5.果てしなき大地 - 中国(2)

トルファン〜ウルムチ( '88 )
酒泉〜敦煌( '88 )
西安〜蘭州( '88 )

◇ 灼熱のトルファン盆地

 ウルムチ行きの各停はハミ付近で夕暮れを迎えた。 その日は一日中良い天気で、太陽はずっと見渡す限りのゴビ灘に照りつけていたので、 今日はきっと大平原の彼方に沈むきれいな夕日が見れるだろうと期待していたのだが、 ハミ駅で停車している間に沈んでしまったようで、再び列車が平原に出ると太陽の姿はなく、 代わりに美しい満月が昇ってきた。

 夜になると、月の光は煌々と冴え冴えと荒涼とした地を照らしていた。 そのシルエットの風景もまた圧巻だ。 この茫漠たるゴビの漠野は昼も夜も壮絶な、しかし何故か人を引き付ける風景を見せてくれる。

 朝方、まだ暗いうちにトルファン駅に着く。 駅は天山の麓にあり、トルファン盆地の中にあるトルファンの町まではバスで3時間位かかる。 ターミナルで日本人二人連れと会う。 留学生と長期旅行者、二人とも旅慣れているので頼らせて貰うことにする。

 ポロポロのバスで町へ向かう。バスの中で平原の向こうから昇ってくる朝日を見た。 もう何度も見てるけど、その度に凄いなぁと感心している。 風景の大きさに心が動かずにはいられないのだ。

 町に着くと彼らに付いてすぐにホテルへ行き、まず一休みする。 3時頃まで昼寝して、それから外に出た。 ホテルの中庭のぶどう棚の下では、人々が普段着のまま楽器を弾き、歌い席っていた。 夜ここでショーをやる歌舞団の人たちだろうか。 それを見ながら、観光客のために作られたショーよりも、 こっちの方が飾り気がなく自然な感じでずっとよいなと思った。

 雰囲気が良いと聞いたバザールへ行ってみたが、 3時といってもまだ正午位の日の高さでとにかく暑く、お店の人たちもみんな昼寝をしたり、 日陰でうだっていたりで、全然活気がなかった。

 それにしてもトルファンのこの暑さ、聞きしに勝る。 圧倒的な太陽光線の強さと極度の乾操で、一歩歩く毎に力が抜けていくようなのだ。 12時頃から5時位まではとても外出する気になれない。 今までインドとか暑い所へは結構行っているが、やっぱりここが一番暑い。 全くここの太陽こそが灼熱と言うにふさわしい。

 5時から観光に出掛ける。 軽トラの荷台に座席を付け幌を被せた車で、シンセンから来た中国人二人と同乗した。 私は運ちゃんの好意で助手席に乗せて貰う。

 まず交河故城。 河の中の高い崖に囲まれた中州に作られた街の廃墟で、まるで河に浮かぶ軍艦のようだ。 車が河にはまってしまい、そこから遺跡まで歩いて行かなければならなかったが、 5時を回ったというのに相変わらず凶暴な暑さで歩くのが辛かった。 悪いことに水筒を忘れて来たので、水欲しさに目がくらむ思いだった。 それでも2千年前から千年ほど栄え、今は土の魂と化した街の残骸が累々と広がる不思議な光景に魅せられ、 乾いた体を引きずるようにヨロヨロと廃墟の中を歩き回った。 大きな道の突き当たりに寺院の跡があり、そこの塔の上に登ると遺跡全体が見渡せた。 北側には雪を載せたボゴダ山系が連なり、 東側の低い丘の向こうにはトルファン盆地の低地帯が海のように広がっているのが見え、 とても眺めが良かった。

 交河故城から街へ戻り、カレーズ(1)とモスクを見る。 モスクの脇の店で派手な色のついたジュースを見つけ、真っ先に飛びついた。 汚いコップに注がれていたが、そんなことにこだわっている余裕は全くない。 乾き切った喉はそのジュースをあっという間に飲み干してしまった。

