。


(1)パオ
遊牧民のテントのことを中国語で包(パオ)と呼ぶ。 モンゴル語ではゲル、トルコ語ではユルトと言う。 形は円形で木の枝の骨組みに白いフェルトを被せて作る。 トルコ系のカザフ族キルギス族などのパオはモンゴル族のものとあまり変わらない。

パオ

(2)火鍋
火鍋は鍋とコンロが一体になった鍋。 真ん中に煙突があってそこから火を入れる。 火鍋料理は肉団子や野菜をスープで煮た物で、 四川料理の名物なのかどうか知らないが、このお店は四川火鍋という看板を出していた。

★列車の旅で思い出すこと(パキスタン・中国)★★
★ ★ ★
  • パキスタンのすし詰め列車の気違いじみた一夜、思い出すことといえば、 人々の体臭とマンゴーの甘い匂いが入り混じったにおいがしていたなぁということ。
  • 昼過ぎののんびりとした車内に豆売りがやって来た。 チャナという大豆に似た豆を煮たものだ。 Oさんが買ったら新聞紙で作った器に入れ、 新聞紙で作ったへらみたいなものをさじがわりにつけてくれた。 新聞紙の器とおさじ…うーん。さすがだ!と思った。 ないならないでいくらでも応用・活用・代用できるのだ。
★ ★ ★
  • 中国の人はごみはごみ箱に捨てるという習慣がないらしい。 皆がよく食べる果物の皮や種もそのまま道端にポイ。 (まぁ、日本でも空カンのポイ捨ては多いからあまりエラそうに言えないが) 列車の中も同じでゴミは何でも窓を開けて投げ捨てる。 すいかの皮もスチロールの弁当箱も、あきびんまでも投げ捨ててしまう。 したがって線路の回りはゴミだらけ。 小心者の私は投げ捨てられたあきびんの割れる音を聞いてビビッてしまったけど、みんなへっちゃら。 あ然という感じだが、なにしろ広い国土だから、その位気にしなくていい。 どーってことないということなのだろうか。 でも やっぱり……
  • 西安の駅で、駅の巨大なホールで見送りにきてくれた宋(スン)さん (興教寺に連れていってくれた人)がホームの入場券を買ってくるのを待っている間、 自分の荷物に座って、行き交う人々を眺めていると自然に歌が出てきた。 私は一人、巨大なホールの片すみで雑踏のざわめきにまぎれて歌っていた。 夕暮れの西安駅の思い出……


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