ルートマップ・CHINA( '86 ) 地図 |
◇ 最果ての町・カシュガル
クチャからカシュガルまでは、アクス経由で二日の行程である。 ゴビ灘の中を走って行くことにもすっかり慣れ、景色もそれほど珍しくなくなってきた。
そんな訳で、クチャでの遺跡巡りの疲れもあって、クチャからアクスまではほとんどず−っと寝ていた。 この道中はあまり大きな町がなく、時々目が覚めても、いつもゴビ灘の中だった。 だからトイレ休憩もゴビ灘のただ中。 ここで初めて砂漠トイレットをした。 砂漠と言っても、土包子と呼ばれる土鰻頑のような小さな起伏がポコポコあって、 ちょうど一人ずつその起伏に隠れられるのだ。 初めてだったし、下半身しか隠せない状態で、誰も見ていないとはいえやっぱりしにくかった。 それにしても、まっ平の所でなく、ちゃんと隠れられるような所を選んで、 バスを止めてくれた運転手のホージャ氏には感心した。
アクスにはお昼過ぎに着いた。 アクスは新しい町であまり見るものがなく、バザールを見たけどあまり面白くなかった。
アクス−カシュガル間はほぼ一日行程。 この行程もオアシスがほとんどなく、ゴビ灘の中をひたすら走るだけである。 この日は持って来たカセットをずーつと聞いていた。 せっかくシルクロードなんだから、と持って来た喜多郎や Children Of Earth(1)、 やはり本場で聞くとムード満点。 大好きなOff Courseも、小田さんの澄んだ声が砂漠の乾いた空気によく合っていて良かった。 音楽でちょっとセンチメンタルになって、そんな気分で見る砂漠や岩山はなんだか切ない。 でもこういう切ない気分はとても好きだ。
砂漠トイレットも何回もするうちに慣れてしまい、 慣れると汚くて臭い公衆便所よりはよほど快適である。 この日のお弁当は鳥肉のグリルしたものやむしパン、ゆで卵にリンゴが、 ビニール袋にいっしょにどさっと入っているだけのもの。 手渡されたときはあ然としたが、トイレといい、弁当といい、砂漠の旅はワイルドなものだなとつくづく思った。
6時頃、カシュガル着。 カシュガルは中国で一番西の端にある大きな町だ。 この町から更に西へ行けばパミール高原、その向こうはソ連、アフガニスタンである。 南へ行けばカラコルム山脈を越え、パキスタンに入る。 前回の旅行で通ったカラコルム・ハイウェイはこの町に通じている。 そして、その時訪れたパキスタン北部の村フンザは、この町から約400km程の所にある。
最果ての町であると同時に、インドや西方世界、 言わば異世界への扉の役目をしているこの町には、格別のあこがれを持っていた。 その町にとうとう来たのだ。
翌朝、雨が降った。 砂漠の町に雨とは珍しい。 ツアーの仲間に雨女だという人がいて、皆で彼女のせいにする。 彼女は以前、敦煌に行ったときも雨に降られたそうで、 この雨の極端に少ない地域で、二度も雨に遭遇するのだから、相当なものだ。
カシュガルの観光はこの日一日だけ。雨はすぐに上がり、早速、市内の名所を巡る。 まずホージャ墳という、カシュガルの長者だった一族の廟を見る。 典型的なイスラムの廟で、ちょっと色あせているけど、青いモザイクタイルで飾られている。 廟の中はホージャー族の石棺が並んでいて、その中には清朝皇帝の妃となった香妃(2)の墓もある。 香妃という人は、よく知らないけどいろいろエピソードがあって、有名な人なのだそうだ。
次はエイティガール寺院。 中国で最大のモスクで、確かにクチャのモスクなどに比べると格段に立派で大きいが、 なんだこの程度かと思ってしまった。 モスクにしろ廟にしろ、インドやパキスタンでもっと大きくて壮麗なものを見ているから、 ここのはずっとひなびている感じだ。 イスラム世界にとっても、ここは辺境の地なのだ。
このモスクから、裏の方の白壁に囲まれた、ちょっと雰囲気の良い路地を入って行くと、 民族幼稚園(3)がある。 なぜかここでは観光客を集めて、ウイグル族の子供達がウイグルの歌と踊りを見せてくれる、 ということになっているのだ。 どうしてこの催しが必ずツアーに組み込まれているのかはよく解らないが、 でもやっぱり子供はかわいいので、皆やんややんやと拍手喝采していたけど……。
午後は二班に分かれた。 希望者のみ近郊の町にあるイスラム聖人の廟を見に行き、 残りは三仙洞とバザール見学をした。 私はバザールで買い物をしたかったので、残り組に入った。
三仙洞は町の近くを流れる河(といっても水ははとんど流れてない) の断崖に掘られた三つの窟である。 かなり高い所にあって、中には入れず崖の下から覗くだけだ。 左側の窟の天井には壁画が残っていて、青い色の光背のようなものが見える。 真ん中の窟は白く漆喰が塗られたままで、 奥壁に黄色い光背と漢字のいたずら書きのようなものが見えたが、 これは多分、後世に書かれたものなのだろう。 右側のは掘られたまま放置してあったようで、地の色が見えてるだけ。 いつ誰が何のため掘ったのか、どうして中途半端なのか諸説あるが、よく解らないらしい。 中国で最も古い石窟とも言われているらしいが、はたしてどうだろうか。
モスク前の広場に戻り、モスクと反対側にあるバザールを見る。 モスクの回りは職人街があったり、バザールがあって、一番賑やかで、 一番シルクロードの町らしい雰囲気がある所だ。 ここのバザールはそれはど大きくないが、活気があって楽しい。 細い路地に様々な店がぎっしり並んでいる所は、パキスタン、 ペシャーワルのキッサ・カワニ・バザールに似ている。
絨毯が欲しかったので、絨毯屋さんを見つけて小さいのを一つ買った。 旅行者と見て、あまり負けてくれない − いわゆるツーリストプライスで買わされてしまう − のはインドでも中国でも同じだ。 社会主義の国なのにィ〜と怒ってみても仕方がない。 ただ私はカシュガルのバザールで絨毯を買ったということだけで、充分満足していた。 ここから日本まで数千キロの道程を私の手で運ぶのだ。 「嫁入り道具にするのだ」と、私は付き合ってくれたツアー仲間の大阪の先生に子供のように自慢した。
夕食はウイグル料理の御馳走。 羊の丸焼きが出た。 トルファン産のワインで乾杯して、旅は最高潮だった。
夕食後、レストランに来ていたパキスタン人と話をする。 ギルギットから来たと言っていた。やはり、この町はパキスタンとつながっているんだ、 パキスタンはすぐ近くなんだ……。 私は自分が未だ越えられない、カラコルム越えの国境の道を思わずにはいられなかった。
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