 街を出て今度は東の郊外へ行く。 平原の中に真っすぐ延びる道をずんずん走って行くと、 北側に皺々の山肌を持つ山並みが近づいて来た。 有名な火焔山(2)である。 傾いた日に慣らされた皺々の山肌はオレンジ色で、燃えているという形容がとても合っている。

 それにしても空が青い。 車は火焔山中の谷に沿って、今見た山並みの裏側に回り込み、ベゼクリク千仏洞へ向かっていたが、 一木一草ない山の色と青空の鮮やかなコントラストは中央アジアならではの色だ。

 ベゼクリク千仏洞は6〜14世紀に開かれた石窟寺院である。 幾つか窟を開けて貰って見たが、傷みが激しく壁画はほとんど残っていない。 僅かに残った千仏や菩薩、涅槃仏を拝む人々の図は、敦煌莫高窟の物とはまた違った容貌をしていた。

 火焔山中から平原に戻り、今度はアスターナ古墳を見た。 アスターナ古墳はトルファンが高昌国として栄えた頃(5c半〜7c半)の貴族の墳墓群である。 三つの墓の中に入れる。 二つは壁画が残っている。 一つは花や鳥の絵で、一つは人物の絵が描かれている。 もう一つは入ってピックリ、墓室の真ん中の寝台の上に男女のミイラが置かれている。 エジプトのミイラと違って自然にミイラ化したもので、ほとんど骸骨に等しい。 見ていて余り気味のいいものではないが、 それより完全に見世物となっているミイラがかわいそうで仕方なかった。 アスターナとは安息の地というような意味だそうだが、 ミイラにとってもうここは安息の地ではないのだ。

 高昌故城へ回るには時間が遅いとのことで、そこから市内へ戻る。 来るときに通った平原の中の真っすぐな道を、今度は西に向かって突っ走る。 ちょうど真っすぐに延びる道の向こうに夕日が落ちようとしていた。 夕日なのにまだまだ眩しい光の中で、大地は黒い影となり、 目の前の黒い舗装道路だけが一筋光り輝いて見える。 自分の目の前に延びる光る道に私は思わず目を見張った。 この旅行に出る前の7月、奈良のシルクロード博(3)へ行ったのだが、 そこでとても印象に残ったことが一つあった。 作家の井上靖をテーマとした館で、 シルクロードの写真と井上靖の詩がスライド上映されていて、その冒頭の写真、 シルエットになった砂漠に延びる一本の光る道、この写真を見たことがまさにそれだった。 その写真の風景は目に焼き付いて離れず、

「砂漠の中へ延びてゆく一本の通が光っている。
 光り輝く道  私のあこがれへの道
 あの道を辿って行けるだろうか」
などと日記に書いていたのだが、それと同じ光る通が現実に目の前にあり、そこを走っているのだ。 何と象徴的な啓示的な風景なのだろう。 私は眩しい夕日を見つめながら一人で感動していた。

 その夕日も遠い天山の山並みに最後の一片になるまで輝きを失わずに沈んでいき、 雲一つない青い空はますます青さを増していった。 青い空と乾いた大地だけの世界は透明で清浄な空気に満ちているような気がした。 その美しさは圧倒的で、人の作ったものなど到底及ばない。 人間なんてこの大きな大きな天と地の間では、小さく、はかなく、愚かな存在でしかないのだ。 そして人間が介在しないこの地には、確かに神あるいは仏のような絶対的なものが存在すると感じた。

 小さな車の中で、果てしなく青い空を見つめながらそんな宗教的な事を考えていると、 気分はだんだん High になってきて、青い空に巨大な曼荼羅が思い浮かんだ。 そして何かすごく難解な抽象的な宗教の詩や文章を読みたくなった。 そういうものがその風景にはふさわしいと思ったのだ。 しかしそういう詩は何も知らなかったので、 パキスタンのフンザへ行ったときと同じように心の中でただ手を合わせた。 やがてあたりは暗くなり、車は町に入って行った。

