4.果てしなき大地 - 中国(1)

ルートマップ・CHINA( '86 ) 地図

◇ 天山南路

 ウルムチに着いた翌日、朝、日の出とともに、 小型バス一台に荷物を積んだバン一台を連ねて、 天山山脈の向こう側にあるコルラに向けて出発した。

 中国ではどこでも北京時間を使っており、 その上サマータイム(1)の時期なので、 西の方の新彊では夜明けが遅く、日暮れも遅い。だから日の出といっても時間は8時である。 ちなみに前夜は11時頃まで明るかった。

 ウルムチは新彊ウイグル自治区の区都。 新彊一の都会で、漢民族(2)もたくさん住んでいるせいか、 あまり西域という感じがしない。 前日、夕方(といっても時間的には夜)着いてすぐ町外れのホテルに入ってしまい、 町の観光はしなかったので、どういう町なのか良く解らなかった。 ただホテルへ向かう途中、賑やかな市場を通り過ぎたとき、 雰囲気が良さそうで見てみたいな思ったが、一人でバスを降りるわけにもいかず、 残念な思いをした。

 さて、ウルムチの町を出ると、すぐ広々とした荒野が広がり、 早くもシルクロードの旅の気分が出て来る。 放牧の馬や羊のいる緑の草原に囲まれた青い湖、白い塩湖などが車窓に現れ、目が離せない。 ウルムチをいつも見下ろしている、5000m級の天山山脈の孤峰、 ボゴダ峰は朝日の中でシルエットになっているので、雪の頂は見えない。

 やがて、草木が全く見当たらない山々の中に分け入る。 この山々は天山の一支脈で、その一つの谷に沿って進む。 川岸にはごわごわした草や低木が生えていて、ひまわりが咲いていた。

 そこを抜けるとトルファン盆地である。 また広々としたゴビ灘の中を走って行く。 トルファン盆地は一番低い所が海面下154m。 非常に暑い土地で、バスの中にいても暑さを感じる。

すいかとハミウリ

 トルファンへの道を分け、しばらく行ったトクシンという所で大休止。 初めてハミウリ(3)を食べた。 メロンよりずっとさっぱりした甘さ、スイカよりおいしかった。

トクシンから再び天山山脈に入り、長い長い山道を進む。 草木の一本もない山々の連なりは、この世のものとは思えないような風景だ。 ここを実際に旅した玄奘三蔵よりもフィクションの三蔵法師、 孫悟空や猪八戒の活用する西遊記の方を先に思い浮かべてしまう。

 峠を一つ越え、クムスという村に出て昼食、そこからまた山の中を走る。 山々をずっと飽かず眺めていたが、ここまで来るとさすがに飽きて、眠ってしまった。

 しばらく眠って起きると、今度はだだっ広いゴビ灘を走っていた。 平原の所々に小さな竜巻が立っている。 ウルムチを出てからずうっと、目に写る風景は日本では考えられないようなものばかり。 広大な大地の上、これだけ走っても目的地のコルラはまだまだ先だ。

 日本製の冷房付きバスなので、冷房を入れて窓を閉めていれば、快適なドライブだが、 ガソリンがなくなってきて、冷房を止められてしまうと、じわじわと暑くなる。 砂ぼこりがひどいので、窓は開けられない。砂漠の旅の厳しさをほんの少し味わう。

 運転手のホージャさんが退屈しのぎに、喜多郎の『シルクロード』をかけてくれた。 喜多郎の曲はこの乾いた風景に本当に良く合う。 そしてこの曲が流れていたテレビの風景(4)は、確かに今、目の前にある。 すごいことだなあと思う。

 湖の近くの芦の繁る湿地帯を通ったり、オアシスを通ったり、 また岩山の中を通り抜けたりして、やっとコルラに着いたのは7時過ぎだった。 お尻は痛かったが、珍しい風景をずっと見られて退屈はしなかった。

 一日がかりで天山山脈の端を抜け、コルラからは天山山脈の南側を走って行く。 天山南路と呼ばれる道だ。

 次の日、また朝、日の出とともに出発。 右手に岩山の連なりを見ながら、クチャを目指して走り出す。 しばらくして山々が砂塵の向こうに消えて、ゴビ灘の広がりだけになった。 いよいよタクラマカン砂漠の北辺に出た訳だ。 地平線まで真っすぐに伸びる道。 狭い島国に住む私は、それを見ただけですごいなぁと感心してしまう。

 砂漠と言っても結構景色に変化はある。 石ころゴロゴロのゴビ灘、貧弱な草の生えた草原、多少の起伏、 土に塩が混じっている塩地、縁のオアシス等が繰り返し現れる。

 輪台というオアシスの近くで、赤い花が群生している所があり、バスを止めてくれた。 紅柳=タマリスクという花だそうだ。 シルクロードでは結構有名な花である。 胡楊の木なども生えていて、写真を何枚か撮った。 私をツアーに誘ってくれた大学のF先生が、輪台という町について解説してくれた。 今は小さなオアシスだが、この町の名は漢代の史書にも出てくる。 先生の話を聞き、忘れかけていた西域の歴史を、頭の中でひもといてみる。

 コルラ−クチャ間は距離も短く道も平坦なので、2時半にはクチャのホテルに着いた。

 クチャも古くからある町で、寺院の跡や石窟寺院など多くの仏教遺跡が残されている。 ここには三泊して、これらの遺跡をじっくり見ようという計画になっており、 このツアーのハイライトでもある。

 天山南路で最も歴史のある町、仏教と音楽の栄えた町=クチャの観光は、 いよいよその日の午後から始まったのである。


(1)北房時間とサマータイム
北京時間と日本時間の差は一時間だが、サマータイムだと一時間繰り上がる。 つまり、日本と時差がない状態である。 日本よ.り4000km以上も西にある新彊が日本と同じ時間を使っているのだから、 時間の感覚が狂うのは当たり前である。

(2)漢民族
新彊はもともとウイグル族やカザフ族等の少数民族が住んでいる土地だが、 解放後(共産革命後)政府の政策で多くの漢民族(いわゆる中国人)が移り住んでいる。 しかし風俗・習慣が大きく違い、両者が混ざり合うことはないようだ。

(3)ハミウリ
ラグビーボールのような形をした新彊特産の黄色い瓜。 すいかと共に水代わりに良く食べる。 ハミという地名が付いているのは、この瓜がハミから東へ出荷されたので、 ハミの瓜と呼ばれるようになったのだそうだ。

(4)テレビの風景
NHK『シルクロード』。昭和55年4月〜56年3月、12回に亙って放映された。 喜多郎の曲と石坂浩二のナレーションで人気を博した番組。 この番組によってシルクロードの名は一般庶民に広く知られるようになり、 シルクロードの夢とロマンを誰でも味わえるようになったのだ。


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