ルートマップ・CHINA( '86 ) 地図 |
◇ 新彊へ
大学を卒業して会社勤めをしていた私に、再びシルクロードへの旅の機会が訪れたのは、1986年の夏だった。 大学の研究室へ遊びに行ったとき、室員をしている友達から、 中央アジア史の先生が夏休みに、中国の新彊を回るツアーに参加するという話を開いた。 私がシルクロード好きであるのを知っているその友達は、都合がつけば先生に付いて行ってみたらと勧めてくれた。
そのツアーは、中国のタタラマカン砂漠の回りに散らばるシルクロードのオアシス都市を、 2週間かけてバスで回るというもので、2週間というツアーにしてはたっぶりとした日程や、 砂漠をバスで旅行すること、ウルムチ・コルラ・クチャ・アクス・カシュガルに、 当時開放されたばかりのホータンを加え、 旅行できる都市(1)をほとんど綱羅していることなどが、 私にとって大きな魅力だった。 おまけに大学の先生が一緒、つまり講師付きの旅ということになる。 こんなチャンスはめったにない。 是非行きたい。 残業、残業の毎日でお金はたまる一方、だから費用は大丈夫だが、問題はヒマである。 果たして会社は2週間も休みをくれるだろうか。 大企業でもない限り、普通はくれないものだ。 しかし、どうしてもこのチャンスを逃したくなかった。
結局、休みをくれなければ会社を辞めると上司を脅かして、強引に休みを取った。 本当は脅しではなく、ダメだったら本当に辞めるつもりだったのだ。 忙しいだけの会社にはいい加減、嫌気が差していたから、丁度良い機会だと思っていた。 しかし会社にとっては、忙しい時ほど仕事のできる社員が必要で、 じゃあどうぞ辞めて下さいと言うはずはなく、 上司は「こいつ脅しを掛けやがって」というような苦笑いを浮かべながら、 渋々OKを出してくれたのだった。
学生旅行と違って、仕事を持っていると出発前が大変である。 ツアーだから、旅行の手続き等はしなくてよいのだが、2週間も空けてしまう仕事の穴はかなり大きい。 事前にできる仕事は全てやり、周囲の人に迷惑を掛けないよう、 休み中しなければならないことはできるだけ簡単に、解りやすく頼んでいかなければならない。 毎日残業し、休日出勤までして、万事怠りなく整えた。 現金なもので、残業も休日出勤も自分の旅行のためだから、まるで苦にならなかった。
前日まで仕事をしてて、いきなり成田から飛び立つというのは、何か変な感じだ。 全てあなた任せのツアーなので、“自分が全て”の個人旅行と違って緊張感は余りないが、 窓の下に広がる揚子江の河口を見ながら、飛行機からそれを見下ろしている自分がまだ信じられなかった。
北京に着いても、北京の街をバスで走っても、まだ自分の日常生活が離れていかず、 中国に来たという認識はしていても、自分が中国に居るという実感が湧かない。 不思議な感じだった。
ツアーはそんな私に構うことなく、予定通りの観光を始める。 予め、決められた名所から名所へバスで連れて行かれ、黙ってそれを見る。 自分は何もしなくてよい。 確かに楽だが、例えば古い民家の建ち並ぶ通りを通ったとき、それを見たいとバスを降りることはできない。 とてもはがゆい。 第1日目にして、早くもツアー旅行に対する違和感を感じてしまった。
一泊して翌日になると、だいぶ旅の気分が出て来て、やっと日常生活から離れることができた。 ちなみに、ホテルはさすがに良い所に泊めてくれる。 最上級とまではいかないが、何しろ今までの旅行がかなりひどかったから、それに比べたら夢の大名旅行だ。
この日、午前中だけ観光して直ぐにウルムチへと向かった。 北京の観光で良かったのは、やはり中国の象徴、天安門広場と故宮だった。 天安門広場はただ、だだっ広いだけの広場だが、一番中国を感じさせる場所のようだ。
故宮はさすが中国一の観光名所。 牡麗な建物が幾つも幾つも建ち並んで、日本では見られない豪華けんらんの世界だった。 もっとゆっくり、博物館のほうも見られればもっと良かった。
飛行機が遅れて空港でだいぶ待たされたが、無事出発できた (ツアー旅行は欠航で予定が一日遅れでもしたら大変なのだ)。 窓の下は見渡す限りのゴビ(2)の大平原。 初めて見る風景にわくわくする。 もうシルクロードは始まっているのだ。
途中で黄河を横切る。 黄土色の流れに、その回りの緑がとても群やかに見えた。
黄河を渡ってしばらくすると、左手に祁連山脈が見えてきた。 白い雪を載せた峰も見えた。 高い山を見るのはフンザ以来。 またアジア大陸の内陸部にやって来たのだ。
北京から4時間程、東京−北京と同じ位かかってやっとウルムチに到着した。 ウルムチは今回のバス旅行の出発点である。 北京から直線距離で約2500km、東京からだと約4500km。 遥か遠くの夢のような存在だった町は、たった2日間で現実と化してしまった。 そして時間と空間のギャップを埋める間もないまま、 ツアーは慌ただしくシルクロードの旅へと突入していったのだった。
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