 次の日は朝からマイクロバスの一日旅遊のツアーに加わった。 昨日見れなかった高昌故城を見るためである。 他の所はだぶってしまうが、2回見ても構わないと思った。

 昨日通った平原の中の道を、今度は昇りたての朝日の光の中を走って行った。 朝の平原もまた清浄な空気に満ちた世界だった。

高昌故城のラクダ

 中国の南北朝の頃興った高昌国の都城である高昌故城は広大な遺跡だった。 北門から入り、大きな建物や城壁の残骸の中を車は進んで行き、 奥まった所にある寺院跡の前で止まった。 降りて修復されつつある寺院を見たり、あたりを散策する。 寺院の高い建物の上に登ると広大な遺跡が見渡せた。 交河故城よりは広いが残骸の密度は低い。 崩れ方も著しい。 しかし遠く火焔山のあたりに朝もやがたなびき、なかなか良い風情だった。 そこから降りて近くの残骸を見て回ったが、どんな建物が建っていたのか、 どんな街並みだったのか想像も付かない。 ただ空とか、この暑さとか、火焔山の様子などは今と変わらないのだろうなと思う。

 大きな自然に比べると、人の営みなどはんとに小さくはかないものだ。 ここにいると、人間はもっと自然に対して謙虚にならなきゃいけないとつくづく思い知らされる。

 高昌故城を見た後は、昨日行ったアスターナ古墳、ベゼクリク千仏洞へ回り、 その後トルファン名物のぶどうを葡萄溝(ぶどうを生産している人民公社の中の観光農園のような所)でいただき、 昼休憩のためいったんホテルへ戻った。 午後は交河故城などを回る予定だったが、私はパスして洗濯したりバザールへ行ったりした。 その後市内で唯一の観光名所である蘇公塔(4)へ行こうと思ったが、 暑くて元気が出ず結局やめてしまった。

 トルファンの滞在はわずか2日間だったが、強烈な思い出が残った。 それは確かにシルクロードでしか味わえないものだった。 それをこの町で体験できたのは、やはりこの町の異常と言っていいほどの気候のせいだったのだろうか。

 次の日私はバスで暑い暑いトルファンを離れ、2年前通った道を逆に走り、ウルムチへと向かった。


(1)カレーズ
西アジア一帯で行われている特殊な水道設備。 イランではカナートと呼ぶ。 高地にある水源から水を引くのに、水源地から町まで20〜30mおきに縦穴を掘り、 その縦穴をトンネルで繋ぎ、トン ネルに水を流すようにしたもの。 西アジアでは各地に古くからあったか、 新彊でカレーズがあるのはトルファンだけで名物になっている。

カレーズ

(2)火焔山
この燃えるように赤い山は三蔵法師と孫悟空の『西遊記』に本当に燃えている山として登場している。 悟空が「芭蕉扇」という巨大な扇を手に入れるため仙人と魔王を退治し、 その扇であおいで山の火を消したという割とポピュラーなお話に出てくるので知っている人も多く、 これもトルファン名物の一つに加わっている。

(3)シルクロード博
この年奈良で行われたシルクロードをテーマにした博覧会。

(4)蘇公塔
1779年、当時のトルファン郡王蘇来満(スレイマン)が父の額敏(オミン)の功績を讃えて造ったモスクの塔。 高さ44m。上まで登れる。

◎◎ トルファン 〜 洗濯日よりの町 ◎◎

トルファンですることと言えば一に遺跡観光、二にバザールひやかし、 そして三、四がなくて五に洗濯だ。 なにしろ日差しは強烈、高温無湿、まるで巨大な乾燥機の中に町があるようなものなのだ。

Tシャツは30分り、ジーンズでも2時間あれば乾いてしまう。 主婦が聞いたら泣いて喜ぶような町だが、欠点は風と砂。 風が吹いてしまうと砂だらけになって、洗濯どころではなくなる。

幸い私がいた時は風もなく絶好の洗濯日より。 さっそく山ほどの洗濯して、主婦の如く満足げにうなづいていた。

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