仏陀とイスラムの国・パキスタン

ルートマップ・PAKISTAN( '83 ) 地図

◇ アジアの最奥部

 ペシャーワルの次に行ったのはスワートという所だった。 ガンダーラ地方の北側にあり、古代はウディヤーナと呼ばれ、ガンダーラと同様、 仏教の盛んな所だった。 玄英はもちろん、法顕、恵生(1)など高名な求法僧たちもここを訪れ、記録に残している。

 ペシャーワルからバスで約5時間、ガンダーラ平原を北上し、 山を越えるとスワート河沿いに緑の野が開けている。 このあたりは乾燥していて山に木が生えてない。 殺風景な峠の上から見下ろすと、河が白く光り、緑がとてもきれいだった。 峠を降りると河沿いに水田が広がり、ポプラの並木が続く。

 スワート地方最大の町、ミンゴラでバスを降りた。 もちろんペシャーワルよりもっと小さい町だ。 博物館を見たかったが、地図もなく、街の中を歩き回っても、 それらしきものは見つからないので諦めた。 この近くにはブトカラという大きな仏教遺跡があるのだが、 先を急ぐ私たちは次の朝早くにミンゴラを出発してしまい、見ることはできなかった。

 緑の宝石のようだったスワートを後にして、バスで再び山を越え、 インダス河のほとりの町に出た。 ここからいよいよカラコルム・ハイウェイを北上し、カラコルム山脈の入口の町、 ギルギットへと向かう。

 ギルギットまでのバスはフライング・コーチと呼ばれるミニバスで、 たまたま通りかかった所を便乗させて貰った。 料金は高いが普通のバスより早く行ける。 乗っている人は外人が多かった。

 カラコルム・ハイウェイはインダス河の巨大なX字谷に沿って走っている。 道は切り立った斜面の中腹に付けられ、崖の塞か下の方にコンクリート色に濁った河が渦を巻き、 白い波しぶきを上げながら、怒涛のように力強く流れている。 落石でもあればひとたまりもない。 時折、対岸に今にも崩れ消えてしまいそうな旧道が見えた。 今はそれでもほとんど舗装された道を車で行けるが、昔は本当に大変な道程だったのだろう。 深い谷、インダスの流れ、赤茶色の岩山、青い空……、物凄いコントラスト。 日本にはないスケールの大きい風景。 しかもその風景が延々と何時間も続くのだ。

 バスは何回かの水飲み休憩と何ヵ所かのチェックポストに止まっただけで、 ひたすらギルギットを目指して走るが、道程は果てしない。 イスのクッションが悪く、お尻が痛くて、長時間座りっ放しはとても辛かった。

 やがて時々谷が広くなり、流れの緩やかな所を通ったりしながら、 夕日に輝く“魔の山”ナンガパルバット(2)を過ぎ、 夜、真っ暗になっても走り続け、やっと10時過ぎにギルギットに着いた。 9時間掛かった。本当に長かった。 インダス河は凄かった。

 ギルギットは木も革もない岩山に囲まれた小さな町だ。 木のない、地肌を見せたハゲ山はだいぶ見慣れていたが、 この町はそれが目前に迫っているので、壮絶な感じがする。 北側の岩山の向こうに雪山が頭を覗かせている。 泊まったロッジのおじさんが、郊外の丘の上にある高級ホテルに連れて行ってくれたのだが、 そこからこの雪山はよく見えた。 ラカボシという名前で7000m級である。 ネパール旅行以来、再び私は高山の群れ集うアジアの奥地へと足を踏み入れていたのだった。

 次の日、私たちはバスで更に奥のフンザへと向かった。 フンザはパキスタンの最北部にあり、山々に囲まれた長寿の里として知られている。 そしてフンザからカラコルムの山々を越えればもう中国領だ。

 再びカラコルム・ハイウェイに乗り、インダス河の支流ギルギット河を渡り、 フンザ河に沿って北上する。 この河も白濁した速い流れだ。 進むにつれてラカポシが大きく見えてくる。 雪を被った山はいつも見てもよいものだ。

 目前にそぴえるラカポシを通り過ぎ、他の雪山も見え出して、 いよいよ奥地に入って来たという所で、フンザの中心地カリマバードに着いた。 村は丘の上にあり、村に上ると眼下にフンザ河の白い流れ、 正面に白いスカートの裾を広げたようなディラン峰が岩山の奥に端座し、 右に今過ぎて来たラカポシ、村の背後には厳しい岩壁を持つウルタル峰が望め、 左にも岩山の間から幾つか雪山が顔を覗かせている。

