2. ひとかけらのインド

ルートマップ・INDIA( '81,'83 ) 地図

◇ 初めてのインド

 インドという国は、初めての人間には良くも悪くも強烈すぎるインパクトを与えてくれる。 まず人。 性格は極めてエネルギッシュでタフ。商売人などはそれに加えてずる賢い。 それにあの顔。 彫りが深くて目がギョロ目。 あのでかい目に見据えられて、まくし立てられたりするととてもコワイ。 人の数も多い。 街の中や駅や列車やバス、どっから湧いてくるのかと思うほどたくさんの人がいたりする。 とにかくインドに行くと、まずインド人に圧倒されてしまうのだ。 そして圧倒された後、皆それぞれインド大好き派と大嫌い派に分かれるようになる。

 ネパールから空路でデリーへ。初めてのインドの旅は、お決まりの夜の宿 探し騒動から始まった。これはネパールと同じである。

 次の日から用事や観光で街を歩き回ったが、早速、 本場のカレーだのネパールになかった生フルーツジュースだのラッシー(1)だの、 いい気になってあれこれ飲み食いしたお陰で、早くも下痢ってしまった。

 下痢をして困るのはトイレである。 とにかく急を要するので、汚いから入りたくないなどと言ってられない。 だから、今から思うと随分汚いトイレにも入った。 駅で女性用のトイレがなくて、男性用のトイレに入っていったこともあった。 ついでに言うとインドのトイレはほとんどしゃがみ式(ネパールもパキスタンも同じ)だ。 向こうの人は水でお尻を洗うので、大体前の低い所に水道と、 洗浄用の小さなオケやカンなどが置いてある。 用済み後は残りの水で流す手動式水洗の所が多かった。

 たしかパキスタンの安ホテルで、便座なしの洋式トイレの所があった。 お尻を乗せる便座がなくて、しかも便器の縁はドロなどで汚れているのである。 どうも便器の縁に上がって用を足してるようなのだ。 しかし慣れてない人には、そんな軽ワザはとてもできないので、 結局腰を浮かして苦しい体勢で用を足したが、ホントにあれには閉口した。 まだバッチイ和式の方がましである。

 話が横にそれたが、とにかくこれ以後日本に帰るまで、下痢と胃の変調に悩まされ、 苦しい旅となった。 快適だったネパールの旅とはうってかわって、デリーに入ってからは良くないことが続いた。 一人で観光してリキシャのおっさんに大金ふんだくられたり、迷子になったり……。 加えて下痢腹である。 いきおいインドの印象は悪くなる。 私だけでなく、一緒に行った先輩の一人もアグラでカメラを盗まれたし、 観光地のタクシーの運ちゃんや土産物屋のおっさんたちは、 1ルピー(2)でも多く客から取ってやろうとこすっからいし……。 お陰でインド人は信用できない!なんて人間不信に半ば陥ってしまった。 さすがにインドは甘くないのである。

 でももちろん悪いことばかりではない。 いろんなことで苦労はしたけれど、それに見合う素晴らしいものを見ることはできた。 デリーで言えば、クトゥプ・ミナール、そして夕暮れのジャーマ・マスジット。 クトゥプ・ミナールはデリー郊外にあるイスラム建築の大きな塔で、 途中まで上がれる(今は上がれない)。 塔のテラスから見ると、眼下に広々と大地が広がっているのが見え、 ここに来て初めて、ここはインド亜大陸なんだなと実感した。 広々とした風景にはとても魅せられる。 デリーでは一番好きな所だった。

 ジャーマ・マスジットはオールドデリーにある大きなモスク(イスラム寺院)である。 モスクを見るのはそのころの夢だったので、夕日を浴びたきれいなモスクを見たときは、 とても嬉しかった。

 あとは博物館。デリーのナショナル・ミュージアムもカルカッタのインディアン・ミュージアムも、 インド芸術の総まとめという感じで、いくら見ても見飽きない。 ナショナル・ミュージアムには加えてスタインの置き土産(3)があり、 東トルキスタン(中国領シルクロード)の貴重な文物を見ることができる。 シルクロード好きの私にはこたえられない魅力だった。

タージ・マハール  デリーからアグラへ行くと、有名なタージ・マハール(4)。 絵葉書通りの均整のとれた美しい建物。 美しい絵葉書通りにそれが実在しているのが、タージの凄い所と言うべきか。 私たちは前庭の芝生に座り込んで、心ゆくまでタージを眺めた。 空は青く、タージは白く輝き、緑の芝生は気持ち良かった。 団体旅行の人々が一回りして帰って行くのを見て、好きな時に好き、 な所で好きなだけ居られるのが個人旅行の良いところだなぁ、 なんて満足感に浸ってしまった。

 そう、宿探しだの切符の手配だので暑い中あちこち歩き回ったり、 リキシャのおっちゃんにボラれたり、あれやこれやで時間が掛かって、 手間が掛かって疲れ果て、そういう苦労はこんなときに報われるのだ。 そしてその分、感動も大きくなるのだ。

 苦労と感動の間で、インドの旅は続いた。


(1)ラッシー
ヨーグルトに砂糖を混ぜ、攪拌させた飲み物。 バナナやパイナップルを入れた物もある。日本でもインド料理店に行けば飲めマス。

(2)ルピー
インドの通貨単位。ルピーの下にパイサという単位がある。 (100パイサで1ルピー)当時1ルピー27円位。インドは物価が安いので 1ルピー= 300円位の感覚。

(3)スタインの置き土産
スタインはイギリスのインド統治時代、20世紀初頭の探検家。 インドを足掛かりに三回の中央アジア探検を行い、 ホータンや敦煌を発掘・調査し、多大な成果を上げた。 このときの発掘品はほとんど大英博物飴に保存されているが、 その一部がインドに残されたということなのだろうか。 そのいきさつは解らない。

(4)タージ・マハール
インド北部アグラにある、ムガール朝シャージャハーン帝の愛妃ムムターズ・マハルの廟。 白い大理石の美しく有名なインドを代表する建築物。


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