仏陀とイスラムの国・パキスタン

ルートマップ・PAKISTAN( '83 ) 地図

◇ ガンダーラの仏たち

 フンザからギルギットへ、そして再びカラコルム・ハイウェイを戻り、ラワルビンディへ下った。 帰りは夜行バスだったが、あのガードレールもない谷沿いの道を、結構凄いスピードで飛ばして行く。 命に別状なかったのは運が良かったと言えるかもしれない。

 それにしてもパキスタンのバスは乗り心地が悪い。 バンやマイクロバスを利用したミニバスはまだいいが、 大型バスは公営も私営も座席が子供用かと思えるほど小さい。 狭くて窮屈で背もたれも小さいので、夜行バスに乗ってもどうやって寝ようか困ってしまう。 それに外国人の女が珍しいのか何か知らないが、回りの男たちが隙あらば触ろうとする。 特に夜行バスはひどく、こちらがうとうとしかけると手が伸びてくるので、 とても寝られたものではなかった。 それ以外はたいした被害はなかったけど、やっぱり女性は旅行しにくい国なのだ。

 パキスタンのバスは乗り心地は悪いけど、見ている分には面白い。 公営のバスは普通なのだが、何故か私営のバスは豆電球やキンキラキンの装飾で、 全面をギンギンに飾り立てているのだ。 ラワルピンディのバススタンドの前のホテルに泊まったとき、屋上からバススタンドを眺めたが、 互いに競い合うように飾り立てたバスがずらりと並んでいる様はとても壮観だった。

 ラワルピンディ滞在中に近くのタクシラへ見物に行った。 タクシラはアケメネス朝ペルシャの時代からあった都市で、三つの都市遺跡と、 その回りに幾つかの仏教寺院の遺跡が点在している。 現在の町はそこから少し難れた所にある、小さな田舎町だ。

Gandhara Buddha

 まず博物館に入った。 小さいが内容は豊富である。 ギリシャ風の彫りの深い顔立ちに伏せた目、アルカイック・スマイル(古代微笑)の端正なお顔のガンダーラ仏。 仏陀の一生がびっしりと刻まれた浮彫の数々。 小さな石造りのストゥーパや都市の遺跡から出てきた日常品etc.…。 人も少なく静かで、ゆっくり見れた。 博物館はラホールでもペシャーワルでも見たが、静かに見れたという点ではタクシラが一番だった。

 もちろん他の二つの博物館も内容は良かった。 ラホールは混んでいてざわついていたが、 あの有名な断食する仏陀の像(1)をじっくり見ることができた。 美しいお顔の仏頭がずらりと並べられ、並びきらなくてケース内にゴロゴロ転がされていたのには驚いた。

 ペシャーワルでは、等身大の如来像がケースに入れられず、 剥き出しのまま飾られていたので近づいてじっくりと拝見し、 Don't Touchと書かれてないのを確かめてからそっとお顔を触ってしまった (いっペん触ってみたかったのだ。日本じゃ絶対ダメだし……)。 その他、数々のコイン、おびただしいほどの浮彫。 一つ一つ見ていたら、館長らしき人に呼び付けられて話をさせられた。 好意は有り難かったが、私としては一人でゆっくり静かに展示物を見ていたかった。

 三つの博物館を見て、私の本場で本物をという願いは叶った。 どの仏像も素敵だったが、特に美しい微笑をたたえた仏像たちに改めて魅せられた。 奈良へ行くように、見たいときにすぐ行けたらどんなにか良いだろう。 だが今度、いつまた行けるかはインシヤ・アッラー(2)である。

 博物館を見終わった後、一番近いシルカップの都市遺跡へ行った。 地図を見て見当を付けて行ったが、道のない丘陵地で迷ってしまい、 バクシーシ(お恵み)をねだるガキ共に教えられ、 やっと辿り着いたのは丘の上の回廊型の僧院と崩れたストゥーパの跡だった。 石積みの壁や基壇の他は何も残ってない。 何だこんなものかとがっかりした。 その時は予備知識が何もなかったので、 限下に見える草むした低い石垣の連なりがシルカップの都市遺跡だということに気が付かなかったのだ。 遺跡見学には十分な予備知識か、ガイドが必要であることは、後になって解ったことだった。

 僧院の回廊をゆっくり歩きながら、そこに居たはずのお坊さんのことを考えていた。 パキスタンの旅は仏教の伝わった道、求法僧たちの通った道に沿ったものだったので、 私はいろいろな所でそこを通るお坊さんの姿を思い浮かべていた。 例えば、インダス河沿いのか細い旧道の上に、河原の白い砂の上に、 ガンダーラの平原の上に、青々とした田んぼの中に……。 彼らの足跡は至る所に残されており、彼らの崇拝した仏陀の像は寺院ではなく博物館に残されている。 そして彼らはもういない。 この地で仏教は滅び、今は遙か東の果ての国で生きている。 つくづく不思議な縁だと思う。

 不思議な縁を結んだ道は今も生きている。 しかし通れない道もある。 険しい山や谷を越えて続く道を見て、それらが人の障害にならないことを知った。 むしろ人を遮るのは人自身であるということを閉ざされたアフガンへの道を見て知った。 憧れて止まないシルクロード。いつか全部辿りたい。 そのためにも世界が平和であって欲しいと願う。 極めて利己的ないい加減な願いではあるけれど……。

 パキスタンに入って17日日、私たちは再び国境の長い道を歩いてインドへ戻った。


(1)断食する仏陀の像
ガンダーラ地方で出土した2〜4c頃の仏像。 釈迦の苦行する姿がリアルに表現された、ガンダーラ仏の最高傑作と評されている。

(2)インシャ・アッラー
イスラム教徒の慣用句。 アラビア語で「もしも神が欲したもうならば」という意味。 未来に予定されている行為や約束について、はっきり断言できないときに使う。 約束事に割といい加減である(?)彼らは、この言葉を非常によく使う。


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