4.果てしなき大地 - 中国(1)

ルートマップ・CHINA( '86 ) 地図

◇ タタラマカン砂漠

 カシュガルを発つ日、その日は下痢で始まった。 朝方、下痢と吐き気で目が覚め、何回かトイレに行った後、寒気がして熱っぽくなってきた。 どうやら風邪をひいたらしい。

 朝食は食べられず、そのままバスに乗る。 カシュガル−ホータン間は一日の行程としては、今までの中で一番長い。 つらいなあと思ったが、観光できなくてホテルで寝ているよりは良いと思い直した。 ツアーの仲間が心配して、いろいろ薬をくれる。 このツアーでは一番若い私がこんなことになるなんて恥ずかしいと思いつつ、 皆さんの行為を有り難く頂戴した。

 カシュガルを出て、しばらく悪路が続いた。ガタガタとバスが大きく揺れる中で、 流感特有の節々の痛みが辛く、座ってられず座席に横になっていた。 そのうち皆が何やら騒いで、バスが止まった。起きてみると、 右の車窓に遠くコングール峰とムズターク・アタ峰が見え、それを皆が写真に撮っているのだった。 両峰ともパミール山中の高峰である。 カラコルム・ハイウェイはこのこつの山の麓を通り、パキスタンへ向かう。 しかし私たちはこの山から次第に遠ざかり、東へ行く。

自家用車

 悪路がやっと終わって、スムーズに走り出したと思ったら、今度はパンク。 ゴビ灘の中で30分程のロスタイムである。 バスを降ろされてしまい、私は日傘を持って来た人からそれを借りて差しながら、 陽炎の揺らめくゴビ灘をぼんやり見ていた。 他の人はゴビの石を拾ったり、生えている草を観察したり、 バスの陰に座り込んで話をしたり、思い思いに過ごしていた。 皆、旅慣れた人ばかり、こういう状況はよく心得ていて、誰も文句を言う人はいない。 むしろ思いがけないロスタイムを楽しんでいるようだった。

 途中のカルガリクという所で昼食。 薬のお陰で熱はだいぶ引いたが、体がだるく、昼食は食べずに側のベンチで横になる。 下痢のせいで腹痛がひどく、そちらの方が辛かった。

 カルガリクを出ると、タクラマカン砂漠南辺の大平原に出た。 所々に砂砂漠が見え、道路も砂で覆われている所があった。 小さな竜巻が平原のあちこちに立ち、蜃気楼がよく見えた。

 休憩がその後2回あったが、トイレに行く度腹痛がひどくなり、 皆がおいしそうに食べてるスイカには目もくれず、 ひたすら早く着いてと祈りながらバスの座席にうずくまり、午後9時半、 やっとの思いでホータンのホテルに到着した。 カシュガルから13時間、長くて辛いバスの旅はようやく終わった。 長い旅行をしていれば、たまにはこういうこともある。 これはこれで良い経験になった。

 一晩眠るとだいぶ回復したので、翌日のホータン観光は予定通り参加した。 まず、絨毯工場を見学。 ここでも絨毯を買った。色とりどりの絨毯を品定めしているうちに、段々元気が出てきた。 どうも、絨毯には目がないのだ。

 (1)の取れる河、白玉河で写真を撮り、博物館へ行く。 小さくて研究所の展示室といった感じだが、 展示されている物は付近の遺跡から出た貴重な物ばかりだ。

 昼食後、砂漠を見に行く。 タクラマカン砂漠といっても、今まで見てきたのは石ころごろごろのゴビ灘ばかりだったが、 タクラマカン砂漠の南側のこのあたりには、北から吹く風に乗ってきた砂が吹きだまり、 砂漠らしい砂砂漠が広がっているのだ。

 バスで町の外れに来ると、農家の家並と防砂林のすぐ向こうに砂丘が見えた。 砂丘に登って見ると、高い砂丘の群れが彼方まで続いていた。 本当の本物の砂砂漠についに来たのだ!! 病み上がりなのも忘れて、付近の一番高い砂丘に大阪の先生と登りに行った。 そして、そこで私は砂の海に向かって、お−い!!と叫んだ。 海に向かって叫ぶのと同じ気分だ。ただ海と違うのは、私の声の他に音がないことだった。 砂漠は全く無音で、ただ太陽に照りつけられているだけだった。 それから私は、そこの砂をつかんで撒き散らした。 太陽に浄化された砂を浴びると、なんだか心が洗われるような気がした。