 村の中には背後の谷から引いた水が用水路を流れ、杏やポプラの木が茂り、線豊かである。 ちょうど麦秋で、麦畑は黄金色に輝き、杏の木はオレンジ色の実を鈴なりに付け、 まさしく桃源郷という感じだ。 背景が荒涼とした岩山なので、緑や黄金色、それに雪山の白は余計鮮やかに見えるようだ。

 村の奥の一番高い所には、いつか写真で見たとおり、ミール(藩主)の古城が建っていた。 写真と同じ風景を自分の目で見ているのが信じられなかった。 そして自分のいるその場所が、中国・パキスタン・アフガニスタン・ソ連の国境が隣接し、 高い山と深い谷が幾重にも連なる、アジアの最奥部のすぐ間近であるということが信じられなかった。

 道程は遙かだったが、喉元過ぎれば…の諺どおり、着いてしまえばどうということもなく、 恋い焦がれていた風景は当り前のように目の前にある。 それが信じられず、だからその風景も現実のものと実感できず、 哀しいことにあまり感動的な気分ではない。 もっと心の底から「来たんだ!」と実感するためには、 もっともっと苦労しなければ駄目なのだろうか。 例えばネパールで、自分の足で歩いて辿り着いてヒマラヤを見たときのように……。

 気持ちは消化不良気味だったが、いや、だからこそ、更に奥地へ入って行きたいと山を見ながら思った。 フンザから先は更に険しい山道を辿り、4600mもある峠を越えて中国領に入る。 よくそんな所を人が通るなぁと感心するが、古くから人が往来していた道で、 仏教文化が中国へ伝わり、求法僧たちが通った道でもある。 山を越えて向こう側へ行ったら、何を見て何を思うだろう。 それは行ってみないと解らない。 だから行きたい。 行ってみたい。

 次の日、古城を見たり村を散歩しながら山を見た。 夕方はホテルの部屋の屋上に椅子を出して、山を見ていた。 自分でも好きだなぁと思うが、本当に雪山は幾ら見ても飽きないのだ。

 ずっと見ていると自分が山に近くなっていく。 山は偉大で崇高な姿で厳然とそこにある。 仏様に手を合わせるように、思わず手を合わせたくなる。 自然はかくも偉大で、それに出合えば自ずと畏怖や尊敬の念を抱いてしまう。 それが正しい自然と人間の関係なのだと思う。

フンザ カリマバードの月の出

 夜、暗くなると、一つの岩山の頂上が後光を射したように明るくなった。 月の出だったのだが、なぜかそれが阿弥陀如来の御来光に思えて仕方がなかった。 以前、博物館で見た山越え阿弥陀の仏画(3)、 山の向こうに光り輝く姿を半身現して、来迎しようとしている絵を、 その山の頂上の後光を見て思い出したからだった。 人の力の及ばない、ありのままの自然の中では、月が出るというありふれた事象ですら、 神秘的なものに見えてしまう。 私は昔の人がなぜあんな絵を描いたのか、このとき初めて解った気がした。

 結局、この美しい桃源郷には2日間しか居なかった。 たった2日の桃源郷は夢か幻のようだった。 できればいつまでもそのまま、そこにあり続けてほしい。 再び訪れることはなくても、今もあそこに桃源郷があるのだと思うだけで、 楽しい気持ちになるのだが……。 やっぱり無理な願いかな、それは。



(1)法顕、恵生
法顕は中国の東晋時代の僧。仏法を求め、中央アジアから、インドを歴訪、 海路で中国に戻った。恵生は北魏時代の僧。 同じく仏法を求め、中央アジア経由でガンダーラ地方へ赴いた。

(2)“魔の山”ナンガパルバット
ナンガパルバットはカラコルム山脈の南端、インダス河沿いにそびえる8126mの高峰。 難攻不落の山で、多くの登山家の命を奪ってきた。故に“魔の山”と称される。

(3)山越え阿弥陀の仏画
私が見たのは上野の国立博物館のもの。 山水画のような山の絵と、阿弥陀様の組み合わせはとても奇異な感じがした。 阿弥陀来迎図は様々なものがあるが、山越えの来迎図は珍しいものなのだそうだ。


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