ルートマップ・INDIA( '81,'83 ) 地図 |
◇ ガンガとバラナシ
インドには、この時(1981年)と1983年にももう一度行っているが、 この時回った都市(デリー、アグラ、バラナシ、カルカッタ)の中ではバラナシが一番良かった。 それは取りも直さず、ここに居る時は胃腸の調子が比較的良かったし、 リキシヤにボラれなかったし、あくどい土産物屋のおっちゃんとケンカしなかったからである。 あくまでも何事もなかった町=良い町なのだ、……というのはもちろん言い過ぎで、 それも良かった一因でもあるのだが、さすがインドの聖地だけあって心に残る事がたくさんあり、 これらの方がバラナシ=良い町の大きな原因である。
この町はガンガ(ガンジス河)中流にあり、ヒンドゥー教の一大聖地である。 ガンガの岸辺にはガート(沐浴場)が並び、たくさんの巡礼者がここで朝日を拝み、 ガンガの水を浴び礼拝する。 あるいはこの地で火葬され、ガンガに流されるのを夢見てここで死を待つ人々もいる。
泊まったホテルはガートからはだいぶ離れた所にあったが、 庭先にシタール(1)のショールームみたいな小屋があって、 シタールティーチャーだという青年に会った。 先輩の一人はシタールをお土産に買っていたので、 その青年から弾き方を教わったりして仲良くなった。 ガートへはその青年と、青年の知り合いのオートリキシヤの運ちゃんに連れて行ってもらった。
日の出前にガンガへ出て舟に乗り、舟の上から朝日を見る。 朝日はガンガの向こう岸から昇る。 バラナシの街はガンガのちょうど西岸にあり、ガンガから朝日が見られるようになっている。 それが、ここが聖地である一つの理由らしい。
大きな河の真ん中で待つことしばし。 対岸は街もなく、木がまばらに生えているだけの何もない平原である。 その広々とした平原の向こうから、ぽっかりと朝日が昇って来た。 オレンジ色の光を河に映していた。聖地で見る朝日は静かで荘厳だった。 人の住む街と、人の住まない何もない向こう岸(これはまさしく彼岸というものだ)と、 それらを隔てている河と、彼岸から昇って来る朝日……。 精神世界を具現化したようなこの情景、荘厳なのは当たり前か。
朝日を見た後は、河の上からガートを見物した。 どのガートも人がいっぱいだった。 ガンガの水は黒くよどんでいる。 しかしガートの人々は、そんなことはお構いなしである。 聖なる水はどんなに汚れていても、聖なる水に変わりはないらしい。 ちなみにシタールティーチャーはヒンドゥー教徒だが、ガンガには入らないと言っていた。 オートリキシャの運ちゃんはムスリム(イスラム教徒)なのでもちろん入らない。 信仰心の篤さが人によって違うのはどこの国でも同じだ。
人のいないガートもあった。 代わりに白い煙が上がっている。これは火葬場である。 死体を焼いて、その灰をガンガに流すのだ。 そうする事が死者にとって、最も幸せな葬り方なのである。
この日はこの後シルクの工場を見物してから、午後、近くにある仏跡サルナートへ行った。 シルクの工場では工場見学の方がむしろ付録で、「お客さん、買ってちょ−だい!」の方が主である。 問屋のような所に連れて行かれ、サテンシルクのテーブルクロスのような物を何十枚と見せられて、 有無を言わさず「さぁどうだ!どれを買う!」である。 くだらない物ならともかく、シルクはシルクである。 結局、私たちは彼らの良いお客さんになってしまったのだった。 やられたという感じである。 でも絹のサリーを着させて貰ったからから、まぁ良かったんだけど…… (これは赤い色で、赤は花嫁衣装の色なのでウェディングドレスを着させて貰ったようなものなのだ)。
サルナートはインドに来て初めて訪れる仏教遺跡である。 仏陀が悟りを開いてから、初めて説法した所と伝えられている。 大きな木の疎林(これがいかにもインド的で良かった)を抜けて行くと、 大きなストゥーパ(仏塔)があり、寺の遺跡と博物館と小さなお寺が三つ。 この寺は現代の物で、しかも日本と中国とチベットが建てたものだ。
博物館はグブタ朝期の仏像が多かった。 有名なアショーカ王(2)のライオンの柱頭もあった。
ストゥーパの裏に寺の廃墟が広がっていた。 何となくそこが気に入って、しばらく歩き回っていた。 風が吹いていたが、その風が何故かとても優しく感じられた。 あの優しさは何だったのだろう。 インドの何もかも包みこんでしまう優しさ? それともおシャカ様の優しさ?
夜はシタールティーチャーのライブを聞いた。 シタールはとても良い音がする。 間近かで聞くと尚更だ。 その調べはときに眠くなったりもするけど、あくまでインド的に、 不思議な感じに早く緩くたゆたう。 タブラ(3)はいろいろな音色があって、リズムもいろいろで、 シタールに絡んだり離れたり、聞いてて面白い。 タブラのおじさんはリキシャマンかサードゥ(行者)のように痩せぎすで長髪で臭そうで、 身なりの良いシタールティーチャーとあまりにアンバランスなので驚いた。 でもそんなおじさんがタブラの前に座ると、見事な演奏を始め、 その様子は能あるタカは爪を隠すという感じで、私はこのおじさんが好きだった。 外は星空。 とってもインドらしいインドの夜。
次の日またガンガに行った。 河沿いに歩いて行くと、昨日河から見た火葬場があった。 火葬場を見下ろすテラスから、次々と死体が焼かれていくのをずーつと見ていた。 お坊さんはオレンジの布、男は白、女は赤の布に包まれている。 薪が多いのはたくさんお金を払ったお金持ち、少ないのは貧乏人。 火を点けると布は見る見る焼けて、足が剥き出しになったりする。 焼き場の人はゴミでも燃やしてるみたいに、こともなげに死体をつつく。 焼け残った部分は河に投げる。 何ともアッケラカンとしている。 白い煙りに目は痛くなったが、臭いはあまり感じなかった。 気味の良いものではないが、目を背けることもなかった。 人々は淡々としていたし、死体は淡々と焼かれていた。 私たちもそれを淡々と見ていた。 死というものが、そこではまるで違ったもののようだった。
白い光があふれるコンクリートの焼き場。 その上の死体、白い煙、黒い河、白い平原に疎林が広がっているだけの何もない向こう岸。 淡々と時は過ぎていき、風景は心に残った。
もっともインドらしいと言える風景をバラナシで見てしまった後は、 また胃腸に悩まされ、カルカッタではインドもインド人ももうたくさん、 早く帰りたーい! と帰国を待ち侘びる日々であった。
しかし不思議なことに、帰ってみるともうたくさんと思っていた気持ちが段々と懐かしさに変わり、 タイヘンだったけどまた行きたいなと思うようになってしまった。 良くも悪くもインドはインド。 めちゃくちゃなのがインドの魅力。 不思議の国のインド、なのである。
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