 砂漠は旅路の果てという感じだった。 ここへ来て、今回の旅はこれで終わったなと思った。 まさしく旅のクライマックス、最後を飾るのにふさわしい場所だった。 本当に来て良かった。

 帰る途中、畑の下に埋められているヨートカン遺跡(2)に寄り、ホテルに戻った。 翌日はもうタクラマカンに別れを告げ、ウルムチへ戻らなければならない。

 10日間にわたったタタラマカン半周のバスの旅も、ついに最後の日を迎えた。 午前中はホータンの名産品、玉石の専売所へ行って、それぞれお土産を買い、 午後は飛行機の予定が遅れたので、希望者のみ近郊の遺跡へ連れて行ってくれた。 私は病み上がりだったのでパス。 そしていよいよ出発。空港までは、見事なポプラ並木が延々と続いている。 風に枝を揺らせているポプラの木々は、再見再見(3)と手を振ってくれているようだった。

 飛行機は空港を飛び立つと、真っすぐにタタラマカン砂漠の上空を北へと飛んで行く。 窓には砂丘のひだや、タリム河の無茶苦茶な河筋、 通って来たハイウェイなどが次々と見え、アクスにいったん降りて給油。 そして今度はうっすらと見える天山を左手に東へ飛び、やがて進路を北に変え、 天山を越えてウルムチに着いた。 ホータンからは4時間。ウルムチからホータンまで2008kmを10日間かけて旅して来て、 帰りはたったの4時間である。 ウルムチに着いて10日間の旅を振り返ると、まるで夢の中の出来事のように思えた。

 初めてウルムチに来たときはホコリっぽい街だなと思ったが、 もっと田舎のホータンから帰ってみると、嘘みたいにきれいに見える。 結局帰りも夕方着いて、次の日の朝出発。 市内を見て回る暇はなかった。 また来よう、そう思いながら帰路に着いた。 平原から昇るきれいな赤い朝日と、雪を戴くボゴダ峰が見送ってくれた。 再見、ウルムチ。 また会う日まで……。


(1)玉
ここでは軟玉を指す。白い色が多いが、緑、褐色、黒色などもある。 中国人(漢民族)は古来から玉には神秘的な力があると信じ、装身具だけでなく、 葬具、祭器や象徴としての器具にも使われていた。 特に葬玉が用いられるのは玉の力で死体が腐らないと信じられていたため。 漢代あたりまでの貴族の墓からはたくさんの玉製品が出土している。

(2)ヨートカン遺跡
ホータン市郊外にある遺跡。 ホータンの王城の跡だと推定されているが、 寺院の跡だという説もあって詳しくはまだ解っていない。 イギリスのスタイン、楼蘭探検で有名なヘディン等が最初に調査をした。 現在では田畑の中に埋められてしまい、再調査を待っている状態である。

(3)再見(ツァイチェン)
中国語で「さようなら」の意味。読んで字のごとく、See You Againと同じである。

ツアーの人々

 一行は16名。 女性8人、男性8人で学校の先生が多かった。 後は会社社長夫妻、大学の恩師夫妻、その他。 ほとんどの人がシルクロード大好き、旅行大好きという人達で、 こういう辺境ツアーには何度も参加している人も多く、皆慣れたものだった。 歳は30代から60代まで、20代は私一人だった。

 添乗員は片山さんという女佐。 歳は?だがもうベテランといったカンジだった。 ガイドは北京では趙さん(女性)、新彊ではムラテ氏。 彼はカザフ族出身、歳は私より一つ下、典型的な現代的インテリ田舎青年であった。

 初めてのツアー旅行は自由の利かない不満もあったけど、 皆良い人ばかりで楽しい旅行だった。 よくツアーで聞かれる、ツアーへの不満や同行者に対する不平を言う人などまるでなく、 お互い協調し合ってスムーズに旅が進んだのは、さすが旅慣れた人ばかりのツアーだ。 こういう気持ちの良いツアーならまた参加してもいいなぁと思った。


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